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土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

吉祥寺、お前立ちの毘沙門天も見事です。

2017年11月09日 | 奈良の古寺巡り






(2016.11.04訪問)


極楽寺から県道30号を南へしばらく走り、国道24号五條市街を通り本陣交差点をR168号に入ります。
あの有名な谷瀬の吊橋、日本一広い十津川村、熊野本宮大社を通りやがて新宮市に至る国道です。R168号は変化に富んだ山岳道路で
冬期はともかく、春夏秋それぞれのシーズンの顔を見せてくれ、かなりワイルドなドライブを楽しめるワインディングロードですヨ。

そうそう吉祥寺に向かうのでしたネ、R168号の吉野川を渡り少し行って丹原町を右折、開運坂と呼ばれる小道を1キロほど登ったと
ころに建つ毘沙門さんのお寺、吉祥寺に到着です。





▼参道入口に山門はありません、シンプルな石柱が両サイドに建てられています。
 この参道を少し進むと広場に出ます。







[ 吉祥寺 ]
●山号 柴水山 (しばしざん)
●院号 宝塔院 (ほうとういん)
●寺号 吉祥寺 (きっしょうじ)
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
●開基 弘法大師空海 (こうぼうだいしくうかい)
●開創 弘仁七年 (816年)
●本尊 毘沙門天立像
▲拝観 境内自由 朱印300円
▲時間 9:00~17:00   
▲奈良県五條市丹原町914 Tel.0747-22-0332
▲https://ameblo.jp/kissyouji/
▲JR和歌山線「五条駅」から十津川温泉または城戸または西吉野温泉行きバス「丹原」下車、徒歩約10分
 南阪奈道路「葛城IC」から県道30号、国道24号経由、約22km約45分





▼到着です。奥に見えるのが山門、提灯が見えますネ。







吉祥寺縁起 (吉祥寺パンフレットから抄出)
弘法大師は高野山開創にあたり、高野山の丑寅に鬼門除けの毘沙門天を安置し堂宇の建立に着手。しかし当地に水が無かったため
「柴手水の法」でもって身を清め開眼供養を終えた。この秘法の縁起にちなみ、大師は「柴手水の法」の手の一字を除き「柴水山」
と号し、毘沙門天の宝塔を院号とし、脇立ちの吉祥天女の名をとり「柴水山宝塔院吉祥寺」とし、現在に至る。





▼オシャレな料亭ではないんです、お寺なんですよ。しかし古刹の山門には見えませんよネ。
 崩れかけた袖塀がいい雰囲気を醸しています。







▼やはり文字は勘亭流崩しですか。

      





▼スグ左手に鐘楼が。







▼そして右手に手水鉢。







▼正面を見ますと来てます来てます紅葉の始まり。







▼広場右に目を転じますと右手に本堂、正面庫裡。







▼そして左手に大師堂。
 吉祥寺境内の建物は実はこれだけ、大師堂は新しい建物でお堂の雰囲気感じる事は出来ませんし、入堂も出来ません。







▼本堂横のお庭には山茶花や、







▼楓に、







            ▼宝篋印塔がヒッソリと建っています。







▼本堂。方六間、宝形造、本瓦葺、一間向拝付。







▼本堂前面はすべて中央一間三枚格子戸と格子蔀戸になってます。







▼本堂扁額。







▼本堂内陣の様子。







▼中央お厨子前のお前立ち毘沙門天立像。
像高約1mの小さなお前立ち像ですが、江戸期の作という事で、彩色と文様の細かさが綺麗に残っています。お前立ち像がこれだけの
素晴らしさ、さてお厨子の中のご本尊は果たして……。



写真は堂外小窓からのショットです。





▼本堂横のお庭。







▼山門を出ると……、







▼お寺の周辺は柿畑が広がっています。御所から五條にかけては有数の柿の産地で、途中柿畑があちこちに広がっています。
チョット手を伸ばせば……、そんな事はしてませんヨ、ボクは。







▼御朱印は毘沙門天王です。







庫裡にお声掛けをするとご住職が本堂内を案内して下さり、本尊お前立ちの毘沙門さんには目の前でお目にかかり、レクチャー頂き
ましたがお厨子の中はクエッション、本尊はもう少し大きい像との事。ついでに寺院経営のしんどさも。国指定でない限り仏像や堂
宇の維持修復は総て持ち出しらしく、これがまたお金のかかる事、お寺の悲哀を嘆いておられたのには、こちらも身に詰まされた思
いです。大寺院を除いて何処のお寺も地方へ行くほど、こう云った嘆きがお寺の現状を表しているようです。

