伊藤隆敏東京大学大学院教授によれば、福島原発の安全回復と周辺への補償は、東電の負担分を超える部分で10兆円になるという。これは、国家、最終的には国民の税金の負担だ。この金額は現時点でのおおざっぱな予測であり、おそらく、それにとどまらないだろう。
国民1人当たり10万円もの負担だ。
東電負担のそれに匹敵するほどの巨額の費用も、結局、料金をとおしてわれわれの負担になる。料金を倍に値上げすれば、東電の事業収入は、5兆円から10兆円になり、十分負担できるという乱暴な意見もある。
われわれは、税金と東電の値上げをあわせて、たとえば3人家族で、50万円を超えるほどの負担を抱えこんだのだろうか。しかも、避難家族の生活だけでなく、農業、漁業や企業などさまざまな経済活動で金額に換算できない深刻な負担を強いられている。
原発に経済合理性がないのは、明らかではないだろうか。いかなるエネルギーより、社会が負担するコストが大きいことは、過去の実績で明白なことに思える。しかも、10万人単位で、社会の一部の人にこれほど深刻な被害をあたえることを、社会は容認できないのではないだろうか。
「福島原発と同じような原発事故はまた起きる」国連事務総長のチェルノブイリ25周年の発言は、当をえており、不気味だ。
このままでは、人類はもっと大きな原発事故を世界のどこかで経験することになるのだろうか。