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裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

あっちはすきで、こっちはきらい、の効用

2018年06月13日 20時52分37秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
リン脂質、すごいっす。
ものの本の図式で見るとこの物質は、丸いアタマに、直接足が二本生えたような形をしてて、つまりコンデンサみたいな姿なの。
マッチ棒の火薬のない方が二股に裂けたような、つか。
まあここではシンプルに、マッチ棒をイメージしてくれたらいいわ。
その火薬のついた丸い方が、水を好むのだ。
水があれば、くれっ、と言って頭を突っ込むの。
逆に、マッチの持ち手の側、つまり足の部分は、水を嫌うというんだな。
丸い頭の方を「親水性頭部」といい、足の方を「疎水性尾部」という。
そんなリン脂質の分子一個を、油が一滴浮いた水の中に放り込んだとしよう。
油に足が張りつき、水を好む頭は外向きに、つまり水の側に接した状態でそっぽを向く。
この分子を、じゃんじゃん水面に投入するとどうなるか?
多くの足が油に張りつき、やがて滴を一周して、おびただしいリン脂質が、油の円周を美しい横列で覆う膜となる。
わかるかな?
お互いに接し合ってた水と油滴が、今やリン脂質の一層を間に置いて、完全に隔てられたんだよ。
この実験では、水面の油滴という二次元モデルを例にしたけど、水中の油滴(三次元)でも同じことだ。
球体の油滴の外面全体を、リン脂質は美しいまでの隊伍を組んで取り囲み、油を水と分離させる。
水の中に落とされた油玉を、リン脂質でできた容器が包み込んだわけ。
これは、生命活動に必要な最初の要素である「系の独立」を実現する構造だ。
そして、生命は実際にこの様式を採用した。
リン脂質がびっしりと同じ方向に並んだ細胞膜は、何億年もの間、原形質を外界から守りつづけたんだ。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

コピー問題

2018年05月09日 21時52分35秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
・・・というわけで、思考実験で生命機械をつくってるわけ。
系の独立と、動的平衡の問題は、難しいにしても、古典的な化学の応用でなんとなくクリアできそうな予感はある。
だけど、自己複製に関しては、ハードルがはるかに高い。
生命の仕事として、ただ生きて動ける、ってだけじゃなく、自分が生きて動ける間に、次の世代を・・・すなわち、自分と同様に生きて動ける分身を、つくらなきゃならない。
これが自己複製問題。
地球上における生命体はみんな、DNAってやつを用いて、この難題を解決してる。
が、一体どうして、我々よりもはるかに下等な原始的生物がこんな高度な発想に至ったのか・・・それがまったくわからない。
自分と同じ形状を再現する、ってんなら、現代には3Dプリンターがある。
そこで考えてみる。
3Dプリンターが、自らの機能を使って自己複製をする(新たに3Dプリンターをつくる)とどうなるか?
これは、生命体が自分を複製するのとまるで同じと言える。
なぜなら、生命体が複製した次世代の生命機械はその中に、そのまた次世代の生命機械を複製できる3Dプリンターを組み込まなきゃいけないんだから。
つまり生命体は、自分をもう一個つくる機能を備えたもう一個の自分をつくる必要がある、ってことだ。
そこで、3Dプリンターで3Dプリンターをつくりあげてみる。
複製には、素材もきっちりとそのものが使えると仮定しよう。
ところがこれが、とてつもなく難しい。
形状を・・・つまり一個一個の部品を正確に複製するのは簡単だ。
しかし、こいつを組み立てないと、次世代の・・・つまりもう一台の3Dプリンターをつくり上げたことにはならない。
それをするには、その部品を組み立てる別の機械が必要になってくるので、その機械も3Dプリンターでつくる。
さらには、その機械もまた組み立てる必要があるので・・・こいつは堂々巡りとなる。
その点をクリアしてついに3Dプリンターを組み上げたとしても、今度はそいつを動かすプログラムもまた複製しなきゃならない。
プログラムなんて形のないもの・・・いわば「ものを動かす」という概念を、言語もなしにどう複製するのか?
また、機械が組み上がってプログラミングも終えたとして、その動力源も複製する必要がある。
3Dプリンターで言えば、電気だ。
というわけで、エネルギーを生み出すメカニズムもまた複製しなきゃならない。
まったく、奥底が知れない・・・
複製とは、形の設計図だけの問題じゃなく、その目的という観念自体を伝えていく作業も含まれるので、こいつを「魂」抜きに物質だけで進めようとすると、なんともどこからどう手をつけたらいいのかわからないんだった。
自分向けの備忘録につき、文脈が無茶苦茶、失礼。

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あっちとこっちがつながった!

