脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

Principleを持て

2021-06-23 | Weblog
コロナウイルスの感染がひろがってきました。現在も多くの人がトレーニングに来てくれていますが、ジムでは必ずマスク着用、道具を使用した後はアルコールで消毒してください。ジムではなるべく大声での会話はさけてください。感染しないとと言う視点だけではなく、感染させないと言う視点を持って、注意して行動してくださいますようお願いします。

うちのクラブは中高生の運動クラブのような稚拙なルールは存在しない、だがここには大人が集まっているので、一般社会のルールが存在する。だから一般の社会人にとってはトレーニングしやすくいごこちのいいところであろうが、アウトローややんちゃですの人間にはかなりいづらい場所であると言ってもいいだろう。私はそういう類の人間には言わないことがある。それは彼ら彼女らが迷惑なことしたり的外れなことをした時に「次からは気をつけろ」と言うことである。そういう人間にはもともと基準やプリンシプルなどない、あいさつと敬語もどきの会話ができて、親玉とうまくやっていたらOKぐらいの感覚しかないので、次から気をつけてくれと言っても無駄、もともとそういう常識など持ち合わせていないのだから、ここは自分たちの常識は違うと思わせる方が懸命だ、だからこの人は違う、自分たちの常識とは違うと思わせるために、なぐられようが思い切り否定するようにしている。

私の知り合いの外国人たちは基本的にHoyoungまたは、キムさんと言う、だから私は彼ら彼女たちからしたら外国人枠に入るのだろう。この前もいつの間にか俺たち、weのカテゴリーに認定されたが、彼ら彼女らにはうけがいい、初対面で紹介されると、インテリで地位の高いポジションだと勘違いされることもある。いやいや普通の人だよ、何でそう思ったのと聞いたら、自信をもって堂々と話すからと言っていたが、特にアジア人はできるなら仕事を一緒にしたいと言う人もいて、私は彼ら彼女らから見て高評価である。

私は人から見たら自信を持っている人と映るようである。がしかし絶対そんなことはない、それは自信があるように見えるだけで、実際はチキンで、自信など持っていない、普通のおっさんで、そう見えるだけである。
しかし自信があるように見えると言っても虚勢をはったり、俺に任せろとか大ぶろしきを広げるたりはしない、がしかしもしそのように見えるとしたら、それは私にはプリンシプルがあってそのことを基準にして物事を判断したり、行動したりするからであろうと思う。
管理者であるならば、プリンシプルを持つことは必要なことだ。ジムも人間が集まる群れであるから、どのように考えてどう行動することがその群れにとって正しく、秩序を守るものであるかと言うことをまわりが理解していないとその群れの秩序は乱れてくるだろう。前にも言ったが人の顔色を見たり、一部の人間や自分だけの都合を考えるのではなく、性別や、年齢、そして、国籍や社会的立場、そしてその人のもつ学歴などをよく考えて、ジムにとってどのように考えて行動することが正しいことで、全体の益となるのかと言うことを考えることが重要で、私はロールズの無知のベールを参考にしているが、管理者は「俺はこう思う」と狭い考え方に固執するのではなく、その行動や考え方がその群れ全体の益となるように深く考えることが必要であると思っている。
だから哲学を学ぶと言うことは自分の考えを広げる意味では必要なことだ、哲学書を深く読み込めば自分の考え方がいかに浅いかということをい思い知らされることもある、それは自分よりもレベルの高い人たちと話すこともそうであるが、自分の考え方などちっぽけなものだから、成長するためにはいろいろな知識や経験を経て、それが一度バラバラにされて、そしてさらに再構築されていく作業が必要であり、スポーツ指導者であるならば、そういう考察ができないと群れを平等に正しく管理し、おさめていくことはできないと考えている。
それは哲学だけではなく、宗教学や社会学、そして心理学の本を読むこともそうである。しかしやるからには薄っぺらい誰でも読めるようなものではなく、2,3ページ読むのにも最初は一時間かかるぐらいのものを読んで大いに葛藤することが大事なことで、こういう作業をしないとその考え方や考察が薄っぺらくなる、基本的にスポーツしかできない人間は本を読むセンスがない、リーダーとしての条件とか自己啓発本はベタで稚拙、笑ってしまうが、そういうことを群れに役立てるとしたらそれは新興宗教の類である。





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