徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

5月5日を前に

2012-04-28 01:33:12 | News


19時過ぎに官邸前に到着。着いたときには国会議事堂前3番出口前はもちろん、4番出口付近まで参加者の列は続いていた。思えばそれは今年の3月11日に国会を包囲したときにオレがヒューマンチェーンの手を掲げた場所でもある。

今回の官邸前抗議で首都圏連合を主催とする行動は一旦終了ということになる。また明後日、1周年を迎えた、渋谷で行われるTwitNoNukesのデモも、これ以降5、6月の行動は予定されていない(一応「梅雨」等を理由にしたアナウンスはされている)。
何よりも関電・大飯原発の再稼動の可能性が低くなり、5月5日未明(7日に冷温停止)に北海道電力・泊原発が定期検査入りすることによって、国内すべての原発が「停止」することが大きな理由なのだろうと思う。
これを「ゴール」にすることは個人的には納得できないけれども、これをひとつのマイルストーンとして、「区切り」とすることは決して間違っていないだろうと思う。

抗議という、アクションに乏しい行動がいずれ「集会」になりかねない危惧は最初から感じていたし、シングルイシューを標榜してきたTwitNoNukesにはそれはそぐわないと思っていたし、「再稼動反対」でしかない抗議行動に(あくまでも個人的な意見だけれども)直接関係のないスピーチや属性の表明には違和感をずっと感じ続けていた。
オレは2012年に、「その通り!」とか「意義なし!」とか言う「集会」は、あまり意味がないと思うわけです。

エモーショナルな言葉を重ねれば重ねるほど、内向きの共感は拡がる代わりに、外に向けた抗議という行動の純粋性は失われていく(ほとんどの人が了解済みの言葉を重ねるだけなのだから共感するのは、まあ当たり前だ)。
オレたちの行動の根底にあるシングルイシューは抜け目のない言葉を重なる作業ではなく、研ぎ澄ました言葉を絶え間なく叫び続けることなのだから、スピーチで言葉が重ねられるたびに、どうしたって違和は増大していく。オレたちのような反対派だってそんなに単純ではない。反対派だってひとつの「社会」で、単純ではないから方法論としてシンプルな言葉を選んでいるのだ。
これから予定通り「5月5日」を迎えたとき、オレたちは本格的な防衛戦に突入する。大規模な動員を前提にした予定された「集会」ではなく、状況に応じた機動力(リアクション)がもっと求められるのだろうと思う。

細かい雨に打たれながら、このまま長く伸びた抗議の列が3月11日に国会議事堂を包囲したときのように伸びれば良かったのに、とは思ったけれども。



官邸前抗議を終えて、経産省正門前、別館前で抗議行動。
正門前はテント系の人たちによる(チェルノブイリ)キャンドル・ナイトで、相変らず「集会」のヌルい雰囲気が濃厚だったのでいまいち乗り切れなかったのだけれども、別館前ではテツさんが中心になっていて、去年の冬をちょっと思い出した。