脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

型と日本人

2009-09-27 | Weblog
学生時代のコーチは医学か何かのドクターを持っていた。
彼はボクシングをしたことがないが、自分でボクシングを研究し、彼のセオリーは学生たちから強い信頼を得ていた。
そのコーチであるが、今考えるとすごいなーと思うのは、彼が助手か何かに頼んで自分たちのVCRをとって、後で自分たちにみせていたことである。
そこからいろいろ観察し、学ばされたが、このおかげで自分はずいぶん分析力がついたと思う。
今試合やスパーリングをVCRにとって研究するのは当たり前のことであるが、20年以上も前はプロでもあるまいし、そんなことは誰もしていなかったと思う。
もうこれは10年以上前の話であるが、私が向こうに行った時に、久しぶりにまた彼と会うことになった。
すると開口一番彼は「今度ハワイの選抜と日本の大学のチャンピオンが、親善試合をするのだが、日本人はどういうボクシングをしてくるのだ、私の選手も出るので、よければDisadvantageを教えてくれ」と言ってきた。
そういわれて困った。まず自分は日本人だ、こんなことを言っていいのかわるいのか、しかしそういうことを言われれば、それはとばかりに分析力を働かせて答えてしまうのが私である。
私が答えたのは「型」と「基本」であった。
日本人はボクシングを伝授する際にこの二つの過程をかならず通ってくる。
それは意識しているいないにかかわらず、日本人は「型」とか「基本」がすきな民族であり、そのことばにとらわれすぎている。
空手や柔道はある程度形式がある。
だから「型」というものが存在し、通用するのだが、しかしボクシングは、もともとストリートファイトから生まれたものなので、そういう形式的なものをもたず、型にはまらない自由さがある。わるく言えばいいかげんである。そこからしてボクシングに「型」や「基本」というものを定義して持ち込むのは無理がある。
彼は結構日本語が話せたのであるが、しかしこの言葉を聞いてあまりぴんとこなかったと思う。
おそらくUSAの英語ではこの「型」と言う言葉というか概念はないだろう。この言葉をあえて訳すならば「Basic form」であるが、USAの専門書にはそういう言葉がでてこないと思う。
自分がここに来て感じたことはリズムの違いである。
テンポがいいとか早いとかいうのではなく、彼ら彼女らは、それぞれ独特のリズムを持っているということである。しかしこれに対して日本人は明らかに一定のリズムを持っている。これが致命的な欠点である。
おそらく外国で試合をした人ならば、あれパンチがどこからでてくるのか分からないと戸惑い、このリズムの違いを感じたこともあると思うが、彼ら彼女らには「型」とかホントの意味での「基本」というものは存在しない。
とにかく速くうつ、強くうつことができれば、それが一番いいのである。
彼ら彼女らがそれぞれ違うリズムを持っているのは、実にこの点である。
日本人は、結果よりもまず方法を求めてしまう、それがいわゆる「型」や「基本」と言う存在である。
日本の選手はその「型」や「基本」を徹底してたたきこまれるがゆえに、たとえ強いパンチや早いパンチをうてても、方法は同じなので、そのリズムと言うものがある程度決まってしまうのである。
しかしUSAの選手は方法よりも結果である。どうパンチをうとうが、どうパンチをよけようが結果が良ければそれでいい、練習法もそれぞれ違う、だから全員が同じリズムをもたないのではないかと思う。
よく日本人はアメリカ人とリズムは違うと言うが、私はこの「型」や「基本」と言うものが非常にくせものであると思っている。
そもそも「型」や「基本」というものはあいまいな言葉である。
日本人はよく「基本にかえれ」といったらようわからんが納得するが、そういう「基本」とか「型」とか言うのに限って、それが何か定義しろと言ったら、できないんじゃないかと思っている。
しかしもしそれを定義するとしたら、パンチの打ち方や、ディフェンスを反復練習をくりかえすことによって、完璧なものにすることであろう。
しかしその繰り返しが同じリズムをつくりだすのである。
そして実際親善試合は行われ、ハワイ選抜の圧勝であったそうである。
おそらくこの勝利には彼の入れ知恵があったと思う。
自分のアドヴァイスが参考になったかどうかはわからないが、おそるべしコーチである。



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