goo blog サービス終了のお知らせ 

半透明記録

もやもや日記

お知らせ

『ツルバミ』YUKIDOKE vol.2 始めました /【詳しくはこちらからどうぞ!】→→*『ツルバミ』参加者募集のお知らせ(9/13) / *業務連絡用 掲示板をつくりました(9/21)→→ yukidoke_BBS/

『STAR TREK DEEP SPACE NINE』のこと

2009年02月09日 | 映像


《ストーリー》 Wikipedia より

時は24世紀、惑星ベイジョーは隣接するカーデシア連邦から独立を勝ち取り、惑星連邦の保護統治下に入った。惑星ベイジョーの衛星軌道上に浮かぶカーデシアの鉱石加工宇宙ステーション「テロック・ノール」は、ベイジョー臨時政府の依頼により惑星連邦とベイジョーとの共同管理となり、「ディープ・スペース・ナイン」(DS9) と改称された。このDS9に司令官として赴任してきたベンジャミン・シスコ中佐の指揮の下、DS9はさまざまな難事件や戦闘に巻き込まれてゆく。
特に、ベイジョー近傍の小惑星帯にガンマ宇宙域へ通じる恒常的なワームホール(ベイジョー・ワームホール)が発見されたことにより、辺境の防衛基地に過ぎなかったDS9が一躍、銀河系の十字路の中心に位置することになったところから、物語は大きく転がり始める。特にシリーズ後半で描かれる、ワームホールの向こう側から現れた勢力「ドミニオン」との全面戦争では、実写に匹敵するCGを駆使した、テレビドラマ史上最大の宇宙艦隊戦が見ものである。



数ある STAR TREK シリーズの中でも、私が最も好きなのは第3作の 『DEEP SPACE NINE』であります。初代の『宇宙大作戦』はまだあまりみたことがないので、なんとも言えません。映画版ならいくつか観たのですが、テンションが高く、明るい冒険ものといった感じで楽しめそうです。カークやスポックは有名ですよね。
次の『新スタートレック』はすごく面白いです。ピカード艦長はじめ魅力あるキャラクターが目白押しで、愉快な冒険ものから悲しい物語まで幅広く、どのエピソードをとってみても楽しいです。一番人気があるキャラクターはやはりアンドロイドのデータですかね。データがらみの話はどれもこれも面白いですよね。私はカウンセラーのトロイが一番好きですが(超絶美女だから)、いつも敵に捕まって拷問を受けてしまうピカード艦長もはずせません。Qという特異な存在が登場するのも新スタートレックが最初なんでしょうか。あ、いかん、久しぶりに観たくなってきた。「夢」の話とかすごく面白いんですよね。

さて、これらに続くのが第3作『STAR TREK DEEP SPACE NINE』(以下DS9)です。このシリーズは、とにかく第1話から恐ろしく暗い! 前作『新スタートレック』の艦長ピカードがいきなり憎まれての登場です。DS9というのは惑星連邦の基地の名称で、ここの司令官として赴任してきたのがシスコ中佐(のちに大佐)です。彼はかつて妻をピカードがらみの戦闘の巻き添えで失ったため、ピカードに対して思うところがあるんですね。このシスコ司令官という人の頑さ、生真面目さ、暗さ、などなどのとっつきにくい性格が、ひょっとしたらDS9へのとっつきにくさにそのまま反映されているのかもしれません。ほかに比べてDS9はあまり人気がないような気がします。しかし私はそこが好きなのですが。
ちなみにDS9においても、魅力的な登場人物はたくさんいます。私が一番好きなのは科学士官ジャッジア・ダックス(やはり超絶美女)、共生生物ダックスの8番目のホスト。7番目のホストであったクルゾンはシスコの友人だったので、シスコはいまだにジャッジアのことを「おやじさん」と呼ぶのですね。美女なのにかなり豪快おちゃめな性格でたまりません。それから、バー店主のクワークも外せませんね。金に汚いフェレンギ人でわりかし誰からも嫌われ疎まれていますが、基本的には他のキャラクターよりも数段いい奴なのが笑えます。ベイジョー人のキラ少佐もいいですね。ぶち切れて冷酷極まりない時のキラは輝いています。