吉祥寺これにて オ シ マ イ





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極楽寺、西を望めば金剛山が手の内に。

2017年11月06日 | 奈良の古寺巡り





(2016.11.04訪問)


三連休の真ん中、雨の降らない週末も珍しく、新大和路号は久々に葛城古道を南に向かっています。千数百年の歴史の逸話を数多く
残す葛城金剛連山を右手に見ながら通り慣れた道を走っています。さすが連休、南へ行くクルマは途切れる事はありません。今日は
御所吐田の極楽寺からしばし南へ、五條丹原の毘沙門さんに会いに行きます。





▼数は少ないですが、色付いてまいりました。







[ 極楽寺 ]
●山号 仏頭山 (ぶっとうざん)
●院号 法眼院 (ほうげんいん)
●寺号 極楽寺 (ごくらくじ) 又の名 吐田極楽寺 (はんだごくらくじ)
●宗派 浄土宗知恩院派 (じょうどしゅうちおんいんは)
●開基 一和僧都 (いちわそうず)
●開創 天歴五年 (951年)
●本尊 阿弥陀如来立像
▲拝観 境内自由 朱印300円
▲時間 6:00~16:00   
▲奈良県御所市極楽寺108 Tel.0745-66-0145
▲http://web1.kcn.jp/handag/
▲JR和歌山線「御所駅」近畿日本鉄道「近鉄御所駅」からバス鳥井戸下車 徒歩約25分
 南阪奈道路葛城ICから約10分





▼山麓線、葛城古道、県道30号線と色んな呼称を持つ道を一路南へ、葛城ICから2キロ少々、極楽寺への参道口です。
 (写真は南側から撮ってます)







極楽寺縁起 (極楽寺HPから抄出)
開山一和僧都は十八才の時に興福寺西塔院の増利僧都の弟子として仏門に入り、後に興福寺の座主に迎えられ、天歴四年村上天皇の
勅命により維摩会の講師となられ、その徳望は広く諸宗に聞こえておりました。上人は名刹を厭い、専ら修行修学の為の静寂なる地
を求め、ある時金剛山東麓で毎夜光を放つのを遥に望見せられた上人は奇異に思われ、その出所を探し求められました処、そこから
仏頭が発掘されました。これこそ有縁の地と考え仏頭山と呼び、その仏頭を本尊として草庵を結び法眼院と名付けました。





▼参道下の駐車場からのショット、まるで堅固な砦のような石垣の上が境内です。







▼広~いアプローチ参道。正面に石柱が建っています。

             





            ▼佛頭山極楽寺、立派な石柱です。







▼駐車場からの参道石段、正面の山門は鐘楼門です。







▼急石段なので門が覆い被さってくるようです。







▼数少ない彩りと山門です。







▼手水舎。







▼本堂。桁裄五間、梁間六間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。
 前面五間に格子戸が嵌り、左右に花頭窓を、一間の吹き放ち外縁が建物を巡っています。







▼本堂前面。







▼本堂内陣。中央須弥壇左右に脇壇が設えてあります。







▼中央須弥壇上の本尊。黄金の間という感じ。







▼美しさこの上なしの本尊阿弥陀如来立像。左右に脇侍の菩薩がお立ちです。







            ▼本尊阿弥陀さんのお顔。







▼左右脇殿の僧侶お二人。お名前は確認出来ませんでした。         













▼植栽越しの本堂です。境内は思いの外もみじは少なく、植栽された樹々はやっと緑から黄色への変身が始まったばかりの様です。







▼開山堂。開祖 一和僧都をお祀りしています。







▼境内から鐘楼門。







▼天得堂。厄除けの天得如来絵像が祀られています。施錠ガッチリ、堂内を窺う事は出来ません。
 本尊天得如来絵像は毎年四月十五日「天得会式」の時にご開帳されるそうです。







