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半透明記録

もやもや日記

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『不思議惑星キン・ザ・ザ』

2008年04月21日 | 映像
ソ連 1986年 135分

《あらすじ》
パンを買いに出た建築技師は、街角で異星人らしき男に出会ったはずみで、バイオリンを持った学生とともに地球から遠く離れた惑星へ飛ばされてしまう。どうにか地球へ帰ろうと、二人は砂漠の惑星で悪戦苦闘を繰り返すが――。

《この一文》
“おめー馬鹿か? オレンジと緑は全然違うだろうが。 ”



正直に言って、これほどに完成された映画だとは、観る前には露ほども思っていなかった。衝撃。なにこれ、超凄い。

えーと、何がそんなに凄いって、もう何もかもが凄いです。「135分かー、なげーなあ」と思っていた私、表へ出やがれ! 始まるなり目も耳も釘付け、あまりに凄すぎて、各所の笑いどころにも十分な反応を示すことができません。気が付けば劇終。なんという傑作!

しかしまあ、ここまで衝撃を受けるかどうかは好みによると思われますが、実際私はかなりの衝撃を受けました。やっぱロシアにはかないませんよ(監督はグルジアの人らしいですが)。映像もストーリーも音楽も何もかもが私のツボに入りまくりですよ。もうだめだー。わあー。一分の隙もありやしない。わああ。

うーむ。これはもう一度観たいなあ。いや、一度と言わず何度か観たい。DVDを買おうかな。


この面白さをいったいどのように表現したら良いのでしょう。とにかく、絶妙な間抜け感を漂わせる音楽、完全無欠の造形美、砂漠の荒涼感、地下道のロシアらしさ、無駄のないストーリー、強烈なキャラクター、どこをとっても最上級品なのです。すげーな、こりゃ。

特にストーリーは一切の無駄もなければ余分もないという感じです。130分超という時間を流れるようなスピードで進んでいきます。あの結末の鮮やかなことと言ったら! 

そして、各所にロシアらしい笑えるような笑えないような笑いどころも満載です。バイオリンを弾けない「バイオリン弾き」、よりによってマッチがこの星の高級品、謎めいた身分制度があり「赤ステテコ様」が一番偉かったり、それから、それから。
どうしてこんなに上手く間抜けさを表現できるのでしょう。しかもこの間抜けさというのが、もっと突き詰めると意外と深くて鋭いメッセージとして捉えることも出来そうなところが凄い。すごいなあ。表現とはこうありたいものだ。

私などは圧倒され過ぎて、もしかしたらまだよく把握できていない箇所があるのではないだろうかと気になって仕方がありません。もう一度観たい。買うか。何という名作だろうか。


最近みた映画(その2)

2008年04月17日 | 映像

ここ1か月の間に観た映画。(その1)のつづき。


『東京ゴッドファーザーズ』


『パーフェクト・ブルー』『千年女優』『パプリカ』などなど、出す作品出す作品が注目される今敏監督のアニメーション。『東京ゴッドファーザーズ』はとても面白いらしいと聞いていたので、ずっと前から観てみたかったのです。で、結論から言いますと、これまで観たなかではこの作品が一番楽しい! 非常に楽しい映画です。実によく組み立てられた物語です。とにかく、全体的に明るく、爽快な疾走感があるのが素晴らしい。それに何と言っても、絵がきれいだし!

主人公たちは3人のホームレス。それぞれに悲しい過去を抱えていますが、そういう悲しさや侘びしさというものを語る彼らは、悲しいのだけれど自分でも「そういう自分ってちょっと間抜けかも」と思っているように見えます。私が思うに、真剣なメッセージを伝えるのに必要なもののひとつには、この「間抜けさ」というのがあると思います。そういう訳ですので、私にはこの物語がとてもストレートに伝わってきました。自分の間抜けさとか、人生の間抜けさとかというものを考えたなら、苦しみや悲惨にもちょっとは耐えられる気がする。いや、違うか。間抜けなものでしかない人生を、わざわざ苦しめたり悲惨なものにする必要はない。そう思いたい。

しかし、いやー面白い。もう一度観たい。

声優さんも豪華キャストで器用な方ばかり。主演の3人の役は江守さん、梅垣さん、岡本綾さんがなさっています。特に、岡本さんは異常に上手だったので、私はてっきりプロの声優さんだと思いました。

いやー、面白い。もう一度今度はクリスマスに観たいです。
(クリスマスからお正月にかけての物語なのです)




『マイケル・コリンズ』


アイルランドの英雄マイケル・コリンズの生涯を描いた歴史大作。
実は、私は史実ものが苦手…しかもアイルランド問題、暗そう……(/o\) と思いましたが、何となく見始めてしまい、何となく見終わりました。

やっぱり暗かった……!

