半透明記録

もやもや日記

木曜日に来た男

2013年04月14日 | もやもや日記



忘れ去ってしまう前にやっぱり書いておきましょう。ちょっと長いですが、お産は帝王切開を計画していたのに、子が先走って出てきそうになるとこんな風なドタバタした展開になりますよ、ということで。まあ、なにかの参考になれば・・・ならないか、どうかな。

そもそもの出産予定日は2月17日でしたが、子宮筋腫のために帝王切開で産むことになり2月8日に手術日を設定。それまで待っててくれよ、と腹に向かって語りかけていたというのに、それが気に入らなかったのかは分かりませんが、息子は1日早い2月7日の夜に生まれ出ました。なぜだ・・・! 計画が台無しだよ! 私がたまにちゃんと計画しようとしたらこの有様だよ!


というわけで、以下。長々しくまとめ。


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*2月7日(木)。冷たい風が吹き荒れる。翌日に帝王切開手術を控えた私は午後から母に付き添ってもらって入院。

 病院で諸手続きを済ませ、翌日また来てもらうことをお願いして母帰る。

 福岡のK氏は翌朝一番の新幹線でこちらへ向かい、午後からの手術にギリギリで間に合う計画を立てていたので、その最終確認をメールでやりとり。


*夕方、主治医の先生が麻酔医の先生を連れて病室まで挨拶に来てくれる。「もう準備万端だから安心して! 明日はがんばろうね~!」と和やかに告げてお帰りになった。

 看護士さんが定時の巡回に来て、明日の手術についての事前説明などを受ける。「今晩産気づいたら緊急手術になりますからね~☆」「いやー、さすがに予定日の10日も前なんで、それはないですよ! ハハハハハ!」と笑いあう。


*シャワーを浴び、夕食をとり、手術のための絶食は午後9時からか・・・今のうちにもうちょっと何か食べておこうかなと悩みつつ、あと念のため遺書でも書いておこうかと思いながらも一息ついた午後8時。
 窓の外に吹き荒れる雨と風を眺めていたら、

 謎の出血!!(ここから先3時間は怒涛の展開)


*ナースコールで「・・・あのー、なんか出血したみたいなんですが」と看護士さんを呼ぶ。「うわー、これは『おしるし』ですね・・・破水はしてますか?」と言われるも、まだしてない様子。と思いきや、看護士さんが病室を出て行った途端に破水した。本当に「破水」といった感触で、水が流れるようだった。焦る。

 当直の若い先生がやってきて「しばらく様子を見ますが、このままだとお産が進行してしまいますので、いま主治医の先生を呼び戻してます(←帰宅なさっていたらしい・・・申し訳ない;)。普通分娩でいけるか、手術になるかは診察のあとで決めましょう」と言われる。実は帝王切開を予定していたものの、筋腫が微妙な位置にあるので場合によっては普通分娩にチャレンジしようという状況だった。しかし私はすっかり帝王切開のつもりだったので、いまさら普通分娩とか言われても困る!!

 とりあえず、関係各所(母とK氏)にメール。「件名:破水しました・・・」

 K氏は手術に立ち会うかもしれなかったところだったのが、これで完全に立会いはなくなった。残念!(私はどっちでもよかったけど)
 K氏からのメールの返事は「落ち着いて、がんばれ!」とのことだった。しかし時既に遅し。私は混乱のあまりフリーズしていた。結果的には落ち着いて見えたかもしれないが、内心では屋外の雨風に劣らぬほどの暴風雨が吹き荒れていた。まだ心の準備もできてないのに、今すぐ手術とか言われても困る!!


*破水してしまったが陣痛はなく(?)、モニターで腹部の張りを計測するとかなり張っているらしいが私には感じられない。主治医の先生が来られたので診察してもらうと、子宮口はまだ1センチほどしか開いていないらしい。
 「手術しましょう」ということに決まった。午後9時45分。当初の予定よりも半日以上早い緊急手術となった。Oh・・・


*母が病院に駆けつけてくれたが、まともに言葉を交わせたかどうか覚えていない。診察室を出て、夜10時の消燈時間が過ぎた暗闇の病棟を車椅子に乗せられたまま駆け抜けた。手術室までのものすごいスピード感。あー、私まだ遺書を書いてなかったのに~、などと思う。別れの挨拶すらままならず。

 手術室には6~7人のスタッフの方々がおられ、私は丸裸になって手術台の上に乗せられる。麻酔は部分麻酔で下半身のみ。手術台の上で背中を丸めて横になり、腰から麻酔を打たれる。麻酔が効くまでおよそ10分間ほどだろうか。

 あばらから上は麻酔が効いていない。手術台の上に大の字にされた私は、ガタガタと震えだす。両腕は台の上に固定されているのだが、それを看護士さんが握りさすってくれ、「手がこんなに冷たくなって! 心配しなくても大丈夫ですからね!」と励ましてくれる。うっ、やめてくれ! これじゃまるでビビッるみたいじゃないか! べ、別にビビッて震えてるわけじゃないっスよ! ちょっと緊張してるっていうか・・・ガタガタブルブル謎の(?)震えが止まらない私はどうにか「だだだ大丈夫です」と返す情けない状況で手術は進行。

 下半身の感覚がなくなったと思ったらすぐに切開、赤ん坊を取り出す(感覚的には「始めますよ」と言われてから10分間ほどの出来事。実際そのくらいだと事前に説明を受けていた)。取り出されている感触はまったくなし。

 こうして産まれた赤ん坊はふにゃあふにゃあと猫のような泣き声を上げた。
 私はほっとしてようやく震えが止まり、看護士さんが全身をきれいにした赤ん坊を手術続行中の私の頭の横へ持ってきてくれて、挨拶させてくれた。「お母さん、赤ちゃんにチューしてください♪」とか言われるが、鼻先に近づいてきた子の頭はやや生臭い。それに私は鼻に酸素吸入のチューブを挿しこまれていることもあり届かず、チューするふりだけしてやり過ごした。
 
