土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

阿弥陀寺、特別公開の信長公像は数ある彫像や似絵の中で一番似てるそうです。

2014年02月05日 | 京都の古寺巡り



(2014.02.01訪問)
寺之内から今出川通りに出て、相国寺を通過、同志社女子大の前で八重さんを偲び、バカ陽気京の町をフラ
フラと東へ、次に寺町の「阿弥陀寺」を訪ねました。寺町の通りにはあまり大きくないお寺が甍を並べてい
ます。その中に在って阿弥陀寺の山門へ入る人の多いこと、本堂前のチケット売り場には列が出来てました。
先ずビックリ!


▼本堂と台杉。




[ 阿弥陀寺 ]
●山号 蓮䑓山(れんだいさん)
●院号 総見院(そうけんいん)
●寺号 阿弥陀寺(あみだじ)
●詔勅 正親町天皇
●開山 清玉上人 (せいぎょくしょうにん)
●開創 弘治二年(1555年)
●宗派 浄土宗 百万遍知恩寺末
●本尊 阿弥陀如来坐像
▲京都市上京区寺町今出川上ル鶴山町14 TEL.075-231-3538
▲拝観料 特別拝観一般600円 御朱印500円
▲拝観時間 9:00~16:00
▲地下鉄烏丸線「今出川駅」下車徒歩20分、
JR京都駅から市バス205系統「葵橋西詰」下車徒歩5分
京阪電車「出町柳駅」下車徒歩15分
 
阿弥陀寺縁起(京都観光Naviから抄出)
天文年間、織田信長の帰依を受けた清玉上人が開山。当時蓮臺野芝薬師に伽藍を構えていた織田家の菩提寺。
天正十年六月二日未明、本能寺の異変を清玉上人は知り、近習の武士達に遺骸を託され持ち帰る。その後明
智光秀の陣を訪ね、戦闘の停止と、嫡子信忠、森蘭丸等本能寺、二条城にて自刃、討死した織田家中百余名
の遺骸の収容、供養を申し出、光秀はこれを受諾、清玉上人は阿弥陀寺にて供養、墓を建てた。今も信長は
じめ百余名の討死衆の合祀位牌が現存、供養されています。(詳しくは駒書きを読んでください)


▼山門。寺町通に面して建つ四脚門です。




▼織田信長本廟石標。




▼阿弥陀寺駒札。




▼鐘楼。




▼本堂。桁行五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、一間の向拝付。




▼本堂扁額。山号の 蓮䑓山と揮毫されています。




▼本堂中央須弥壇に本尊阿弥陀如来坐像。(京都市観光協会HPから)



本堂に入ってまたビックリ! 外陣に大勢の人が坐り、ボランティアの方の説明を聞いてます。


▼本堂左の間に、特別公開の目玉、信長公と嫡男信忠父子の木造が安置。
写真は信長公。(京都市観光協会HPから)



この彫像は信長公没後一年後くらいの彫像なので、作家もヒョットして信長公を知っている人かも知れず、
数多ある信長像の中でも一番似ているのではないかと云う見方があるそうです。夢がありますネ。
須弥壇上部の格天井には日本画家上田幸子氏の天井絵「彩華来迎花浄土之図」が描かれています。非常にき
れいです。


▼本堂。




▼本堂と奥に見えるのは書院への渡り廊下。




▼客殿玄関。横に子供ちゃりんこ、庶民性抜群、いいお寺の演出!




▼芭蕉の句碑。 春立つや 新年古き 米五升



芭蕉没後百年、阿弥陀寺住職で俳人でもある蝶夢さんが、五升庵と号して芭蕉の顕彰につとめたそうです。
この縁で芭蕉のこの句碑を建てたと云われているそうです。


▼信長公墓所。右が信長公の墓標です。左は嫡男信忠さん。



織田信長の墓所と伝えられるものは、全国十カ所以上あるそうです
が、清玉上人の尽力この上なく、阿弥陀寺の墓所が本廟として認められているそうで、他所は供養塔とのこ
とらしいのです。


▼信長の墓所の横に森蘭丸三兄弟の五輪塔墓が並んでいます。惜しいかな塔頂の空輪が欠けてありません。




▼庫裡です。御朱印はこちらで戴くんですが、入ってまたまたビックリ! 大勢の人が並んでました。
ナナント御朱印500円也! これにもまたまたまたビックリ!




▼その御朱印です。




信長公木像以外に位牌、信長公使用の弓掛や鞍覆、手槍先、また本能寺や二条城討死衆合同位牌、豊臣秀吉、
明智光秀の書状などが公開されています。
非公開文化財特別公開ってこれほどの人気とは思いませんでした。公開寺院15ヵ寺、期間は3月18日(火)ま
でです。拝観料1カ所600円、高いか安いか??? わかりません。


▼今日の出町出会い。午後三時半ごろ。





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