昨夜の“中秋の名月” ご覧になれましたか? 皆さんいかがでしたか・・?
私共は残念ながら雲の合間からチラッと見るだけでした! チョッピリ残念でした
そんな皆さん心配なさらないでください! なぜかというと今夜も見られますよ~ん!
今夜は【スーパームーン】といって普段より大きく・明るく見えるそうです
昨日・私共のように見にくかった?見られなかった皆さん 今夜は大きなチャンスです
今夜は天気も良さそうなので是非ご覧になってくださいませ・・! 気取って言っちゃいました
東京の言葉といえば「標準語」、地方独自の表現は方言と考える人が多いのでないでしょうか?
(実は私もそう思っていました・・ハイ)
ただ、本来の標準語というのは全国で通じる規範的な言葉とされ、明治から昭和にかけて
整備されたものを指すんだそうだ。東京で話されている言葉は何というんでしょうかネ
そんな答えを求めて江戸時代からの東京の歴史を探ってみた人がいだそうです
まず向かったのは江戸東京博物館(東京・墨田)
そこの学芸員“沓沢さん”によると「江戸時代の東京は、武家が住む『山の手』と、
もう一つ、商人や職人が住む『下町』に大きく分かれていたそうだ
そもそも『江戸』と呼んだのは朱引きという幕末が定めた線の内側で、それ以外は概ね農村」
これらの地域ごとの生活様式の違いが、異なる言い回しを生んだ可能性があるという・・?
もう一つ訪れたのは国立国語研究所(東京都立川市)
地域の言葉を研究する“三井さん”は「古くからの東京の言葉は、旧江戸地域の下町言葉と
山の手言葉の2つの方言に分けられる」と“三井さん”
1889年に15区からなる東京市が成立し、主に東側の日本橋区や京橋区が下町で・・
西側の赤坂区や四谷区などが山の手の言葉を受け継いだといわれておるしうだ
山の手言葉は“ざます”などの表現を用い、江戸時代の上層武家の流れをくむ
明治時代の中流階層によって敬語の表現が発達した。
下町言葉は商人らが使い、「ひ」を発音せず「し」に変わることなどが特徴だそうです
例えば、東が「ひがし」ではなくて「しがし」となり、「べらんめえ」口調で話し方もリズミカルだ
現在でいう江戸っ子のイメージは・・下町の言葉に近いとされているようです・・。
日本橋で1857年創業の菓子店、「栄太郎総本舗」の相談役でいらっしゃる“細田さん”は
「江戸(下町)言葉で『ひ』を使わないのは、日本橋や京橋で火事が頻繁に起きたため
火を連想する『ひ』がきらわれたから」だと話してくれたそうです
江戸言葉で形容詞の前に「こ」が付く「こいき」や「こざっぱり」とう言い方は、
控えめな江戸っ子気質を映しているんだともおっしゃったそうですョ!
東京市は1932年に35区にまで拡大し、高度経済成長も経て全国から多くに人が都心部へ
都心部へと集まったそうです。 当時からもうすでにこのような現象があったの・・?
そこで様々な方言が混じり合って、山の手言葉や下町言葉という東京方言の特徴が薄まった?
「ざます」「しがし」 など
現在では東京方言を使うのは・・高齢かつ都心に古くから縁のある人のみのようです
多くは首都圏広域で通じる標準語に似た「首都圏方言」を話しているそうですよ!
親戚の“おじさん・おばさん”が住んでいる北千住などではまさしく「下町言葉」そのもの
+栃木県の南部の尻上がり話し方に方言が入り混じって特有でした。
でもそれが田舎もんの私にはピッタリでした! (田舎を思い出すには東武浅草駅でした)
今の東京は広いし、全国の人の集まる場所なので言葉・方言も様々になってます
「山の手or下町言葉」など、だんだん聞けなくなってしまうんでしょうネ 残念です
・
◆標準語は明治中期以降、山の手言葉を基に国が整備しようとしたそうです。
教科書に用いられ、言葉を統一する動きが広まった。
昭和の半ば頃には方言を重視する傾向が強まり、共通語という名称に変更されたそうです。
◆江戸の街で活躍した火消し。 め組などが有名だが、いろは組のなか使われていないものも
「へ=屁」「ら=摩羅」「ひ=火」「ん=終わり」の文字は敬遠され組が付かなかった
それぞれ組名は「百・千・万・本」に置き換わったそうです
私共は残念ながら雲の合間からチラッと見るだけでした! チョッピリ残念でした
そんな皆さん心配なさらないでください! なぜかというと今夜も見られますよ~ん!
