半透明記録

もやもや日記

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父とイチゴソーダ

2010年03月11日 | もやもや日記




昨日の『同級生』と『卒業生』の感想文の中で、炭酸水、苦いというようなことを書いたのだが、私には実際に苦い味の炭酸水についての思い出がある。ちなみに恋愛とはまったく関係がない。父についての記憶だ。

もう20年以上の前の古い記憶である。私は4月生まれなのだが、小学生だった頃、私は家で、数人の友人を招き、誕生会を開いてもらった。晴れた休日で、友人はたしか4人、応接セットのソファとテーブルが置いてある応接室で、ケーキは丸くて大きいものではなく、切り分けられた何種類かの、イチゴのショートケーキがあったかどうかは覚えていないが、オレンジのババロアとチーズケーキはたしかにあった。たぶん。

私はその日のことをいつまでもよく覚えているつもりだったが、今思い出そうとすると、細かい部分についてだいぶ忘れてしまっていることに驚いてしまう。そもそも、あれは私の何歳になる誕生日のことだっただろう。8歳か9歳だったと思うが、もしかしたら10歳のことだったかもしれない。こうやって、大切にしまっておいたはずの記憶さえ、忘却の暗い淵に追いやられてしまうのだ。すっかり忘れてしまわないうちに、覚えているところだけでも書き留めておこう。それすら、もうすでにあやふやで捏造された、架空の記憶になろうとしているのかもしれないけれど。

私がその誕生会を忘れられないのには理由がある。その日、イチゴのソーダ水を、父が作ってくれたのだった。それは、美しい透明な薄い赤色をしていて、炭酸の泡がグラスの内側につぶつぶとついていた。子供心にも綺麗な飲み物だと私は思った。けれども、残念ながら、美しい見た目を裏切って、その味はとても苦いもので、子供には到底飲めそうもないくらいに苦かった。あまりに苦いので私は友人たちには「飲まんでいいよ(飲まなくていいよ、の意)」と言ってしまったかもしれない。そこはよく覚えていないが、友人たちとちびちびすすりながら「苦いね」と言い合ったような記憶はおぼろげにある。

あとで台所にいる父のところへ行ってみると、そのイチゴソーダは、生のイチゴを絞ったものを、ソーダ水で割って作ったものだということが判った。ちなみに味見はしなかったと父が言っていたような気がする。「苦かったけ? あー、それはすいませんね」と言っていたかもしれない。よく覚えていないが、父ならいかにもそんな風に言いそうだ。一方の私は、味について訊かれて「苦かった」とはっきり言ってしまったかもしれない。そう言うことを言ってしまう子供だったかどうか思い出せないが、でも恥ずかしさを誤摩化そうとして、言ってしまったかもしれない。
私は嬉しかったのだ。苦くてもなんでも、私のために綺麗な飲み物を作ってくれたことが嬉しかった。嬉しかったのに、そのことは父にはっきりと伝えなかったと思う。私はその頃、もの凄く単純なくせに、妙に屈折したところが出てきて、嬉しいとか楽しいとかこういうのが好きだということを言えない子供になろうとしていた。もしかすると最初からそんな子供だったかもしれない。そして、二十歳になる時に家を出るまで、私はずっと屈折したままだった。

年を取ってきてつくづく思うことには、私は性格的には父によく似ている。いや、親戚の中では呆れられるほどに非常識な人生を送る私が、保守的で堅実な父とどこが似ているのかと思われるだろうが、本質的な部分ではきっとよく似ているのだと思う。たとえば、何かやろうと思い立ったら、数年がかりののんびりしたペースではあるけれども、いつまでもしつこくやり続けるところとか。とにかく何か作ってみたくなってしまうところとか。人を喜ばせようと思って何かを作るんだけれども、悲しくも失敗してしまうところとか。そういうところが。ストレスに弱くて、プライドがむやみに高くて、自分を抑えきれず後先を考えないで激昂してしまうとか、そういうところも。


苦い思い出がたくさんある。私が成長するにしたがって、父との関係は苦いものになっていった。父に限らず、母との関係も。私は冷酷な子供だった。両親と健全ないがみ合いをすることすらできない、閉じた子供だった。まったく閉じていた。それなのに、よく育ててくれたと思う。
不思議なのだが、家を出てからというもの、時間が経てば経つほど、幼い頃のことを思い出すようになった。イチゴのソーダのことも、そんな思い出のひとつだ。私にまだ可愛げのあった時代には、父は実に優しい人だった。優しかったという記憶しか持っていない。

手作りのイチゴソーダを、味見もしないで振る舞う父。苦かった。けれども、あんなに透き通って赤い、美しい飲み物を私は初めて見た。父の真心だった。苦かったけれど、私はその苦さよりも美しさの方を、たぶんこれからも長く忘れられないのではないかと思う。
こういうことを、こんなところに書かないで直接父に伝えればいいと、自分でも思う。でも、私の声は信用できない。私の声は、思いとは別のことを伝えようとするから。けれど、文章では私は嘘を書かない。開けっぴろげな本心を、書くことでなら私は伝えられる。それも、個人的なメールではなくて、いきなり公共の場にさらしてしまう方が、本心に近づける。自分でもそんなのは変だと思うのだけれど。
母がこのブログを読んでいることは知っているので、お母さん、もし機会があったら、どうかお父さんに私がこんなことを書いていたと伝えて下さい。イチゴソーダは苦くて美しかったということを。私は今でも時々それを思い出して、笑ってしまうんだということを。


私は、たくさんの美しいものをたくさんの人からもらってきたので、いつかそれを少しでもお返しできればいいと思っている。私のやることだから、きっと苦いものになりそうだけれど。でも、よく見たらどこかに美しいところがわずかでもあるような、そういうものを、いつかは。