裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

動的平衡のひと・1

2017年01月18日 23時02分06秒 | Weblog
このからだは、暫定的なものなわけですよ。
ぼくの正体は、突き詰めると「遺伝子」という姿かたちのないひとひらの情報なのであって、物質的な肉体はその乗りものとして機能してるに過ぎない、ぼくの影。
・・・って、狂っちゃったふりをしてるわけじゃないのです、真面目な話。
ここに、ちょこんと情報があります。
その情報が、周囲から物質を集め、乗りものをつくり上げます。
乗りものはすぐに部分部分が劣化するので、ひっきりなしに別の物質を取り込み、修理し、いらない箇所を捨てなければなりません。
それが「摂食」「新陳代謝」「排泄」の意味です。
それを間断なくくり返す結果、今日のぼくは一ヶ月前のぼくとはまるで入れ替わってます。
どこにも一ヶ月前のぼくが残ってないのです。
まったく新しい別のぼくが出現してるにもかかわらず、ぼくはまだこのからだをかつてのぼくと信じて疑わないのですね、不思議。
ぼくはぼくではなくなりました。
なのになんでこのぼくが、一ヶ月前のぼくというアイデンティティを持ちつづけ得るかというと、それは「遺伝子」という情報が絶えず、古い細胞から新しい細胞に伝言してくれるからです。
ゆく川の流れは絶えずしてまた元の水にあらず。
ぼくの肉体は、ぼくのようであって、自然の中で移ろう一部分、吹きだまりのようなものなのです。
あっちからきて、こっちに去りゆくぼくの正体は、ついにひとひらの情報でしかない。
それが「動的平衡」の概念でした。
それをベースに、最近はさらに思惟を深めて発展させてるのですが、お酒飲みつつだったり、お風呂の湯舟につかりつつだったりで。
それは「死」のことです。
ああ・・・お風呂の中ではうまく考えがまとまってるのに、文字に起こすとなんだか散らかるなあ・・・
とりあえず、つづく。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
コメント
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