土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

西教寺、天台真盛宗、聞き慣れないですが天台三山の一つです。

2015年10月29日 | 滋賀の古寺巡り




(2015.10.24訪問)


浮御堂から坂本の西教寺に向かいます。今、秘仏が公開されている天台真盛宗総本山西教寺は再訪です。京の旧法勝寺
の寺格を引き継いだ西教寺の正式名称は兼法勝西教寺といい、天皇家勅願寺院の格を誇るお寺でもあるんです。その旧
法勝寺に伝わる秘仏が今公開されています。なぜ今は亡き法勝寺なのか、話せば長くなるのでまたの機会に。
取りあえず秘仏お薬師さんに逢いに行きましょう。




▼総門。あの明智光秀の坂本城城門を移築した遺構と伝わるそうです。

 




[ 西教寺 ]
●山号 戒光山 (かいこうざん)
●寺号 西教寺 (さいきょうじ) 正式名称 兼法勝西教寺 (けんほっしょうさいきょうじ)
●宗派 天台真盛宗総本山 (てんだいしんせいしゅう)
●開基 伝 聖徳太子 (しょうとくたいし)
●開創 伝 飛鳥時代 (あすかじだい)
●復興 正中二年 (1325年) 恵鎮上人 (えちんしょうにん) 
●再興 文明十八年 (1486年) 真盛上人 (しんせいしょうにん)
●本尊 阿弥陀如来坐像 (重文)
▲拝観 500円 朱印300円
▲時間 9:00~16:30  
▲滋賀県大津市坂本5丁目13-1 電話077-578-0013
▲http://www.saikyoji.org/index.html
▲近江湖西二十七名刹霊場11番札所
 びわ湖百八霊場11番札所
▲JR湖西線「比叡山坂本駅」下車、江若バス約7分「西教寺」下車又は徒歩30分
 京阪電車「坂本駅」下車、江若バス約4分(西教寺下車)又は徒歩25分
 湖西道路「坂本北IC」から約5分「滋賀里ランプ」から約10分




        ▼総門右に建つ宗名寺号石柱。






西教寺縁起 (西教寺HPから抄出)
西教寺は正しくは天台真盛宗総本山戒光山兼法勝西教寺といいます。聖徳太子が高麗僧慧慈、慧聡のために創建された
と伝えられています。荒廃しますが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場としました。恵心僧都入寺、修業されたと
ころから次第に栄えるようになりました。鎌倉時代の正中二年に入寺の恵鎮上人は、大乗円頓戒を復興、その後百有余
年を経た文明十八年に真盛上人が入寺され堂塔と教法を再興、不断念仏の道場とされました。もとは天台宗真盛派の寺
格が、戦後天台寺門宗と天台真盛宗として天台宗から分離独立したものです。




▼ボツボツ彩りはじめたモミジのトンネル、真っ直ぐ行きますと突き当たりに……、






▼皇室勅使を迎える勅使門。切り妻造、本瓦葺、四脚門でやはり風格抜群です。






        ▼左に行くと宗祖大師殿の石碑。少し左に……、






▼大師殿の豪華な唐門が。一間一戸、四脚門、入母屋造、前後は唐破風付、檜皮葺。正面が大師殿。
 3mの袖塀がつけられ、築地塀が左右に伸びています。軒の組み物は簡素ですが、龍などの彫り物は豪華で見事です。






▼貫に彫られた彫刻。龍の絡みや鳳凰が凄いですね。






▼宗祖大師殿。大きなお堂で外縁勾欄には擬宝珠が付いています。
 桁裄五間、梁間六間、入母屋造、桟瓦葺、唐破風一間向拝付、銅板葺。






▼内陣の荘厳。数十種はあるかと思われる瓔珞の豪華なこと、さすがに宗祖のための荘厳です。須弥壇最上段にはお厨
 子が置かれ、宗祖真盛上人像が安置されています。像高73.9cm、木造。






▼全面赤絨毯が敷きつめられた外陣も広いです。欄間の「慈攝」と書かれた扁額は、昭和天皇の勅額です。
 「慈攝」とは真盛上人の大師号です。






        ▼唐破風向拝にかかる青もみじ。紅葉の時季だったら絵になりそうですね。






▼大師殿唐門の袖塀瓦にチョコンと坐るエテ公じゃなかったお猿さん。猿は天台の守り神のお使い、色んな処にいます。






▼それでは本堂エリアに……。この石垣の上が中心伽藍です。
 この石垣がかの有名な加工なしの自然石を積んだ穴太衆積。坂本の町を歩くといたるところで見ることができますヨ。