まあ、でも観て良かったです。アイルランドの悲しい歴史の一端をうかがい知ることができましたし。1900年代当時、アイルランドはイギリスに統治されて既に700年、ようやく独立が実現しようとしたその時に活躍したのが、マイケル・コリンズです。波乱に満ちた彼の生涯が、たったの31年間だったということに、私は驚きを隠せませんでした。そして反省も。
人間の31年をどのように使うべきか、そういうことをちょうど私の31年が過ぎ去ろうとしている時に深く考えさせられるのでした。

そして、物語のなかではとにかく人間がばたばたと死んでいきます。ということはつまり、実際に当時のアイルランドではばたばたと人が死んだということでしょう。どのくらい歴史的事実に忠実な映画なのかは分かりませんが、イギリスと戦っていたはずのアイルランドの人々が、やがては仲間割れのために互いに滅ぼしあうようになるさまは、とても見ていられませんでした。

本当に、人類というのはほんの100年前にも意見の相違を乗り越えられず、相手を滅ぼそうという勢いでもって殺しあわずにいられなかったのです。そして、それは今でもそのまんまなのです。はあ。アイルランドの戦いは未だに終わってないようですしね。ということはもう800年になるのか。うーむ。




『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』


そろそろみなさん、だいぶ大きくなってきました。ハリーは14歳という設定らしい。お年頃ですね。ですので、お年頃らしい物語の展開でした。ロンがいちいち拗ねるのです。昔は間抜けで可愛かったのだがなあ。大人になってしまうんだなあ。しみじみ。

変わっていってしまう。

まったくです。そういうのはちょっと寂しいものですが、年齢を重ねてみると、「変わっていってしまう」ことがはっきりと目に見えていたあの頃というのは、懐かしくもうらやましくもありますね。成長しているのを自覚できる(少なくとも肉体的には)というのは、うらやましい。

それにしても、私は原作を読んでいないためか、物語のところどころでよく分からない箇所に出くわしました。何となくは分かったけど、これはやはり原作を読んだ方がいいのかもしれません。あれだけの分量を2時間でまとめるとなると、どうしたって端折らなければならないのでしょう。それは仕方がない。
原作の方は聞くところによるとネガティブパワーが炸裂しているらしいので、ちょっと興味があります。面白いんだろうなあ。第一、【魔法学校】とかいうだけで興奮できるじゃないですか。いいなあ、私も入学したい。お城のような学校に寄宿したい。天井から無数の蝋燭が吊りさがっている食堂でお食事したい。ああ~。




ということで、わりと有名どころを重点的に観たので、だいぶ世の中の流れに追い付いたような気がしています。

ちなみに次に観るのは、『不思議惑星キンザザ』の予定。
カルトでどうも。




最近みた映画(その1)

2008年04月15日 | 映像

このところ、K氏がツタヤでDVDレンタルに凝っているので、私も便乗して観ています。それにしても近所のツタヤには『24』とかのようなドラマ・シリーズばかりが大量に置いてあって、私が観たいようなマニア向けの映画がほとんどないのが辛い…。

で、こんなのを借りて観た。以下、一言感想文。


『ラビリンス』


ジェニファー・コネリーとデヴィット・ボウイ共演の懐かしファンタジー。
デヴィット・ボウイが格好いいの何のって、ぴたぴたタイツを着こなせるのは、もはや彼だけだろうという麗しさ。あ、ジェニファーさんも可愛かったです。

でも、この女の子の性格は、ちょっとどうなのだろう?と疑問を抱かざるを得ませんでした。まず、腹違いの弟の面倒を見るのが嫌で「ゴーレムにお願い。こいつをどこかへ連れ去ってしまって!」と自分で言っておきながら、ゴーレムの王に難くせをつける。さらに、道中で出会った仲間たちに対しては、【懐柔】(物で釣る)・【恫喝】(「私たちって友達よね?」)とあらゆる技を駆使して利用します。可愛い顔してコエーな!

ゴーレムに連れ去られた弟も、夜中まで遊び回って帰ってこない両親といじわるな姉よりも、「おれの後継者にしよう♪」という魔王の城でのほうが可愛がられていて幸せそうだし…; うーん、80年代アメリカ、なんだか病んでるなあ。

こんな見方をする私は嫌な大人になったのかもしれませんが、そういう風にしか観れなかった(/o\)
ときどき幻想的な場面があったのはとても素敵だったけれど、こんな映画だったっけ~?と意外な気持ちになりました。




『300』


100万のペルシャ軍と闘う300人のスパルタ兵の物語。鍛え上げられた鋼の肉体美や洗練された映像美などはとても見応えはあるのですが、それよりも何よりも気になったのは、ただこの一点。
スパルタ兵よ、いったい何と闘っているの~~!?

そんな感じ。ペルシャ兵のなかには、どうみても忍者な方々が……!
ファンタジーと思えば面白いかも。



『ボーン・アイデンティティ』と『ボーン・スプレマシー』





祝!マット・デイモン復活!
評判の高さは知っていたけれど、実際かなり面白かったです。エンタメ・スパイアクションは、かくあるべし。ちょっと物悲しいところがまた良いのです。いやー、面白い。細かいところまで考えると「おやっ」というところもありますが、勢いがあるのであまり気になりませんでした。

1作目が相当に面白かったので、速攻で続きを借りてきた2作目。冒頭でちょっと「なぬっ!!?」という展開があって驚かされましたが、ヒットした1作目に比べて勢いを失っていないのが凄い。1作目が当たって予算が増えたのか、2作目は世界を股にかけていて楽しい。これは3作目も期待できますねー。



(その2)につづく。


滅亡映画2本立て

2008年04月01日 | 映像
今日から新年度!
張り切ってスタート!

