“やぁ~ 寒い!寒い!” いつになったら“暖かくなるの?” きのうも書き込んだが、気象予報士さんによれば“来週の半ば頃から暖かくなるんだとか?”
出かけるのも‘おっくう’ そのくらいだから‘菜園の作業’なんてとんでもない! まっ・・やるか!と思っても畑の中は凍っていてできる状態ではないんですがネ
そんなわけで時間があるので「言葉or表現」の練習・・??(チョッとじゃなくて・・まったく大袈裟ですよネ) 久しぶりに「練習」らしきことをしてみました。
立川談志師匠の手書きスタイル 私・練習中? 般若心經読本
幾久しく、前座見習いさんや前座さんがやる「道具屋」の一席を語ってもようと思い始めましたが、すっかり忘れてしまっていて噺になりませんでした!
もう少しすらすらとできるものでないと・・思いついたのが「恋の山手線」・「寿限無」の二席 この二席なら言葉をハッキリ使えば表現は使えてくるから・・
それでも「恋の山手線」は一応すらすらと?できました! 表現は殆んど言葉だけですから、何とかできました? (ただ、枕と途中の付け加えがダメでした)
もう一方「寿限無」は前後のもっていき方を少し忘れていました。 噺は皆さんが知って通りなので、逆に如何に表現するかが・・やはり難しかったです。
落語は聴くのは楽しいが、話す方になるととっても難しいんですョ! 簡単そうですが、落語家さんは「言葉と表現力」のプロ 改めて知らされました。
一時間くらいやりましたが、やはり長い間やっていないと、そう簡単に思い付きではできないもの! あたりまえか! できませんでした・
〔座ったついでに、今度は時折・詠んでいる「般若心經」を・・・時折詠んでもそう・・うまくはできないものです〕
・
そう言えば、最近・お偉さん方の「発言・言葉遣い」には違和感を感じるものが多く感じられてならない! なかに、新聞にもこんなコラムが載っていた。
「ええ、考えるってぇと何でございますな! やっぱり、どうしても、しょうがないもんでして な。オイ、あんまり出したり引っ込めたりは よしな!」
「夕立の祭り提灯じゃあるまいし」 これ勝手な創作だが、昭和の名人、落語の五代目“志ん生師匠”ならこんな風に嘆くだろうと・・・
軽々しく発言は何か言われると撤回する! どこなの会長や国のトップを補佐をする人。 国のお金を管理する人は、軽々と人の上げ足をとる・・など
国を代表する人でさえ、国のことより持論を強引に推し進めるのだからやむを得ないか! 従って、その人たちの非は認めず逆にかばう始末
“手を翻せば雲となり、手を覆せば雨となる”と杜甫の漢詩にある。 手の表と裏を返すように‘ひらひら’とでも?と都合の良い使い分けなんでしょうか
それにしも、こういった人たち皆さん“要職”につかれている高給取りの皆さんである。 そんな方は偉いのか?なんでも軽々しく言い放ち→→撤回
駅前の赤ちょうちんで、襟章の社章をひっくり返して飲みながら、会社の人事や上司の悪口を言うのとは違うハズだ!
何でも軽々しく言い放ってしまい、後になって指摘を受けると撤回する。 「言葉とその表現」はその人たちにとってはそんなに軽いものなの? 不思議
・
そんな時にまたも、元総理?と称する方が表現の前後はあるが『見事にひっくり返ってしまった。 あの子は、大事な時に必ず転ぶ・・・云々』
この方、2020年の東京五輪・パラリンピック組織委員長の要職の方。 その方が、頑張っている選手をこんな言い方をしていいんでしょうかネ~
この人、現役時代から失言の多い方なので何とも思っていないのかな~ 『ご迷惑をかけたのであれば、お詫びしたい』 くらいなのでは・・
モンゴルの格言に・・「放した馬は捕まえられるが、放した言葉は捕まらない」 「百歳の人はいないが、千年の言葉はある」
物に執着しない人々は、その代り言葉を大切にするという。言葉とは、心の記憶であり想念であろう!と 見習うべきでは・・・
出かけるのも‘おっくう’ そのくらいだから‘菜園の作業’なんてとんでもない! まっ・・やるか!と思っても畑の中は凍っていてできる状態ではないんですがネ
そんなわけで時間があるので「言葉or表現」の練習・・??(チョッとじゃなくて・・まったく大袈裟ですよネ) 久しぶりに「練習」らしきことをしてみました。
立川談志師匠の手書きスタイル 私・練習中? 般若心經読本
幾久しく、前座見習いさんや前座さんがやる「道具屋」の一席を語ってもようと思い始めましたが、すっかり忘れてしまっていて噺になりませんでした!