▼天得堂正面。右廻廊が本堂へ繋がっています。今日はこちらから本堂へ入堂しました。







▼天得堂扁額。







▼境内の一景。







▼庫裡です。こちらで御朱印を頂きます。







▼きれいな蘭が置かれた庫裡玄関。







▼庫裡の前を通って極楽寺お暇です。







▼御朱印は天得如来です。







境内は思いのほか狭く、入堂出来たのは本堂のみ、堂内外陣には座布団が敷きつめられ、何か法要があるのかも知れません。境内山
側にはお墓もありこの地区の檀家寺として歴史を紡いできたお寺なんでしょうネ。
吐田の極楽寺これにてオシマイ

続いて新大和路号はこれから五條市へ向かいます。五條市中心街を抜け十津川から新宮へ続くR168号を走るとすぐに丹原の町、少し
山手に目指す毘沙門天のお寺が在るんです。ではではゴーです。





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四天王寺、「聖徳太子絵伝」を拝見。

2017年11月03日 | 大阪の古寺巡り





(2017.10.30訪問)


ハルカス36階へお使いに行った帰り、谷町筋を歩いて四天王寺に向かっています。
今、四天王寺絵堂で杉本健吉さん渾身の「聖徳太子絵伝」の壁画が公開されているんです。この絵堂が明日まで特別開扉されている
というのでこの際是非という事で行ってみます。いつもは西門から入山しますが、今日は正式に南大門から入山する事にします。





            ▼このビルの36階へお使いに行った帰り谷町筋を歩いています。







            [ 四天王寺 ]
            ●山号 荒陵山(あらはかさん)
            ●寺号 四天王寺 (してんのうじ)
            ●宗派 和宗 (わしゅう) 総本山
            ●開創 推古天皇元年(593年)
            ●開山 聖徳太子
            ●本尊 救世観音菩薩坐像
            ▲拝観 境内自由 中心伽藍 300円 極楽浄土の庭 300円
            ▲大阪市天王寺区四天王寺1丁目11番18号 TEL.06-6771-0066
            ▲JR環状線「天王寺駅」から北へ徒歩12 分
             地下鉄御堂筋線・谷町線「天王寺駅」から北へ徒歩12 分
             地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘駅」から南へ徒歩5 分
             近鉄南大阪線「阿部野橋駅」から北へ徒歩14 分





            ▼日本仏法最初四天王寺の石柱が南大門の前に建ってます。
             こちらからの参詣者は極々少なく、大半の方は西門から入山されます。
             本来は南大門がお寺の正門、今日は正攻法で四天王寺を訪ねたいと思います。







四天王寺縁起 (四天王寺HPから抄出)
四天王寺は、推古天皇元年(593年)に建立されました。今から1400年以上も前のことです。「日本書紀」の伝えるところでは、
物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り、もしこ
の戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために
建立されました。
伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」といわれ、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形
式で、日本では最も古い建築様式の一つです





▼南大門。重層楼門、三間一戸、入母屋造、本瓦葺。昭和六十年再建。
 初層と上層とのバランスがやや異質、勾欄卍崩しが妙に印象的な山門です。初層左右には何方も居られません。
 一戸口から見えるのが、中心伽藍の入り口中門です。







さて「四天王寺式伽藍配置」といわれる中央伽藍へ。

▼中門(仁王門)。三間一戸、入母屋造、本瓦葺、鉄筋コンクリート。左右脇の間に阿吽金剛力士が控えています。
 屋根上の相輪は仁王門の相輪と違いますよ。







▼右脇の間、阿形金剛力士。像高5.3m。仏師は松久朋琳、宗琳親子の作。         













▼左脇の間、吽形金剛力士。像高5.3m。                        









仏師松久朋琳、宗琳さん親子は故人ですが作風は仁王の威厳が十二分に発揮され現代作家の面目躍如と云うほどの両像で、顔貌の睨
みは素晴らしい。





▼仁王門から見る五重塔。







            ▼五重塔(五重宝塔)。内部拝観が出来ます。
             塔高39.2m、相輪12.3m、鉄筋コンクリート、本瓦葺。
             昭和三十四年再建。



            再建後半世紀も経つと塔も貫禄が出てきますネ。

















            ▼相輪。







▼金堂。本尊救世観音菩薩坐像。重層、桁裄五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、昭和三十六年再建。







▼金堂正面戸口。







▼金堂と五重塔。







▼講堂。聖徳太子が法華経、勝鬘経を講讃したお堂と伝わるそうです。
 桁裄八間、梁間六間、入母屋造、本瓦葺、昭和三十六年再建。
 堂内は夏堂と冬堂に別れ、冬堂には十一面観音菩薩,夏堂には阿弥陀如来坐像が祀られています。