2018年04月24日 10時56分26秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
えらい情報をつかんだよ。
生体内のコラーゲンと酵素との間で、量子レベルのやり取りが行われてるんだと。
量子力学によれば、素粒子ってのは、粒として一定の場所にじっとしてはいない。
電子が原子核の周囲を周回してるわけじゃなく、一定の距離を置いた範囲に確率として存在してるように、その位置は常に不確定なのだ。
簡単に言えば、素粒子はぴょんぴょんとテレポーテーションみたいに、あっちからこっちへと瞬時に移動できてしまうのだ。
この「トンネル効果」ってやつを利用して、生体内で電子が物質間を移動し、あちこちに反応を起こしては、アミノ酸内の分子の配列なんかを変えてるらしいのだな。
一個の電子がそこにあるかないかによって電荷が書き換えられ、物質の性質がまるで変わってしまうんで、この活動は生命現象のまさに根っこだ。
具体的に言うと、オタマジャクシのしっぽをボディに収納して解体し、リサイクルして四肢をつくる、なんて作業を、素粒子のこんな物理法則が操ってるんだ。
あっちで分子のつながりを切る。
こっちで結ぶ。
別の性質の物質ができる。
そいつをこっちに持ってきて、別の分子と反応させる。
一個の電子の瞬時の移動が、これだけのことをやってる。
誰の意思だかは知れないが、電子をあちこちに飛ばすことで、生体の新陳代謝と動的平衡は実行されてるらしい。
オレがオレだと思ってるこの生命機械は、こんな小さな人々の働きの大きな集合体なんだよ。
そしてそれら小さな意思のひとつひとつが結びつき、代表としてオレというアイデンティティを築いてくれてるんだが、当のオレは、そんなひとたちのことなんかまるで意識することなく、それでもどういうわけか、巨大な意思を形成できるんだった。
まったく不思議なことだ・・・

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成長しつつある

2018年04月10日 10時11分35秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
分裂!
ある瞬間だ。
水の流れの加減でか、なにかがぶつかったからか、彼のからだはまん中からふたつに分かたれてしまった。
ところが、どうした偶然だろう。
膜の一部がくっついたままだ。
あっちはこっちを離そうとせず、こっちはあっちを引き寄せる。
彼に意識はまだ芽生えないが、ふたつに解体されたはずの彼は、あっちも、こっちも、どちらも彼なんだった。
分かたれたようで、それはひとつなのだ。
その証拠に、薄膜を間に介して、相変わらず今まで通りに、片方が外界から得た要素はもう片方にまで拡散し、ふたつの内部は等質にして動的平衡を保ててる。
その上に、分裂したひとつひとつはそれぞれに、すべてが丸くおさまってた今までと同じ大きさにまで膨らむことができる。
これは、実質の成長だ。
大きくなったんだ、彼は。
この作業をくり返せば、彼は延々とからだを大きくしていくことができるぞ。
しかもこの奇妙な形は、各部位に個別の役割を持たせることも可能だ。
ふたつに分かれた上の方の球体部は、水の本流にさらされるので、外界からより多くの要素を取り込む役割が期待できる。
一方、下になった半球体部には、海底にしがみついて態勢を安定させる役を割り振る。
そうすれば、さらにその役割に特化した機能を、各部位が独立で高度に発展させられそうだ。

