今日はなんと言っても、王JAPANが奇跡のWBC(ワールド・ベースボール・クラッシック)で初代チャンピオンに輝きました。
午前中からテレビに釘付けになって観ていましたが、序盤日本が点数を重ねたので終盤までは結構冷静に観ていたのですが、さすが野球王国キューバの猛攻撃で8回裏に1点差になったときには手に汗握るものがありました。
しかし、やはりここでも打ってくれたのが、韓国戦のヒーローの福留選手で、これで“勝った”と思いました。(私の中でMVPは、福留です)
今まで冷静沈着なイチローしか見たことがなかったのですが、にんげんイチローの熱い想いに触れることができたのも胸が熱くなりました。
3年後のこの大会が楽しみです。
王JAPANバンザイ!おかげさまでおいしいお酒が飲めました。
王JPANの勝利の瞬間(TVの画像) 空振り三振!
おめでとう王JAPAN
“ティファニー”がデザインした純銀製の優勝カップ
ところで今日の本当の話題は、東北有数の屋内競技場と親しまれてきた『宮城県スポーツセンター』が、老築化に伴い今月で閉館することです。
『スポーツセンター』は、東京オリンピックのあった昭和39年に開館しており、東京オリンピックの体操の女王の“チャスラフスカ”がオリンピック後に仙台で競技をしています。
私にとっては、『スポーツセンター』は小学校に上がった頃からあったので、この場所で初めて見たものが沢山ありました。
弓道、プロレス、女子プロレス、小人プロレス、大相撲、女子バレー、女子体操そしてボリショイサーカスなどすごく思い出深いものがあります。
東京オリンピックの行われた代々木の体育館にも負けないくらい、当時としては建造物としてもユニークだった気がします。
屋根の曲線や外壁に使われた自然石などは仙台のみならず東北に同じ感じの建物はなかったと思われます。
閉館するということで、記念見学会に行って来ましたが、競技する会場は今となると狭い感じがしますが、当時、大相撲仙台準場所で“輪島”を見たときは、会場が凄く広いと感じましたが・・・。
プロレスでは、カワズ掛をした“ジャイアント馬場”選手のでかさと、確か試合で“大木金太郎”が耳をもぎ取られた記憶があります。
会場には、『スポーツセンター』で競技したプロスポーツ選手や五輪メダリストのサイン色紙や写真などを展示してありました。
東北大の記念講堂から撮った写真を載せましたが、小さいときから東北大の記念講堂から見る仙台の街が好きで、眼下にはいつも『スポーツセンター』がありました。
今回、閉館記念に平成6年に発刊された【光る汗 よみがえる感動】と題された創立30周年記念誌を頂いてきました。
『宮城県スポーツセンター』に今までご苦労様そしていろいろな思い出のシーンを有り難うという思いを込めて会場を後にしました。
小さい頃から見慣れた建物がひとつの役目を終えてお別れするというのは、何とも言えない寂しさがありますね。
東北大の記念講堂から見た『宮城県スポーツセンター』
昭和42年から昭和63年までこの会場で毎年夏に行われた仙台準場所の名札
開館記念に五輪直前に書いた塩釜市出身の柔道の神永選手のサイン
東京オリンピックの懐かしいポスター(これを見るとマラソンの円谷頑張れ!を思い出します)
『宮城県スポーツセンター』の外壁(記念にこの石1個欲しいですね)
午前中からテレビに釘付けになって観ていましたが、序盤日本が点数を重ねたので終盤までは結構冷静に観ていたのですが、さすが野球王国キューバの猛攻撃で8回裏に1点差になったときには手に汗握るものがありました。
しかし、やはりここでも打ってくれたのが、韓国戦のヒーローの福留選手で、これで“勝った”と思いました。(私の中でMVPは、福留です)
今まで冷静沈着なイチローしか見たことがなかったのですが、にんげんイチローの熱い想いに触れることができたのも胸が熱くなりました。
3年後のこの大会が楽しみです。
王JAPANバンザイ!おかげさまでおいしいお酒が飲めました。
王JPANの勝利の瞬間(TVの画像) 空振り三振!
おめでとう王JAPAN
“ティファニー”がデザインした純銀製の優勝カップ
ところで今日の本当の話題は、東北有数の屋内競技場と親しまれてきた『宮城県スポーツセンター』が、老築化に伴い今月で閉館することです。
『スポーツセンター』は、東京オリンピックのあった昭和39年に開館しており、東京オリンピックの体操の女王の“チャスラフスカ”がオリンピック後に仙台で競技をしています。
私にとっては、『スポーツセンター』は小学校に上がった頃からあったので、この場所で初めて見たものが沢山ありました。
弓道、プロレス、女子プロレス、小人プロレス、大相撲、女子バレー、女子体操そしてボリショイサーカスなどすごく思い出深いものがあります。
東京オリンピックの行われた代々木の体育館にも負けないくらい、当時としては建造物としてもユニークだった気がします。
屋根の曲線や外壁に使われた自然石などは仙台のみならず東北に同じ感じの建物はなかったと思われます。
閉館するということで、記念見学会に行って来ましたが、競技する会場は今となると狭い感じがしますが、当時、大相撲仙台準場所で“輪島”を見たときは、会場が凄く広いと感じましたが・・・。
プロレスでは、カワズ掛をした“ジャイアント馬場”選手のでかさと、確か試合で“大木金太郎”が耳をもぎ取られた記憶があります。
会場には、『スポーツセンター』で競技したプロスポーツ選手や五輪メダリストのサイン色紙や写真などを展示してありました。
東北大の記念講堂から撮った写真を載せましたが、小さいときから東北大の記念講堂から見る仙台の街が好きで、眼下にはいつも『スポーツセンター』がありました。
今回、閉館記念に平成6年に発刊された【光る汗 よみがえる感動】と題された創立30周年記念誌を頂いてきました。
『宮城県スポーツセンター』に今までご苦労様そしていろいろな思い出のシーンを有り難うという思いを込めて会場を後にしました。
小さい頃から見慣れた建物がひとつの役目を終えてお別れするというのは、何とも言えない寂しさがありますね。
東北大の記念講堂から見た『宮城県スポーツセンター』
昭和42年から昭和63年までこの会場で毎年夏に行われた仙台準場所の名札
開館記念に五輪直前に書いた塩釜市出身の柔道の神永選手のサイン
東京オリンピックの懐かしいポスター(これを見るとマラソンの円谷頑張れ!を思い出します)
『宮城県スポーツセンター』の外壁(記念にこの石1個欲しいですね)