徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

書評:松岡圭祐著、『黄砂の進撃』(講談社文庫)

2018年04月30日 | 書評ー小説:作者ハ・マ行

『黄砂の進撃』の進撃は『黄砂の籠城』上・下と対を成す、義和団事件を中国側から描いた歴史小説です。ただし前作のように現代から始まらず、いきなり義和団の「天下第一壇大師」であった張徳成の「子供のころ、辮髪が嫌いだった」という回想から始まります。そして彼が義和拳に指導者の一人として合流し、「天下第一壇大師」となるまでの経緯が一貫して彼の視線で語られます。外国公使館区域(東交民巷)を包囲し、逆に列強諸国の援軍に包囲されて敗れるまでの経緯は清朝や清軍の重要人物の視点も交えて描写されます。そして会津藩出身の駐在武官で、籠城の際に活躍した柴五郎が、義和団の女性組織の一つである紅灯照の棟梁として戦っていた紗那に「英雄・張徳成」について聞くところで締めくくられます。

この最後の柴五郎と紗那の対話は非常にメッセージ性が強く、柴五郎の言葉からは日本軍の横暴なやり方や驕りに対する批判、紗那からは漢民族の成長の速さや民族としての誇りが迸っています。

そして「英雄・張徳成」は非常に思慮深く、様々な疑念や迷いを持ちつつもいきがかり上なってしまった「天下第一壇大師」として大きくなった義和団を導き、本来の目的であるキリスト教宣教師による内政干渉と横暴を止めさせるにはどうしたらいいか考え、また遠い未来の理想像としてみんなが平等に百姓か労働者で、等しく教育を受け、平和に共存する社会を描く人物として語られています。実際にどういう人だったのかは知りませんが、ところどころカリスマ性を発揮するものの、妙に等身大の人間臭さを感じる英雄という印象です。

この作品は『黄砂の籠城』よりも構成がしっかりとしており、小説として完成していると思います。

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歴史小説

書評:松岡圭祐著、『黄砂の籠城 上・下』(講談社文庫)

書評:松岡圭祐著、『シャーロック・ホームズ対伊藤博文』(角川文庫)

書評:松岡圭祐著、『八月十五日に吹く風』(講談社文庫)

書評:松岡圭祐著、『生きている理由』(講談社文庫)

書評:松岡圭祐著、『ヒトラーの試写室』(角川文庫)

推理小説 

書評:松岡圭祐著、『水鏡推理』(講談社文庫) 

書評:松岡圭祐著、『水鏡推理2 インパクトファクター』(講談社文庫)

書評:松岡圭祐著、『水鏡推理3 パレイドリア・フェイス』(講談社文庫)

書評:松岡圭祐著、『水鏡推理4 アノマリー』(講談社文庫)

書評:松岡圭祐著、『水鏡推理5 ニュークリアフュージョン』(講談社文庫)

書評:松岡圭祐著、『水鏡推理 6 クロノスタシス』(講談社文庫)

書評:松岡圭祐著、『探偵の鑑定I』(講談社文庫)

書評:松岡圭祐著、『探偵の鑑定II』(講談社文庫)

書評:松岡圭祐著、『探偵の探偵IV』(講談社文庫)

書評:松岡圭祐著、『千里眼完全版クラシックシリーズ』(角川文庫)

書評:松岡圭祐著、『万能鑑定士Qの最終巻 ムンクの≪叫び≫』(講談社文庫)

書評:松岡圭祐著、『被疑者04の神託 煙 完全版』(角川文庫)

書評:松岡圭祐著、『催眠 完全版』(角川文庫)

書評:松岡圭祐著、『カウンセラー 完全版』(角川文庫)

書評:松岡圭祐著、『後催眠 完全版』(角川文庫)

 


書評:辻村深月著、『家族シアター』(講談社文庫)

2018年04月29日 | 書評ー小説:作者サ・タ・ナ行

『家族シアター』(講談社文庫)は家族をテーマにした短編集で、収録作品は7編。

真面目な姉をうっとうしく思う妹。趣味の合わない姉に何かとバカにされつつ黙って甘受する弟。真面目で頭のいい娘を理解できない母。息子の夢を守ろうとする父。宇宙に夢中な妹を理解できない姉。微妙な年頃の孫娘の扱いに戸惑う祖父。息子の誕生と共に両親や祖母との距離が近くなったとしみじみする父。

どのエピソードにも兄弟姉妹関係や親子関係の棘がありますが、それでも家族の絆が生暖かく存在し、ちゃんと歩み寄れてる、ほっこりするホームドラマです。ちょっとうらやましくなるくらいですね。

