18・素粒子の崩壊って
中性子が、電子(素粒子)を産み落とした!
そして、なんと陽子になった!
電荷0の中性子は、電荷−1を独立させて質量を減らし、電荷+1の陽子に変身したんだ。※1
まったく中性子ときたら、どこにこんな素粒子を隠し持ってたのか?
きみはクォーク(素粒子)三つだけでできてたんじゃなかったのかよう。
それにしても、電子(−1)が抜けることで、ダウンクォーク(−1/3)をアップクォーク(+2/3)に変えて電荷勘定をピッタシにするなんて、とんだ算数の天才がいたもんだ。
こうして電子が大量に誕生し、とてつもない電磁場が発生して、大混乱状態に拍車がかかる。
電子は、電磁気を渦巻かせる張本人だからね。
この電子がまた、特異点の膨張によってエネルギーを失う際に、光子(素粒子)を吐き出す。
どこに隠し持ってたのか、電子ときたら、はだか一貫な素粒子のくせによう。
そんなこんなの中、いよいよ陽子が崩壊して、三つのクォークとグルーオン(素粒子)に分離する・・・かと思いきや、そうじゃない。
グルーオンの「強い力」に捕らえられたクォークは、決してその引力圏から逃れられないんだ。
いや、正確には、別の言い方をしなきゃならない。
グルーオンは、クォークから一定の距離を取ると、なんとなんと、クォークそのものを産み落とす崩壊をするんだ。※2
またまた、どこに隠し持ってたの〜?
素粒子ときたら、「物質の最小単位」なんつってうそぶいといて、中からどんどんと素粒子が湧いて出てくる。
素粒子たちの背後には、四次元空間でもあるっての?※3
つづく
※1 β−(ベータマイナス)崩壊。中性子が、電子&ついでに反ニュートリノ(素粒子)も放出して、陽子の姿に崩壊する。
※2 正確には、クォークと反クォークが対生成され、新しく生まれたクォークがグルーオンとくっつき、分離された方のクォークは反クォークとくっついて対消滅するため、全体は崩壊前と同じ画づらとなり、よって永遠にこの二種の素粒子はつながったままとなる。
※3 「パリティ対称性」という概念によると、実際にあるようだ。
東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
17・中性子って
クォーク・グルーオンプラズマ状態の特異点から、世界を開始するインフレーションが起動し、破壊的な核分裂(のような大爆発)を起こした、というタイミングだ。
ここから先はもう思考実験をするしかないんだけど、情報の断片で構成してみる。
質量の発生によって相対論的な時空間が開き、特異点が散開すると、密度と温度が下がる。
それに従って、超流体だった素粒子の固まりは相転移を起こし※1、(古典的表現を使うと)パウダリーになって集団からバラバラに独立する。
この際に、分散が大きな固まりから小さな固まりへと枝分かれしていったと仮定すると、最終段階で中性子の姿になる。
ここで、とんでもない事実を告白しなきゃならない。
中性子は、陽子と瓜二つなのだが(この二種類だけが原子核を構成できる)、中性子の方が少しだけ質量が重い。
思い出してほしいのが、中性子は電荷的に中性で、陽子は+電荷、って点だ。
0と、+1。
この差が、二種類の核子の質量差になってるんである。
つまり、中性子の中に、−1の要素が含まれてるんである。
その−1とは何か・・・?
察しのいいひとはもう理解できたと思うけど、なんと中性子は、お腹の中に電子(電荷−1)を隠して持ってるのだ!
電子!・・・それは、陽子、中性子とともに原子をつくり上げるもうひとりの構成員。
いや〜、驚きだよねえ、原子核の外周をめぐる電子(この構成が「原子」の形)が、まさか原子核の中にもいたなんて。
というわけで、ここから先がややこしい。
つづく
※1 氷が0度で水になり、水が100℃で水蒸気になる、個体・液体・気体の変態を「相転移」と言うが、宇宙創生時のこのイベントは、点が物質の様式に変わると同時に時空間の変異をも誘導したことから、「空間の相転移」と現象全部をひとからげにする。
東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
16・特異点って
さて、(後に構築されることになる)ぼくらのこの世界に散りばめられたすべての素粒子(ぼくの肉体を含む)が、ただの一点に凝集されてるんだった。
そんな特異点が、ちょん、とうがたれた瞬間に、まさにこの世界がはじまった。
そいつが破裂し、時間が開始された。
空間が開いた。
それにしても困惑させられるのが、この「宇宙の素」の一点における高密度と高温をどう考えるか、だよ。
空間がなければ密度もくそもないし、基準の温度がなければ高温もくそもない。
なのに、時空間の存在しない「とある位置」に、それが突如として立ち現れたんだ。
その内容は、量子力学が言うに、ものすごく強く震える波・・・言わば強力なエネルギーの固まりだった。
そしてそいつを、何者かが観測したんだろうか?