という明るくあるべきであろう日に、「滅亡…」とか言ってしまうあたり我ながらとても私らしい。しょうがないのです。私は「滅亡もの」が好きでたまらないのす。専門家になろうかと思っているくらいです。


さて、だいぶ前のことですが、ツタヤで借りてきたのは2本の滅亡映画です。

まず1本目は筒井先生原作の『日本以外全部沈没』


《内容》
突如として地球全土を襲った大地震によって、日本列島以外の陸地はほとんど水没してしまった。生き残った世界中からの避難民は大挙して日本へと押し寄せるが―――。
小松左京の傑作小説『日本沈没』を大胆にパロディ化した筒井康隆原作『日本以外全部沈没』の映画化。



とにかくとても低予算だったのだろうなあ、ということがうかがえる作品。それは劇場予告を見た時点でも思っていたのですが、実際に観てみると本当に安づくりです。
しかし。
予算を掛ければ面白くなるというものではないのです、映画と言うものは。そのことをあらためて考えさせられました。

この作品ではとにかく主演以下多くの役者さんがとにかく素人くさい。唯一本職だと感じさせる村野さんと藤岡さんってやっぱ役者だな~、すごいな~というほどに、他の出演者の演技が……もごもご。まあ、外国の人がほとんどだから仕方ないと言えば仕方ないけれども、主役級の若者3人組はもうちょっとどうにかならなかったのだろうか。いちおう役者さんなのだろうに。うーむ。

要所要所の演出も実にくさい。堪え難いほどにベタであります。あの橋の上で出前持ちが転んでお皿を川へ落っことしてしまうあたりとか、キャサリンが落ち目の米国の大スターと固く抱き合う場面(当然スローモーションで)とか。とにかく清々しいほどに演出過剰です。『シベリア超特急』を思い出すではないですか。あれも名作だった。このくらいの勢いがあると、それだけで面白いですね。


それで正直に言うと、私はこの映画を安っぽくてバカバカしい、本家『日本沈没』映画化に便乗して制作されたお気楽でいい加減なものだろうとあなどっていたのです。
ですが……筒井先生、ごめんなさい。私が大幅に間違っておりました。泣いて謝ります。いや、ほんと泣きそうになりました。

たしかに予想どおりの要素はあるにはありましたが、それだけでは到底済みませんでした。この結末は原作の通りなのでしょうか。もしも「滅びの美」というものがあるとするならば、この結末にはたしかに「美」がありました。これが泣かずにいられるだろうか。あー、原作も読まねば!


物語は、人間の卑しさ、傲慢、みじめさ、そして人間の美しさ、善良、希望もろもろを全てを水の底へ沈めてしまいます。そして人類がたった一瞬間、真にひとつになるときがあるとすれば、それは―――。ああ、そうだ。私はいつだって、こういうものが観たいのだ。あまりにも悲観的な結末。ところがこの悲しみに満ちた結末が美しいとしたら、このことをいったいどう考えたらいいのだろう。


というわけで、期待を良い意味で裏切られまくった、筒井作品の恐るべき底力を思い知らされた良作でした。



さあ、2本目はこちら『トゥモロー・ワールド』



《あらすじ》
2027年、人類はすでに18年に渡って新しい人間を生み出すことがなかった。子供が産まれなくなったのであった。
若い頃は活動家であった主人公はある日、かつての仲間であり恋人でもあった女と再会する。過激な活動グループのリーダーとなっていた彼女の頼みにより、彼は「トゥモロー号」を目指すことになる。



あちらこちらで良い評判を聞いていたので、観てみたかった作品。

しかし。
私個人としては、どうもあまり響かない物語でした。見誤っているのかもしれません。が、どうしても理解できない。というよりも、単に好みではないだけなのかも。お決まりの「自己犠牲」のオンパレード。気に入らないですね。私のようなひねくれ者は、やればやる程白けます。

だけれども、じっくりと考えていけば、興味深いテーマであることは否定できません。子供が全く産まれなくなり、ゆっくりと滅んでいくだけの人類の世界に、滅亡へと加速するように争い殺しあう人類の世界に、たったひとつ奇跡のように新しい命がもたらされたとしたら。手遅れかもしれないけれども、期待を抱かずにはいられない。希望を抱かずにはいられない。
そこは分かる。

私が理解できないのは多分、「子供はかわいいけれども、大人であるあいつらは憎くてたまらない」というところなのでしょう。これはこの映画の脚本が原作がどうとかいうことに関係がないかもしれません。そしてまた、ひょっとしたらこの映画でもそのおかしさを皮肉的に描いていたのかもしれません。私が気付かなかっただけで。とにかく、この点がいやに引っかかって仕方がありませんでした。