▼手水舎。ココでは水屋と云ってます。入母屋造の本瓦葺の屋根は少々重たい感じがしないでもありません。






▼本堂 (重文)。
 桁裄七間、梁間六間、単層、総欅の入母屋造、本瓦葺、正面三間の向拝付。元文四年 (1739年) 再建。






▼内陣須弥壇中央、本尊阿弥陀如来坐像 (重文) 像高278.8cm、丈六仏、木造、漆箔、平安中期。






▼定朝様の阿弥陀さん、まん丸お顔で半眼は静かに瞑想中か、螺髪や白毫が小振りなところは成仏間もない頃の若い阿
 弥陀さんの印象。






▼本堂欄間の彫り物。仏教説話がこんな彫り物に、欄間左右イッパイに豪華に装飾されています。






▼本堂を斜めから。






▼本堂前にこんな大きな看板が。ココに天台の守り猿のお話が書かれています。






▼本堂と廻廊で繋がる客殿 (重文)。
 桁裄十二間、梁間八間、南面入母屋造、北面切妻造、杮葺。慶長三年 (1598年) 建立。
 桃山御殿と呼ばれ書院造りの大きな建物です。



今日の西教寺訪問の目的は、旧法勝寺秘仏「薬師如来坐像」の特別開帳が客殿賢人の間で公開されているからなんです。
尼僧の方が付っきりで旧法勝寺や秘仏薬師如来坐像のお話を語ってくれました。

お薬師さんは小振りなお像で真っ黒、お厨子も相当黒くススっぽいのは、法勝寺の経て来た災難を一身に受けた結果な
のか。手印の薬壺を持つ与願印と施無畏印は胸元に寄っているので通常の薬師如来と印象が違います。
写真は御法度でした。

参考
天皇勅願寺院「六勝寺」の一つ、白河天皇勅願の「法勝寺」も応仁の乱後、荒廃廃寺となっていたこの「法勝寺」を時
の後陽成天皇勅命により天正十八年末寺の「西教寺」に併合、寺籍や仏像仏具も移し正式寺号を「兼法勝西教寺」とい
うのはこれに由来しているといいます。




▼客殿庭園。
 裏山の傾斜を利用し、中央池は琵琶の姿を取り入れ二つの石組で蓬莱石組が構成されている鑑賞庭園。
 作庭 伝 小堀遠州 江戸初期。
 客殿から書院へも渡り廊下で繋がっていますが、書院の全景は撮ることが出来ません。






▼書院前庭。穴太式庭園で坂本一帯にある庭と共通する類型的な庭園。早い話どこにでもありそうな庭園。
 作庭 伝 不詳 明治初期。






▼裏書院庭。池泉鑑賞式庭園。宗祖真盛上人五百回忌大法会記念事業として作庭。
 作庭 西村繁太郎 平成元年。











▼大本坊。
 元亀二年(1571年)織田信長の比叡山焼き討ちで全焼。その後坂本城主となった明智光秀が、西教寺を菩提寺にと復興
 に尽力、坂本城の陣屋を寄進し大本坊を再建したと伝わるそうです。さすが武家の屋敷ですね、大きな建物です。






▼大本坊扁額。






▼仏間には光秀と妻煕子 (ひろこ) の木彫が祀られています。煕子は細川ガラシャのお母さんです。






▼本坊庭園。三尊石組みを中心に本坊に対してやや斜めに構えた作庭法は、鑑賞を考慮した素晴らしい角度を構成し、
 用石組も大胆豪放な手法で禅院式枯山水庭と茶庭式露地庭との金剛形式を構成した名庭園と云われている。と駒札は
 述べています。
 作庭 不詳 江戸初期。






▼本堂右前にある観音堂。方三間、宝形造、本瓦葺の小さなお堂です。






        ▼本尊 聖観音菩薩立像。






▼納骨堂。






▼鐘楼。桁裄三間、梁間二間、袴腰、総檜造、入母屋造、本瓦葺。安定感抜群の美しい鐘楼です。軒が深く写真では見
 えませんが組み物に配された彫刻や木鼻など精巧な素晴らしい彫り物で飾られています。






        ▼宝篋印塔。






▼明智一族の墓。光秀の評価は色々ありますが、坂本の地や西教寺にとっては恩人と云うことになるんでしょうネ。






▼阿弥陀二十五菩薩の聖衆来迎石仏。






        ▼南無阿弥陀仏。






▼宗祖真盛上人廟。
 御廟は本堂西の高台に建てられ、堂内に宗祖の五輪塔が安置されていました。
 桁裄二間、梁間二間、宝形造、本瓦葺、一間向拝付。天保十三年 (1843年) 建立。






            ▼この方が真盛上人。写真はネットからもらってきました。



真盛上人は十九歳で延暦寺に入り二十年修行、権大僧都を拝命した方です。真盛上人は「戒称二門」「円戒念仏」と
いう阿弥陀仏の名を一心に称えることと称名念仏の励行を唱えました。以来、西教寺は戒律念仏の道場となっています。




▼御朱印です。






天台山門、天台寺門、天台真盛といっても三山でどれだけ教義が違うのかボクは解りませんが、叡山開祖最澄さんが宗
祖であることは間違いなく、ココ西教寺にも寺伝に叡山中興の良源さんや源信さんと云う名僧の名が出てきます。他宗
に対して特に南都に対して好戦的だった最澄さんの元からは平安から鎌倉仏教の名だたる名僧が多く輩出しているのは、
最澄さんの個性と教えが如何に優れていたかを物語っているようです。

長々とどうも、西教寺 オ シ マ イ





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