素粒子たちは位置を得、質量化した。※1
そして、質量あるところに、重力は発生する。※2
とてつもなく高密度な物体の出現に、周囲の時空間はねじくれ・・・いや、逆だ、ねじくれた異空間が、この世界独特のまっとうな時空間となったわけだ。
ぽんっ、とはじけた特異点は、細密に分解される。
ここは都合上、パウダーとなって飛び出した、と古典的に描像しよう。
特異点を構成する素材はクォークとグルーオンなので、ひょっとすると本当に核分裂のように、巨大な原子番号の元素から小さな番号のものへと粉砕されていく手順を追ったのかもしれない。
そしてコンマ000・・・数秒後あたりに、中性子となった。
それがなぜ陽子でないかというと、中性子の中にはとても大切な秘密が内包されてるからだ。
つづく
※1 特殊相対性理論で言うところの「E=mc2」。
※2 一般相対性理論における重力理論。
東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
15・インフレーションって
話が寄り道をしたが、そんなこんなでビッグバンの実相をイメージしてみる。
最新理論によれば、ビッグバンの前段階に、インフレーションという現象がまずある。
ビッグバンというイベントは、物質の素が詰め込まれた特異点が爆発的に膨張して初期の宇宙空間(ひろがりと奥行き)を切り拓いていくプロセスだけど、それに先立つインフレーションは、異空間から特異点を引っ張り出して物質的な初期値を設定する過程、とでも言うべきものだ。
で、その瞬間は唐突に訪れたんだった。
どうしたわけかそのとき、世界(世界はこれからはじまるのだが)のパリティ対称性が破れた=鏡の世界のあっちとこっちの勘定合わせにずれが生じた。※1
具体的には、針先よりももっともっと小さな一点に、その後のこっちサイドの世界を構築するすべての素材が充填されたんだ。
その中身は、大雑把に言えば、おびただしいクォークとグルーオンで、両者はプラズマ状態に溶け合って、摩擦係数ゼロの超流体の形式を取ってたようだ。
ところで「原子核」ってのは、複数(あるいは単数)の核子がせま苦しい場所に寄せ集まったものだよね。
それに似て、特異点における高密度のクォーク・グルーオンプラズマは、途方もない素粒子を内包した「超絶過積載な原子核」と言っていい状態だったんだ。
要するにこいつが、とてつもない核分裂を起こすわけだ。
どっかーん!(音はしない。空気がないから)
すると、超流体の形で一体化してた素粒子たちはバラバラのパウダリーになり、四方八方に散開する。
・・・とは言え、この頃には四方も八方もなにも、空間自体がない。
とすれば、なにが起こるのか?
