(2013.02.02訪問)
先週訪ねた長谷寺も今日の智積院も新義真言宗、興教大師覚鑁さんの法灯を伝えています。同じ真言宗で豊
山派、智山派と一山の総帥として派を構えていますが、その教学や密教理論の差などボクたち門外漢には理
解の外ですが、いかに寺勢が凄いかは両山とも広い寺地を有していること。方や山容を抱え込み、方や街中
で覇を誇り相当な寺勢を感じます。寺歴はまるで比較になりませんが、いずれもが覚鑁さんの思想を伝えな
がらも観光寺院に徹しているのがイイ!
西村公朝さんの本尊がイイ!長谷川等伯さんの障壁画がイイ!田渕俊夫さん、後藤順一さんの襖絵もイイ!
てな訳で智積院を訪ねました。
▼大書院の障壁画(レプリカ)。左、長谷川等伯「楓図」右、長谷川久蔵「桜図」
●山号 五百佛山 (いおぶさん)
●寺号 智積院 (ちしゃくいん) 正式には五百佛山 根来寺 智積院
●宗派 真言宗智山派 (ちざんは) 総本山
●開基 玄宥上人 (げんゆうしょうにん)
●開創 元和元年(1615年)
●本尊 金剛界大日如来坐像
▲京都市東山区東大路七条下る東瓦町964 電話/075-541-5363
▲拝観/境内自由。収蔵庫、書院庭園は大人500円
▲アクセス/JR京都駅前から市バスにて「東山七条」下車すぐ。京阪電車「七条」駅から東へ徒歩約10分。
智積院縁起
真言宗祖弘法大師空海さんが高野山で入定後、興教大師覚鑁(こうぎょうだいしかくばん)さんが、荒廃し
た高野山の復興と真言宗の教学振興のため奮闘。改革派覚鑁さんと保守派との確執で覚鑁さんは修行の場を
高野山から根来寺に移し真言宗の根本道場としました。 鎌倉時代以降、安土桃山時代には、巨大な寺勢力を
もち太閤さんと対立、天正十三年(1585年)太閤軍により、根来山焼き討ちで全山が灰燼。時に根来寺智
積院の住職玄宥さんは、京や高野山に逃れ、太閤さんの死後、慶長六年(1601年) 江戸のタヌキ、じゃなか
ったイエヤスから、玄宥さんに豊国神社境内、豊臣滅亡後、三世日誉さんに太閤さん建立の祥雲寺の伽藍と
寺地が寄進、智積院が再興され、空海さんから脈々と伝わる真言宗智山教学が確立されたということです。
太閤憎しの時の権力者と寺側との究極の一致が今の智積院の礎と云えそうです。
▼総門。御所東福門院からの移築。住職晋山時に開門されるそうです。
▼寺石標。新義真言宗智山派と刻されていますが、なぜか「新義」が埋められています。
▼冠木門(かぶきもん)。一直線の参道の先は本堂です。
▼境内案内図。
▼鐘楼。
▼金堂。
桁行七間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、宝永2年 (1705年) 建立の旧本堂は明治十五年(1882年)焼失。
昭和五十年(1975年)再建。
▼智積院と揮毫された金堂扁額。
▼金堂内陣。
▼金堂須弥壇上の本尊を巡る荘厳。
▼本尊 金剛界大日如来坐像。西村公朝師のもと美術院仏師により造像。
木造、像高197.8cm、昭和五十年 (1975年) 造像。
西村公朝さんは美術院国宝修理所所長、仏像修理技師、東京芸大教授、仏師、仏像研究家であり、あの羅漢
さんで有名な愛宕念仏寺の住職を務めた方です。
▼開基玄宥上人坐像。
▼明王殿(不動堂)。金堂焼失後一時期金堂として使用されていたお堂。
▼明王殿扁額と照明。
▼明王殿本尊 不動明王坐像。木造、寄せ木造り、玉眼、像高84.5cm。
▼明王殿横の池畔にドライフラワー満開。
▼講堂への参道。
▼唐門。
▼講堂。桁行十八間、梁間九間、入母屋造、桟瓦葺、総檜造。平成七年 (1995年 )再建。
総檜造のお堂としては京一だそうです。自慢の種はどこにでもあるもんです。
▼講堂外廊。
▼襖絵百雀図。ちょっと曰く付きの襖絵。雀は九十九羽しかいませんが、一羽はどこに行ったのだろう?
お寺の方に聞いてみてください。作家後藤順一さん
▼襖絵「桜」左と「浄」右。作家後藤順一さん
▼講堂庭園の一文字蹲。
▼大書院から名勝庭園。
▼名勝庭園。「中国の盧山に倣って高低利用の築山を造り、その前面に池を掘るとともに、山の中腹や山裾
に石組みを配して変化を付けている」と説明がなされていますが、今は冬の植栽色気無し、池に水無し、な
んとも味気ない名勝庭園でした。補修中なんでしょうネきっと。
▼名勝庭園。左大書院、お向かいは宸殿です。
▼枯山水。
▼大師堂。本尊 弘法大師像。桁行五間、入母屋造、本瓦葺、一間唐破風向拝付。寛政元年(1789年)建立。
▼遍照金剛殿と揮毫されている大師堂扁額。
▼密厳堂参道。
▼密厳堂(みつごんどう)(開山堂)。本尊 興教大師覚鑁像。桁行五間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。
寛文七年(1667年)建立。
▼第七世運敞揮毫の密厳堂扁額。
▼鐘楼。
▼求聞持堂(ぐもんじどう)。本尊 虚空蔵菩薩。三間四方の宝形造、本瓦葺、正面一間向拝付。
▼運敞蔵。寛文十三年(1673年)建立。 第7世運敞僧正が蒐集した文献が収蔵。
▼井戸。
▼大玄関。
▼大玄関障壁画「布袋唐子禧戯の図」。
▼どこか禅宗寺院と間違いそうな本坊。
▼総門から七条通りが一望。左バス見えます? その向こうが三十三間堂、道路向かい側が京博です。
▼特別フロク、道しるべ。
綺麗さ、管理のよさはピカイチ。冬枯れの広い境内を巡っていてこれほど気持ちのイイお寺は久々です。
残念は二つ、
一つ、名勝庭園の池の水が抜かれていたこと。
二つ、田渕俊夫さんの水墨襖絵を撮り忘れたこと。