前置きが長くなりましたが、DS9です。私は第4シーズンあたりまでは、昔契約していたCSのスーパーチャンネルで放送されていた当時、なぜか第4シーズンまでを繰り返し繰り返し何度もやっていたので(本国での進行具合の関係もあってか、それ以上進まなかった!)3回ずつくらい観たと思います。そのせいでなおさら愛着が深まったのかもしれません。そして、ようやく第5シーズンに突入しましたが、シーズンは7までで終わりなので、愛するすべての物語においてその終わりに耐えられない私は、第6シーズンのはじめの方で中断しました。だって、終わってしまうなんて悲しすぎますもの!(それと、ほかにも観たくない理由はありました。K氏がぽろっとネタバレしやがったものですから…記憶が消えるまで観たくなかった)

しかし、いつまでもそんなことも言ってられないので、私は最近ようやく第6シーズンから再開しました。DS9のストーリーについては一言ではとても申せませんが、見どころは惑星連邦とドミニオンとの壮絶な宇宙戦争の描写でしょうか。ワームホールが近くに見つかったために一躍注目された辺境ベイジョー、それを支配しようとする隣接カーデシア連邦、独立を果たしたベイジョーを保護する惑星連邦、ワームホールの向こう側ガンマ宇宙域からあらわれたドミニオンという巨大勢力、など多くの種族や勢力が複雑に関係し合って、果ては全面戦争に発展します。
何が面白いと言って、ここでは「なぜ人は争い、憎み続けなければならないのか、正義とは、悪とは何か」というテーマについて、ひたすら深く、深く考えようとされているのです。製作スタッフの真剣さには打たれます。もちろん、そういう深刻なストーリーの合間には、胸が躍るような冒険や、不思議で奇妙、あるいはユーモラスな物語も多く盛り込まれています。名エピソードはたくさんあります。「父と子」とか「あの頂を目指せ」とか(レンタル屋さんで見かけたDS9傑作集にも入ってました)。


私はついに第6シーズンの「ワルツ」というエピソードまで辿り着きました。このエピソードには、色々と考えされられる点が多くあります。前述したように「なぜ人は争い、憎み続けなければならないのか、正義とは、悪とは何か」ということを強く訴えてきます。
このエピソードの登場人物は主にふたり。シスコ司令官とカーデシアのガル・デュカット。シスコはDS9の司令官、デュカットはテロック・ノール(現DS9のカーデシア時代の名称)の司令官、と同じ基地の責任者という因縁の関係です。

以下、詳しい状況説明なしで「ワルツ」について私が思ったことをとりあえずメモ書きしようと思いますが、DS9もいよいよ佳境にさしかかってきたなと感じます。

反目しあうシスコとデュカットですが、私はデュカットという引き裂かれた心を持つ人物が気の毒でならない。同時に、デュカットの過ちを決して許さず、さらに糾弾し、完全悪と認定するシスコの頑さには違和感を覚えます。デュカットは色々あったので打ちのめされて心を病んでいるのに、それでも本心からベイジョーを滅ぼすことを願っていると言えるのでしょうか。彼は本当にシスコの言うような「悪」なんだろうか。これまではデュカットの意外に優しく脆い面を描いてきたシリーズも、やはり最終的には善悪の二元論で片付けられようとしているのだろうか。そんな不安がよぎります。

しかし、まだエピソードは続きます。どんな結末を迎えるのか、たぶん私の予想どおりにはならないと思います。シスコは頑なではありますが、いつも心の底では悩んでいます。第5シーズンと第6シーズンを跨いで繰り広げられた惑星連邦とドミニオンとの戦いの途中、シスコのもとへ父親から通信が入るのですが、そこで父親がシスコに「でも、お前の言う通りなら、宇宙は広大で、誰も争わずに平和に暮らしていけるだけの広さがあるんじゃないのかい?」と訊きます。それに対してシスコは「………私にもよく分からないんだ」と答えるのでした。だから私はこの人に期待せずにはいられません。