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調子に乗って

2018年04月07日 18時00分11秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
さて、水底で安定したはいいが、この環境はいいことも悪いこともある。
まずいいことは、奇妙な水流に巻き込まれての破損や破裂の心配が少なくなった。
あっちにこっちにと不安定に流されることもなくなったし、これは具合いがいい。
悪いことは、地べたに接地面が取られているために、表面積が減ってしまった。
からだの維持管理に必要な要素があっちからやってきてくれるのを待つのみの身にとっては、その可能性を少しでも削ってしまうのは命に関わる一大事だ(まだ生まれてない命だが)。
かといって、彼にはまだ「自分から出向き」「能動的に獲得する」などという野心はまだない。
そもそも主体的に動けない彼は、あくまでも受け身なのだ。
それでも、できることだけはやるしかない。
彼はいいことを考える。
体表面が減ったのであれば、増やせばいい。
すなわち、大きくなればいいのだ。
ただし、それには問題もある。
やたらと巨大化したとして、彼を取り囲む膜の強度はもつのだろうか?
泡が破れれば、ここまでの努力が水の泡だ。
仮に球体の直径を二倍に増やしたとして、膜の厚みが二倍になってくれるわけではない。
つまり、あぶくには大きさの限界があるのだ。
では、長さ方面に成長してはどうだろうか?
膨らむのではなく、細く長くなるのだ。
これはいい考えに思えるが、それにも表面張力と水圧という問題があって、形状を保つことができない。
一定の体積を持つ柔らかいものは、周囲から一様な圧力を加えられると、表面積が最小である球に限りなく近づこうとするのだ。
ではどうすればいいか?
ふと、素晴らしいひらめきが、彼を打った。

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また備忘

2018年04月07日 00時18分34秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
水中を浮遊する彼もまた、万有引力の法則に従う。
周囲の煮えたぎる水と、彼が抱え込む体液とは同じような濃度だが、体内における実験によってさまざまな機構が配置されたからだは、水よりも軽いとは考えにくい。
その機構の数々は、周囲から集めた要素を化学反応で凝縮させたものと考えられるから、とにかく彼は沈むんである。
あるいは、彼が「浮上しよう」と指向したのだとすれば、体内にガスか空気あたりを取り込んだはずなんだが、ここでは彼はそうしなかったことになってるんである。
とにかく、彼のからだは沈降していく。
海底に着床!
そう、まさに彼はこの世界に生を得ようとしているのだ!(「着床」が、妊娠の開始を意味する子宮世界におけるミクロの現象・・・なんて説明は野暮か)
球体だった彼のフォルムは、底部が扁平になり、落ち着きよろしき形状になった。
その接触面は、海底にたまたま存在した地質学的生成物と引き合うか、噛み合うか、同化するか、どういった作用でか、固定されることとなった。
こうなると、さらにはっきりとした方向性が生まれる。
方向性とは、文字通りの、方向だ。
個体のこの部分が上で、ここが下。
頭がこっちで、尻はあっち。
一定の流れがやってくる側に入り口を設け、反対側に出口を配することができる。
これはまさに、「からだ」というデザインの第一歩だ。

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生命って

2018年04月05日 09時47分03秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
水中を漂うあぶくになった「彼」なわけだけど、その場から主体的に移動しよう、なんて野心はまだない。
なぜなら彼は、「広さ」という概念を持ってないんだから。
ちょうど、人類が天動説を信じきってたように、自分の周囲がこんなにも広がってるなんて、思いもしないわけだ。
周囲の抵抗物(水)がゆらゆらとうごめく中で、視覚を持たない彼は、自分がただそこに「在る」としか感じることができない。
しかし、自分が移動「させられて」いることは感知しようがなくても、自分の周囲の環境全体が動いていることは理解できそうだ。
ということは、彼が方向という感覚を持つことはあり得る。
彼が身を置く水とは流体であり、外界からの抵抗と刺激は、いつも球体の全面均一にはやってきてはくれない。
取り込むべき要素が接触してくれる箇所にも、偏りがある。
つまり、水が流れてくる方向から、常に欲しいものはやってくる。
その位置に、外界との出入り口を集中させることは可能だ。
彼は、効率という概念を獲得する。
こうして新陳代謝を重ね、彼は体内の平衡を保つわけだが、この作業がこなれてくると、やがて当たり前のアイデアがひらめく。
すなわち、このやり方で、自分の中に自分をつくれるぞ!というわけだ。
この様式を取り入れれば、自分の体内においてもまた同様の小さな化学反応実験室をつくれる理屈だ。
つまり、あぶくの体内に、入れ子構造のようにして相似形のあぶくをつくり、そこでもまた要素の出し入れをすれば、より濃密な小部屋ができる。
こうして、今もって有機物のあぶくであるにすぎない彼は、知性を持つことなしに、構造を複雑化させ、機能の効率をアップさせていく。
あるいはこのとき彼は、周囲から勝手にやってくるエネルギーを取り込むよりも効率的な、自家栽培エネルギーを獲得してしまったかもしれない。

