脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

Individualな生き方

2010-10-18 | Weblog
よく自然体という言葉を使うが、この自然体と言う言葉はむずかしい言葉である。
以前私の知り合いのところに3か月ほどヨーロッパ人がホームステイしていたのだが、彼と折り合いがわるくて困っているという、聞いてみると彼は自分勝手な行動はとっていないのだそうだが、しかしあまりありがとうとかというような感謝の反応がなく、まったく家でも話さないのでコミニケーションがとりにくく、その雰囲気と言うか彼の態度にいささかイライラしている様子であった。
まあ他人事として聞くと、こういう問題は、本人ができないのだから「ほっとけ」「仕方がない」と言うことができるのだが、しかしこれは内と外をつかいわけ、家を大事にする日本人からすれば、こういう態度をとられること自体、家族の和をみだすものであって、そういう雰囲気が何カ月も続くと言うことはしんどいことであろうと思う。

結局いろいろなことを話しあって3ヶ月間彼とはやっていったのだが、しかしこれは欧米人と日本人の自然体のとらえかたの違いが色濃く出ている。
欧米人は徹底した「Individual」個人主義である。
他人のことには意に介さず、彼ら彼女らは人がどう思おうが自分のペースを貫こうとするし、そのことを相手もなるべく認めよとするのが欧米社会である。
私も典型的なアジア人であったので、欧米人にはこちらでは考えられないぐらいマイペースな人間がいるので、そういう相手に出会うたびにイライラしていたのだが、彼自身も感謝の言葉を言わない、しゃべらないというのは、そういうことがいいとかわるいとかを抜きにして、彼は家でのペースを保ちくつろいでいるだけで、ただ彼は自然体にふるまっているだけなのである。
しかし日本人と言うかアジア人は少し違う、彼ら彼女らはその家庭においても和、調和というものが求められるのだが、私が思うに、それは往々にして、しっかりした家庭になればなるほど、親は親として子は子としての役割があり、そのことによってわが保たれているように思えるのである。
私はこういう日本の家庭が素晴らしいと思うのは、それぞれが互いに感謝し、たとえ家族通しでも互いに気を遣いあい、ねぎらっている様子である。
以前日本を知らない外国人が、日本人はクリスマスや記念日などをむしする。家族を大切にしないと言うようなことを一般論で言った時に、日本人は常日ごろから家族に気をつかい、感謝しているからあえて記念日なんかをつくってアピールする必要はないんだと言ったが、まさに日本人は外国人が思う以上に家族を思い、大切にしている。
それが家族の和、絆であって、その中で親は親らしく、子は子らしふるまうのがわれわれの自然体である。

私の家庭には毎年何人かの外国からゲストを何ヶ月か招くのだが、観察していて面白いのが、東洋人と西洋人はあきらかにうちの家族に対しての加わり方と言うかかかわり方が違うのである。
東洋人は少し抽象的な言い方だが、位置関係をはっきりさせる。
とういうことかというと家族として、自分はどういう位置にいるかということ。
つまりこの家族の中では、自分はおねえさんなのかおにいさんなのか、はたしておばさんなのかという役割をあてはめて関わっていく能力がすでにすなわっている。
その中で自分は役割を演じ家族の一員として加わっていくのである。
しかし西洋人にはそれがわからない、たぶんそのヨーロッパ人がいらいらされるのは、そういう関係を無視してオウンペースを貫くからで、しかし彼ら彼女らにしてみれば、それが自然体であって、たとえ家族であってもあくまで自分は一個人であるからである。

この自然体と言う言葉であるが、それが目指す方向性によっても違うが、もしわれわれが欧米人のような自然体や個人主義というものを求めているならば、たぶんそれは見当違いで、もし本当にそういう個人個人に自然体を求めるならば、いいかわるいかは別にして、まわりからみればとんでもなくバラバラにみえるわけであって、しかし個人個人がしっかりしていなければできない、所謂自立が必要である。

以前ある人に、オリーブクラブは個性的な人が多いので、それをどうまとめて行くのかと聞かれたことがある。
しかしまとめる必要があるのあろうか。みなさん大人なのでそれぞれの自己責任とコモンセンスでしっかりと運営されていると思うのだが。

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