続きが気になる。けど、全部観てしまうのはやっぱり寂しいんだなあ。
それにしても、DVD BOX が欲しい。宝くじに当たったら、とずっと前から思ってるんですけど、当たらないんだな、これが………。



最近観た映画

2009年02月08日 | 映像





『暗殺者のメロディ』


「暗殺の○○」というタイトルがけっこう多くて、どれがどれだか分からなくなっていますが、これはメキシコに亡命したトロツキーがある青年によって暗殺された史実を、フィクションを交えて映像化したもの。暗殺者の青年をアラン・ドロンが演じています。

アラン・ドロンの立ち姿が半端なく美しいということを改めて確認できました。普通の人とは全然違います。しかし、今回の役柄は、暗殺という大胆な犯行に及ぶものの、内面はあまりにナイーブで情けなささえ感じさせる若者。美男の情けなさっぷりは見ていられないほどです。あんなハンサムなのに……。

しかし、ドラマとしては結構面白く、トロツキーが暗殺されるまさにその瞬間は、かなりショッキングに描かれていました。当時の社会情勢を知っていたら、なお理解できたと思います。
面白かった。




『デューン 砂の惑星』

ずっと観てみたかったのをようやく観ました。
しかし、どうやら私が観たのは「劇場公開版」というやつらしく、物語の展開が早かったり強引すぎたりして、ところどころで「???」となってしまった。ただ、デヴィット・リンチ監督にしては、内容がすごく良く分かりました。適度に幻想的で、その幻想のイメージの美しさやグロテスクさが流石という感じ。美術設定や衣装設定が素晴らしく、ほんのちょっとした場面が異常に美しかったりしました。デューンに暮らす人々が、恐ろしく青く輝く瞳を持っているというのは有名ですよね。

完全版があるなら、もう一度観たいものです。登場人物の詳しい相関関係がいまいち分からなかった上に、ラストで唐突に登場した人などもいて、なんだか集中できなかった。どうやら原作があるらしいので、そちらを読んでみると面白そうかもしれません。映像化不可能と言われていたらしいので、壮大な物語であることを期待しています。なんか最近、SFが読みたくて。



『ナショナル・トレジャー』

2008年11月09日 | 映像
監督:ジョン・タートルトーブ
製作:ジェリー・ブラッカイマー/ジョン・タートルトーブ
脚本:コーマック・ウィバーリー/マリアンヌ・ウィバーリー/ジム・カウフ
出演者:ニコラス・ケイジ/ダイアン・クルーガー/ハーヴェイ・カイテル
 ブエナビスタ/2004年アメリカ

《あらすじ》
ベン・ゲイツの一族は代々ある秘宝を追ってきた。しかしその宝の在り処を突き止めることができずにいた。
ベンの代になって、富豪の冒険家イアン・ハウの出資により、最初の手がかりである海泡石のパイプを発見し、財宝が「アメリカ独立宣言書」と関わっていることが判明するも、「宣言書」を盗むことも辞さないというイアンとベンは対立する。
一人の人間が手にするには、たとえそれが王であっても、大きすぎるという莫大な財宝を追って、抜きつ抜かれつの謎解きが始まる。



さっきツタヤでレンタルしたのをさっそく視聴。
実は、前からレンタルDVDの始めの方に執拗にこの映画の宣伝が入れられていて、その安そうなつくりに少々呆れていたので、K氏が「これ借りようかな」と言った時にはビビリました。マジすか。どうしちゃったのですか。
でも、結局のところ、スミマセン、私が間違っておりました。意外と面白かった! 期待値が低かっただけに、一層。

まず、ニコラス・ケイジの「ほえー」っとした顔にウケるところから始まって(←ちなみにこれはとりあえず私のデフォルト。ニコラス・ケイジ、いい役者さんだけど顔が面白すぎる。『フェイス・オフ』でこのニコラスさんをめちゃくちゃ格好良く撮ることに成功したジョン・ウーはほんとに天才だと思った)、開始10分のところでいきなりお宝らしきものが発見されてしまうのに驚きます。強引すぎるまさかの超展開。え、話がもう終わっちゃうじゃないか、と思っていたら、まあまあ、そこからです。これはヒントの始まりに過ぎなかった。謎が謎を呼び、少しずつ明らかにされる秘密。ロマン! わ~!

