半透明記録

もやもや日記

お知らせ

『ツルバミ』YUKIDOKE vol.2 始めました /【詳しくはこちらからどうぞ!】→→*『ツルバミ』参加者募集のお知らせ(9/13) / *業務連絡用 掲示板をつくりました(9/21)→→ yukidoke_BBS/

少しずつのさよなら

2014年07月19日 | もやもや日記





少しずつ、しかし確実に別れのその時に向かって突き進んでいるのだということを思いながら日々を過ごすのは、なかなか胸が痛むものです。たいていはそのことを忘れて過ごすことができますが、ふとした瞬間にグッと迫ってくる。毎日少しずつさよならを意識する。今はまだかろうじて私と繋がっているけれども、いずれ確実に別れることになるだろう。悲しい。まだその時に至っていないのに、ふとした瞬間がちょうど訪れて、私はすでにこの世の終わりのように落ち込んでいます。

  ヴァルモーデンが家を出る用意にとりかかったとき、今回の別れは
 かなり大きな意味をもつものだというような気がしてならなかった。
 ことわるまでもなく、愛する人や物に対する人間の感情はたえずそれ
 らを失うのではないかという恐れと一緒になっている。だから本当の
 ことを言えば、我々は恋人や故郷からたえずすこしずつ別れを告げて
 いるわけでーーその結果、本当の別離の瞬間がきても、それまですこ
 しずつの別離をうんと積み重ねているために、結局、かえって気が楽
 になったように感じるものだ。
       ホレーニア『白羊宮の火星』より



少しずつ別れるよりも、いっそ一息に別れてしまった方がすっとすることも確かにあります。そう言えば私は親知らずを全部抜いた時も卵巣を片方取ってしまった時も、済んでしまえばさほど落ち込みはしなかったっけ。いっそひと思いにさよならを告げた方が良いんだろうか? いや、今度のことではそういうわけにもいかないからな。

歯です。奥歯が沁みるので歯医者に行ったら、削られて詰め物をされました。ここ10年以上は定期的に検診に通って常に問題なしで通して来た私ですが、出産を境に転げ落ちるように歯のトラブルに巻き込まれています。悪阻が激しくて嘔吐を繰り返して歯の表面がところどころ酸で溶けていたのと、全体的に歯が脆くもなっていて、何本かは表面から少しずつ剥がれ落ちてゆく。そこそこ気を遣って手入れはしていますがなかなか改善しません。気が重い。

そもそも奈良で新しい歯科医を探すのも滅入る作業で、勇気を奮って予約したところはまずまずの雰囲気でしたが、初回でいきなり削られて詰められたのは衝撃でした。座って15分で削られて、削られた箇所を鏡で見せられた時の私の受けたショックと言ったらもう。いや、「治してください」とお願いした以上はどうなってもしかたがないし、まあいずれそうなるだろうことは以前のかかりつけ歯科医からも予告されてはいたんですけどね。実際にそうなってみるとやっぱり落ち込む訳でして…。

歯はいったん削り出すと、そこからはもうさらに削られる一方ですから。詰め物は永久でも完璧でもなく、数年で劣化して脱落したり、酷い時にはそこから別のトラブルを引き起こしたりもしますし。こういうことをつらつらと考えるにつけ、私の心は底なし沼に引きずり込まれて行くのでした。


歯を削ったくらいで大げさな。ええ、そうですよね。分かってはいるのです。人間は歯を削ったり失ったりしたくらいではへこたれないってことを。人間の魂はもっとずっと偉大だということを。でも…実は治療はまだ終わってなくて、あと数本削られて詰め直される予定の歯が控えているんですよ。また行かなきゃならない。憂鬱だ…もうだめだ、終わりだ。こんなにあちこち削られたら、この歯どもはあと何年私の口の中に腰を据えていられることだろう? 私に出来ることといったら、今となっては出来るだけその終わりを引き延ばすことだけだ。なんだかんだで私は長生きしてしまいそうな気がしているのに、なんてこった。人間は偉大かもしれないが、私はそのレベルにはいない。とめどなく落ち込むだけですよ。

大体どうして人間は大人になるともう歯が生えかわらないのだろう? おかしいじゃないか。こんなに大事な器官なのに傷ついたらそれっきりだなんて、あんまりだ! もう21世紀なんだからそろそろ歯の世界も再生医療の技術が進んでいるべきじゃないだろうか? 現段階はどのくらいにいるんだ? 早く自前の新しい歯を口の中で培養しようぜ! そんな夢の技術が今世紀末くらいには実現するかしら? それじゃ私にはちょっと遅すぎるんだけど、でもいずれそんな世の中が来るといいのにな……


そんなわけで、私はいまメチャクチャに落ち込んでいます。詰め物が取れた、沁みる、ちょっと削られたといっては毎度大騒ぎをする私です。この心の弱さには我ながらびっくりです。今回も治療のおかげで沁みなくはなったけど、そのためにずっとさよならに近づいた。歯だけでなくって、その他のものたちとも。さよならを意識し続けながら、でもきっとその時が来たら、「さよなら」と言う間も伝わる間もなく、唐突に永久に別れることになるだろう。それならば、まだ繋がっている今のうちから毎日少しずつ「さよなら」と言っておくべきかしら。さよなら、削られた私の歯(の一部分)、さよなら、いつかはもう出会えないかもしれないものたちよ。