脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

비 온 뒤에 땅이 굳어진다(雨降って地固まる)

2020-05-04 | Weblog
今日メルケル首相の演説を聞かせてもらった。たぶん聞いた人は私が彼女の演説に感化されていると思う人もいるだろう。でも私が彼女の演説を聞いたのは昨日で私はまったく彼女の演説は聞いてはいない。何が言いたいのかと言うとおそらくベースになっている考え方が共同体意識によるもので、これは西洋的な思想であると言うこと、私自身もそういう学問を学んできたので、それが当然考え方のベースになるのは当たり前で、言っていることが同じようなことだというのも理解できると思うのだが、彼女の言っていることは特にむずかしいことでもない、西洋では誰もが考える当たり前のことであると言うことだ。
話はうちのじいさんの話になるが、うちのじいさんは共産党ではかなりのエリート層であったようだ、いろいろと話を聞いてたどり着いた結果は、彼が大学で教鞭をとっていて、余計なことを主張して放り出されたこと、だから私はそっち系の考え方は賛同できない。こんなことを言うと共産党を支持している人におこられるが、共産主義と日本や韓国そしてUSのように公平な選挙が行われる資本主義の思想を一言で表したら、共産主義や社会主義が「団結」で資本主義が「協力と契約」であると思っている。「団結」と言うのは目的がなければなりたたない、最初は勢いが強いがその勢いは続かない、しかし協力は目的もそうだが、相手を同情したり思いやったりする気持ちからも生まれてくるものだ。基本的にメルケル首相などの西洋の政治家の根底はキリスト教やイスラム教の宗教的なバックボーンがある、確かに共産主義も弱者を救うためのものであると言えばそれはそこに思いやりや正義もあるのだろうが、しかしそれらは唯物主観論があらわすように初めにシステムありきである。以前good samarianと言う聖書の有名な話をしたことがある。ひとりの男が倒れている人を見て、そのあわれな姿に同情してその人を助けたと言う話である。そして彼が人を助けた理由が同情したからであるが、この言葉は原書ではスプランクナニゾマイと言う内臓を表す言葉から来ていて、日本語でも断腸の思いと言う言葉があるように、彼が人を助けた理由が自分がいたたまれなかったからだと言うことから、人を助けたり、いたわったり、思いやりをかけたり、そして人を愛することは、人のかかわりを通して経験し、体験することによってだと言うことを言ったと思う。
キリスト教もイスラム教も基本的にを隣人愛を説く宗教だ。そしてその彼ら彼女らの言う隣人愛とはひとりびとりと向き合うことである。個人と向き合い一対一の関係から見えてくる神が与え、愛した個人の人格、人権を尊重し、そこから相手を思い気づかうことによってつながっていく人間関係、そのつながりが彼ら彼女らの言う共同体の概念で、協力と言うのもその土台の上に成り立っていると思っている。メルケル首相は演説の中でこう言っている「感染症の拡大は、私たちがいかに脆弱な存在で、他者の配慮ある行動に依存しているかを見せつけています。しかしそれは、結束した対応をとれば、互いを守り、力を与え合うことができるということでもあります。」
まさに今協力し合う共同体の力が必要だと言うこと、我々は弱いからこそ支え合って協力していかなくてはその強大な力には太刀打ちできない、他人を気づかい思いやりを持って行動してくれ、そしてそのことによって消息に向かおうと言う強い宣言である。
ジムもひとつの共同体だ、会員の人たちやトレーナーたちは私にとってここにつながってくれている大事な人たちで、うちのジムはいろいろな人がいて協力してくれたり、支え合ってくれるから、今のこのいい雰囲気が生れるし、平等に安心してトレーニングできる、そういう意味ではここに来ているみなさんひとりびとりがどれぐらい来てるかとか関係なくジムでの主役である。そして時にはその人たちの安全と生活を守るためには反対の行動をとらなくてはいけないこともある、しかし忍耐とぶれない気持ちを持って最善の再スタートができることを願っている。



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