全体的に派手なアクションもないし、場所も特に移動せず近場をうろうろするだけだし、金を使わずひたすら地味に作ってある印象ですが、脚本はその分力が入っていたと感じます。2時間ほどの映画ですが、お話はなかなかよくまとまっていました。変に気取ったところもないし、ほとんど人も死なないし、エンタメ冒険ものとしては良い出来ではないでしょうか。
また、途中で登場するFBIの捜査官にハーベイ・カイテルなんかが出てきて、「え、ちょっとこんな映画に何、ハーベイさんとか無駄に出してるの??」とか思っちゃってましたが、主役脇役を含めてこの映画のキャラクター設定もまた、王道ながらもバランスよく魅力的でもありました。いやー、あなどってた! 舐めてて悪かった! 突っ込みどころが満載ではあるけれど、話のオチもまあ良かったし!

それにしても、敵役のイアンが可哀相過ぎ; やり方は強引だけど、彼はそんな悪いやつじゃないだろーに。そもそも、ベンとイアンは「独立宣言書」を盗むかどうかで仲間割したのに、結局ベンは「じゃあ、俺が『保護』のために先に盗む」とか言い出すし……エエ~ッ!? 意味わかんねー! いや、まあ欲深いのもほどほどに、ということなんだろうけど、うーむ、なんだかなあ。

そんな突っ込みどころがあったとしても、基本的にお宝ハンターものは面白いです。なんだかんだで私はそういうのが好きですね。宝を探すっていうだけですでに面白い。で、ヒロインには強欲で頭の切れる美女、これに限ります。今回のヒロイン=アビゲイルもなかなかのやり手で魅力が溢れていました。ああいうサバサバ系で常にうまく立ち回り最後は良いところを総取り、みたいな剛腕美女っていいですね。気が強いところがまた…たまらん。


というわけで、かなりバカにしていたわりに、結構面白かった。一緒に2も借りてくれば良かったね…とか言ってしまうほどでした。いやはや。



『カプリコン・1』

2008年09月21日 | 映像
Capricorn One
監督 ピーター・ハイアムズ
脚本 ピーター・ハイアムズ(原作)
出演者 エリオット・グールド
音楽 ジェリー・ゴールドスミス
撮影 ビル・バトラー
編集 ジェームス・ミッチェル
1977年 129分 アメリカ・イギリス

《あらすじ》
人類初の有人火星探査宇宙船カプリコン1号が打ち上げられるほんの数分前、突如クルーの3人は船内から連れ出され、砂漠の真ん中の無人の基地へと連行される。そして、無人のまま発射されたカプリコン1が果たすはずだった火星着陸という任務を、3人は地上で捏造するように強いられる。
およそ半年におよぶ捏造計画はほぼ成功するかに見えたが……巨大な国家計画に関わる人々の威信や陰謀、それによる犠牲などを描くサスペンスドラマ。




かなり面白かったです。あのバッサリ感! 昔の映画はほんとうにつくりが骨太でいいですね。じっくり考えるとアレ?アレ?という疑問はわいてきますが、全編を通して細かいことを気にさせない勢い、テーマだけに集中させる勢いがあります。面白かった。

しかし、まあよくもアメリカでこんな映画が作れましたね。ガッツがありますね、この人たち。「火星着陸のシーンが実は地球上で撮影されたものだった」というところなどは、「アポロ計画で人類が月面着陸したのは実はスタジオ撮影だった」とまことしやかに囁かれているのを思い出しました。ひょっとすると元ネタはこの映画だったのでしょうか。それとも、そういう疑惑は昔からあって、こういう映画になったのでしょうか。面白いですね。

さて、火星探査船などが出てくるあたりはSF風味がありますが、実際には国家の巨大プロジェクト遂行をめぐる陰謀やそれに巻き込まれて犠牲になる人々などを描いたサスペンスに仕上がっています。
最初は腑抜けだと思われていた記者が、命を狙われながらも徐々に真相に近付いていくあたりがハラハラします。

