マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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21日目に戻る居住団地

2018年11月13日 09時43分53秒 | むびょうそくさい(おかん編)
我が家で養生していた8月22日のことである。

おふくろが突然、思い出した前兆の一つ。

今年になってからのことだ。

美容院で背もたれしての髪洗いに背中が痛くなってきた。

横になる姿勢というか、体制を替えたらマシになったことがあるという。

その時期は不明であるが畠中医院に通院した帰り道。

突然に左大腿部に力が入らなくなった。

動くのがもどかしくその場で身体を休めていた。

どれぐらいの時間で回復したのかわからないが、そこに居てもしかたがないと思ってゆっくりとした動きで家に帰った。

それからである。

今から2カ月前のことだ。

住居は4階。

ゴミを捨てるには階下のゴミ捨て場に下りる。

その場にゴミを捨てたときにすってんころりん。

捨てる荷物を持ち損ねてひっくり返って倒れた。

それがはじまりだったのか、どうか未だに初めの原因がわからず、今に至っている。

8月18日に大阪市認定事務センター(介護保険)に送付した「要介護認定支援認定の申請」。

休み明けに担当から電話があると判断していた。

予想していた休み明け。

電話が鳴ったのは23日だった。

担当するOさんより私の携帯に電話があった。

その日の午後2時であるが、その時間帯は丁度、大織冠仲仙寺の地蔵盆の取材中だった。

申しわけないが電話に出ることも難しい状況に、あらためて当方から電話することを伝えて切った。

それから小泉町の地蔵盆の取材。

終えて車を停めたにケーズデンキで電話をさせてもらった。

内容は申請した本人確認とか、私のことである。

おふくろの誕生日を教えてくださいと、今、どこで介助しているのか、支援状況などなどの申請書類の信頼性確認である。

ローン契約とかクレジット契約に本に確認を電話でするアレと同じだ。

支援している関係上の住所や連絡先電話番号の確認をされた担当者は、3週間後に私が住まいする大和郡山市に調査員を派遣すると伝えられた。

翌日の24日の身体状況。

特に痛みもなく、身体は軽いと日中の軽い運動をする。

就寝中の夜中。

突然に目を覚ましてテレビを見る癖は昔から。

夜中の2時であっても、朝方の5時であっても、ソファに座って手を伸ばす。

身体も伸ばすし膝も上げる。

少しでも身体を動かせば治ると信じて運動をしていたと翌朝に話す。

良いことであるが、決して無理することなく、長時間はご法度と念を押す。

そんな状態になってきたおふくろの身体。このまま現状を維持できるのなら、住み慣れた住之江に戻りたいと言い出した。

それほど自信がついてきたことであろう。

良い傾向であるが、独り暮らしするまではまだ安心できない。

絶対的な安心は見込めないと思うが、試しに実行してみることも考えなくてはならない時期にきている。

ただ、在宅に戻ったとしても「要介護認定支援認定の申請」を取り下げるつもりは一切ない。

身体状況が今のままであっても申請という事実状況を作らなくてはならない。

そう思っている。

何故か。

申請を却下したとたんに再発したらどうするのか。

今より酷い介護を要する状況に陥る可能性は消えていない。

申請を却下するということは、行政に対して事実認定を遅らせることになってしまう。

それは不味い。

老齢化進行を止めることは不可能である。

申請をしておけば認定は「自立」と判定されても、それで良い。

何かが起これば、申請しておけば事実認定が素早くできるのでは。

そう思っていた。

それからの数日間も痛み症状がまったくでない。

これで帰れると決断したおふくろ。

痛みもなく、身体もこれまでと違ってラクラク動く。

気持ちいいぐらいに動ける。

我が家の階段の上り下りもできるようになった。

壁に手を当てて伝い歩きをしていた状態も変化した。

手で壁を抑えるわけでも歩いてトイレに行けるようになった。

ふらふら感もないので我が家に「世話になって21日目やし、きっしょ(吉祥)のお大師さんの21日に合わせて住之江に戻らせて」と願うおふくろの思いを叶えたい。

前夜の26日に、そうすると伝えたら顔が喜んでいた。

戻ることを決定した27日の朝。

すっかり準備を整えて私の出番を待つ。

先にも挙げたが、第二阪奈道路も阪神高速道路も渋滞はまったくなくスイスイ走る。

到着して早速は昼飯。

スーパーサンデイ住之江店で食料などの調達。

車からなんなく下りてすたこらサッサではないが、よたよたのゆっくり歩きで店内に入ったおふくろはサンデイの買物カートに手を宛がって押している。

欲しいものを棚から取って籠に入れていく。

馴染みのあるサンデイはどの商品がどの棚に並んでいるかすべて覚えている。

レーズン入りのパンはあそこ、赤飯はあっちと指をさす。

一回りしたところで買い物は終了。

支払いを終えて店を出て車に向かうが、そのときも買い物カートを補助車にようにして歩いていた。

屋外はまだ慣れていないから怖さがある。

怖さがなくなるまではまだまだかかるであろうが、ここまでよく復帰したものだろ感心する。

帰り道にあるもう一つのスーパーは大和郡山市にもあるスーパーサンコー。

