そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

和歌山に引き寄せられた人たち 4

2009-05-05 06:55:23 | 癒し
この地方には謎の部族がいました。
先述した名草戸畔という女性ひきいる先住民族です。
歴史では、日本書紀の記述で、<神武天皇の軍が東征した際に名草戸畔という女賊を殺した>とされているのみです。

日本には、あとからやってきた民族が先住民族を封印した歴史が山ほどあります。
じつはそれは世界各地を見ても同様で、先住者の神が後から来た民族の神に無理矢理とりこまれていることがよくあるのです。

この名草戸畔は書かれた歴史ではなく、実は人から人への口伝に生きていました。
謎にいろどられた人物、民族だからこそ、その魅力にとりつかれた人も大勢います。

Pさんとその仲間のグループもそんな人たちでした。
和歌山のことが聞こえ始め、人と情報を共有するようになってから、この東京のグループのことを何度となく聞かされるようになりました。
Pさんという女性を中心に、古代史を研究している作家のチームです。
Oさんの働く喫茶店で話会をしたりしながら、名草戸畔について書くために、何度も取材に来ているとのことでした。

Pさんたちが名草戸畔に関わることになったきっかけは、3年前に、ある霊感の強い方から、
「名草戸畔の霊を鎮めるために彼女のことを調べ、書いて世に出してほしい」
と言われたことからだったそうです。

以前に、封印の解き方に2種類あることを書きました。
その記事はこちら
このときに書いた話も和歌山がらみでしたが、今回のこのチームとは別の、和歌山在住の作家の方の話でした。

Oさんから、Pさんが名草戸畔のことを書き終えるから、そのタイミングで友ヶ島に参加してもらおうと提案を受けていました。
わたしもそれを楽しみにしていました。
しかし時間が経つにつれて、作品の最後のところがどうしてもうまくまとまらない、ということでペンディングのまま参加されることになったと聞きました。

Pさんと初めてお会いしたのは、友ヶ島に渡る前日25日の、旅館でのミーティングででした。
その日は一日わたしたちは縁ある場所を総ざらいのつもりで回り、Pさんたちは前述した和歌山在住の作家に会い、情報交換をしていました。


名草戸畔たちと神武天皇軍は戦いました。
この戦いのどちらが正義でどちらが悪だったか、などと裁くつもりはありません。
違う部族同士が相対することになり、戦う、という結果があっただけです。

25日夕方参拝した玉津島神社は、6回の和歌山訪問中3回訪れた、もう一つの場所です。
ここは昨年10月にはじめて入った時から、わたしたちをあたたかく導き、支えてくれました。
最後の参拝の後には、地上に縦に入り込む虹を見せてくれました。




この神社のご神体山である奠供山に沈む夕陽を見ながら、わたしが受けた言葉は、名草戸畔がいかに勇敢に、誇りをもって戦ったかということでした。
そして、
『あなた方はそれを知ってくれた』
と、感謝の言葉をおろしてきてくれました。




夜、ミーティングでPさんたちと合流し、話して一致した結論は、名草戸畔たちの誇りと精神性の高さでした。
Pさんたちも、その日のかの作家との交流から、名草戸畔の人物像とその歴史の全体があらためて浮かび上がってきたそうです。

Pさんは作品を書き進め、いよいよ大詰めを迎えているようです。


コメント
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