イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

映画「武士の一分」を観て

2007-03-21 14:09:31 | 映画

木村拓哉は30石取り(概算年収300万円)の下級武士で、藩主の食事毒味役である。毒味中のアクシデントで失明する。

妻の壇れいは、家名存続と家禄安堵のために奔走する。

人の弱みに付け込む悪い上司(板東三津五郎)が、こんな時に登場するのは、今も昔も変わらない。言葉巧みに壇れいを陥れる。

家のためとは言え、妻の不貞を知った木村拓哉は壇れいを離縁する。そして敢然と板東三津五郎に決闘を申し入れる。

盲目となった身での決闘の勝算は極めて薄い。剣道の師匠である緒方拳は「死の中に生がある」と説く。また、下男の笹野高史は決闘場の河原の小石の状況など細々と教える。

卑怯にも板東三津五郎は目の見えぬ相手に背後から襲い掛かるが、返り討ちに合い敗れる。

家名存続・家禄安堵となった木村家に笹野高史は飯炊き女を雇い入れる。

夕餉の膳に座った木村拓哉は炊きあがったばかりの椀の香に、ある愛おしさを直感した。ひとくち食べただけで…もう分かった。

暖かく盛られた椀の飯は、離縁した筈の妻の作ったものだと。

本作品の中では、確かに日本人が喪失しかけている、「正々堂々・卑怯・敢然・決死」などについて語られている。

しかし、そんな武士道精神のベースにあるものが、実は仏教じゃあないのか、とも語っているように思えた。

盲目となって、初めて知ることの出来た、妻の真の愛おしい心。妻の愛情に強く応えようとする自分の心。

たとえ目は見えなくても良い、しっかりとした心が在れば…。すなわち、空即是色(般若心経)と。

藤澤周平原作、山田洋次監督。木村拓哉・壇れい・笹野高史・板東三津五郎・緒方拳、出演。(2006年作品)。