つづく
※1 反物質よりも物質の方が多く生み落とされ、バランスが偏ってしまったようだ。
東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
14・科学実在論って
「コペンハーゲン解釈」を、この話のずいぶんはじめの頃に出したんだけど、厳密にこの解釈を説明すると、「素粒子が位置と運動量を同時に捉えさせないのは、観測時に他から受ける相互作用の影響の問題なのであり」「実験が不可能な事象を説明しようとする作業は無意味だ」という立場から、観測収縮という量子的現象の存在を否定するということのようだ。
論理実証主義というわけだが、どうも腑に落ちないではないか。
なのに、これを言い出したボーアさんとハイゼンベルクさんの権威はとてつもなく、アインシュタインさんあたりが強烈に抵抗したにもかかわらず、科学界の多くはそちらになびいてしまったのだった。
そこで立ち上がったのが、科学哲学者たちだ。
科学は最高度に洗練されると、実験と観測から、数学と哲学の問題へと移っていくのだ。
事実、原子の構造など視覚では捉えようがなく(「確率の波」である波動関数状態なので)、数学的な確実性を積み上げ、抽象的な模型(視覚的には具象の形で)を立ち上げて概念化するしかない。
例えば、最新鋭理論である「ちょうひもりろん」なんて、11次元の空間にチョロひげのようなヒモが輪をつくったりそよいだりしてるトポロジー世界だが、感覚や経験から完全に独立したそんな理論が立ち上がり、物質の振る舞いを正確に(というよりも近似的に)描写できるようになってる(らしい)。
そんなわけで、実験物理は理論物理の予測を確認するセクションになっていく運命なのだった。
話は戻るが、こうした経緯から科学哲学方面がカウンター的に沸き立ち(つか、物理学会に抵抗しはじめ)、「科学実在論」すなわち、観測できないものもまた実在するという、当たり前に思えるムーブメントが開始された。
つづく
東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
13・論理実証主義って
古代ギリシャの哲学者(=自然科学者)であるアリストテレスさんは、「この世界は、土と空気と水と火で構成される」と考えた。
アース・ウインド・ウォーター・アンド・ファイアー、というわけだ(あの黒人ロックグループもまたこの名前にしようしたが、長すぎるため、水の要素を抜いたらしい)。
アリストテレスさんは、自分の感覚を信じて「温度」と「湿度」を基にした世界の根本設計をしたのだ。
つまり、「乾くと土になり、湿ると水になる」「冷たいと空気になり、熱いと火になる」「その組み合わせのみで、万物は再現しうる」という単純明快な論理だ。
逆に言えば、感覚できないものは実在しなく、したがって目に見えない原子という最小単位も存在しなく、要するにすべてのものは連続的な造作を持ってるはずなのだ。
・・・この考え方と、彼の形而上学とのすり合わせがよく理解できないんだけど、まあとにかく、そういう考え方だったようだよ。
そして時は流れ、マッハさんからはじまる「論理実証主義」なんだった。
例の「目に見えるものだけが実在する」というやつだよ。
かく言うマッハさんの「音速」も目には見えないけど、ドップラー効果による音速突破の瞬間の衝撃波というものが実在するので(マッハさんが研究してたのは「音速」じゃなく「超音速」だった)、波の圧縮によって音速を特定した彼は、「ねっ?」とほくそ笑んだのだった。
要するに、「実験による観測をクリアしたものの実在は確定的」で「その検証に耐えないものの存在は無視していい」という考え方が、論理実証主義だ。
とすれば、場の量子論はいったいどんなことになるのか?
つづく
東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
12・いったいこの世界って
まったく、これは深刻すぎる問題ではないか。
波が観測によって収縮し、位置を持ち、その際にはじめて物質が実体を獲得するという「観測問題」に、ふりだしはあるのだろうか?
生まれたばかりの宇宙空間に、観測者は存在しそうにない。
観測できる者がいるしたら、それは絶対者、超越者・・・すなわち「神」だが、そんな絶対者が世界をあまねく観測して物質の実在が開始されるのだとしたら、そもそも波動関数の収縮に人類その他の観測は必要なくなる。
つまり、その頃には物質は存在せず(ついでにこの背理法は神が存在しないことも示すようだ)、ただ波があるばかりだったのだ。
ビッグバン直後、そこにはただエネルギーがあるのみだったのだ。
目に見えるものはなにもない。
逆に、何者かが目で見る際にはじめて目に見える形で姿を現すのが物質なのだから、これは堂々めぐりの迷路だ。
物質を存在させるには行為者が必要で、行為者を存在させるには物質が必要なのだとしたら・・・これはもう科学ではなく、哲学の問題になってくる。
波はいつ、どうやって、つぶの形式を得るのだろうか?
