「環境にやさしい」が、流行語のように使われている。電球を白熱球から変えましょうとCMをやっている。変えなければ、これまでのものを使うことになるが、その方がよっぽど環境にやさしくないか。
環境にやさしい紙おむつといわれるが、私たちの世代はあちこちから集めた布切れで、おむつを作っていた。その方がよほど環境にやさしい。紙おむつそのものが、もったいないとではないのか。
最も大きな比重を持つと思われるものに、車がある。この際、燃費が良い車に乗り換えましょうと、コマーシャルされるが、車一台を生産するのに、どれほどの化石燃料が消費されることだろう。よほどのことがない限り、古くなった車を乗り続ける方が、環境にやさしい場合が多いであろう。それより、車に乗るのをを止めましょうと、トヨタなんかが宣伝すると評価するのだが、そんなことは絶対ない。
「環境にやさしい」〇〇と、宣伝文句として謳われるものの多くは、もともと使わない方がよほど環境にやさしいことが多い。
コマーシャルとして、「環境」が乱用されている。悪用されているといわれても良いほどでないかと思われる。
標津川の、蛇行河川を直線にして、環境問題が起きると「環境を復元するため」40キロ以上の蛇行のごく一部(厳密には500メートルほどもない)を、蛇行させようというのである。
財政難のこの時代に、50億円以上もつぎ込もうというのである。環境を保全するために、木を切っても仕方ないし、森や湿原はつぶしても良いしオジロワシの営巣などの犠牲は仕方ないらしい。
花や魚や鳥が好きな連中をかき集めて、何せ環境を復元するのであるから、と賛成派に取り込むのである。土建屋に大量の金を使い復元工事をするよりも、何もしない方がよっぽど環境にやさしい。環境の本来のあり方を問う本質論は、どこかに置き去りにされたままであ る。