この作品にも原作があるらしいので、そちらを読むべきかもしれません。そしたらもうちょっと理解できるかも。

唯一とても素晴らしいと思ったのは、この映画の「音」。音がどの場面でも素晴らしく自然なのです。明け方、すぐそばで鳴いているらしいカラスの声、木々が高いところでその葉をざわめかせる音などなど。その効果が最高に良かったです。





そういうわけで、「(勝手に)滅亡映画対決」はどうやら『日本以外全部沈没』に軍配があがったようです。これまた意外な展開だったわー。



最近みた映画

2008年03月13日 | 映像


2週間くらいまえ、こんな映画を観ました。




 『V フォー ヴェンデッタ』

『マトリックス』の兄弟の作品らしいので前から観たかったもの。
おおっ!というような映像がところどころにあって面白かったけれど、後半の展開はややヤッツケ感が否めませんでした。もうちょっと時間的分量があれば、「あれれ?」と突っ込みたくなった部分も掘り下げられたのではないでしょうか。何があったんだろう。
でも、なかなか面白かったです。


もうひとつはコレ。



 『イカとクジラ』

『ロイヤル テネンバウムス』のウェス・アンダーソンの新作だと言うので(K氏が)、「ええ!? そうなの、知らなかったヨ」と思いつつ観たら、アンダーソン氏はほとんど関わってなさそうでした。彼は製作で、監督は別の人でした。
でも、まあ、なるほど、家族を扱った映画ということでは確かにウェス・アンダーソンが関わっている感じの物語でした。
面白かったですが、痛々しいというか、何と言うか。うーむ。

本編よりも興味深かったのは、特典映像としておさめられた「監督による解説」。これが、すっごく長い。本編がたしか2時間弱なのに対して、解説に費やされる時間がなんと1時間。なんてこった、そんな長いとは思わずについ見てしまったではないか。でも面白かった。特に予算を大幅に削られてしまったというエピソードが(しつこく何度も言っていました。相当無念だったのでしょう。ププ)。



あとは、『コマンダンテ』(オリバー・ストーン監督)も観た。カストロが出てるから。これについてはまた後日。例によってびっしりとメモを取らざるを得ない内容だったため、一言では済みそうにありませんので。




『ウェイクアップコール ~宇宙飛行士が見つめた地球~』

2008年02月05日 | 映像
NHKスペシャル

《番組紹介》
スペースシャトルなどの宇宙の1日は、ヒューストン管制センターから送られてくるウェイクアップコールで始まる。
管制官が ”This is Huston, good morning”と呼びかけ、2分あまりの<目覚めの曲>を流す。曲は宇宙飛行士自らのリクエストもあれば、家族や友人、地上スタッフからのプレゼントの場合もある。

あるアメリカ人飛行士は、同級生が、「同時多発テロ」で使われた飛行機のパイロットだった。宇宙から貿易センタービルの煙が見えたという。
イスラエル初の宇宙飛行士もいる。愛国者として知られていた彼は、宇宙で「地球人類の一員」だと感じるようになった。
そして日本人宇宙飛行士、野口聡一さん。彼がリクエストしたのは、SMAPの「世界に一つだけの花」だった・・・。
宇宙飛行士たちは、400キロの周回軌道から、どのように地上の出来事を見つめていたのだろうか。

番組では「21世紀の傷ついた地球」をどう救うか、飛行士の宇宙からの思いで綴る叙情詩的メッセージを試みる。
         『NHKオンライン』より



ゆうべ総合で夜10時から再放送されていました。
私は昨日は熱があったのではやく寝ようと思っていたのに、ついつい見てしまいました。熱が出るとどうもうまく感情の制御が効かなくなるせいもあってか、私は番組の半ばで涙を止めることができなくなり、その涙というのは宇宙では地上と同じようには流れることがないのだということを知ってさらに涙が溢れるのでした。


宇宙から見た地球というのは、やはり圧倒的に美しい。

番組は、その地球の美しさと、地上における主に争いによる悲しみとを対比させてうまく構成してありました。私はまんまと制作者の思惑どおりに心を動かされてしまいましたが、しかし事実として地球の水の青さ、薄い大気の層の色の変化、それを取り囲む無限のような深い闇、太陽の強い光、ひっそりと佇む月、どれもこれも震えるほどに美しかったのです。
そして、それと同じように美しいのが、スペースシャトル(打ち上げの瞬間のあの重力に逆らって重そうに上昇するあの姿は何度見ても感動的)、壮麗な宇宙ステーション(あんな構造物が宇宙空間に浮かんでいるのです。なんという偉業だろうか)、といった人間の科学技術の結晶の美しさでした。
さらにまた、そうやってとうとう宇宙まで到達した人々のもとへ届けられる歌の美しさもありました。私は例によって " What a wonderful world " が流れるのを聴いて涙が迸るのを抑えきれなかったです。この曲は何でもない時に聴いても涙が出てきます。あまりに美しいから。言葉もメロディーも。