衝撃的だった場面としては、結末。えっ!? まさか、ここで終わるの!? (/o\;)プギャー!! というところでバッサリ終了。びびった。余韻とか一切なし。ある意味すがすがしいですが、結局どうなったのかあれこれと気になる感じです。

衝撃だった人物としては、農薬散布会社のじーさん。小型飛行機の超絶操縦テクを披露してくれました。がめつい性格もいい。チョイ役なのに、かなり強烈でした。こういう細かい面白さがあちらこちらにあって、結構楽しめる映画でしたね。





『GATTACA』

2008年08月30日 | 映像
監督:アンドリュー・ニコル
製作:ダニー・デヴィート/マイケル・シャンバーグ/ステイシー・シェール
脚本:アンドリュー・ニコル
出演者:イーサン・ホーク/ユマ・サーマン/ジュード・ロウ
音楽:マイケル・ナイマン
1997年/101分/アメリカ

《あらすじ》
そう遠くない未来。遺伝子操作により生み出される優れた知能と体力を持った適正者とそうではない不適正者とが存在する差別的な社会が出来上がっていた。
遺伝子操作を受けずに生まれ、心臓に欠陥を持ち、不適正者として生きざるを得ないヴィンセントが、適正者のみに許された宇宙飛行士になることを夢見て、遺伝子の申し子と呼ばれるほどの適正者 ジェローム・モローという男になりすまし、宇宙を目指す。

《この一言》
“あの時と同じだ

 戻ることを考えずに
 全力で泳いだ   ”




観るのは一体何度目か。記事を書くのは2度目です。前の記事を読み返していないので、ひょっとしたら全く同じことを書いているかもしれません。

さて、私はどちらかと言うと涙もろい質ですから、見え見えの演出なんかにもコロっと泣かされたりもするわけです。しかし、この映画は本物ですよ。ここにあるメッセージの純度はあまりにも高いのです。あまりに美しいので、作られたものだということを忘れる。ただの物語だということは忘れてしまう。いや、ただの物語なんてどこにもないのだけれど。無数の物語のなかでも、これはとびきり素敵だ。

もうこれまでに何度見直したか覚えていません。ですが、最初に観た時のことはまだ覚えています。10年ほど前でした。恵比寿の劇場だったのではなかったでしょうか。隣にはK氏が居ました。限りなく美しい2時間足らずの時間を過ごした後、私はあの時もやはり大量の涙と鼻水を垂らしていましたが、隣のK氏は顔を上げることも出来ぬほどに号泣していたのを覚えています。二人とも大泣きして、上映終了後もしばらく劇場を出ることが出来ませんでした。しかしあの時、あまりのことに震えて、席を立つことが出来なかったのは、我々だけではありますまい。そして、今日観ても、やはりそれは同じことです。

とにかく、どこをとっても完璧に美しい。映像も、人物も、物語も、音楽も。私などは、始まって最初にテーマ曲が流れるだけで既に泣きそうです。海で兄弟が競争する場面が何度かあるのですが、そこもかなりやばいです。何回観てもダメです。そしてあの結末。分かっていても、いまだに嗚咽してしまう。た、たすけて……!

私たちを震わせる、この映画に込められたメッセージとは何か。それは、

 自分の可能性を 他人に決めさせるな

ということでしょう。ヴィンセントは、全ての人が彼に対して「不可能だ」と宣告し続けたにもかかわらず、夢を諦めません。映画の冒頭では殺人なんかも起こるのですが、サスペンスであるというよりは、かなりはっきりと根性ものなんですね、これは。あまりにもストレートな根性物語。でも暑苦しくはない。

「お前には不可能だ」「不可能だ」「不可能だ」。
押し潰されていても、空の彼方へ向かうロケットを見上げるヴィンセント。彼にはハンデがありましたが、心は決して折れません。ヴィンセントに肉体と名前を提供したジェロームとの対比が印象的です。
ジェロームは遺伝的には完璧な肉体と知能を持ち、水泳界のスーパースターでしたが、事故で足を不自由にします。望めば何にでもなることができるジェロームですが、あることがきっかけで、心に大きな空洞を作ってしまったようです。それを、ヴィンセントが埋めることになります。しかし結末は悲しすぎる。分かるような気もするけど、分かりたくない。

