(2015.02.07訪問)
出し惜しみをした訳ではないんですが、二月七日粉河寺訪問の後、大阪貝塚の水間寺を訪ねていました。大
阪の古刹を訪ねたのは久々、厄除水間観音の絶大な人気のほどは、厄除開運祈祷が本堂で厳修されています
が、交代制で大盛況、次々と皆さん並んでお待ちです。おかげで本堂参拝できませんでした。
▼二つ仲良く並んだ道路沿いの寺石標。
[ 水間寺 ]
●山号 龍谷山 (りゅうこくざん)
●寺号 水間寺 (みずまでら) 通称水間観音
●勅願 聖武天皇 (しょうむてんのう)
●開基 行基 (ぎょうき)
●開創 天平十六年 (744年)
●宗派 天台宗別格本山
●本尊 聖観世音菩薩 (絶対秘仏)
▲入山料 無料 朱印 300円 駐車料 境内無料
▲拝観時間 9:00~17:00
▲大阪府貝塚市水間638番地 Tel.072-446-1355
▲南海鉄道本線「貝塚駅」下車、水間鉄道に乗り換え、終点「水間観音駅」下車、徒歩約10分
阪和自動車道「貝塚インター」すぐ。
水間寺縁起 (水間寺HPより抄出)
聖武天皇四十二歳の時、病に罹るも奈良西南に病災消除の霊像出現の夢告を受け、行基に勅し、行基は都の
西南の霊域を捜し求め到達したのがこの水間の地、谷間の美しい水の流れる巨岩の上の白髪の老人に会い行
基に聖観世音の尊像を手渡し自分は龍となって昇天したと由来記に記されています。
尊像は一寸八分の閻浮陀金の聖観世音菩薩で、天皇に捧げたところ、病たちまち癒え天皇はこの像を現地に
お祀りするようにと勅命、行基は伽藍を建立し厄除け観音として尊像を祀り庶民にも信仰されるように努め
られました。
▼厄除観音水間寺のシンボル橋、厄除け橋。きれいなアーチ橋です。
▼本尊レプリカ像か、厄除け橋のたもとに立つ聖観音菩薩立像。
▼正面に三重塔が。
塔高約20m、本瓦葺。天保五年(1834年)再建。
▼初層に彩色蟇股に干支が彫られています。妙に目立ちます。
▼安定感抜群!
▼本堂。本尊 聖観音菩薩立像、像高一寸八分 (約6cm) 絶対秘仏。内陣正面にお前立聖観音菩薩立像安置。
桁裄七間、梁間四間、重層入母屋造、本瓦葺。文政十年(1827年)再建。
▼山号が書かれた本堂扁額。
▼大勢方が入れ替わりお参りされてます。
▼こちら寺名の扁額。
▼堂内外陣に大提灯。
▼本堂前に経蔵。中には大般若経六百巻が納められているそうです。
一間四方宝形造、本瓦葺、唐破風付きのささやかな向拝がちょこんと。
▼傅大士が安置されてます。
傅大士は中国南朝の僧で輪蔵(経を納めた書架で周囲を回ることが出来るようになっている)の制を創設し
た事により輪蔵の前に置かれるようになったそうです。
▼鐘楼です。
▼布袋さんがいらっしゃいますヨ。
▼千日隔夜宝篋印塔。
塔身には梵字、基礎部左側面に鈷をさげ念仏を称えて歩いている隔夜僧の浮き彫りがあります。
享保十二年(1727年)立。いいプロポーションですが、惜しいかな奥左の笠の隅飾が欠けています。
▼護摩堂。本尊不動明王。三間四方寄せ棟造、本瓦葺。新しいお堂です。
▼愛染堂。
▼須弥壇上段に本尊愛染明王坐像。曰くこの愛染明王は行基が椿の木に刻んだものといわれているそうです。
▼愛染堂前庭に「お夏清十郎の宝篋印塔墓」
花立ての名前を見てください。懐かしや田中絹代と林長二郎 (後の長谷川一夫)。
お夏清十郎のお話は実話だそうで、許されぬ恋ゆえに清十郎は刑死、お夏は狂乱する哀しい恋物語、その
映画化でお夏に田中絹代、清十郎に林長二郎主演の「お夏清十郎」昭和十一年 (1936年) 松竹キネマ映画。
それにちなんだお墓らしいですネ。こうなるとお墓の真偽はおのずから。
(本当の墓は姫路市内の慶雲寺というお寺にあるそうです)
懐かしやと云ってもボクは知りませんけど。
本堂の南山手の石段を上がると奥の院、放生池 (鏡池) や幾つかの堂宇が建っています。
▼奥の院行基堂。
三間四方、寄せ棟造、本瓦葺。開基行基さんをお祀りしています。
▼御朱印です。
このお寺の絶対秘仏本尊聖観音像の大きさ一寸八分、未だかって誰も見た事がないとの事、先の粉河寺本尊
も一寸八分やはり絶対秘仏、そして誰も見た事がない。
クドイようですが誰も見た事がないのになぜ一寸八分の像と分かるの?
そう云えば江戸浅草寺の本尊聖観音菩薩も一寸八分の絶対秘仏だったように思いますが。
絶対秘仏はすべて一寸八分なのか、はたまた一寸八分に何か隠された秘密があるのだろうか。
↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。
神社・お寺巡り ブログランキングへ