そうやって、宇宙から見たときの地球が美しければ美しいほどに、それを見つめる宇宙飛行士の心には繰り返される争いによる悲しみと痛み(ステーションの中からもビルが崩れ落ちた時の煙が長々と南へ延びているのが見え、戦闘による光が明滅しているのが見えるらしい)の先に、地上では感じなかったような変化が起こるようでした。

私がもっとも心を打たれたのは、イスラエル初の宇宙飛行士のエピソードです。彼はイスラエル軍の英雄で、宇宙への出発前には自分がユダヤ人であるということを深く自覚し、その気持ちを宇宙でもアピールしようと思っていたそうです。ところが、宇宙へ出て1週間ばかり経ったある日、彼は突然に「自分はただ、この地球上で人間であるだけなのだ」というようなことに気が付いたらしい。「生まれ変わった」とさえ思えたらしい。
そして帰還の日を迎え、彼はあと15分で地上に戻れるはずでした。彼等が乗っていたのは「コロンビア」。飛び散った残骸の中から、彼の手記が発見されたのでした。
どうして、どうして彼が戻ってこられなかったのだろう。彼以外の乗組員たちも、どうして。もしも帰還を果たせていたら、きっと彼等は多くのことを語ってくれただろうに。
私はこのことに、道のりの遠さと険しさを感じないではいられません。

それでも、ここには希望しかないとも思えるのです。人間を変え得る何かがここにはあって、悲しみも苦悩も乗り越えてそこへ向かって進んでいく人々を、そのために技術を発展させようとする人々を、その美しさを私は心から美しいと思います。
彼等の努力の成果によって、いつか誰もが外からこの惑星を自分の目で見られる日が来るでしょう。そうしたら、私たちはとうとうみんな美しく変わることができるでしょうか。それとも、欲望と争いを外へまで持ち出すことになるだけでしょうか。
いずれにせよ、私たちは、ただもっと遠くまで行きたいだけなのかもしれません。遠いということと、美しいということはよく似ていると思いませんか。



『ひなぎく』

2008年01月26日 | 映像
1966 チェコ
監督:ヴェラ・ヒティロヴァー
原案:ヴェラ・ヒティロヴァー/パヴェル・コラーチェク
音楽:イジー・シュスト/イジー・シュルトゥル
出演:イヴァナ・カルバノヴァー/イトカ・チェルホヴァー


《内容》
1966年、チェコ。
女の子映画の決定版!!


《この一言》

“匂う? 通り過ぎる人生の匂い。 ”






「女の子映画の決定版!!」とあります。たしかに。それで私は見ようと思ったのは事実です。ところが、冒頭からいきなり、延々と回転する歯車の映像に交互に差し込まれる恐らく戦時中の爆撃映像。燃え上がる戦艦、戦闘機、崩れ落ちる建物。これはどうやらただお洒落なだけの映画ではなさそうな雰囲気です。のっけから……興奮!

そして実際にみてみると、評判どおりポップでキッチュな(←どうでもいいですが、ちなみにこれは私の嫌いな言葉ベスト5)要素があるのも確かですが、やっぱりそれだけではない。ところどころに痛烈な皮肉を、そして結末にははっきりとしたメッセージを提示していました。この結末はこのあいだ観た『Z』(監督:コスタ・ガブラス)の結末と同じくらいに衝撃的かつ格好いい。
ああ、ただ美しいものなんてないのじゃないだろうか。そこには思想がなければなるまい。どういう意見でも、伝えようとする姿勢が見えたなら、その時にこそ私はそれを美しいと思える。のです。

1966年のチェコと言えば、「プラハの春」がたしかその周辺だったでしょうか。当時のチェコは社会主義国でしたね。この映画の女の子2人組は、とにかくはちゃめちゃをやらかしますが、彼女たちが何を問い、叫ぼうとしているのかは容易に推測されます。冒頭で回っていた歯車のように「規則正しく生きる」人々には、彼女たちが見えない。まるでいないみたいに、声も届かないのでした。

うーむ。この監督がこの後で活動停止に追い込まれたというのも頷けます。瑞々しくて明るい映像とは裏腹に、そのテーマは熱いですね、かなり。いいですね、好きです。あー、やっぱチェコの人はただ者じゃないな。もっと知りたい。


さて、そういう社会派な面もありますが、たとえそこに関心がいかなくとも多くの人を惹き付けるのはやはり映像と言葉の美しさのためでしょう。女の子たちも可愛いし。

そう、女の子の可愛さがちょっと普通じゃありません。同じ部屋に住む二人の女の子(姉妹?)は、とにかくはちゃめちゃに愉快に生きようとします。クローゼットの中には同じ形のワンピースが色違いでずらり。毎度毎度、彼女たちのワンピースの形はそのままで、色だけが変わっていくのが異常に楽しい。
そして、金髪ボブカットの女の子はいつも頭に花冠をかぶり、黒髪ツインテールの女の子はいつもシフォンのショールを巻いています。ぐわー、可愛いぜ!

