半透明記録

もやもや日記

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そこまでの距離

2013年01月21日 | もやもや日記





K氏との別居生活もそろそろ1ヵ月半。ようやく折り返し地点かと思いたいところですが、いつまで続くのやら今はまだ分かりません。

こういう状況をお互いに寂しく思っているせいか、日頃は筆不精な我々がメールなどのやりとりはわりと頻繁に行うようになりました。メールはごく短文のなんでもない内容のものを1日1通。それから、Skypeでのチャットを2、3日に一度2時間くらい。Skypeのビデオ通話の方は、雑音が入るのと意外と間がもたないのもあって、文章で通信するほうが楽しいですね。それにチャットの履歴が残るので、あとで読み返したりできるのもいい。
昨日はK氏とハクスリーの『すばらしい新世界』の話などをしました。映画化されるとかされないとか。まだ読んでいないK氏に小説のあらすじと魅力について説明したりとか。こんな感じでいつも、マヤの予言とこれからの世紀についてとか、人間と社会の関係を考えるついでにヴォルテールの『カンディード』を振り返ってみたりとか、博多の新居が東向きなのでやっぱり日照が物足りないというような他愛のない話をしています。離れて暮らしてみて、こんな風に話すことのできるありがたみを痛感しました。同居中はわりと頻繁に生返事をしていたことを反省していますよ!


ともあれ、インターネットの発展は、物理的な距離をいくらか縮めてくれますね。米国に住んでいる友人もSkypeでコメントをくれたりするので嬉しいです。私たちの前に横たわる距離を飛び越えて、リアルタイムで会話を成り立たせるこの技術は凄い。


このように、遠方の人と即時に言葉をやりとりでき、そのことに感激する一方で、目の前にいる人と意志の疎通ができなかったりすることに困惑したりもするわけです。その人がすぐそばにいて、いつでも生の会話が成り立つ状況であるのに、相手が何を思っているのかが分からず、自分がどう思っているのかも伝えられなかったりする。そして互いにそのための言葉を尽くさない。尽くさないでいながら、なぜ分かり合えないのかを不満に思ったりするのです。人と人との距離感というのは難しいものですね。真心を分け合うのに最適な距離感というのがあるんだろうか。それとも、肉体の距離と心の距離とはそもそもまったく無関係のものなんだろうか。

よい機会なので、この問題については今のうちにもう少し考えてみたいところです。人は誰でもひとりきり、あなたと私は違っていて、それでも投げられたボールを受け取って投げ返したいとき、どのくらいの距離ならぴったり届くだろう。近づきすぎたり遠くなりすぎたりしても、適切な距離感が分かっていれば楽しくキャッチボールするためにその都度移動できるんじゃないかな。そこまでの距離を、私は知りたい。