友達の出身校「ソウル金玉小学校」あらためて日本語で読むとびっくりする響きである。韓国語で発音すると全く違うが、しかし漢字で書くとたいていの日本人はぎょっとする。
金玉小学校はソウルの玉水駅近くに存在する、おまけに小学校だけではなく中学校、さらに驚くことに、ソウル金玉女子高校というのがあるらしいが、金玉の実際の発音はキムオク、確か北朝鮮の有名な秘書がそういう名前だったと思うが、この名前は文字通りいい意味で使われる言葉で、韓国語のそれはプ○○、日本語のそういう意味ではない。このソウル金玉小学校は列記とした公立の小学校である。
しかしそれにしても、もし小学校同士の交流があって、彼ら彼女らが日本に来た時何といって紹介するのだろうか?日本語にするのか、そのまま韓国語で通すのか、かなり気になる。
この前うちの子供がイスンシンのことを日本語読みでリ何とかと言っていたが、日本人は韓国人や中国人の名前を呼ぶ時、そのまま漢字読みする傾向がある、ならばそのまま日本語読みで行けよと思うのだが、しかしそれはかなり難しい問題だ、特にNHKはそういうことには厳しいので、期待通りの読み方にはならないだろう。
韓国と日本は共に漢字の影響が大きい、韓国の漢字はどちらかというと日本から入ってきた漢字が多いので、同じ意味のものが多く、私はもし韓国人が漢字が読めるようになれば、日本人と筆談ができると思っているが、しかし中にはまったく違う意味や微妙に違う意味の漢字があって、その微妙に違う漢字が時には勘違いのもとになる。
うちの会員の方の話、その方は大学の研究発表で、よく韓国の学会に行くそうだが、そこで韓国のある学者から木彫りの像をいただいたらしい。
たぶんそれぐらいのクラスの人だから、そこそこ大きいものをいただいたのだろうと推測できるが、最初それを見た時ぎょっとしたらしい、その木彫りの像には大きく「因縁」とほってあったそうだ。
日本人が因縁と聞くとぎょっとする、しかも木彫りの像だ、何かわるいことしたかなんて思うかもしれない、しかしこの因縁というのはどちらかというと末永くおつきあいしましょうという意味、木彫りの人形もよく気に入った相手にプレゼントするもので、私もめちゃくちゃ大きい鴨の像を(しかもつがいで)いただいたことがあるが、これにはかなり迷惑であった。
昨日は成人の日であった。
最近では日を別にして祝っている都道府県があるが、毎年その成人式の日にサルのような輩が目だとうと暴れて警察につかまるニュースを聞く。
バカだからほかでは存在感を示すことができないので、この時ばかりは目だとうと、金髪に羽織り袴や萬田銀次郎ばりの派手なスーツ、着ているものは立派なのだろうが、しかし着る奴が着る奴だけに安っぽく、しかも下品だ、そういう中身のない奴が下品なカッコで騒ぎ出す姿はまるで野生のサル、きちんと群れの秩序を守っているそのサルたちに失礼であるが、しかしそのサルどもを捕獲するために警察が配備されるが、大人になろうと言う式に警察がかけつけて警備しなくてはならないなんていうのは異常とも言える。
そもそも成人式というのは、祝日を祭日と呼ぶことからもわかるように、冠婚葬祭の冠にあたる国の行事、昔ならば元服のことで、元服は氏神の杜前で行われた儀式でれっきとした神道儀式である。
まあこんなことを今の信教の自由の時代においていうのも何だが、成人式というの神道の儀式で、外国で言えば戴冠式のようなもの、その国家が公に司る行事にあそこまで醜態をさらすというのは、はっきり言って犯罪だ、昔だったらどえらいめにあわされていることは間違いない。
まあ日本は信教の自由が認められているのでそれによって保護されているが、しかし宗教国家であれば国家の儀式で醜態をさらすことは死刑に値する。国が国だったらこいつら石打の刑、そういうバカなことを二十歳にもなった人間が堂々と毎年するのだから、日本は平和でやりたいことをやりたい放題の国だと言える。はっきり言ってこいつらにかけているのは、責任を負うということだ、サルに近い人間に限って二十歳から酒が飲めるとか、賭け事ができるとか権利ばかり主張するが、しかし大人になるということは、同時に社会に対して大きな責任をおわなくてはならないのだ。
