脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

からのツボほど大きな音がする

2015-09-17 | Weblog

うちのクラブは女性が多い。女性のトレーナーがいるわけでもないのだが見学に来るのはほぼ女性でこの1週間の男女比率は70パーセントが女性である。健康維持の人でもそうであるがボクシングを学ぶにあたってビビることは必要であるが、ボクシングなんてなめていいと言っている。ビビると言うのは危険だからけがをするな、無理なことはしてはいけないということで、なめろというのはスポーツは遊びであってそうたいそうなものではない、だから健康維持でもダイエットでも堂々とトレーニングしてくださいということである。ここに来る人たちに率直に感想を聞いたらこういう意見をよく聞く、はじめに思っていたイメージとは違う、やさしそうな人たちが多いので安心できる。私は大学生などの若い人に英語の文献や学科が文系ならばだいたいそのテーマだったらこれを読んだらいいよというような本を薦めてあげるのだが、何を言いたいかと言うとアウトローくさいやつはどうかわからないが、世の中の一般の人たちはそういうところを見ていると言うことである。仕事や学校がおわってジムに来て、人の武勇伝やそれだけしかできないような人間のこれみよがしの自慢ショーなど誰も見たくない。社会では何も持っていない人間は特にそういうことで目立とうとするが、しかし学校で勉強しないやんちゃで人の迷惑をかけるような奴をそんなところでスポーツができるからと言うことだけで誰も認めたくはないというのが本音であって、そういう人間を認めてしまうとバランスがくずれる、子供じみたようなコミュニティにまともな社会人が居場所を感じることはできないだろう。前に会員が私のいいところをこう言っていた。悪いことや間違ったことには冷酷非道にそれを処罰する。それはある種の自信で安心できると言っていた。まあ冷酷非道と言うのはどうかと思うが、私は特に暴力や弱いものいじめなどに対しては絶対に見て見ぬふりをすることはしない。女性や健康維持の人たちがここに来ても競技者組が優先などと言うのもある意味弱いものいじめだと認識しているが、そういうことがないようにジムの雰囲気づくりをしていることも確かである。私はジムの雰囲気をつくるのはその責任者の頭の中身だと信じている。しっかりとした教養を身に着けて何が正しいことなのか、さらにみんなが平等にトレーニングするにはどうしたらいいかということをジムにはいろいろな人たちが来るのだから、ぶれない考え方をしっかりと持って対応して行くことはその責任者にとって大事なことだ。考え方が狭かったり、知識がないといびつな集団を生み出す。きついひとことだが教養がないからと言って勢いでものを言ってもみっともないだけだ、確かに格闘技をやっている人間が高圧的な態度で勢いで話すと相手はひるむだろうが、しかしそうだからと言って納得したわけでもなければリスペクトされるはずもない。この前も若い人に言ったがボクシングなんかで自信はつかない。本当に自信をもとうと思ったら語学や専門知識を学んで人とディスカッションすること、特に欧米の大学では女性も男性と同じように意見をはっきり言ってくるので、そういう環境に自分の身をおくことは自分の考え方をひろげる大きなチャンスであるし、自分の考え方を構築していく上では鍛えられるであろう。いいたいことを言わせてもらえるような小さい世界で語学ができない本も読まない人間がさも正しいかのごとくほえてもむなしいだけ、ユダヤのことわざにからのツボほど大きな音がするというのがあるが、武勇伝や自分の小さいサクセスストーリー見たいな自慢話をこれみよがしにするのはまさにこのこと、自分のまわりにどういう人間が集まるのかと言うことを考えて、見ている人は見ていると思っていたほうがいい。

ただ人を納得させたり言葉のバランスと言うものを考えるならば、哲学や心理学などの知識を身に着けて理論をしっかりと構築して伝えることだけではなく、そこには何か宗教的な知識や考え方センスと言うものが必要であると考えている。

 

 

 

 

 


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