『ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論 II』は何と今年9冊目の新刊なのだそうで、著者の旺盛な多作ぶりには何やらミラクルめいたものがあります。
『小説家になって億を稼ごう』(新潮新書)で紹介されていた小説の書き方をご本人も実践されているらしいので、頭の中で常にいくつもの物語が進行していて、「熟成」した物語から一気に書き下ろしていく感じなのだろうと想像しています。
商品説明
推理作家協会の懇親会に参加したラノベ作家・杉浦李奈は、会場で売れっ子の汰柱桃蔵と知り合う。後日、打ち合わせでKADOKAWAを訪れた李奈は、その汰柱が行方不明になっていることを知る。手掛かりとなるのは、1週間後に発売されるという汰柱の書いた単行本。その内容は、実際に起こった女児失踪事件の当事者しか知り得ないものだった。偶然の一致か、それとも・・・・・・。本を頼りに真相に迫る、ビブリオミステリ!
「本を頼りに真相に迫る、ビブリオミステリ」というのは一つのジャンルなのでしょうか。「ビブリオミステリ」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは三上延氏の『ビブリア古書堂の事件手帖』シリーズですが、こちらは「古書」の名の通り物理的な存在としての取引価値のある古書が常に事件の中心にあるのに対して、『ecriture』シリーズの方は本は本でも中身、つまり作品としての内容が事件のカギを握っているため、かなり違う様相を呈しています。「文芸ミステリ」と名付けた方が相応しいのではないかというのが個人的な感想です。
今回も初刊同様、杉浦李奈が事件についてのノンフィクションを書くことになりますが、前回と違って今回は本人の自発的な希望です。汰柱桃蔵がたとえ少々難ありの人物であったにせよ、彼の「不謹慎」と評価された女児失踪事件を扱った小説『告白・女児失踪』やその後の彼の死亡によって浮かび上がる汰柱桃蔵犯人説などの世間の出版業界や小説に対するネガティブな評判をそのまま放置しておけないというのが李奈の動機です。
作品中何度も「何のために書くのか」「売れれば何でもいいのか」という問題提起が李奈の自問自答として登場しますが、これは松岡圭祐氏ご自身が出版業界の商業主義を批判するものだと解釈できます。
今回もまたKADOKAWAを始めとする有名な出版社などが実名で登場し、フィクション作品のはずなのにリアルで生々しい印象があります。本を作る工程や映画化・ノベライズなどが決まる過程など『小説家になって億を稼ごう』同様「そこまでバラしていいのか?!」と業界人が危惧するくらいのレベルの詳しさです。それを読み応えがあると感じるかどうかは受け手の感覚次第かと思いますが。
私がこの『ecriture』シリーズを「文芸ミステリ」と名付けたいもう1つの理由は、作品全編に散りばめられた文学作品や古典的な推理小説からのお宝のような引用です。森鴎外『花子』、徳富蘆花『不如帰』、太宰治『酒ぎらい』、石川啄木『一握の砂』、江戸川乱歩『同性愛文学史』、横溝正史『悪霊島』、松本清張『疑惑』、高木彬光『白昼の死角』、長嶋有『佐渡の三人』など。
この中で事件と深く関わりのある作品は横溝正史『悪霊島』と松本清張『疑惑』で、その絡め方も絶妙です。
なぜ、プライドが高くオリジナリティにこだわる汰柱桃蔵が犯人しか知り得ない事実を織り込んだ『告白・女児失踪』を書くに至ったのか。なぜその本の出版直前のタイミングでメルセデスベンツSクラスの新車に乗ったまま埠頭から海へ飛び込んだのか。その直前に警察に通報の電話をかけ、松本清張『疑惑』の中のくだりを読み上げたのはなぜなのか。自殺なのか他殺なのか。前夜に汰柱桃蔵の自宅に侵入したものは何者なのか。汰柱桃蔵の死と直接関係あるのか否か。
そうしたミステリにあるべき謎もワクワクするものですが、その一方で主人公李奈の小説を書くことへの思いや女児の母親への思いやりと優しさ、さらにノンフィクションの取材を通じて真実と真摯に向き合い成長して行く様が描かれることで、魅力的な人物の成長譚となっているところがすばらしい。『小説家になって億を稼ごう』で書かれているいわば小説の「王道」がキッチリと実践されていることがよく分かり、『小説家~』を読んだ読者なら「やってるやってる」と思わず得心の笑みがこぼれてしまうかもしれません。
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