きのうはラグビートップリーグの試合を書き込みなしたが、きょうはそのもう一試合「サントリー:神戸製鋼」の試合が秩父宮ラグビー場行われます。楽しみです!
この試合もまた中継もなくジッと試合の経過をネット等で確認するだけです。 そして明日朝(日本時間)は『第48回・スーパーボール』があります
これは中継されるようで「ラグビー」にもまして楽しみです。 共に男と男の壮絶なぶつかり合い・・「ブロンコス(AFC):シーホークス(NFC)」どっちか・・?
本来ならこれに「サッカー!」といきたいのですが、昔・日本リーグ時代はよく見に行ったのですが「J・リーグ」が誕生してからは縁遠くなりました
理由はたった一つ、ファンと称する人達が大騒ぎをするからです。 試合内容より・・それ以外でただ騒ぐだけでじっくり見られないからです。
「ラグビー・フットボール・サッカー」などは、ただボールを持った人が点を取る? それだけでなく「戦略」を楽しむべきスポーツだと思うからです
ハッキリ言えば、ボールを持たない人が・・どう動くか?攻撃のプランは?逆に守りのフオーメイションは・・などと深い「読み」なども見ながら楽しむもの
そんな屁理屈を言っているからか、皆さんと同じような感覚で楽しむことができないんだと思っています。
きのうもそんな事を思いながら「ニュース番組の一部で語られるスポーツニュース」を見ていました。
あるニュースの一つの中に、私メが非常に気になるニュースが目に飛び込んできました。 あれ~?
それは名古屋“大須観音”の近くの、名古屋唯一の演芸場の「大須演芸場」が31日で終ったと・・
なんじゃ? 私は関東人ないので行った事はないが、演芸は好きなので知っている演芸場でした
落語や講談など寄席ファンの私にとっては「人形町や本牧亭」(いずれも東京)らに次いで残念な話題です
以前・・落語とは、どんな芸か。 江戸落語の華と称された“古今亭志ん朝さん”はいっていました
“暗闇の中を手探りで歩いていて、うっかり‘おなら’をしちゃったような・・、そんな芸でしょうか”と
なんとも“志ん朝師匠”らしく力の抜ける話だが、確かに落語とは“間”が勝負の頼りない芸かな?
座布団の上で、使う道具といえば「手拭いに扇子」。 それだけで江戸の町が広がりから・・・
なんとも頼りない若旦那や与太郎・横丁のご隠居らが現れて、もめごとをしながら泣き笑いする
もちろん、噺家の確かな「芸」があってのことだが、聞き手が想像力を働かせねば、何も見えない
場が乱れれば、たちまち江戸の町も与太郎たちの姿もかすんでしまう。
“志ん朝師匠”曰く「皆さまの心の余裕にすがってやる芸ですから・・」 そんな芸の舞台として“志ん朝師匠”が愛したのがこの「大須演芸場」でした!
私が、通りすがりで興味深く見守っていたことのあるのが、この全国でも数少ない寄席で、古びた建物自体がなんとも頼りない演芸場です。
「千客萬来」の大きな額が掲げられているが、「日本一客の少ない寄席」として知られているとか? 聞けば、客が「ゼロ」の日もあったとか・・・?
となると、当然ながら、経営難で何度も閉鎖の危機に襲われていた?とは、以前・地元に勤務していた昔の寄席仲間から聞いたことがあったが・・ネ
“志ん朝師匠”は、この大好きな寄席の灯を消さぬために、1990年から10年間、晩年は体調不良を押して、半ば手弁当で独演会を続けたそうだ。
しかし、ついに終幕の時が来てしまったようだ。 ニュースなどからでは、家賃滞納での強制執行が、週明けにも迫っているんだとか
落語が“志ん朝師匠”の説で「聞き手の心の余裕にすがる芸」なら、寄席は「街の心の余裕がにじむ場」だと私は思うのですがネ~
この話、この劇場を心から愛していた“志ん朝師匠”は・・どう思っているんだろうな~ 残念無念でならないだろうな!と察しています
・ ・
トップリーグ準決勝(2日) サントリー 27 : 19 神戸製鋼
後半20分過ぎまでは接戦でしたが、やはり自力の差でしょうかネ まずまず順当にサントリーでした
決勝は9日(日) 14:00 秩父宮 パナソニック:サントリー です
この試合もまた中継もなくジッと試合の経過をネット等で確認するだけです。 そして明日朝(日本時間)は『第48回・スーパーボール』があります
これは中継されるようで「ラグビー」にもまして楽しみです。 共に男と男の壮絶なぶつかり合い・・「ブロンコス(AFC):シーホークス(NFC)」どっちか・・?
