おとついのヴァレーボールは韓国が圧勝、正直私は応援スポーツは国によって違う。代表的なところではサッカーは日本だが、ヴァレーボールは韓国そしてボクシングは思いっきり発展途上国を応援してしまう。最近ブラック部活などと言う言葉を聞くがヴァレーボールはその代表的な部活でよく問題になっている。どこかの運動クラブはその親の集団自体が村社会になっていて顧問の暴力や暴言などを容認していると言う話をそこの親から直接聞いたが、頭を丸刈りにさせたり、拘束時間が長く朝練なんて勉強できないようなトレーニングは人権蹂躙暴力と同じである。私はこういう話が多く問題となっている自分たちの世界でしか物事を考えることができないまわりが見えていないスポーツなど応援する気にはならない。
人身売買に問題を感じて以来発展途上国の国の人たちと交流を持つようになったが、日本は本当に平和だ。私は毎回オリンピックが開催されるたびに思うことは日本は競技者が高年齢化していることである。テレビなどでも40にも近いおっさんやおばさんたちがそれに打ち込んでオリンピックに出ている姿をよく見るのだが、それは飽きたということを通りこしてみっともない。まあ人それぞれと言ってしまえばそれまでだが、2回も3回もオリンピックに出てくる人間を見たらもういいだろう他の人間にゆずってやれよとさえ思う。日本は本当に平和で好きなことができるのだから本当に幸せであるが、それは自分たちがたまたま日本人に生まれてきたからで、そういった余裕がない貧困にあえいでいる国さえも少なくはない。何が言いたいかと言うとオリンピックと言うのは世界各国からいろいろな国が集まってくるのだから、もう少し全体から個というものをとらえてまわりのことも考える必要はあるということだ。経済効果がどうとかいうのも大事であるが、しかしその多くの国が集まるからこそ自分たちを他者とのかかわりの中で考えるべきだと思っている。これは私の意見であるが競技者はただ好きなことだけをやっていたらいいというわけではない、今やコスモポリタンで人とのつながりを考えなくてはいけない時代で、自分たちよりもめぐまれない国や人身売買などのえげつないことが起こっている現実に目をむけて思いやりを示す必要がある。スポーツは国境をこえるというがまさにそういう競技者は代表であってそういう義務をおっていると思う。「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」というオリンピズムは、クーベルタンが提唱したオリンピックのあるべき姿である。よく顧問は日本一になれとか世界を目指せと言うが、しかし教育がかけた記録さえのばせばいいという考え方は思いっきり間違っている。今自分が競技している国がどこにあるのさえもわからない人間、テレビに出てきても部室で話す程度のことしか話せないような人間がはたして本当に代表としてふさわしいのだろうか。最近ましになってきたと言うが、しかしまだまだアスリートの教育レベルがひくい、朝練とかトレーニングの拘束時間が長いのだから勉強できるはずはない、まずはきちんと勉強する時間を与えて知識を与えて「知る」と言うことを教える必要があるだろう。そしてもし可能ならば海外遠征の時にそこの国でおこっている現実をきちんと学習させたらいいだろう。