そもそも二十歳で成人式ということ自体おかしいことだ、なぜ二十歳にもなって今更自分たちは大人だということを改めなければならないのか。
イスラエルの男性は13歳でトーラーという書物を徹底的に読まされ、暗記して、神と群衆にそのトーラーの掟に従って、社会の一員として責任を持って生きていくことを誓わされるが、それがイスラエルの成人式である。
これは私の提案であるが、これから成人式を元服に戻して15歳にひきさげて、そこでイスラエルのように公の場で誓約させたらどうであろうか。そうすればもっと社会というものを意識するのではないか、日本では誓約という概念は希薄であるが、欧米では宣言や誓いというのは大統領就任式などの就任式、身近なところでは結婚式は誓約であるが、そのことが意味することは神と人との前で責任をおわされるということである。
こんなことを言うと天皇制にに近づくとか、信教の自由がある、外国人排除だ言う人間もいるが、しかしはっきりと元服のような儀式にのっとって式を行い、その準備期間として日本国の誕生から説明し、自分はそこにつながる人間でこの日本国を建設していく責任がある、それが教育、納税、勤労だぐらい教えてもいいんじゃないかと思っている。
別に天皇制を復活させろというわけではないが、しかし成人式という大人の儀式で毎年ここまで醜態を晒すのは日本ぐらい、ここで何か大きな改革が必要で、それは道徳教育の必須化なんていうことではなまぬるい、この儀式化を計ることが最善だと思っている。
その上で信教の自由を考えて天皇制に反対する人間は成人式には参列しなくていいし、外国人特に中国人や韓国人はそのやり方に従って成人式を行えばいい。まあ私自身もしそうなると、いくら何でも成人式に出るということは決してないと思うが。
金玉小学校はソウルの玉水駅近くに存在する、おまけに小学校だけではなく中学校、さらに驚くことに、ソウル金玉女子高校というのがあるらしいが、金玉の実際の発音はキムオク、確か北朝鮮の有名な秘書がそういう名前だったと思うが、この名前は文字通りいい意味で使われる言葉で、韓国語のそれはプ○○、日本語のそういう意味ではない。このソウル金玉小学校は列記とした公立の小学校である。
しかしそれにしても、もし小学校同士の交流があって、彼ら彼女らが日本に来た時何といって紹介するのだろうか?日本語にするのか、そのまま韓国語で通すのか、かなり気になる。
この前うちの子供がイスンシンのことを日本語読みでリ何とかと言っていたが、日本人は韓国人や中国人の名前を呼ぶ時、そのまま漢字読みする傾向がある、ならばそのまま日本語読みで行けよと思うのだが、しかしそれはかなり難しい問題だ、特にNHKはそういうことには厳しいので、期待通りの読み方にはならないだろう。
韓国と日本は共に漢字の影響が大きい、韓国の漢字はどちらかというと日本から入ってきた漢字が多いので、同じ意味のものが多く、私はもし韓国人が漢字が読めるようになれば、日本人と筆談ができると思っているが、しかし中にはまったく違う意味や微妙に違う意味の漢字があって、その微妙に違う漢字が時には勘違いのもとになる。
うちの会員の方の話、その方は大学の研究発表で、よく韓国の学会に行くそうだが、そこで韓国のある学者から木彫りの像をいただいたらしい。
たぶんそれぐらいのクラスの人だから、そこそこ大きいものをいただいたのだろうと推測できるが、最初それを見た時ぎょっとしたらしい、その木彫りの像には大きく「因縁」とほってあったそうだ。
