木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

1238 四国の旅 (4) 屋島寺

2014-10-07 08:00:00 | 寺社一般

 2014.09.30(火)、四国を巡る旅は二日目を迎えた。ホテルを7時35分に出て、屋島ドライブインを経て源平合戦の檜舞台と知られる屋島の屋島寺に入る。(ドライブウエーの通行料:¥630 駐車料を含む)

 

 屋島寺   四国八十八ヶ所八十四番札所  真言宗 南面山

  高松市屋島東町1808   標高293m

「東大門」

屋島ドライブウエーの終点に車を置いて寺に入にはこの門をくぐる。

 屋島寺は、天平勝宝のころ鑑真和上によって開創されたと伝えられる。鑑真和上は唐の学僧で、朝廷からの要請をうけ5度にわたって出航したが、暴風や難破で失明、天平勝宝5年(753)に苦難のすえ鹿児島に漂着した。翌年、東大寺に船で向かう途次、屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得され、屋島の北嶺に登った。そこに普賢堂を建てて、持参していた普賢菩薩像を安置し、経典を納めて創建されたという。のち和上の弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が堂塔を建立して精舎を構え、「屋島寺」と称し初代住職になった。 

本堂

室町時代の再建と伝わる朱塗りの本堂は、本尊の千手観音座像とともに国指定の重要文化財。

 

蓑山大明神

四国狸の総大将「太三郎狸」と呼ばれる土地の氏神。子宝、縁結びや家庭円満などの神さま。

 

 

 

 梵鐘

鎌倉時代の作で、「平家供養の鐘」といわれる。国指定重要文化財。

本土で見る梵鐘は決まって高台上にあるが、ここでは平地とほとんど変わらないので、違和感を覚えるのは私だけであろうか?。 

 

七福神

 

「仁王門」  寺の南に位置する門。

50年前に来た時は、山上に来るにはケーブルカーできたが、今はその跡形もなくなっていた。当時ケーブルカーに乗って、窓を閉めようとして、手に怪我をした事を妻は覚えていた、これぞまさに「センチメンタルジャーニー」か?!。

 

 屋島ドライブウエーの途中にある展望台に置かれた守神のタヌキ。

 展望台からは、源平合戦の古戦場と言われる場所が見渡せる。

 

 このあとドライブウエイを下って、一般道を経て、高松ICから高松道に入り、坂出方面に向かった。なお、高松ICに入ったのは、9時丁度であった。

                       << 続く >>

 

 

 


1237 四国の旅 (3) 栗林公園

2014-10-06 08:00:00 | 名所旧跡

 私たちは昭和40年3月24日に結婚式を行い、当日、四日市から近鉄で大阪に出て、ここで一泊し、翌朝国鉄山陽線で岡山に着き後楽園をみたのであった。その後、宇野線で宇野桟橋に行き、そこから連絡船で高松に入り、屋島で二泊目としたのであった。

 今回は連絡船ではなく、瀬戸大橋を渡って車で来たが、新婚旅行と同じく高松の「栗林公園」に50年ぶりにやってきたのであった。

  入場料 ¥410  駐車料 ¥200

 

背は低いが幹は大木。枝ぶりも見事に手入れされている。よくぞここまで松くい虫などにやられないよう、消毒などがなされていることと推察する。

園は16世紀後半当地の豪族により築庭されたのが始まりとされ、1625年ころに当時の藩主により現在の公園の原型が作られた。水戸光圀の兄の松平頼重などが引き継ぎ、100年以上経過して完成した。明治に入り、新政府の所有となり、一般公開されるようになった。文化財保護法による「特別名勝」。 (園の資料より抜粋、一部編集)

 

 

「鶴亀松」別名百石松・・・とある。

110個の石ウィ組み合わせ亀を形どった岩組の背中に鶴が舞うすがたをした松を配されている。

 

 

50年ぶりに訪れたのであるが、残念ながら当時を思い出すものは、ひとつも見出すことはできなかった。・・・そんなに”上の空”ではなかったと思っているが・・・???。

 

 

 

 

水路を巡る船まであるとは知らなかった。南湖ヲ30分ほどの舟遊びができる(大人¥610)

 

建物は「商工奨励館」とある。明治時代の作らしいが、耐震化工事のため休館中。

 

 

栗林公園の外堀と高松市内の一部。

 

 栗林公園を16時35分に出て、市内のホテルに向かい、今日はこれまでとする。本日の走行距離は自宅より416Km走ったが、さほどの疲労感も感じることなく一日の予定が完遂した。

                        << 続く >>

 

 

 

 

 


1236 四国の旅 (2) 瀬戸大橋

2014-10-04 08:00:00 | 旅行記

 2014.09.29(月)、四国を回る車での旅は、始まったばかり、岡山後楽園を見た後は、倉敷市の東端にある、瀬戸中央道の早島ICから高速道に乗り、瀬戸大橋を側面から見られる鷲羽山に向かった。