もう少しすらすらとできるものでないと・・思いついたのが「恋の山手線」・「寿限無」の二席 この二席なら言葉をハッキリ使えば表現は使えてくるから・・
それでも「恋の山手線」は一応すらすらと?できました! 表現は殆んど言葉だけですから、何とかできました? (ただ、枕と途中の付け加えがダメでした)
もう一方「寿限無」は前後のもっていき方を少し忘れていました。 噺は皆さんが知って通りなので、逆に如何に表現するかが・・やはり難しかったです。
落語は聴くのは楽しいが、話す方になるととっても難しいんですョ! 簡単そうですが、落語家さんは「言葉と表現力」のプロ 改めて知らされました。
一時間くらいやりましたが、やはり長い間やっていないと、そう簡単に思い付きではできないもの! あたりまえか! できませんでした・
〔座ったついでに、今度は時折・詠んでいる「般若心經」を・・・時折詠んでもそう・・うまくはできないものです〕
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そう言えば、最近・お偉さん方の「発言・言葉遣い」には違和感を感じるものが多く感じられてならない! なかに、新聞にもこんなコラムが載っていた。
「ええ、考えるってぇと何でございますな! やっぱり、どうしても、しょうがないもんでして な。オイ、あんまり出したり引っ込めたりは よしな!」
「夕立の祭り提灯じゃあるまいし」 これ勝手な創作だが、昭和の名人、落語の五代目“志ん生師匠”ならこんな風に嘆くだろうと・・・
軽々しく発言は何か言われると撤回する! どこなの会長や国のトップを補佐をする人。 国のお金を管理する人は、軽々と人の上げ足をとる・・など
国を代表する人でさえ、国のことより持論を強引に推し進めるのだからやむを得ないか! 従って、その人たちの非は認めず逆にかばう始末
“手を翻せば雲となり、手を覆せば雨となる”と杜甫の漢詩にある。 手の表と裏を返すように‘ひらひら’とでも?と都合の良い使い分けなんでしょうか
それにしも、こういった人たち皆さん“要職”につかれている高給取りの皆さんである。 そんな方は偉いのか?なんでも軽々しく言い放ち→→撤回
駅前の赤ちょうちんで、襟章の社章をひっくり返して飲みながら、会社の人事や上司の悪口を言うのとは違うハズだ!
何でも軽々しく言い放ってしまい、後になって指摘を受けると撤回する。 「言葉とその表現」はその人たちにとってはそんなに軽いものなの? 不思議
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そんな時にまたも、元総理?と称する方が表現の前後はあるが『見事にひっくり返ってしまった。 あの子は、大事な時に必ず転ぶ・・・云々』
この方、2020年の東京五輪・パラリンピック組織委員長の要職の方。 その方が、頑張っている選手をこんな言い方をしていいんでしょうかネ~
この人、現役時代から失言の多い方なので何とも思っていないのかな~ 『ご迷惑をかけたのであれば、お詫びしたい』 くらいなのでは・・
モンゴルの格言に・・「放した馬は捕まえられるが、放した言葉は捕まらない」 「百歳の人はいないが、千年の言葉はある」
物に執着しない人々は、その代り言葉を大切にするという。言葉とは、心の記憶であり想念であろう!と 見習うべきでは・・・