世間知らずの鳥越俊太郎がまたポカをした。鳥越のこれまでの言論には深く共鳴するものであるが、どうも原則主義者の行きつくところといった感がある。
ウクライナのゼレンスキー大統領が23日に日本の国会でオンライン演説を行う予定であることを知り、ジャーナリストの鳥越俊太郎自身のツイッター更新し、激しく反対の意向を示した。
「私はゼレンスキーに国会演説のチャンスを与えるのには反対する!どんなに美しい言葉を使っても所詮紛争の一方当事者だ。」というのである。
原則論もここまでくれば、『健康のためには命さえ惜しまない』のと同じである。
確かにロシアとウクライナは戦火を交えている。しかし紛争はウクライナ国内でしか起きていない。しかも協力国家はあっても、ロシアだけが侵略しているのである。
プーチン大統領は公然とその理由を述べている。たとえ事実としても、人を殺すことはないだろう、病院を砲撃することはないだろう、原発を占拠する必要は何処にある、東部の独立を認めたとしても全土を空爆することはないだろう、同じ民族の同胞なら尚更である。
プーチンが国連憲章が禁じる武力による威嚇、解決の手段前に外交的努力をしたのか、その努力があったのか、その破たんの結果としてかくも巨大な、”特別軍事行動”が突如行われなかればならなかったのか。そもそも、ロシア側には情報開示がほとんどない。
プーチンが国連憲章が禁じる武力による威嚇、解決の手段前に外交的努力をしたのか、その努力があったのか、その破たんの結果としてかくも巨大な、”特別軍事行動”が突如行われなかればならなかったのか。そもそも、ロシア側には情報開示がほとんどない。
ウクライナ国土だけの紛争を、「紛争の一方の当事者だけ」と断じる鳥越は結局ロシアのウクライナ侵略を擁護することになる。鳥越氏の主張が残念でならない。
今回の発言はプロの報道・評論家としての胆力のなさを露呈したんじゃないかな。
紛争の一方の当事者だけの声を聞くわけにはいかないがその理由らしいが、圧倒的な軍事力と核の脅しをちらつかせながらの侵略は「一方の当事者だけの声」とするには余りにも力の差がかけ離れ過ぎている。
アメリカが過去に軍事侵攻した事実、NATO拡大を引き合いに持ち出してもロシアの侵略行為を正当化する理由は何処にもない。
情報が飛び交う中で国家レベルの停戦交渉や和平への道筋がどうも見えてこない。
プーチンの悪口やバイデンの及び腰を批判したり国連をけなす事は誰でもできる。しかし本当に戦争を憎むならば我々市民の停戦への言葉と行動がもっと必要だ。
先ずは「停戦」
そのための方法論 アイデアを市民レベルで考えられないか。