▼講堂冬堂の本尊十一面観音菩薩立像。







次は西門から再入山しましょう。

▼西門鳥居(重文)。普通の日で真っ昼間、やはり参拝者は少ないですネ。







▼西門鳥居の扁額。これがまた何が書いてあるのかサッパリ。







            ▼今日四天王寺を訪ねたのはこれを見に来たのです。
             鳥居の横に告知されている聖徳太子絵伝の特別公開ポスター。







▼極楽門。元々西の大門と呼ばれていたそうで、松下幸之助さんの寄贈だそうです。
 三間一戸、重層楼門、桁裄三間、梁間二間、入母屋造、本瓦葺。







▼阿弥陀堂。







▼阿弥陀堂正面。







▼南鐘堂。境内南端に建つ、中華レストラン風鐘楼。八角重層、本瓦葺。







▼亀の池。亀さんの姿見えず。売店のオバさんに聞くと、冬眠準備中らしいです。







▼六時礼讃堂(重文)。桁裄七間の大きなお堂で昼夜六回諸礼讃をするところから六時礼讃堂の名があり、薬師如来、四天王等をお祀
 りし四天王寺の中心道場。入母屋造、本瓦葺。元和九年(1623年)建立。







▼六時礼讃堂の正面。







▼六時礼讃堂扁額。







▼大黒堂。境内北端に建ってます。本尊は大黒天、毘沙門天、弁才天の顔を持つ三面大黒天です。







▼大黒天の大提灯。







境内東側の聖徳太子をお祀りする聖霊院へ行ってみましょう。

▼聖霊院正門の猫の門。出入りは出来ません。
 全く気付きませんでしたが、門の奥上欄に猫の彫り物があります。「猫の門」の猫は聖霊院にある経堂のお経がネズミにかじられ
 ないように見張り番をしていると云うお話が残っているようです。







▼聖霊院通用門。







▼太子殿。太子信仰の中心御堂、太子十六歳像・太子二歳像・四天王がが祀られています。







▼太子殿扁額。







▼太子奥殿。八角円堂ではありません。屋根は八角ですが、壁面は円になっています。今まで全く気付きませんでした。
 基壇内には永代奉安された太子観音像「六観音」が奉安されてるそうです。







今日の拝観目的がコレ!

▼絵堂の杉本健吉画伯により描かれた「聖徳太子御絵伝障壁画」の一部。
 聖徳太子の一生の事蹟が描かれた絵伝を礼拝の対象として安置する堂宇で、 絵伝は主として太子の奇跡的な伝説を中心に制作され
 たものです。見応えのある壁画で、壁面イッパイによくもまあこれだけ緻密に描けるもんだと、杉本健吉さんのまた違う面を見た
 ような気がします。







最後に本坊「極楽浄土の庭」へ行ってみましょう。

自然の湧き水を利用した二つの小川「水の河」と「火の河」および二つの池「瑠璃光の池」と「極楽の池」を配し白砂の廻遊路を
「白道」という広さ1万m²の池泉廻遊式庭園。

▼本坊玄関。







▼本坊方丈。「極楽浄土の庭」はこの堂宇の前庭になっています。







▼瑠璃光の池。







▼薬師の瀧。







▼極楽の池。







▼八角亭。ブルーの建物です。1903年大阪内国勧業博覧会パビリオンの遺構だそうで小さな建物です。







▼極楽の池。







▼廻遊路の石畳。







▼補陀落の庭。



まだまだ緑イッパイのお庭ですが、もうしばらくすると、樹々が染まり散策には絶好のお庭になるでしょう。お庭大好きの方にはこ
たえられない廻遊庭園だと思いますヨ。


日本仏法最初四天王寺の名に恥じない広大な境内は大大阪の中心に位置し、色んな面を見せてくれる変幻自在のお寺、数えきれない
堂塔伽藍の数々、四天王寺式伽藍配置という中央伽藍の偉容は聖徳太子の時代を彷彿とさせる感慨に浸れます。余りにも多い堂宇の
数に総てを廻るのは少々無理、中途半端な入堂になりましたが、次の機会を待つ事にしましょう。

これにて四天王寺 オ シ マ イ





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