ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。ジムではガイドラインを参考に行動してください。また水分補給は十分におこなってください。 アルコールは70%から75%のものを使用しています。
何年か前に忘年会をした時の話だ。うちのクラブは集まる人たちもいわゆる普通の人そして女性も半数近くいる、そして集まってもほぼボクシングの話はしないので、店のおやじが興味深そうに何の集まりですかと聞いてきた。
何年か前に忘年会をした時の話だ。うちのクラブは集まる人たちもいわゆる普通の人そして女性も半数近くいる、そして集まってもほぼボクシングの話はしないので、店のおやじが興味深そうに何の集まりですかと聞いてきた。
酒の席でボクシングの話などしたくないので、あててみてと言うと、おやじはうーんと考えて「コーラス部」「じゃあそういうことにしといてください」ということでMOBはコーラス部になった。
私はよくMOBはコミュニティであって仲間ではない、私が求めているのは仲間たちではなく、コミュニティの形成であると言っているが、仲間は狭い世界の共通認識で集まる集団で独自の人間関係を重視する集団である。一方私の考えるコミュニティはお互いの立場や目的を認めて、正しい共通認識による秩序からなる集団で、そこにはいろいろな人が集まるので人間関係よりも組織的な考え方によって公平さを保つ集団、そこにはひとりびとりの偏りのない価値観と、お互いを尊重する気持ち、協力によって形成されていくことが理想である。
話は忘年会の話に戻るが、その店のおやじにコーラス部と答えられたのは組織づくりとしてはある意味正解、なぜなら我々のようにいろいろなタイプの人たちが集まるコミュニティはボクサーみたいなやつが集まる独特のカラーを持つ偏った集団ではないからだ。
ラジャーも日本はほとんどが社会主義だと言っていたが、メンタリティがそれに近いのか勤勉なのかはわからないが、日本人はひとりがそうしたらみんなが同じようなことをする、なんとなくボクサーと言う雰囲気ができたらみんなそれに染まっていくのが日本の運動クラブである。
私から見てそういう独特で同じような価値観を持った者同士が集まると一般常識がゆがんでくる、その集まっている輩たちの気持ちや感情が最優先されるということだ。私がよくわからないのはよく聞く話だが、生意気な人間が入って来たらスパーリングで最初ボコボコにしておとなしくさせると言う考え方だ、どう考えても暴力としか思えない、そういうことも仲間程度の集まりなら正当化されるからばかげた話であるが、生意気な人間をボコボコにすると言うのは俗世間で言うリンチ、こういうことがまかり通ると言うこと自体おかしいことで、やはり仲間程度の価値観だとそういう暴力も容認されるのだろうと思う。
クラブと言うのは公共の場であって、仲間たちが集まる場所ではない。うちでは絶対に暴力あるいはそれが暴力的であっても容認しない、もしそういう行為を確認したら迷わず退会してもらう。そしてうちで基準になっていることは、コミュニティ、あるいは組織にとって何が益であり、害になるかと言うことである。仲間のような人間関係を求めるようなクラブであれば、例え自分勝手でまわりに悪影響だと言う人間が出て来たとしても、我慢して育てるとか教育するとか、そういう人間に限ってしがらみがあるのでなかなか人間関係をきることはしない。そしてそれがさらに取り巻きになれば、よほどのことがなければ多少まわりに迷惑がかかったりしてもバサッときることはできないであろう。
しかしきつい言い方かもしれないが、私はその人間を残すことによってまわりが不快感や不安を感じたら退会してもらう、コミュニティの害になれば容赦なく切ると言うことだ。うちのクラブは中高生のクラブではなく、おもに社会人のために開かれたボクシングクラブだ、私がここを設立したのは日ごろストレスを抱えている人たちをボクシングと言うスポーツを通してそのストレスを発散してもらい、元気になってもらうためだ。たいした勉強もしていないのにスポーツを通して人間教育みたいなことを言う人もいるが、しかしそういうことを言うのはおくがましいことで、ここはそういう場所ではない、むしろみなさんがコモンセンスを持っているという前提で入会してもらっている。
その人間が暴力的であったり、なわばりを意識したり、害になるような人間を残すことで悪い影響が出て組織が機能しないと判断したら迷わず切る、それはある意味一般のまじめに来ている人たちをモンスター化しようとする人間から守るための判断だと理解している。
私の判断はその人間との人間関係、ここできったらその人間がだめになるとか、そういうことがプライオリティではない、コミュニティに害が及ぶかどうかと言うことである。それがいろいろな人たちが集まる人たちがここで公平でかつ楽しく安全にトレーニングしてもらうために考えなくてはならないことだ。