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備忘

2018年04月03日 19時43分53秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
生命が水中から発生したことには疑いがない。
となると、最原初のその構造は、独自の系を外界から隔てるべく、油膜のような結界を張りめぐらせた、有機物のスープだったわけだ。
そしてその形は、表面張力と、周囲からの圧力による、完全な球体だったことは間違いない。
さて、未だ意志を持たない彼の最初の仕事は、浸透圧による透過現象と、化学反応ということになる。
油膜を間に置いて、外界から系の内側へと必要な要素を取り込み、腹の奥で化学反応を起こし、必要のない要素を排出する。
ここまでは、特別な神様からのいただきもの(知性)がなくてもできそうだ。
その一連の反応を「活動」と書き換えると、次のような表現になる。
「彼」は、油膜の内側にもともとあった有機物と外界からすくい取ったものとを突き合わせてなんらかの実験を行い、作用の報酬に得たなんらかのエネルギーを元手にさらなる実験を可能にする熱量にフィードバックさせ、それにともなって発生した汚物を外に追い出しつつ、入れ替えにまた必要な要素を取り込み、その繰り返しによって、常に内部を等質に保つ。
動的平衡だ。
そしてその連鎖は、まさに「生きる」という活動そのものでもある。
この生命の卵ともいうべき無意識の循環現象の円を閉じ込むあぶくは、自分と同様の構造のものを再び生み出そう・・・すなわち、子孫を残そう、などという着想はまだ持ち得ていない。
つまり彼は、自身の個体を永遠に永らえさせよう、という突拍子もない願望を抱いている。
これが、この世で最初に生じた意志といっていいんじゃなかろうか?

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生命のやつ、備忘

2018年03月26日 22時17分56秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
持続的な生命活動には三つの条件が必要、ってのが生物の発生って問題を考える上でのヒントになるようだ。
すなわち、下の三つ。
1、系の独立性(膜に覆われるかなんかして、アイデンティティを保てる)
2、動的平衡(新陳代謝をしながら、形質を保てる)
3、自己複製(増殖して、子孫を残すことができる)
これらのひとつでも欠けると、生命の維持は不可能、あるいは、一代限りの偶然、ってことになる。
だけど逆に言えば、これらのひとつでも達成できた一代限りの偶然が数多く起きれば、次の条件を満たすための熟成の猶予となりうるな。
だとすれば、最初に起きた偶然は、「膜に覆われる」という現象にちがいない。
そこで、数多くの実験が行われたわけだ。

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生命の誕生

2018年03月07日 12時07分31秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
書きたい病と、読みたい病を発症中。
アウトプットした分だけ、インプットしていく。
今いちばん興味があるのは、生命の誕生。
赤ちゃんがどう生まれるか・・・じゃなくて、生命体が活動を開始した最初を知りたい。
つまり、鉱物しかなかったこの世界で、いかにして無機物の中に「タマシイ」が発生したのか、って点。
その開始点。
物の本を読んでも、「水中から高温の有機物が噴き出し、そこに雷が落ちてシアノバクテリアが生まれ、それがやがて進化した」とか、乱暴な例では「宇宙から降ってくる隕石の中にアミノ酸が含まれてて、それが単細胞生物に進化した」なんてあるけど、すっ飛ばしてんじゃねえ!って話だよ。
こっちは、生物が進化をはじめる、そのさらに前段階を知りたいのよ。
海の底で、あるいは宇宙の奥で、どんな過程を踏むと、うごめくという行為が生まれるのか?ってこと。
要するに、単細胞生物よりももっと原始的な段階で、いかにして「生きよう」なんて奇妙なことが着想されたか。
そいつは天才にちがいない。
単純に想像するに、最も原始的な「活動」らしきものは、化学反応の連鎖による自動的なもの。
つまり、水分を含んだものに塩が触れて収縮、とか、浸透圧の加減で平衡と破綻状態が行き来、とか、あるいは電気が信号として関わったかもしれないし、磁力が介入したかもしれない。
そういったものが、いつの時点でコントロールされるようになったか、ってこと。
そこに、最初の意思が生まれるわけ。
・・・この話は面白いから、アイデアがこぼれたその瞬間に、ここに覚え書きに綴っていこうと思う。

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