うーむ。内容をちょっと書いたくらいでは、この映画の魅力はきっと伝わらないですね。静かな美しい映像や音楽まで伝えることは、私の文章では出来ないし。でも、いつかはこの映画の素晴らしさを伝えられるものが書きたいものです。それまでは、何度だって観なくては。そもそも私はまだ観足りてないような気がするし、言い足りない。

 遺伝的要素によってその人の人生のすべてを決定することは出来ない。
 肉体の不足を補ってあまりある精神の前に、人は可能性を広げられるはずだ。

実際ある程度この通りの物語だとも思うのですが、なにかまだあるような気がする。私を打ちのめす、これほどまでに私を打ちのめすためには、まだ何かあるはずだと思います。でも、それが何なのかまだ分かりません。

というわけで、続きはまた今度観た時に、もっとうまく書けるといいなあ。



『去年マリエンバートで』

2008年08月22日 | 映像
L'Année dernière à Marienbad

監督:アラン・レネ
製作:ピエール・クーロー/レイモン・フロマン
脚本:アラン・ロブ=グリエ
出演者:デルフィーヌ・セイリグ
音楽:フランシス・セイリグ
撮影:サッシャ・ヴィエルニ
編集:アンリ・コルピ/ジャスミーヌ・シャスネ

1961年/94分/フランス・イタリア



《この一文》
“最初はそこで迷うことはあり得ないと思えた
 最初は……
 直角の小径に沿い 石像と敷石の間で
 迷うことはないと思った

 そこへ今あなたは来ていて
 永久に自分を見失いつつあった
 静かな夜のなかで
 僕とただふたりきりで          ”




私は、今度生まれ変わるとしたら、ペンギンになって弾丸のように海を飛んでゆくつもりだったのですが、それもいいけれど、その後か、あるいはその前にでもいい、私は今度生まれ変わるとしたら、この映画の中に生きたい。そして永久にこの不思議な建物のなかを彷徨い続けたい。



つまり、何がどういうことなのか、どうもよく分からない映画です。いや、分かりそうなのだけれども、はっきりとは分からない。分かるのは、ただこれが完全に美しいということだけです。

男がいて、ゴシック風のホテルのなかを彷徨っている。ずいぶんと長いこと、同じ廊下を、同じ壁の間を歩いているらしい。
そして、女がいる。彼女は夫とともにホテルへ来ていたが、あるとき女は男と出会いロマンスが始まったらしい。しかし、今また男と出会っても、彼女は彼を認めようとしない。
「わたしを待っていましたね」という男の問いに、彼女はこたえない。


それにしても、なんという美しさだろうか。なにもかもがあまりに美しいので、私などは途中で何度も卒倒するのではないかと思われました。特に、あのすべてが白くなっていくあたりなど、とても耐えられそうにありませんでした。

場合によっては眠気を催すような、静かな、不可思議な、絵のような映画です。しかし、繰り返す男の声が、オルガンの暗い響きが、白と黒が、わずかに動きながら止まっている人々が、女の沈黙が、しかし私を激しく圧倒しました。なにもかもがあまりに美しいので、私はすべてを失って、この中へ深く入り込み、もっと深く入り込んでいきたいと思いました。


私は今度生まれ変わるとしたら、この映画の中に生きたい。そしてこの美しく不思議に閉じた世界を彷徨い続けたい。永久に自分を見失って、静かな夜のなかで……。



おすすめフラッシュゲーム

2008年08月03日 | 映像

「QUESTIONAUT」
Amanita Design



チェコのアーティスト「Amanita Design」のサイトに新作が増えていました。この人たちの作るアニメーションやゲームは、実に幻想的で美しく、しかもとても楽しいので、私のお気に入り中のお気に入り。特にゲームが好きです。キャラクターが可愛いのと、色々な物をクリックすることでゲームが進行するというシンプルなつくりも最高です。

