安倍晋三が文藝春秋の新春号で、祖父昭和の妖怪岸信介について浅薄な歴史観と知識と独善的な見解を並べて評価している。
岸信介は、「現行憲法は独立を回復するまでの憲法」と述べていたというのである。この時には開戦時の閣僚だった岸信介は、平和に対する罪として東京裁判のA級被告として巣鴨の鉄格子の中にいた。岸信介の犯した罪は、戦争への罪であって、731部隊の責任者とか阿片でぼろ儲けした罪ではなかったのが幸いし、無罪放免されているが、憲法の成立過程に史実に反する私的見解を述べる資格はない。
何より、安倍晋三は60年の日米安保改定は、日本は保護国から明確な二国間の同盟になったと述べているが、滑稽そのものである。日本の保護国という意味も良く判らないが、51年安保を改定し二国が対等になったというのである。
この改定条約を通じて、日本は地位協定という前近代的な、アメリカの治外法権下にあることを国民は知っている。岸信介の改定した60年日米安保条約には、6条では日本はアメリカに基地を供与することが決められ、5条で共通の敵と戦うことが明記されている。5条には事前協議が義務付けられているが、これには密約があることも知られている。アメリカは中継に使ったり訓練であれば、日本と協議などしなくていいのである。地位協定はこれに厚化粧したものである。
今日も沖縄には米軍が持ち込んだオミクロン株が蔓延し、日本国内最大の発生を見ている。岩国市ともどもまん延防止の対象になりそうである。日本の女性は何人レイプされたか何人殺されたことか。幾人犯人がまともな裁判を受けたことか。日米は対等になったという、安倍晋三の無知識、独断、狭量さは際立っている。
岸信介は自民党内から退陣などの批判をかわすため、早期退陣の地ならしとして、次は大野伴睦その次は河野一郎と密約をし抑えている。日本歴史上最大の政治デモが繰り返され、岸は自衛隊の出動を防衛庁に要請した。時の防衛庁長官の赤城宗徳は、自衛隊は国民に向けて存在するのではないときっぱり断っている。自民党内ですらこのような動きは目立って起きていた。
そもそも、60年安保は衆議院は600名の警官に守られ、野党全員が欠席する中で採決されている。参議院は自然承認方針で、ロクに論議もされていない。安倍晋三はこれを、「政治家は乾坤一擲の勝負をする時がある」と祖父を評価している。一か八かという”乾坤一擲”の言葉遣いも変であるが、およそ民主主義とは無関係の指導者の手法である。これはマックス・ウェーバーが説く「心情倫理」と「責任倫理」にのっとり、政治家の責任を岸信介は通したというのである。あきれるばかりのこの言葉をそっくり、悪行の限りを尽くした安倍晋三に返したいものである。
岸信介がCIAから金を受け取っているが、彼は金はろ過したものしか受け取らないというのである。岸は金に関してはバレないように手を尽くしている。この点は安倍晋三も真似ていることがわかる。
もう一つ真似ていることがある。国民のことなど何一つ考えないことである。