・・・ところで、音速を特定したマッハさんという人物がいる。
このひとはこう言う。
「目に見えるものだけが実在する」と。
つづく
東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
11・観測問題って
こうして、できたての宇宙空間に「つぶとしても解釈可能な波」が満ちることになったわけだ。
満ちる、と書いたけど、実際には宇宙空間にはなにもない。
あるんだかないんだか、わからない。
なにしろ、すべては波なんだから。
そしてその波はまだ、つぶに変身させてもらってないんだから。
ただ、宇宙空間全域に波が満ち、沸き立って、出現と消失を繰り返してることは確かなようだ。
ビッグバンの際に放たれた超高エネルギーの光と熱は、宇宙がふくらむにつれて弱く、暗く、か細く薄まり、やがて心細い波長のマイクロ波の背景放射となって・・・要するに宇宙空間を文字通りに満たす舞台背景となって、あまねくゆき渡る。
そんな中に、物質の種とも言うべき陽子が、電子が、ニュートリノが散りばめられた。
これらはみんな、波動関数に従い、位置を持たないで確率だけで存在してる。
要するに、数値だけを与えられた状態で、われわれ人類の目には見えない波として展開してる。
・・・いや、今のレトリックは、永遠のジレンマを含んでる。
なぜなら、波は「われわれ人類の目に見えた瞬間に」つぶに変身するのだから。
逆説すれば、波は「何者かに見てもらえない限り、永遠に波のまま」の姿でいる。
量子のこの観測問題は、卵が先かニワトリが先か、という問い以上に奥深い謎を持つ。
観測が先か?物質が先か?
すべては生まれた。
が、その問題を解決しないことには、いかなる実在も生まれられない。
つづく
東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
10・時空間って
物質を含む波のエネルギーは、最小単位の整数倍だ(つぶ状なので)。
その振幅には大きさが定められてて、中間の値を取ることがなく、ある数値から別の数値に、ぴょんっ!と飛ぶ。
これは言い換えれば、空間にも最小単位がある、ってことだ。
見てきたように、空間は素粒子のポテンシャルが特異点をゆがませてつくったものなんだから。
空間にも、刻んで刻んで刻みきった、「それより先がない」いちばん小さなパーツがあるんだね。
さらに、あらゆる波のエネルギーの数値が飛び飛びということは、その間の時間もまたつながってない、ということだ。
映画のフィルム一枚一枚の間が途切れてるのと同じ理由からだ。
時間が連続的じゃないなんて(つまりつぶ状だなんて)信じられないことだけど、これもどうやら本当のことらしいよ。
まったく、ぼくらの世界の根本原理ときたら、直感に反することばかりだ。
さて、ずっと後の世界でぼくらを構成してくれるはずの陽子たちは、宇宙空間のへりを外へ外へと開墾しながら飛びつづけてるんだった。
ちなみに、同素性で生まれた中性子たちは、たった15分の半減期しか与えられなかったせいで、大部分が崩壊して陽子に姿を変えてる。
生まれたてのこの頃の宇宙の全空域には、ほとんど均等な割り合いで水素原子核が配置されてたんだ。
エントロピーが最小値の世界って、なんて整ってるんだろう。
これをどんどんと散らかし、偏らせ、エントロピーを増大させて、極端な造形を進めていくぞう。
9・ビッグバンって
おびただしい数の陽子(と中性子)が、重力のポテンシャルで周囲をゆがませ、ゼロ次元をこじ開けはじめた。
うがたれた針先ほどの小穴は、特異点という「世界の新規オープン地点」であり、ぼくらが生きるこの時空間の萌芽だ。
その一点に、後の世界を構成するすべての物質が集中する。
エントロピーが最小値にリセットされ、瞬後、時空間が爆発的に開いていく。
電荷を+に設定された陽子たちが、ものすごい反発力で飛び散ったんだ。
どっかーん!!!・・・と音は鳴らなかった。
だって、空気がまだないからね。
その代わりに、すさまじい光と熱が発生した。
あらゆる種類のエネルギーの開放、あらゆる種類の波の放射散開だ。
飛び散った陽子たちの質量で、時空間はどんどんとねじくれながら耕されていく。
宇宙の拡大膨張が開始された。
ただの点だった時空間の穴は、ひろがりとなり、奥行きとなり、要するに容積となって、宇宙のふところを巨大な「スペース」へと膨らませていく。
エントロピーが不可逆な増大(エネルギーの散らかり)をはじめ、過去から未来という時間の方向が定まった。
ビッグバンという奇跡が起き、ぼくらの世界が誕生した。
つづく
東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園