日本人が因縁と聞くとぎょっとする、しかも木彫りの像だ、何かわるいことしたかなんて思うかもしれない、しかしこの因縁というのはどちらかというと末永くおつきあいしましょうという意味、木彫りの人形もよく気に入った相手にプレゼントするもので、私もめちゃくちゃ大きい鴨の像を(しかもつがいで)いただいたことがあるが、これにはかなり迷惑であった。
昨日は成人の日であった。
最近では日を別にして祝っている都道府県があるが、毎年その成人式の日にサルのような輩が目だとうと暴れて警察につかまるニュースを聞く。
バカだからほかでは存在感を示すことができないので、この時ばかりは目だとうと、金髪に羽織り袴や萬田銀次郎ばりの派手なスーツ、着ているものは立派なのだろうが、しかし着る奴が着る奴だけに安っぽく、しかも下品だ、そういう中身のない奴が下品なカッコで騒ぎ出す姿はまるで野生のサル、きちんと群れの秩序を守っているそのサルたちに失礼であるが、しかしそのサルどもを捕獲するために警察が配備されるが、大人になろうと言う式に警察がかけつけて警備しなくてはならないなんていうのは異常とも言える。
そもそも成人式というのは、祝日を祭日と呼ぶことからもわかるように、冠婚葬祭の冠にあたる国の行事、昔ならば元服のことで、元服は氏神の杜前で行われた儀式でれっきとした神道儀式である。
まあこんなことを今の信教の自由の時代においていうのも何だが、成人式というの神道の儀式で、外国で言えば戴冠式のようなもの、その国家が公に司る行事にあそこまで醜態をさらすというのは、はっきり言って犯罪だ、昔だったらどえらいめにあわされていることは間違いない。
まあ日本は信教の自由が認められているのでそれによって保護されているが、しかし宗教国家であれば国家の儀式で醜態をさらすことは死刑に値する。国が国だったらこいつら石打の刑、そういうバカなことを二十歳にもなった人間が堂々と毎年するのだから、日本は平和でやりたいことをやりたい放題の国だと言える。はっきり言ってこいつらにかけているのは、責任を負うということだ、サルに近い人間に限って二十歳から酒が飲めるとか、賭け事ができるとか権利ばかり主張するが、しかし大人になるということは、同時に社会に対して大きな責任をおわなくてはならないのだ。
そもそも二十歳で成人式ということ自体おかしいことだ、なぜ二十歳にもなって今更自分たちは大人だということを改めなければならないのか。
イスラエルの男性は13歳でトーラーという書物を徹底的に読まされ、暗記して、神と群衆にそのトーラーの掟に従って、社会の一員として責任を持って生きていくことを誓わされるが、それがイスラエルの成人式である。
これは私の提案であるが、これから成人式を元服に戻して15歳にひきさげて、そこでイスラエルのように公の場で誓約させたらどうであろうか。そうすればもっと社会というものを意識するのではないか、日本では誓約という概念は希薄であるが、欧米では宣言や誓いというのは大統領就任式などの就任式、身近なところでは結婚式は誓約であるが、そのことが意味することは神と人との前で責任をおわされるということである。
こんなことを言うと天皇制にに近づくとか、信教の自由がある、外国人排除だ言う人間もいるが、しかしはっきりと元服のような儀式にのっとって式を行い、その準備期間として日本国の誕生から説明し、自分はそこにつながる人間でこの日本国を建設していく責任がある、それが教育、納税、勤労だぐらい教えてもいいんじゃないかと思っている。
別に天皇制を復活させろというわけではないが、しかし成人式という大人の儀式で毎年ここまで醜態を晒すのは日本ぐらい、ここで何か大きな改革が必要で、それは道徳教育の必須化なんていうことではなまぬるい、この儀式化を計ることが最善だと思っている。
その上で信教の自由を考えて天皇制に反対する人間は成人式には参列しなくていいし、外国人特に中国人や韓国人はそのやり方に従って成人式を行えばいい。まあ私自身もしそうなると、いくら何でも成人式に出るということは決してないと思うが。