 彼は元気な男の子で、片目を開けてふにゃふにゃと不思議な顔つきをしていた。私はとにかく安心して眠くなる。

 2月7日、午後10時50分。3025グラムの男の子だった。検診の段階ではもっと大きいことが予想されていたので、先生が「意外と小さかったね」とちょっと残念そうにおっしゃり、私は「そうですね」と同意した。

 その後赤ん坊は別室へ連れていかれ、残された私の方は10センチ以上切り開かれた腹部を縫合する。手術の大部分はこの縫合に費やされる。私はもう眠いのと麻酔がいつ切れるのか恐ろしいのとで寝てしまいたいのだが、うとうとすると看護士さんが「大丈夫ですかっ!?」とその度に訊いてくるので寝られない。そういうわけで、麻酔の効いていないあばらの上に手術道具が置かれているらしい感触と、時々胃のあたりを強く引っ張られるような感触に耐えつつ縫い終わりを待つ。ほかのことを考えよう。宇宙、そうだブラックホールってなんか怖いよね・・・えーとタイムトラベルが・・・・・・長い時間だった。

 手術が終わるとベッドに寝かされたまま集中治療室へ運ばれる。手術室や病棟の廊下の天井を見上げながら「あー、これはまるで安部公房の『カンガルー・ノート』の世界だな。脛からカイワレ大根」などと思うゆとりが生まれるが、意識はかなり朦朧としている。そのまま翌朝まで夢も見ないで眠る。ときどき看護士さんが見に来て、寝返りを打たせてくれる。朝は病室の白さがまぶしくて目を開けられない。


*手術の翌日の午後、産科の病室へと移された私は、そこでK氏と再会した(たぶん。記憶がおぼろげ)。「お互いがんばろう」と言って握手で別れてからちょうど2ヶ月。私はそこそこがんばったので(冷静に考えるとがんばったのは主に執刀してくれた先生方だけど、一応私も手術には耐えたので)、もう一度握手で再会した。母やK氏と会話を交わし、友人にはメールを送ったりしたが、この日の記憶は今ではほとんどない。とにかく傷が痛んだ。傷だけでなく全身がギシギシいう。疲れていた。顔色は最悪に青黒い。


*術後数日は息子とはほとんど会わずに過ごすので、なんのために入院したのだか忘れそうになる。が、傷はものすごく痛み、卵巣切除のときよりも数段苦しい。傷が数倍だから痛みも数倍ということだろうか。いたい~。


*それでも術後2日目から立たされる。尿道に通されていた管を引き抜かれ(これもまた痛い)、ベッドから下りる。それから50メートルほど先の新生児室までよろよろと歩いていき、赤ん坊の世話についての説明を受ける。「3時間寝られればラッキーだと思うような生活になるよ!」とのこと。真っ直ぐ立つのもやっとの私は非常に疲れていたので、それを聞いてものすごく憂鬱になる。


*3日目。散々悩んだ末に、息子の名前を決める。K氏はこの日までずっと病院に詰めて私の話し相手になったり、病室へ連れてきた息子のおむつを替えたり、写真を撮ったり、抱っこしてみたりしてくれていたが、午後から福岡へ帰っていった。


*1週間の入院中は、とにかくハード。腹の傷が痛む上に、赤ん坊の世話。母乳をうまく飲めない息子との付き合いに不安を感じ、抱っこもうまくできない。
 母子同室を推奨している病院なので、3日目から同じ病室で寝起きするが、1時間半ごとに授乳に挑戦していたら寝る時間がなくなる。昼夜問わず泣き止まない息子を抱えてお互いにへとへとになるが、昼間から寝ているところを看護士さんに見られてはいけないと考えた私は、とにかく寝ずにがんばった。するとたちまち血圧が跳ね上り、看護士さんからは「昼間でもなんでも、寝られるときに寝てくださいね!」と安静を命じられた。そうか、昼間に寝てもいいのか。「3時間寝られればラッキー」というのは「最大3時間しか寝ちゃいけない」という意味ではなかったんだな(←落ち着いて考えればそうだろうに;)。
 私がこんな調子だったので、息子は一時的にふたたび新生児室で面倒をみてもらうことになった。不慣れな母ですまない。
 翌日には血圧は正常値へ戻った。


*ひーひー言いながらも、その後はそれなりに順調に回復、子の経過も良好。無事に1週間で退院することができた。めでたし、めでたし!


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以上、こういうお産の風景もあるという記録でした。
珍しく計画通りに事が進みそうで、面白エピソードなんて生まれそうもないと思われた私のお産は、やっぱり直前でドタバタしてしまいましたね。うぅ、あんなに慌しいのはもう懲り懲りですわ!


それにしても、本当になんで息子は1日早く生まれてきたんですかね。私達に誕生日を勝手に決められそうになったのが気に食わなかったのでしょうか。それとも、2月8日に生まれる!→それなら今から出る準備しなきゃ!(=破水)→翌日に普通分娩で間に合うつもりでいたら緊急手術になって取り出されてしまったでゴザル、ということだったのでしょうか。分かりません。なんにしろ、無事に済んでよかったです。

あれからもう2ヶ月。3025グラムだった息子は今はもう倍くらいの大きさになりましたよ。成長が早いですねー。考えてみたら、去年の今頃はまだ発生すらしていなかったんだから、なんともものすごい。来年にはもっと大きくなっているんだなあ。

その前に、今月は私の誕生日。もうすぐ37歳か。うーん、早いな・・・。





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