雨の土曜日映画会をするのでからほりサロンに居ました。
ガラス戸ごしに行ったり来たりしながら中をのぞいている女性が見え、気になって「入られませんか」と声を掛けました。
決心したように入って来て「実は私の両親のことですが」と話し出されました。
京都で二人暮らしています。本屋を廃業しやっと二人の時間が持てたので、これからと楽しみにした矢先に、父がこけて怪我をし、結局完治というより痛みやもろもろの症状と付き合っていく暮らしです。
退院時は近所の散歩も出来ていたのが、外に出なくなり運動不足の上、食べる楽しみだけで体重は増える一方。悪循環で出来ていたことも出来なくなった。
母が看病で腰を痛め,二つ折りのような体で父さんを見ている。母も入院したが退院し近くの病院に通院を言われているが行けてない。
家の前にある2段ほどの階段に阻まれ病院にいけない。「こんな会が有ればと思っていた。お願いすればついって行ってくれるのでしょうか?京都にも有りませんか」と聞かれました。
残念ながら京都の情報が分からないので答えようが無く,「第三火曜日京都からマイケアプラン研究会の方々が来られるので、情報を聞いてお知らせします」。
両親の様子を話しながら涙ぐんでられて、聞く私も何とか力になりたいと思ったのです。
家族として気にかかっても、なんとも出来ない切羽詰った気持ちをサロンを開けているとよく聴くのです。
若いから仕事をしないと食べていけない暮らしの中で何とかしたいと思っても、高齢者の皆さんの介護保険を受けようと思う気持ちのハードルが今のやり方では高いように思います。
この方のご両親も、お父さんが家庭に人が入ってくるのがいやで頑固に二人だけの生活に固執され、連れ合いの体を思いやるゆとりが無いままに拒否を貫いてられるのです。
オーストラリアに高齢者の状況や施設を見に行く機会が与えられ以前に行きましたが、何かが違うのです。介護保険がありながら介護の無い状況を聞くたび考えさせられています。
休み中ですが事務所に来ました。
今年は何度か理由をつけて足を運んでいます。うりが気になるのです。水がかれたらと、命あるものはやはり重いですね。
今日は事務所の模様替えをする予定。
会を案じて集まってくださって「誰でも来てと言うのには雰囲気が出来ていない」「入りやすいサロンに」と注文や意見が出たのを機会に重い腰を上げました。
なかなか普段は動かしにくい場所ですから今日頑張ろうと思っています。