鷲羽山(標高113m)頂上付近にあるレストハウスより瀬戸大橋を見る。 

ここはまだ倉敷市。(ここまでの全走行距離332.7KM)

並静かな瀬戸の海がひろがる。

瀬戸大橋についての記述(原文のまま)

日本で最初に国立公園に指定された瀬戸内海の優美な多島海の真ん中を通る、道路と鉄道の併用ルートです。本州四国連絡橋3ルートの先陣をきり、昭和63年に開通しました。ルートは道路37.3km、鉄道32.4kmで、海峡部9.4kmに架かる6橋を総称して瀬戸大橋と呼ばれています。吊橋、斜張橋、トラス橋など、世界最大級の橋梁が連なる姿は壮観です。

 

瀬戸の児島が・・・

 

 

さらに瀬戸大橋を見るべく、瀬戸中央道を少し走り、橋の略中間地点にある「与島PA」に立ち寄る。

与島から本土側を見る。

 

 

 

 与島パーキングエリア 

 

写真右上が瀬戸中央道、瀬戸大橋。

 

 

 ただいまの時間は15時15分、これから瀬戸大橋をあと半分を渡り、坂出市に入り、坂出JCから高松道に乗り、高松方面に向かう。

 

                         << 続く >>  

 

 

 

 


1235 四国の旅 (1) 岡山後楽園

2014-10-03 08:00:00 | 名所旧跡

 ちょうど十年前に、吉野山を皮切りに、紀伊半島の南を那智山までの半周を車で見て回ったことがあり、これに味を占めて今度は四国一周をと計画をしたが、四国は道路の整備も途上にあり、効率悪く日数がかかるなどで、決行には至っていなかった。

 一方、二回目の手術が終わり、思いのほか経過が順調であるし、ブログのネタも切れたままであるので、”取材”に出るために、夏の暑さが収まるのを待っていたのであった。それならばと、急に思いつき四国行きを決意したのであった。

また、今の体調ではツアーにすると、他のメンバーに迷惑をかけるような事態が起きはしまいかとの心配もあり、また、自由気ままに行きたいところはじっくりと、興味のない所はパスするなど、気軽さでは”車の旅”となってしまう。

 しかし、この年になっての車の運転は二泊三日が限度と考え計画を根本的に作り直し、効率の悪い「四万十川」「足摺岬」は残念ながら行き先から外し、今から50年前、新婚旅行で尋ねた所を再訪する計画とした。

2014.09.29(月)薄い曇は見られるが、雨の心配はなし、5時に目覚めたので起きることにして、早速準備にとりかかった。 メダカ君達には申し訳ないが、早めの朝食をそれも二回分を食べてもらい、3日間欠食をお願いして、7時10分車で出発した。

西名阪道鈴鹿ICから入り、新名神道、名神道、吹田JCから中国道、神戸JCから山陽道(瀬戸SAで10分休憩)を経て、岡山ICを降りたのが11時10分、そのあと一般道を25分走って岡山後楽園に11時35分に到着した。(ここまでの高速料金¥6500)

四国の旅に「岡山後楽園」は?と思われるかも知れないが、新婚旅行は岡山から始まったから、今回も岡山をスタート地点としたのであった。

 

岡山後楽園正門

     入場料:一般=¥400、65歳以上=¥140   駐車料:¥200

 ここは旭川の中州であり、岡山藩主が家臣に命じて1687年に着工、1700年に一応完成。その後手を加えられたが、大きく変わることなく今日まできた。かつては、藩主の静養の場、賓客接待の場として使われてきた。明治に入り岡山県に譲渡され1934年の水害、1945年の戦災で大きな被害を受けたが、江戸時代の絵図に基づき復旧された。文化財保護法による「特別名勝」に指定された。(園の資料より抜粋=編集)

延養亭(えんようてい)

延養亭は藩主が訪れた際の居間になり、園内の景観が一望できる位置につくられている。

 

唯心山(ゆいしんざん)

園内を見渡せる築山。植木はツツジ、これが咲くころが最高の見ごろかも?。

 

廉池軒(れんちけん)

 

 

 

 

岡山城

川の向こう岸にそびえる。

 

何かのスチール写真撮影のようだ。

 

 

こんな晴れ着の子供も・・・

 

公園のど真ん中に田んぼが!!!。 「井田(せいでん)」

かつては園内に広く作られていたらしい。幕末に作られたとか。

 

この中州全体が庭園となっているが、その一部に県立博物館があったが、生憎今日は月曜日で休館日、入れなかった。

中州に渡る橋は二つあり、その一つは擬宝珠のついた和風の、ひとつは下の写真のごとくモダンな橋となっている。。

 

 

後楽園には、昼食を含め1時間30分滞在し13時5分ここを出た。この後は、一般道を40分ほど走り、瀬戸中央道の早島ICを入り、鷲羽山に向かった。

 

                       << 続く >>