すでにプレイした「SAMOROST 1&2」に続き、今回掲載されていたのはイギリスBBCのために作られたらしい新作「QUESTIONAUT」というゲームでした。
主人公は、空の彼方へ飛んでいってしまった帽子を取り戻すため、気球に乗ってどんどんと上昇してゆくのですが、そのために必要な空気を、行く先々で補給しなければなりません。
主人公が降り立つことになる不思議な場所には、それぞれ質問者がいて、その質問に1問正解するごとに1回空気を補給してもらえます。不正解だと既にもらった空気を1回分取り上げられてしまうあたりが結構シビア。


全8ステージが用意されています。質問はそれぞれ、文章に関する問題、理科、算数、などなど。難しい内容ではありませんが、なにせ全文英語なものですから、私などは情けないことに躓きまくりでした。わー、これは恥ずかしい。長年の英語教育の成果はきれいさっぱり失われてしまっているらしいことが確認されました。算数と理科は読めなくても、まあ分かるのだけど……。


それよりもまず、質問にたどり着くまでのゲーム部分が意外と難しいです。あっちを押したりこっちを押したりしながら、謎を解き、質問者をステージに呼び出さなくてはならないのです。これがでも、とても楽しい。そして、各ステージのデザインが素晴らしく綺麗。私は最終ステージ見たさに、根性で英文を乗り切りました。やったー、ばんざい!

というわけで、おすすめです。
アニメーションとしても、ゲームとしても、実によく出来ています。すごいなあ。



最近観た映画

2008年07月15日 | 映像





『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』

『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』

三部作の1作目を観たのが東京にいたころですから、少なくとも5年以上前? 原作は2度ばかし通して読んでいるのですが、今回映画を観た限りでは、ほどよく忘れてますね……。でも、要所要所は記憶があって、覚えているところに限っては原作に忠実に作ってある映画だなーと感心してしまいました。とにかく、長かった……!




『ボーン・アルティメイタム』

こちらはシリーズ3作目。うーむ、例によって面白い。このハラハラ感! このハラハラ感!
というより、このシリーズの主な要素って「ハラハラ感」なのでしょうかね。とにかく追っかけっこが立て続けに、ひたすらに続くので、ハラハラしっぱなしです。気のせいか、CIAの人たちが間抜けすぎるようにも思えますが、まあそれは置いといて。まさかマット・デイモンがこんな格好いい孤独なヒーローを演じるとはなあ。意外なはまり役だったなあ。うむうむ。
それにしても今時めずらしいくらいに見応えのある映画。面白ーい!!




『イベント16』

ニュージーランドを舞台にしたSF。久しぶりに壮絶なものを観てしまったな……という感じです。
「え? これ、どこかの学生の卒業制作映画とか??」と思わず、これをツタヤで借りてきたK氏に尋ねてしまいました。なんとも壮絶。よく我慢して最後まで観たな、えらいな私。
やりたいことは分かりましたが、話がさっぱり分からない修行にもってこいの映画でした。

ちなみにK氏は、「パッケージに騙されて借りてしまった。こんなことなら『スタートレック』を借りてくるんだった!!」と嘆いていました。まったくもって同感ですわ。




『地獄の黙示録』

2008年04月28日 | 映像
監督:フランシス・F・コッポラ
出演:マーロン・ブランド/マーティン・シーン他

1979年 アメリカ


《あらすじ》
1960年代末のヴェトナム。ウィラード大尉は、ジョングルの奥地で王国を築いたとされるカーツ大佐を暗殺する命令を受け、ナング河を溯っていく。その過程でウィラードが遭遇するさまざまな戦争の狂気。

《この一言》
“ 欺瞞だ  ”



