土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

建長寺、鎌倉五山第一位の禅刹です。

2013年10月16日 | 神奈川の古寺巡り


(2013.10.13訪問)

この連休は奥さん孝行で、奥さんが行きたいという鎌倉とついでに江戸へ行ってまいりました。
鎌倉に着いてすぐ建長寺に行こかは御法度、お寺訪問などと先に云うとおメメの両端がキュッと上がるのは
必定、甘味処で一息入れて、ならばと鎌倉の顔、鶴岡八幡宮へ若宮大路を歩きだしましたが、うちの奥さん
「ウワーなにこれ!」若宮大路は人で埋まってました。早々に八幡さんをクリア、建長寺行は問題なく納得
しました。目指す建長寺はここから鎌倉街道を十五分ほど、しかし鎌倉街道も人とクルマで埋まってますワ。

▼仏殿本尊、地蔵菩薩坐像。




[ 建長寺 ]
●山号 巨福山 (こふくさん)
●寺号 建長寺(けんちょうじ)正式には建長興国禅寺(けんちょうこうこくぜんじ)
●宗派 臨済宗建長寺派大本山
●開創 建長五年 (1253年)
●開基 北条時頼 (ほうじょうときより) 鎌倉幕府五代執権
●開山 蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)
●本尊 地蔵菩薩坐像
▲鎌倉市山ノ内八番地 電話0467-22-0981
▲HP http://www.kenchoji.com/
▲拝観料 300円、御朱印300円
▲JR北鎌倉駅下車徒歩15分 JR鎌倉駅下車徒歩30分
 
建長寺縁起 (建長寺HPから抄出)
開山大覚禅師は中国西蜀淅江省に生まれた。名は道隆、蘭渓と号。禅師は淳祐六年 (1246年)博多に着き、
円覚寺にとどまり、宝治元年に知友智鏡をたよって泉涌寺来迎院に入った。智鏡は鎌倉下向を勧め、禅師は
鎌倉の地を踏む。来朝三年後、時に三十六歳。禅師は寿福寺におもむき大歇禅師に参じた。執権北条時頼は
禅師の居を大船常楽寺にうつし、禅師の元を訪れ道を問うのだった。時頼は建長五年 (1253年) 禅師に開山
説法を乞い純粋禅宗をもとに大禅院が創建、 入寺した禅師は、きびしい規式、作法で門弟を教育、開山みず
から書いた法語規則は国宝としてのこっている。禅師は鎌倉に十三年、弘長二年 (1262年) 京都建仁寺に、
その後鎌倉に戻る。禅師は弘安元年 (1278年)建長寺に再住、七月二十四日、衆に偈を示して示寂。ときに
六十六歳。諡大覚禅師号は、わが国で最初の禅師号である。

伽藍配置。
総門、三門、仏殿、法堂、方丈が一直線に並ぶのは、禅宗伽藍配置の独特のものだそうです。

▼総門。





▼山号が揮毫された総門扁額。



「巨福山」の毫は建長寺十世住持、一山一寧の筆と伝え、「巨」字の第3画目の下に、余分な「点」が書き
加えられているが、この点があることによって字に安定感が出ているとされる。


▼三門 (重文)。三間一戸重層楼門。安永四年 (1775年) 再建。楼上には五百羅漢像が安置されています。残
念ながら非公開。昭和二十九年大修理で茅葺を銅葺に、建立当初の堂々たる雄姿が蘇る。





▼寺号が揮毫された三門扁額。





▼萱葺き屋根の鐘楼。





▼梵鐘 (国宝)。重量2.7トン。建長七年 (1255年) 関東鋳物師筆頭、物部重光鋳造。





▼栢槙の古木。仏殿前の樹齢760年、幹周7m。参道両側に7本の栢槙が植わってます。





▼仏殿 (重文)。建長寺本尊地蔵菩薩坐像が祀られています。
桁行五間、梁間五間、寄せ棟造、銅板葺。将軍秀忠室小督(お江)の方の霊屋を移築したものだそうです。





▼仏殿本尊、地蔵菩薩坐像。像高239.5cm、玉眼、寄木造、室町時代。右手に錫杖、左手に宝珠を持ち、
衣を通肩着けて蓮華座に結跏趺坐。体は彩色斑ですが、玉眼切れ長の目はいつまでも印象に残る優しいお顔
です。本尊左右の欄間透かし彫刻も細工が見事!





▼仏殿格天井。格子内には鳳凰を始め色々の仏鳥が描かれ、天蓋部分は折上格子。





▼奥、法堂 (重文)。桁行五間、梁間五間、裳階付、銅板葺。文化十一年 (1814年) 再建。





▼法堂本尊、千手観音菩薩坐像。





▼法堂天井の雲龍図。小泉淳作さん筆の雲龍図。





▼法堂本尊前にパキスタンから寄贈されたレプリカ釈迦苦行像が祀られています。





▼唐門 (重文)。勅使門のこと。屋根は唐破風銅板葺、脇柱、戸はキンキラキン。





▼方丈龍王殿。





▼方丈扁額。





▼方丈仏殿。





▼方丈庭園。方丈裏の名園。蘸碧池 (さんぺきち) を中心とした池泉禅宗庭園。大覚禅師の作庭と伝えますが、
江戸時代に改修されていると云われています。











▼建長寺御朱印です。





創建当初の伽藍堂宇は残念ながら残っていません。ほとんどが江戸期の再建や他所からの移築と云いますが、
総門、三門、仏殿、法堂、方丈が一直線に並ぶ景観は、鎌倉五山第一位の風格と重厚さは十分に感じること
が出来、鎌倉と云う地勢の中で武家社会に守られ発展した頭領の面目は、今もこれからも滔々と鎌倉禅の大
河となって行くんでしょうネ。

長谷観音につづきます。

フ ロ ク 
今日の鶴岡八幡宮。





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