実は私はフックがうてない。かたちだけ実演でのフックなら可能であるが、しかし実戦ではだせないと言ってもいい。
なぜ出せないかと言うと出す必要がなかったからである。
というのは向こうではスマッシュと言うフックににたパンチをうつ選手が多かった(特にヒスパニック系)のだが、階級の割には身長が高くて腕が長いが、しかし不器用でアウトボクサーに徹しきれない私は、中距離からの攻撃を中心としたタイプを選び、そしてスマッシュと言うかスマッシュもどきのパンチをおぼえたのである。
おとついこのスマッシュもどきをある選手に教えたのだが、よく日本人はこのパンチを高等技術だととらえているが、しかしそうではない。
むこうでは当たり前にヒスパニック系の人間が、このスマッシュもどきをよくつかっていたもので、私だってスマッシュもどきを使っていた一人であるが、しかしうまい選手になると中距離から体を傾けてうってくるので、パンチが見えなかったのだが、日本の選手がこのパンチをむずかしいいと思っているのは、バランス感覚の違いと、ルールの違い、おそらくこういう質のパンチをうてばオープンとしてとられると思うのだが、ここでは反則が少し厳しすぎるのではないかと懸念している。
おそらくパンチのうちかたを制限しすぎると、ボディバランスに問題がでてくる。
観察してわかるのだが、向こうの選手がボディバランスがいいのは、もともと小さい時からいろいろなスポーツをやっているということと、彼ら彼女らが多彩なパンチをうつからである。
このスマッシュひとつにしてもまずうつ距離が違うし、さっき言った中距離だと体がまっすぐだと相手に読まれるので、体を傾けてうたなくてはならないのだが、これだけでもバランスの違いが生じてくる。
日本人は型と言うのが好きである。なぜボクシングと言う西洋のスポーツに「型」と言うものが存在するのか理解にくるしむのだが、しかしボクシングと言う極めて原始的なスポーツを型やルールに押し込めるのではなく、もう少し柔軟な姿勢で対応することも可能ではないかと思っている。
英語の専門書を見るとわかるのだが、パンチと言うのは我々が想像する以上の種類があって、彼ら彼女らがそれを使い分けているかどうかはわからないが、これだけ種類が存在すると言うのは、欧米がその戦い方においても多様性と言うものを認めているからである。
よくこんなことを言うと「アメリカに行け」と、半ば差別的な発言をする人間がいるのだが、しかしそういうことを言う前に、孫子も「己を知って敵を知れば百戦危うからず」と言っているのだが、相手のことをよく理解したらどうだろうかと思う。
私は実際この国を選んだ側の人間であるが、いろいろな国の人間と比較してわかることは日本人は勤勉でポテンシャルが高い民族である。
しかし問題なのは言葉をおぼえないと言うことと、外側を見ようとしないことであり、これが意外に大きなディスアドヴァンテージとなっているのだろうと思っている。
なぜ出せないかと言うと出す必要がなかったからである。
というのは向こうではスマッシュと言うフックににたパンチをうつ選手が多かった(特にヒスパニック系)のだが、階級の割には身長が高くて腕が長いが、しかし不器用でアウトボクサーに徹しきれない私は、中距離からの攻撃を中心としたタイプを選び、そしてスマッシュと言うかスマッシュもどきのパンチをおぼえたのである。
おとついこのスマッシュもどきをある選手に教えたのだが、よく日本人はこのパンチを高等技術だととらえているが、しかしそうではない。
むこうでは当たり前にヒスパニック系の人間が、このスマッシュもどきをよくつかっていたもので、私だってスマッシュもどきを使っていた一人であるが、しかしうまい選手になると中距離から体を傾けてうってくるので、パンチが見えなかったのだが、日本の選手がこのパンチをむずかしいいと思っているのは、バランス感覚の違いと、ルールの違い、おそらくこういう質のパンチをうてばオープンとしてとられると思うのだが、ここでは反則が少し厳しすぎるのではないかと懸念している。
おそらくパンチのうちかたを制限しすぎると、ボディバランスに問題がでてくる。
観察してわかるのだが、向こうの選手がボディバランスがいいのは、もともと小さい時からいろいろなスポーツをやっているということと、彼ら彼女らが多彩なパンチをうつからである。
このスマッシュひとつにしてもまずうつ距離が違うし、さっき言った中距離だと体がまっすぐだと相手に読まれるので、体を傾けてうたなくてはならないのだが、これだけでもバランスの違いが生じてくる。
日本人は型と言うのが好きである。なぜボクシングと言う西洋のスポーツに「型」と言うものが存在するのか理解にくるしむのだが、しかしボクシングと言う極めて原始的なスポーツを型やルールに押し込めるのではなく、もう少し柔軟な姿勢で対応することも可能ではないかと思っている。
英語の専門書を見るとわかるのだが、パンチと言うのは我々が想像する以上の種類があって、彼ら彼女らがそれを使い分けているかどうかはわからないが、これだけ種類が存在すると言うのは、欧米がその戦い方においても多様性と言うものを認めているからである。
よくこんなことを言うと「アメリカに行け」と、半ば差別的な発言をする人間がいるのだが、しかしそういうことを言う前に、孫子も「己を知って敵を知れば百戦危うからず」と言っているのだが、相手のことをよく理解したらどうだろうかと思う。
私は実際この国を選んだ側の人間であるが、いろいろな国の人間と比較してわかることは日本人は勤勉でポテンシャルが高い民族である。
しかし問題なのは言葉をおぼえないと言うことと、外側を見ようとしないことであり、これが意外に大きなディスアドヴァンテージとなっているのだろうと思っている。