脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

人種よりも宗教

2015-09-21 | Weblog

共和党候補のカーソン氏の発言が物議をかもしている。というのはイスラム教徒は合衆国では大統領になるべきではないと発言しているからだ。カーソン氏はCBNのmeet the pressにおいて「大統領になるには信仰は問題となるか」と言う問いに「合衆国の価値や原則に矛盾するならば問題だ。しかし合衆国の領域におさまり、憲法と一致した信仰ならば問題ない」と述べ、さらに「イスラム教は合衆国憲法に合致するか」との問いに「イスラム教にこの国を任せることは反対だ」と発言した。この彼の発言を聞いて思い出すのがシャルリーエブト事件だ、シャルリーエブトとはイスラム教の預言者を風刺したことがひきがねとなってイスラム教徒から襲撃にあった出版社である。この事件にたいして日本のコメンテーターがやりすぎだ、たかだかイスラム教徒はフランスの7パーセント未満でマイノリティではないかと言うことを言っていた。しかしこの7パーセントを多いととるか少ないととるかは考え次第だとかつて言ったと思うが、この7パーセントは同じ方向に向かう7パーセントで、私は豚肉を食べない、断食をする1日に3回から7回の祈りを捧げるというような行為を日常において固く守っている7パーセントが少ないとは思えないのだ。ミシェルウエルベックと言う小説家の書いた「soumission」と言う小説がある。これは韓国でも翻訳されて話題になった本だが(日本語訳はない)2020年の大統領選で極右主義政党とムスリム政党がのこった結果国民は国が極右になるのをおそれてムスリム政党を支持してしまい、その結果国がイスラム教に支配されると言う問題作である。「soumission」はフランス語で服従と言う意味であるが、これはイスラム教に支配されたらと言う場合の心理的な不安を一言で表現していると思う。イスラムと言うのは他に宗教を認めない、イスラムの攻撃性をあらわした言葉に「クルーアンか剣か(歴史的事実はないが)」と言う言葉があるが、この服従と言う小説はヨーロッパ特にフランスの抱える不安と問題を浮き彫りにしていると思う。

ここからは私の宗教論であるが、イスラムもそうであるが偶像を持たない宗教は強固である。キリスト教でもpresbyterianと言うのがキリスト教の中でも頑固で強固である。もともとフランスのジャンカルバンと言う宗教改革者の流れを思いっきりくんでいるキリスト教の派閥で、彼ら彼女らは徹底して神の主権を語り、偶像を持たない宗教戦争などで領土を広げていった時に偶像を徹底破壊したことは有名であるがカルバン派そういった目に見えるものを排除することで自信の信仰を確立させようとした、だから頑固で強固だと言うこともうなづける。ムスリムも然り偶像を徹底排除し神の主権を問題にし、個人の信仰を確立させている。おまけにキリスト教とは違ってウンマ共同体と言う考え方があって、ウンマと言うのはイスラム共同体と理解していいが、その集合体では2000年前の戒律が絶対化され、信仰が固く守られその信仰にあわせて生活をしている。そしてそれは運命共同体なので規律を守らなければ人間失格ぐらいの目で見られるであろう。豚肉を食べないのはなぜか神が食べるなと言っている、祈るのも神が祈れと言っているからだ、こういう共同体が7パーセント日本にいたらどう考えるべきか。党内でも分裂や裏切りがあるような政党など太刀打ちできない、宗教弾圧は絶対にしてはならないが、その宗教をよく研究しもし台頭して来たら国の機能を改革するか、あるいは規制をかける必要も出てくる。フランスとアメリカの大きな違いはフランスでは宗教は大きな力を持たない持つ人が少なくなっている中こういう強固な宗教が台頭していることで、その脅威が「服従」と言う小説を書かせたのだろう。

 


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