うちはどちらかというと家族関係が希薄ですし(まあ母親との衝突はかなりありましたが)、弟とは年が離れているので確執ができるような子供時代を共有することもありませんでしたし、子供もいないので、「そうそう」と共感できるようなお話は一つもなかったのですが、こういう心温まるお話は嫌いではないです。

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書評:辻村深月著、『鍵のない夢を見る』(文春文庫)~第147回(2012上半期)直木賞受賞作

書評:辻村深月著、『かがみの孤城』(ポプラ社)~生きにくさを感じるすべての人に贈る辻村深月の最新刊

書評:辻村深月著、『ツナグ』(新潮文庫)~第32回吉川英治文学新人賞受賞作

書評:辻村深月著、『ハケンアニメ!』(マガジンハウス)

書評:辻村深月著、『盲目的な恋と友情』(新潮文庫)

書評:辻村深月著、『島はぼくらと』(講談社文庫)

書評:辻村深月著、『太陽の坐る場所』(文春文庫)

書評:辻村深月著、『子どもたちは夜と遊ぶ』上・下(講談社文庫)

書評:辻村深月著、『スロウハイツの神様』上・下(講談社文庫)


書評:辻村深月著、『スロウハイツの神様』上・下(講談社文庫)

2018年04月28日 | 書評ー小説:作者サ・タ・ナ行

人気作家チヨダ・コーキの小説で人が死んだ――というところから物語が始まりますが、本編はそこからいきなり10年飛んで、いきなり脚本家・赤羽環が登場するので、チヨダ・コーキとの関連性が全く見えずに少々イラつきます。この赤羽環が『スロウハイツ』のオーナーで、コーキがここの住人であること、その他の住人も漫画家や映画監督や画家の卵で、共同スペースの多いこのアパートで共同生活を送っていることが分かるまでに少々時間がかかります。

上巻は住民の紹介を兼ねてそれぞれの生い立ちや事情、赤羽環との関わりやスロウハイツに住むようになったきっかけ、現在の人間関係や悩みなどが主に描かれます。出て行った元住民のエピソードも。その中で、クリエーターならではの創作の厳しさなども語られています。

そして空室だったところに新しい住人がコーキの担当編集者である黒木の意向とコーキ本人のお願いによって入ったところから空気が変わっていきます。新住人の加々美莉々亜は新潟出身の小説家でコーキの大ファンで、コーキに異様に接近しようとします。住民たちは引きこもりでコミュ障の作家・コーキについに恋愛のチャンスが訪れたのかもと生暖かく見守りますが、オーナーの環の様子は若干変になっていきます。

そんな中浮上するのは、10年前の事件で非難の嵐に襲われ執筆できなくなっていたコーキを救ったという「コーキの天使ちゃん」の話。彼女は当時中高生で、新聞にほぼ毎日コーキを擁護する手紙を書き、128通も書き続けた熱意が伝わり、ついに新聞に掲載され、それがコーキの立ち直るきっかけになったというもので、正体は不明。莉々亜はもしかしてこの「コーキの天使ちゃん」なのか?

ある嵐の日に代々社(コーキが主に執筆している出版社)からバイク便が届き、それを受け取った環は、宛名が雨でにじんで見えなくなっていたために開封し、驚愕したところで下巻へ。

下巻では画家志望の森永すみれが同居していた長野正義と別れて、別の(問題有り)恋人と一緒に住むためにスロウハイツを出るエピソードから始まり、「バイク便の謎はどうなった?」とじらされることになりますが、その謎もその他の伏線もすべてきっちり回収されます。そしてスロウハイツは環の渡米の話をきっかけに解散に向かいます。

最終章の「二十代の千代田光輝は死にたかった」で、それまでのエピソードで端々に現れていたコーキの過去がまとめて語られ、さまざまな疑問が解かれます。コーキの環に対する秘めたる思いと、環のコーキに対する周囲にもばれていて、本人も諦めてる思いがずっと噛み合わないままなのがとても切なく悲しい。でも二人が結ばれてしまうよりも味わいがあっていいと思います。

この作品中で話題にされている「心に響くかどうか」でいえば、響いてはいませんね。いいお話だとは思いましたけど。

少し残念かも、と思ったのがコーキが福島に里帰りしたことでしょうか。飯館村とかも登場するのですが、この作品が発表されたのは2007年で、当時は「福島」も「飯館村」も多くの人にとってただの(といったら語弊があるかも知れませんが)東北の地名に過ぎなかったと思います。田舎ののどかな田園風景や美しい山間などが連想されたかもしれません。でも、311後の今この作品を読むと、違うイメージがオーバーラップしてしまいます。そこに違う意味で切なさを感じてしまいます。

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書評:