ここもおふくろがよく買い物をしていたが、本日は店外のお花屋さん。

仏壇に居る大ばあさんに仏花も買って団地入り。

大阪市営の大和川団地の4階から出た日は8月7日

大型台風が和歌山に上陸した数時間後に居た住之江は大風。

煽られるように整形外科に行ったものだ。

あれから21日。

指折りの毎日を数えていたおふくろが久しぶりに戻ってきた。

団地の階段も難なく上がる。

もちろん設備された階段の手すりが頼りの上り下りである。

ぎょうさんある荷物は一度では運びきれない。

結局は3回の上り下り。

その間は階下に置いたままである。

あれだけ買ってきたのに忘れ物に気がつく。

たくさんあったと思っていたテイッシュペーパーが消えた。

トイレットペーパーも不足気味。

しかも、だ。

健康測定の血圧計の電池も、である。

一か月前に買っておいていたと思われたラ・ムーの格安プライス電池もない。

どこへいったのか記憶は幻。

では、今の間に出かけて買ってこよう。

そう思って出かけた行先は大和川を越えた堺市の鉄砲町にあるイオンスタイルである。

住居から数分で到着するのだが、駐車場が満杯。

誘導員の指示に従って立体駐車場に入っても空きがない。

そうだろ、である。

駐車場前にある表示はすべてが満車。

空いているわけがない。

入ったからには出る車を待つしかないが、あれよこれよとぐるぐる廻ってみるも空きはなかなか見つからない。

空きは発生しても、近くに待っていた他車が入庫する。

どれだけここで過ごしたことだろうか。

ようやくタイミングが巡ってきて停めたものの、求めるお買い物の場は反対側。

そこへ行くには店内を廻り道。

なにかイベントをしている処を通り抜けるのも苦労するぐらいの混雑状況に前へ進めない。

雑踏をさけて通る廻り道に難儀する。

ようやく着いたと思ったお買い物の場の前にも人だかり。

あっちもこっちも子供向きのイベントは通路を塞ぐ。

買い物カートを整理している男性に難儀でんな、といえば、今日は強烈な混雑でカート集め、移動は凄まじい人だかりで難儀しているという。

ようやく辿り着いたペーパー売り場にいつも買っている箱無しテイッシュペーパーがない。

店員さんに聞けば北花田のイオンにはあるがここイオンスタイルにはないという。

そのテイッシュペーパーはイオンブランド。

奈良の山陽マルナカでも売っているイオンプライベートブランドの箱無しテイッシュペーパーは税抜き175円。

ここイオンスタイルが売っている最低金額の箱有テイッシュペーパーは税抜きで248円。

ありえない対応に唖然とするしかない。

そんなこともあって戻ってきた大阪市住之江区の大阪市営大和川団地。

買ってきたもののを届けて手を振る。

団地階段も問題なくあがれるほどに復帰はしたものの入浴はとてもじゃないが、無理な構造。

居住する浴槽は高さがある。

足を上げても届かない浴槽は健康体でなければ無理である。

測ってみればかーさんの腰の位置にも相当する高さ。

介護認定ができれば20万円の改造費が補助される。

そうしたいと思っているが・・。

そんな具合だから浴槽に浸かることはできない。

が、おふくろは風呂場にある洗面所に湯を溜めて身体を拭いていたらしい。

夏場ならシャワーでもと思うが、設備はしていないから、そうせざるを得なかったのだ。

その晩は電話もかかってこなかった。

翌日の28日の朝になってもかからない。

かからないということは何も問題はないということだろう。

あれば連絡してくるはずだと思ってはみたものの、10時になっても11時になってもかかってこない。

これはなにかあったのでは、と思って自宅番号に電話をしてみるが20回以上鳴らしても出てこない。

携帯電話をしようにも我が家に充電器を忘れたままだった。

しばらくしてから再度、電話してみようと思っていたら、電話口に向かって話すかーさんの声。

相手はまさしくおふくろ。

会話が弾んでいるから何事もなかったと思っていたら、そうではなかった。

21日ぶりに住居に戻った昨日。

あれから5時間後の午後7時に背中が痛くなってきた。

2時間ほど続いているときに弟から電話があってその件を話したがどうすることもアイキャンノット。

そのことも我が家に電話したら怒られると思ってしなかった、という。

なんということであろう。

そうなるである可能性もある、と私が伝えた予測が事実になっていたのだ。

本日、電話をした11時。

時間を取り戻したかのようにぐっすり寝ていると思われたが、そうであった。

背中の傷みは2時間で消えてぐっすり寝た。

寝てはいても朝5時には目を覚ます。

しばらく時間を過ごしてまたもや寝る。

それがおふくろの習慣浸け。

11時半になってから起きて我が家に電話をしてきて初めて状況を話す。

ほんま、おかしいことがあれば怒りはせんから連絡してくれ。

声は揚げるが・・・。

原因は戻ってきた日に屋外で動いたことによるもの。

我が家で療養している範囲では骨が動く範囲が狭い。

屋外であれば気を遣うし、身体の動きも違う。

急激に動いたことによって、骨の動きも変化する。

そのことで軟骨の擦れ具合も変化する。

それで痛くなる。そう思えた症状である。

(H29. 8.27 SB932SH撮影)


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