脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

私の好きな歴史上の人物

2020-05-17 | Weblog
今日久しぶりにジムをオープン、なぜ土曜日にしたかと言うのは、平日だと他に行くところの選択肢がすくないので、ジムが混雑する、一発目からこの状態だと、迷いが生じてしまうのであえて休日の土曜日の5時からにした。その久しぶりのオープンはぼちぼちではなく、私が予想していた以上に忙しかった。やはり自粛のストレスがたまっているのだろう、でもみなさんが楽しくトレーニングする姿を見て開けてよかったと思った。

だいぶ前、後輩が私のことをセジョン的だと言っていた。セジョンと言うのは朝鮮の王様だが、彼曰く私は知的で容赦がない、その上何を考えているかわからないそうである。私は、うまくいうなあと感心したが、何を考えているかわからないと言うのは、私にしてみたら誉め言葉で、むしろ何を考えているかわかるような人間は何かを管理したりするにはふさわしくないとさえ思っているほどだ。私は人と話している時、違う言語で考えて答えを出すこともある。日本語で考えるよりも他の言語で考える方が本心を悟られにくい、そう考えて警戒する相手には違う言語で考えるようにしているのだ。
コミュニティを管理することは難しい、管理者の舵の取り方ひとつでそのコミュニティはまちがった方向に向かっていくだろうし、そのコミュニティが健全で正しい方向へと向かうためにはしっかりと自分の考え方を浸透させて、仲間ではなく、本当に正しい判断できる人たちの協力を得なくてはいけないからである。何々しろとか何々するなと言う安っぽい運動部のルールでは、それなりのレベルの人間しか集まってこないだろう、管理者はしっかりと学んで、そしてそこに来てくれている会員の人たちのためにクラブをよくするように努める。すべては自分ではなくここに来てくれている人たちのために考えて、実行する。ただ単に人あたりがいいとか、好かれると言うことではなく、時には厳しい判断も必要であるが、みなさんがここに来てよかったと思えるクラブにしたいと心から考えている。

話は再開の話にもどるが、正直この時期活動することに不安がないわけでもない。高知は感染者が出ていない状態で近隣の県も松山をのぞいてはここ最近感染者がゼロなので「よし行ける」と言う判断で再開したが、しかし私は同時に最悪のことも考えている。
私の好きな歴史上の人物にVercingétorix(ウェルキンゲトリクス)と言うガリアの部族の族長がいる。彼はガリア戦記によれば最もカエサルをくるしめたリーダーだと言われている非常に優秀で人望のある人物で、フランスの最初の英雄と言われているそうである。彼らはガリアに進行してくるカエサルと戦ったわけであるが、最初は勝利したり、相手を追い詰めたりもしたのだが、しかし最後はガリアの都市アレシアに追い詰められ、ローマ軍に包囲され、そこで部下達の保全を条件に降伏、投降し、そして、その後、ウェルキンゲトリクスはカエサルの凱旋式が行われた時に処刑されたそうである。
私はこの話に感銘を受けたのだが、その時戦いにまけて、すべてのものをうばわれて、処刑されるかもしれないと言う心境はどうであったか、また降伏する時になぜ命乞いせずに部下の保全を条件にしたのかということを深く考えた。そして私なりに考えて、こういう人を導き先導していく立場の人は最悪のことも考えてそれを受け入れる準備もしっかりとできていなくてはだめだ、そのためのシュミレーションとある程度覚悟して行動することが求められるんだと思ったのだが、管理者として大事なのは、何かあった時に俺はこんなことには負けないと言う気持ちよりも、その状況をどう受け入れるか、そして時には最悪の状況も考えて行動することだろう。
めちゃくちゃおおげさに聞こえるが、私はいつも最悪のことを考えている、前にも言ったがうちの会員の人たちは自分よりも相手に迷惑をかけたという気持ちがあるので、誰かが感染しまったらかなり落ち込むであろう、そしてその時、どう声をかけるか、そして人によって違うがいつかとか、そっとしていたほうが懸命だとか、そのことをメンタルトレーナーにアドバイスしてもらって、実際にすべての人に何をいつ伝えるかと言うシュミレーションができている。そしてもしそうなって矢面に立たされたとしても真摯な態度をくずさない、時がたてば冷静な目で見てくれる世間の人たちも出てくるだろう、そしてその時誠実な態度をとっていたら巻き返しは十分にできる、笑われるかもしれないがそこまで考えて私はクラブを運営しているのだ。腹をくくると言うけれども、もし最悪の事態を迎えて、先のことが見えてなかったら、正直腹などくくれない、ウェルキンゲトリクスは常にこういうことを考えていたのではないかと思っている。ガイウス・ユリウス・カエサルの言葉に有名な言葉がある。それは敵対するポンペイウスとの戦いの前、ルビコン川を渡る時に「Area Jacta Est!(サイは投げられた)」と言う言葉であるが、これはローマの喜劇のセリフであるそうだ。しかし物語は時には悲劇になりうる、私は何か行動を起こす時は必ず、後ろから考える、後ろから考えると言うのは最悪の事態を考えて、然るべき準備をすると言うことである。





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