オリンピックがはじまろうとしている。正直興味ないが、しかし次は東京でオリンピックが開催されようとしているのに未だアスリートには語学が普及していない。語学ができない主張できない日本はロンドンでもインチョンでも結構えげつない目にあわされたようだ。スポーツ指導者の多くは自分の子がいたちには親でも言えないようなことを言ったりエラそうな態度で接するのに外国に行くと何も言えない、借りてきたネコの子のようにおとなしいからなさけない話だ。国際社会ではせめて英語が話せないとかなりのディスアドバンテージだ。ファイティングスピリットとか侍魂などと言うのであれば英語をおぼえて不服なジャッジに対して抗議してみろと思う。ロンドンでもインチョンでも苦い目にあっているがまだ日本人は言葉のこわさを理解していない。トレーナーレベルであれば技術的なことを教えるので英語を理解しなくてもいいだろうが、しかし指揮官である監督は英語が話せないと国際社会では通用しない。自分のテリトリーではおいそことかエラそうに人を物でも扱うように戒めたり、おしめをかえたわけでもないのに親でも言わないようなことをさもわかったように言うが、しかし自分のテリトリーでないとものが言えない、英語が話せない人間は頼りならない、さらに日本語の語彙力もひくい人間は言語道断であるが私がアスリートならば英語が話せないと言う段階で見限るだろう。
話はアスリートの話になるがそれしかできない人間は自慢話か自分の狭いフィールド内でしか話ができないので非常にうっとうしいしおもしろくない。人が普通に話していても自分はもっとすごいとさらに上の話をしようとする。言うことも目立つようなことしか言わない、自分は監督から特別扱いされていたことをさも自慢げに言うような奴もいたが、本当にこいつらの世界は一般の常識からはずれているように思う。そもそも体育会のルールなんて子供のお遊びのようなもので、ああいう掟のようなものが絶対だと信じさせるような指導はちゃんちゃらおかしい。もっと勉強しろと思う。これはある企業の人間が言っていたことだが、その企業は個人事業主を扱って仕事をしている大手メーカーである。個人事業主と言うのも十人十色で中にはやっかいな人も多くいるらしく、そのやっかいな人たちというのは自分自身で起業してきたので自分たちのルールしかわからない、さらに経済などの専門的な勉強などもしたことがない人たちで、そういう人たちに企業の戦略やルールなどを伝えても理解しようとしないらしい。裸一環でやってきたことは認めるが、しかしこれからのビジネスは戦略が重要だ、おそらく企業と言うのは10年後ぐらいを見通した今を見ている。そういう戦略があるのに過去と今しか見えない人間ははっきり言って弊害だ。俺たちはこうやってきたからとか言うような人間は過去しか見えていない人間だ、もう少し見聞を広めたらいいのだが、なんせ狭い世界でしか生きていないので自分たちのやりかたやその価値観が正しいとゆずらない、そしてゆずらないことが信念だと勘違いしている。それしかできないアスリートはこういうやっかいな個人事業主とかぶるのだが、でかい声であいさつしたり一応敬語もどきで話すことができても、きちんともののしくみや人間関係や倫理、そして共同体というものが理解できなければ共同体としては未熟である。自分の能力の限界を知ってひっそり生きているぶんには問題ないが、しかし共同体や企業体として機能するためには全体を通して自分を見ることが求められる。所謂客観的な考察、学問的な考察が必要である。言わずともわかるが学校の規則をやぶって髪をど派手にそめたり、人に不快な思いをさせるような奴はわけのわからない自分たちの理屈を持っているがそれらは往々にして恣意的で世の中を通して自分たちを理解していない、こういう奴らには倫理とか共同体レベルで話ができないからやっかいで、少し高い次元での理解ができないから中高生のレベルの体育会の掟がすべてだと思いこむのだろう。スポーツの群れも教養がある人間が集まってくると自ずと全体をとおした自分を考える人が集まり群れの質はよくなってくる。しかし自分の自慢話や武勇伝、過去の小さい栄光にすがるようなそれしか知らないアスリートが集まると群れが体育会のような群れになるのだが、そういう群れにつながっていても進歩はない。本当に群れの質をあげたかったら責任者が教養のレベルをあげて指導する必要がある。