そして、映像。これは凄い。1966年で、もうこんなことになっていたのですか? 何だか現在の歌手のビデオクリップなんかで見るような映像は、みんなここから出発したのではないかと思えるほどの洗練具合。こいつは驚いた!
これは一応カラー映画なのですが、ときどきモノトーンに変わったりします。モノでも色は色々(オレンジ、セピア、などなど)。で、突然またカラーに切り替わる。それが緑の芝生だったりする。が、芝生と思ったらそれはベッドに敷かれた緑色のマットだったりする。
まったく目が離せませんでした。

そんな感じで見どころ満載の映画でしたが、私がとくに面白かったのはこの場面。

「何かでかいことをやろう」と言って、部屋の天井から吊るした青い紙に火をつけ、燃やします。ついでにソーセージもぶら下がってます。(ああ…おいしそうに焼けたようだ)
そこへ男からの電話、愛の言葉がほとばしる中、彼女たちはハサミ(←ものすごく切れそうな)でソーセージを、バナナを、ゆで卵をザクザクとちょん切り、それをフォークでザックリと突き刺して、もしゃもしゃと食べるのです。
で、この言葉。

 “男は「愛してる」って言う以外に、どうして「卵」って言えないの?”



ノックアウトです。参った。また観ます。

1回では、とても足りない。



『奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界』

2008年01月07日 | 映像
BS世界のドキュメンタリー


原題: Wonderful World of Albert Kahn
制作: BBC(イギリス) 2007年

《番組紹介》
20世紀初頭の世界を記録した貴重な映像がパリに残されている。銀行家で大富豪だったアルベール・カーンは、当時開発されたばかりの技術で各国の様子を世界で初めて、72000枚のカラー写真と、100時間に及ぶ記録フィルム(一部カラー)を残した。極めて貴重な映像資料をもとに20世紀初頭の世界を描く 9回シリーズ。
   (NHKオンラインより)




今週の日曜日からBS1で放送中の番組の第3回を見ました。
何度も言うようですが、私はちょうど100年前くらいの世界にとても関心があるので、この番組は絶対に見なければならないと思っています。日曜放送の2回分は録画してあってまだ見ていませんが、今夜放送の第3回は番組開始からちょうど見ることができました。
で、その感想を一言で言うならば、

100年前にも世界は今と同じように豊かな色彩に溢れていたのですね。

ということでしょうか。当たり前のことなのですが、やはりカラー映像のインパクトはすごくありました。不思議なことに色がついているというただそれだけのことで、100年前という時代が急に現在に近付いたような気がしてきます。まったくもって単純な反応なのですけれど。

そして、近付いたような気持ちで100年前の世界の映像を見ていくと、このあとの世界は、特にヨーロッパは第一次世界大戦という大きな破滅的転換点に向かって進んでいくわけでして、その破壊される前の世界の人々がどのように暮らしていたのかを、写真の一枚一枚は伝えてくれるのです。

色鮮やかな民族衣装を着た子供、美しい自然の風景、着飾った人物、貧しい人々の生活。今とは違う世界に、今と同じような人々が生きていたという事実が迫ってきます。ただ、カラーだというだけなのですが、やはりそれは予想以上の衝撃をもたらすようです。

カメラがとらえた人々の暮らしぶりの向こう側には、それぞれの人が暮らす国々の様子も写っています。
ひとつの国にありとあらゆる民族がごちゃまぜになってしかもそれを普通だと思って暮らしていたり(たとえばマケドニア。すごい不統一感です。国民のほとんどが「マケドニア人を名乗らない」のに、どうやって国を維持していたのか興味が湧きました)、あるいはイタリアはその当時は国として統一されて間もなく、ヨーロッパのなかでも極めて貧しい状態で、さらにイタリア語を話せる国民は全体の3%ほどであった、などなど私が不勉強なために知らなかっただけにしても、今とは随分と違うヨーロッパ諸国の有り様に驚きました。このあいだ『Z』を観た時も思いましたが、ギリシャも当時から意外とひどい国だったのですね。


というわけで、色々な意味でとても価値のある番組のようです。全部見よう。私はこれまでにいくつもこの時代の文学作品を読んできましたけれども、その鮮烈な描写にもかかわらず、これまで見た多くの白黒映像のためどこか少し色あせたような印象を持ってしまうことを、これからとうとう克服できるような気がしています。
世界は、いつの日にも豊かな色彩に満ちていたのです。
あの人が絶望しただろうあの日にも、間違いなく。
私はそれで前よりももっと悲しくなることでしょう。


『Z』

2007年12月02日 | 映像
監督:コスタ・ガブラス
脚本:ホルヘ・センブルン/コスタ・ガブラス
音楽:ミキス・テオドラキス
製作:ジャック・ペラン/ハメッド・ラシュディ
出演:イヴ・モンタン/イレーネ・パパス/ジャン=ルイ・トランティニャン
   ジャック・ペラン/レナート・サルバトーリ/フランソワ・ペルエ
   マガリ・ノエル

《あらすじ》
地中海に面した架空の国では、軍事政権に反対する勢力が日増しに大きくなっていた。反対党の指導者的存在であった大学教授・医学博士のZ氏が演説会場で、暴漢に襲われ変死する。しかし、警察と憲兵隊はこれを交通事故死と発表した。Z氏の死を悲しみ、若者たちは激昂し、暴徒と化す。予審判事と新聞記者が真相究明に乗り出し、政治的な計画的殺人容疑が浮かぶ。警察署長、憲兵隊長、将軍を共犯容疑で告訴するが、判事側の証人が次々と姿を消していく……
ギリシャで実際に起こった「ランブラキズ事件」をモデルに作られた、鬼才コスタ・ガブラスが贈る衝撃の問題作。

《この一言》
“ わたしは殴られた
 理由は?

 なぜ我々の思想を
 暴力で封じ込めるのか ”



衝撃の問題作でした。たしかに。

共産主義とは何か。
軍事政権とは何か。
独裁者とは。

こういうことに、私は興味と関心を持っているので、この映画もまた私には非常に興味深いものでありました。

私は長らく「共産主義=軍事政権=独裁者の存在」というように3つの項目を結び付けた認識が世間にはあるのではないか(といっても私に認識できる程度のごく狭い範囲にすぎませんが)と感じながらも、深く考えることもなくなんとなく過ごしてきました。ところが行き当たりばったりに、色々な時代の色々な国の人々の歴史的事実を述べようとした文章や映像などに触れるうちに、「なんでそんなふうに思っていたのだろうか?」という疑問が膨れ上がったわけです。
いい歳をした社会人がこんなふうに無知であることや、それを曝してしまうということは実に恥ずかしいのですが、恥ずかしがってはいられません。

共産主義、これは経済の話ですよね。
軍事政権、これは社会体制の話ですよね。
独裁者、これはいったい何者ですか。どういう基準で認定されるものなのか。その国の国民から圧倒的な支持を受け、投票によって民主的に選出された人物でさえも時として「独裁者」呼ばわりされるのは何故なのか。

それが知りたい。
いずれの言葉にもどういうわけかネガティブな印象がまとわりついている気がしてならないのですが、それはどうしてなのか知りたい。

そういうことを思いながら、この『Z』という作品を観ました。
それでどうだったかと言えば、少なくとも、共産主義と軍事政権は必ずしもイコールでは結べないという事実があるということですね。それはガルシア=マルケスの『戒厳令下 チリ潜入記』を読んだ時にも思ったのですが、どちらかと言うと「軍事政権の影には巨大な資本主義国家の存在が…」という構図が見えて仕方ない。少なくとも、そう見られても仕方のない状況はあったらしい。
しかし、経済と社会体制の問題は分けて考えるべきかもしれません。たとえ経済活動あってこその社会であるとしても、今のところの私の能力でもってひとくくりに判断をしてしまうのは浅薄かつ危険でしょうから、ひきつづきの課題としておきたいところです。

映画では、軍事政権の幹部たちによって謀殺される指導者の大学教授は平和を訴え(作品中では第三者によって何度か「彼は共産主義者ではない」と説明される場面があるが、軍部では「彼は共産主義者である」と認識されているらしい場面もたびたびある)、軍事政権に反対する集会を開こうとしますが、妨害に合い集会所をなかなか借りることができず、しかも彼の暗殺計画があるという噂までが囁かれます。そして結局それはその通りに実行されるのでした。
さらにその後の世間への発表のなかには「暗殺事件」などはなく、単に「交通事故」があっただけとされるのでした。

しかし事実は違っていたのではないかと気付いた予審判事(この人の格好良さについては、それだけでひとつの記事が書けそうなくらいです)と新聞記者(「国民には知る権利があるのです!」といってずかずかと部屋に入っては断りもなく写真を撮りまくる新聞記者の姿に、どの時代にも新聞記者とはこんなに鬱陶しいものだったのか…と一瞬憂鬱になりましたが、だかしかし絶対に必要な存在であることは否定できません)が、確固たる信念と情熱、そして知性を働かせて事件の真相に迫っていきます。そのあたりはとても素晴らしい。結果として、事実に到達した予審判事は、上司の脅しにも屈せず、実行犯およびそれを操作していた軍の幹部たちを起訴します。

ところが、その結果は………。


さあ、恐ろしいものは、憎むべきものは何か。

私はそれは、あらゆる「主義」そのものそれ自体ではなく、「私の主義と違うお前の主義」を認めることができず暴力でしか解決しようとしない態度であろうかと思います。暴力は手っ取り早くて簡単な方法かもしれませんが、それがつまり最良・最善の方法と言えるでしょうか。
ではどうすれば良いのか、暴力で訴えてくる相手の言うことを聞くために、されるがままになっても黙っていろというのかと問われれば、私には今のところ何も良い考えがないのでなんとも答えられません。でも暴力に対して暴力でこたえていたのでは、人間には滅びという未来しかないような気はします。最後のひとりになったら、それはたしかに平和だろうなとは思いますが。(それがエレンブルグの『トラストD・E』という物語だったかもしれません)

映画をみて、やりきれないと感じたところには、実行犯となった男たちを含む庶民の姿でしょうか。彼等は「生きるために、自分にとってより利用価値のある権力の側につく」わけであって、必ずしも「主義」を掲げているわけでもない。仕事や生活の安定のために便宜をはかってくれるなら、もしかしたら相手は誰でもいいのかもしれない。そこを、権力者たちに利用されている。

上に引用した言葉のほかにもうひとつ、印象に残った言葉。
棺職人は、暗殺計画を事前に聞いていたので、証人になろうと自ら名乗り出ます。が、役人の夫を持ち、仕事を得るために極右団体に所属したという妹からは「ロバのように頑固で、家族のことなど何も考えていない! 父が死んだあとも、妹である私のために何もしれくれなかった!」と罵られます。そこで、

「いいかい、よくお聞き。
 もし、お前が暗殺の話を聞いて
 本当に人が殺されたら
 黙ってるか?」

黙っていられない時に、無理矢理黙らされることのないような社会を、どのように作ったら良いのでしょう。私にはまったく見当も付かないですが、この映画の最後に込められたメッセージに、希望を見いだしたい。

“ Z。
 それは古代ギリシャ語での、
 その意味は

 「彼は生きている」        ”



けっこう最近まで軍事政権の国だったというギリシャについてはこちら。
Wikipedia : ギリシャ

『銀河ヒッチハイク・ガイド』

2007年09月27日 | 映像
《あらすじ》
ある日、突如として上空に現れた巨大宇宙船。ヴォゴン人建設船団と名乗る彼らの目的は、地球を爆破すること(バイパスを作るため)。一方的な予告の後、地球の歴史は一瞬にしてその幕を閉じた…。運命のイタズラで“最後の地球人”となった平凡な英国人アーサー・デントは、実は異星人であることが発覚した友人フォードと共に、宇宙で生き抜くサバイバル術とクールな風刺に満ちた銀河系最大のベストセラー《銀河ヒッチハイク・ガイド》を頼りに、前途多難な旅へと飛び出すことに! そこで待ち受ける不条理にして気が滅入るキャラクターや、常識ではあり得ない事件の数々。そして旅の行く末に明らかになる、地球誕生にまつわる驚愕の《真実》とは…!?


《この一言》

“よく知られた事実だが
 ものごとは外見どおりとは限らない

 例えば

 地球上で一番賢いのは
 自分たち人間だと思っていた

 3番目ではなくだ           ”


 



うーむ、英国だなあ! 実に英国的なセンス! どうしてここで笑えるのかは理解できないけれど、つい笑う。面白いなあ。
しかしこの笑いは、朗らかで陽気な笑いというよりは、どちらかと言うとニヤリという感じ。間抜けな他人の可笑しさを笑うのみならず、それが自嘲的な笑いに繋がっているんでしょうか。自嘲や皮肉は笑えますね。そのあたりは今後ちょっと分析したいところです。


このあいだ私が買った『ライフ・アクアティック』のDVDの冒頭に、この映画の宣伝が入っていて、私は以前からこの作品の評判を聞いていたこともあり、映像も面白そうなので観たいなーと思っていたら、一緒に『ライフ~』を観ていたK氏がDVDを買ってきてくれました。

さきほども述べましたように、実に英国的な笑いが満載の愉快な作品でしたが、細かいところで不明な箇所がいくつかあったので、やはりここは原作を読まねばなりますまい。でも、あまり深いことを考えなくても十分に面白い映画でした。

何と言っても、《鬱なロボット》マーヴィンのキャラクターが最高です(声をアラン・リックマンがやっているらしい。いいなあ…)。もう、マーヴィンのそのフォルムからして鬱であります。悲しげ過ぎますよ、顔が。猫背に加えて肩も下がっちゃってるし。ぷぷ。すごいデザインです。
宇宙船のメイン・コンピュータが反対に陽気過ぎるのがまたウケる。面白いなあ。
宇宙の究極の答えを弾き出したスーパーコンピュータのデザインもすごく可愛い。頬杖をついたオオサンショウウオみたいで。


そもそも冒頭のイルカの歌からして面白い。

♪ さよなら 魚をありがとう ♪

ああ、イルカっぽい! わかる、わかる! 言いそう~。
『銀河ヒッチハイク・ガイド』の裏表紙には“慌てるな!”と書いてある…というところにも大ウケです。このあたりが「やっぱ英国」だと思いました。何をもって「やっぱ英国」なのかは説明できませんが、なんだか「やっぱ英国」…なんですねえ。面白いわ。


物語は、笑えるだけではなく、ちゃんと見どころも作ってあって、やはり一番の注目点は地球誕生の秘密が分かる場面でしょうか。あそこは壮大に美しく作ってあって、とても感動的です(やはり少し笑えるところもあるけれど)。

やっぱ原作を読もうっと。
続きも気になるし!
「42」には結論が付くんですかね? 気になる~~。


ところで、バベル魚が欲しい。可愛い。しかも便利。
耳から脳内に侵入してあらゆる言語を翻訳する性質があるんだそうです。いいなー、これは欲しい!