本来ならこれに「サッカー!」といきたいのですが、昔・日本リーグ時代はよく見に行ったのですが「J・リーグ」が誕生してからは縁遠くなりました
理由はたった一つ、ファンと称する人達が大騒ぎをするからです。 試合内容より・・それ以外でただ騒ぐだけでじっくり見られないからです。
「ラグビー・フットボール・サッカー」などは、ただボールを持った人が点を取る? それだけでなく「戦略」を楽しむべきスポーツだと思うからです
ハッキリ言えば、ボールを持たない人が・・どう動くか?攻撃のプランは?逆に守りのフオーメイションは・・などと深い「読み」なども見ながら楽しむもの
そんな屁理屈を言っているからか、皆さんと同じような感覚で楽しむことができないんだと思っています。
きのうもそんな事を思いながら「ニュース番組の一部で語られるスポーツニュース」を見ていました。
あるニュースの一つの中に、私メが非常に気になるニュースが目に飛び込んできました。 あれ~?
それは名古屋“大須観音”の近くの、名古屋唯一の演芸場の「大須演芸場」が31日で終ったと・・
なんじゃ? 私は関東人ないので行った事はないが、演芸は好きなので知っている演芸場でした
落語や講談など寄席ファンの私にとっては「人形町や本牧亭」(いずれも東京)らに次いで残念な話題です
以前・・落語とは、どんな芸か。 江戸落語の華と称された“古今亭志ん朝さん”はいっていました
“暗闇の中を手探りで歩いていて、うっかり‘おなら’をしちゃったような・・、そんな芸でしょうか”と
なんとも“志ん朝師匠”らしく力の抜ける話だが、確かに落語とは“間”が勝負の頼りない芸かな?
座布団の上で、使う道具といえば「手拭いに扇子」。 それだけで江戸の町が広がりから・・・
なんとも頼りない若旦那や与太郎・横丁のご隠居らが現れて、もめごとをしながら泣き笑いする
もちろん、噺家の確かな「芸」があってのことだが、聞き手が想像力を働かせねば、何も見えない
場が乱れれば、たちまち江戸の町も与太郎たちの姿もかすんでしまう。
“志ん朝師匠”曰く「皆さまの心の余裕にすがってやる芸ですから・・」 そんな芸の舞台として“志ん朝師匠”が愛したのがこの「大須演芸場」でした!
私が、通りすがりで興味深く見守っていたことのあるのが、この全国でも数少ない寄席で、古びた建物自体がなんとも頼りない演芸場です。
「千客萬来」の大きな額が掲げられているが、「日本一客の少ない寄席」として知られているとか? 聞けば、客が「ゼロ」の日もあったとか・・・?
となると、当然ながら、経営難で何度も閉鎖の危機に襲われていた?とは、以前・地元に勤務していた昔の寄席仲間から聞いたことがあったが・・ネ
“志ん朝師匠”は、この大好きな寄席の灯を消さぬために、1990年から10年間、晩年は体調不良を押して、半ば手弁当で独演会を続けたそうだ。
しかし、ついに終幕の時が来てしまったようだ。 ニュースなどからでは、家賃滞納での強制執行が、週明けにも迫っているんだとか
落語が“志ん朝師匠”の説で「聞き手の心の余裕にすがる芸」なら、寄席は「街の心の余裕がにじむ場」だと私は思うのですがネ~
この話、この劇場を心から愛していた“志ん朝師匠”は・・どう思っているんだろうな~ 残念無念でならないだろうな!と察しています
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トップリーグ準決勝(2日) サントリー 27 : 19 神戸製鋼
後半20分過ぎまでは接戦でしたが、やはり自力の差でしょうかネ まずまず順当にサントリーでした
決勝は9日(日) 14:00 秩父宮 パナソニック:サントリー です