有名すぎるこの映画を、私はまだ観たことがなかったのですが、ようやく観ました。すごく長かったので、多分「完全版」の方を観たのかと思われます。疲れた…。

で、どうだったかと言うと……うーむ。とにかく憂鬱です。ただ、内容の恐ろしさから連想していたような直接的な残虐描写はあまり見られず、どちらかと言えば幻想的とさえ言えるような狂気の世界が、これまた憂鬱なことに美しいとしか言えない映像で表現されていました。
特に、序盤でワーグナーの大音量の中をヘリコプターが隊列を組んでやってくる場面や、終盤でウィラード大尉が水の中から静かに頭を出す場面などは、観ていない人にも知られているほどに有名なだけあって圧巻です。フランス人の館も美しかった。
しかし、どの場面を取っても、狂気が渦巻いているようで、私はめまいがするようです。しまいには、狂気とは何だろうか、正常とはどういうことだったろうか、という手に負えない疑問に襲われてしまいます。

ひとつ感じたことには、この映画は、観客が登場人物に感情移入することをあまり許してくれない作品なのではないかということです。誰の立場にも、ある程度は理解を示すことはできるけれど、どこかで突き放されてしまう。主人公のウィラードにしても、最初からちょっとおかしな人物だったのですが、中盤はわりと分かりかけた気がしたのに、最後にはやっぱり分かりませんでした。
誰も彼もが少し(あるいはすごく)おかしい。
その状況に置かれなければ分からない、と言ってしまえばそれまでですが、登場する誰ひとりとしてその心を理解できないとすれば、おかしいのは私も同じではないだろうかと思えてきて仕方がありません。これは何か危険な臭いがする。もうやめておこう。


ここからはネタバレ注意!

観終えて、K氏が鋭いことを言っていたので書き留めておきましょう。

陽気なサーファーのランスが最後まで生き延びたのは、彼だけが「欺瞞」に侵されていなかったからではないか。途中からの彼はただ欲望の赴くままに行動しており、その精神は何ものにも引き裂かれていなかった。だからカーツは彼には構わなかったし、最後の地から生き延びることができた。

なるほど、そうかもしれません。ランスの中には暴力と慈愛が、なんの矛盾もなく同居しているように見えました。彼が恐怖心を表さなくなったのには、なにかそういうことも関係しているのでしょうか。


とにかく、色々な意味でヘトヘトになった1本。



季節が君だけを

2008年04月25日 | 映像

さいきん、今さらながら BOOWY にはまってます。前から好きだったけど、やっぱ格好いい。名曲が多すぎます。

5歳上の姉の影響で、私は10歳くらいから BOOWY を聴いていたでしょうか。YouTube にアップされているライブ映像を探して見ていると、そのころに青春を送った人々のその青春のありさまを想像しては、もしタイムマシンがあったならどうにかこのライブ会場に潜り込みたいと願ってしまいます。ものすごい熱狂なのです。楽しそう~。うらやましい~。乾いた消極の90年代少年少女だった私にはその本当のところを知ることができない時代です。

で、私が最も好きなのは、やっぱ「B・BLUE」。それから「Dreamin'」もやばい。やばすぎる。あとは「わがままジュリエット」とか。「HONKEY TONKEY CRAZY」の躍動感も最高です。ああ~。他にも「Only You」とか、「No New York」とか数えきれないですね。どれもこれもメロディーが信じられないくらいに格好いい。布袋さんって凄い人ですね。間奏がスッゲー!んですの。超いかす!

そんなわけで、10歳からの刷り込みの影響力を32になってもいまだ大きく感じているわけですが、それにしてもやはり BOOWY というのは何か伝説的なエネルギーを放ったバンドだったのはたしかではないでしょうか。YouTube で発見した動画の中には特に素晴らしいものがあって、私は不覚にも涙をこぼしてしまいました。ええまあ、私はセンチメンタルな人間です。

というわけで、「季節が君だけを変える」のPV。
画面に映し出されるのは、多くの10代の若者たち。あの時代にも少年少女たちはそれぞれの痛々しさをふりまきながら、しかし必死に時代に追いすがろうとしていたのだろう。まっすぐに何かを貫こうとする(と同時にどこか脅えたような)眼差しは、あれから20年の間に何を映し出しただろうか。あれから20年の季節は君だけを変える。




  ココカラ ↓↓↓↓↓
(YouTube : BOOWY 「季節が君だけを変える」