脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

言葉の大切さ

2009-09-19 | Weblog
最近ブログを見てくれている人の数が多くなってきた。
私の考えではブログと言うのは、そこのボクシングクラブがどういうものかということを反映しているので、なるべくきちんとしたまとまりのあるものを書きたいと思っている。
しかそうは言ってもほとんど下書きをせず、そのまま書いているので、誤字やミススペリング、引用の間違い、読みにくい文などがところどころあるのであるが、しかし最近は時間があれば後で読み直して、訂正あるいは校正している。(同盟ジムの責任者のブログは完成度が高いので、感心しているのだが)
ジムのブログというのはまさにその責任者が何を考え、どういうレヴェルの人間かと言うことがわかる。
だからあまり稚拙な文を書いていると、程度を疑われるので注意して書かなくてはならないし、日ごろからいろいろなことを勉強することも大事である。
考え方と言うのは、常にインプルーヴされなくてはならない。だからいろんなことを勉強するのはクラブそのものの活性化や向上にもつながる。
しかし専門的な勉強も忘れてはならない、スタッフにもある程度専門家を置き、最近はフィットネスということばも使っているのであるから、そういうことの専門的な勉強をすることもあたりまえのことである。
これを読んで、何もボクシングクラブぐらいが、そこまでしなくてもと思うかもしれない。しかし子供から社会人を相手にするのならば、自分は何をしましたとか、悲しかったとか、うれしかったということしか見えてこないような稚拙な文では、ジムの考え方と言うのが伝わらないし、まず社会的常識がうたがわれる。
理想や理念を語るというのは、スポ根まんがにあるようなはずかしいようなセリフを連ねるのではない、ときどきそういうかっこいいことを言えば人はついてくると思うのがいるが、しかしそれは中高生の世界であって、大人の世界では通用しない。
言葉というのは命であり、力である、そしてそれを命や力にかえるのは、人間のもつインテリジェンスの問題であり、そういう言葉をわれわれ指導者はもたなくてはならないのだと思う。だからこそ自分たちは学ばなくてはならない。
そしてそこから構築された考えや理想というのは、一種の哲学であり、しっかりした土台の上に築かれるもので、それは人を牽引する力となりうるのだ。
話は長くなったが、昨日子供とのかかわりについて述べたが、その子供との関わりにおいてもそうである。
責任者が語りかけるひとつひとつの言葉というのは子供にとって影響力がある、だから厳しいが、言葉や表現力が乏しければ、関わりもその程度、一歩間違えれば悪い影響を及ぼす場合だってある。
時々お父さんやお母さんから、ここにきてうちの子が成長したというお褒めの言葉をいただくことがある。
それはスポーツをして活気がでてきたということではなく、大人になったという意味で、あえて成長したと言う言葉を使ってくれているのではないかと思っているが、やはりそれは言葉を選び、研鑽し、どのようにこの言葉が子供たちに働きかけるかと言うことを、考えてつかっているからだと思っている。
言葉というのはいのちである。その命である言葉をどうあつかうかということが、われわれに問われているのではないだろうか。そのことを考えたい。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする