脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

Science

2009-09-21 | Weblog
最近スポーツの指導者は学ぶことを強く説いているが、なぜそういうことを言うかと言うと、実際そう感じさせられることが多いからである。
私は趣味が読書なので、よく本屋に行くのであるが、その時10年ぐらい前に比べてスポーツコーナーの本が、多くなっていることに気づく。
野球やサッカーはもちろんのことその他の競技、そして中でも変わってきたなあと思うのは、ダイエットや、スポーツ科学の本がおかれているということで、これは一般の人が、スポーツを競技者として行うことだけではなく、専門的に捉えて行こうと言う傾向が強くなったと思っている。
テキストもスポーツ関係なら英語のものでも、日本語のものの100倍ぐらいはあると思うのだが、カメラやその他の科学技術が進んだ現代、科学的にそのスポーツをとらえることが不可欠になったわけである。
この学問などが科学的に物事をとらえることを、前提としてなりたっているという傾向は英語によくあらわれている。
最近では英語で専攻を、時々○○Scienceという言葉がつくが、これはわれわれの時代にはあまり聞かなかったことである。
少し前ジムの上の部屋を貸していたアメリカ人のお父さんが、大学の先生だったので、大学で何を教えているのかと聞くと「Political Science」という答えがかえってきたのであるが、これは政治科学と言うのであろうか、なぜ政治に科学なのははわれわれの世代には不可解であろうが、しかしこの言葉にも表れているように、今やスポーツも科学的に物事をとらえることが前提となっている。
それがSports scienceスポーツ科学である。
今やスポーツはもちろんのこと、ダイエットなども時代とともに研究が繰り返され、考え方や方法など常に進歩している。
日本が水を飲んだらばてるなどという迷信を言っていた時代に、すでにスポーツドリンクやサプリメントなどを、スポーツ選手の管理と練習の効率のため使用していたアメリカに比べると、遅れている部分もあるが、それでも著しく日本はスポーツ心理学、生理学あるいは心理学と言う学問を通して進歩している。おそらくダイエットはスポーツ生理学といったところであろう。
その進歩にわれわれ指導者は、常にアンテナをはって、ついていかなくてはならない、スポーツの指導者に今求められているのは、物事を科学的に分析し、判断する能力である。
だからこそこういった学問を一生懸命学ばなくてはならないのである。
昔ボクシングのトレーナーでハルというのがいた。彼は医学か何かの博士号をもっていてなかなか優秀な人物であった。
この博士号を持ったハルであるが、実はボクシングをしたことがないのだ。
しかしにもかかわらず、彼のところには何人かの学生が集まって、教えをこうていたのだが、彼の魅力は何と言ってもボクシングを論理的に語るところである。
ボクシングを知らないハルは、本を読んだり、ジムの活動をとおしてボクシングと言うものを学び、マスターした。
そのマスターしたボクシングを学生に伝授していたのである。
自分は彼からそれほど指導を受けたことがないが、実際実力のある学生たちが、指導をうけていたことで、彼の教え方がためになるかならないかは、わかるのではないだろうか。
ボクシングをやったことがないようなものが、それについて教えることは多少無理があると思うかもしれない。
しかしそれはもう20年も前の話のことであり、科学や、技術が進んだ今は、ひとつの物事だけにとらわれず、しっかりとした分析力をもったものが、必要であり、そういう分析力が、指導者に求められる。
スポーツは考える時代である。
しかし指導者がいくら「考えろ」と言っても、まともにそういう学問と向き合っていなければ、説得力がない。
相手に考えさせたければ、がんばってアカデミックな考え方をもたなければ、今の時代には通用しないであろう。







  

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