今夜は【スーパームーン】といって普段より大きく・明るく見えるそうです
昨日・私共のように見にくかった?見られなかった皆さん 今夜は大きなチャンスです
今夜は天気も良さそうなので是非ご覧になってくださいませ・・! 気取って言っちゃいました
東京の言葉といえば「標準語」、地方独自の表現は方言と考える人が多いのでないでしょうか?
(実は私もそう思っていました・・ハイ)
ただ、本来の標準語というのは全国で通じる規範的な言葉とされ、明治から昭和にかけて
整備されたものを指すんだそうだ。東京で話されている言葉は何というんでしょうかネ
そんな答えを求めて江戸時代からの東京の歴史を探ってみた人がいだそうです
まず向かったのは江戸東京博物館(東京・墨田)
そこの学芸員“沓沢さん”によると「江戸時代の東京は、武家が住む『山の手』と、
もう一つ、商人や職人が住む『下町』に大きく分かれていたそうだ
そもそも『江戸』と呼んだのは朱引きという幕末が定めた線の内側で、それ以外は概ね農村」
これらの地域ごとの生活様式の違いが、異なる言い回しを生んだ可能性があるという・・?
もう一つ訪れたのは国立国語研究所(東京都立川市)
地域の言葉を研究する“三井さん”は「古くからの東京の言葉は、旧江戸地域の下町言葉と
山の手言葉の2つの方言に分けられる」と“三井さん”
1889年に15区からなる東京市が成立し、主に東側の日本橋区や京橋区が下町で・・
西側の赤坂区や四谷区などが山の手の言葉を受け継いだといわれておるしうだ
山の手言葉は“ざます”などの表現を用い、江戸時代の上層武家の流れをくむ
明治時代の中流階層によって敬語の表現が発達した。
下町言葉は商人らが使い、「ひ」を発音せず「し」に変わることなどが特徴だそうです
例えば、東が「ひがし」ではなくて「しがし」となり、「べらんめえ」口調で話し方もリズミカルだ
現在でいう江戸っ子のイメージは・・下町の言葉に近いとされているようです・・。
日本橋で1857年創業の菓子店、「栄太郎総本舗」の相談役でいらっしゃる“細田さん”は
「江戸(下町)言葉で『ひ』を使わないのは、日本橋や京橋で火事が頻繁に起きたため
火を連想する『ひ』がきらわれたから」だと話してくれたそうです
江戸言葉で形容詞の前に「こ」が付く「こいき」や「こざっぱり」とう言い方は、
控えめな江戸っ子気質を映しているんだともおっしゃったそうですョ!
東京市は1932年に35区にまで拡大し、高度経済成長も経て全国から多くに人が都心部へ
都心部へと集まったそうです。 当時からもうすでにこのような現象があったの・・?
そこで様々な方言が混じり合って、山の手言葉や下町言葉という東京方言の特徴が薄まった?
「ざます」「しがし」 など
現在では東京方言を使うのは・・高齢かつ都心に古くから縁のある人のみのようです
多くは首都圏広域で通じる標準語に似た「首都圏方言」を話しているそうですよ!
親戚の“おじさん・おばさん”が住んでいる北千住などではまさしく「下町言葉」そのもの
+栃木県の南部の尻上がり話し方に方言が入り混じって特有でした。
でもそれが田舎もんの私にはピッタリでした! (田舎を思い出すには東武浅草駅でした)
今の東京は広いし、全国の人の集まる場所なので言葉・方言も様々になってます
「山の手or下町言葉」など、だんだん聞けなくなってしまうんでしょうネ 残念です
・
◆標準語は明治中期以降、山の手言葉を基に国が整備しようとしたそうです。
教科書に用いられ、言葉を統一する動きが広まった。
昭和の半ば頃には方言を重視する傾向が強まり、共通語という名称に変更されたそうです。
◆江戸の街で活躍した火消し。 め組などが有名だが、いろは組のなか使われていないものも
「へ=屁」「ら=摩羅」「ひ=火」「ん=終わり」の文字は敬遠され組が付かなかった
それぞれ組名は「百・千・万・本」に置き換わったそうです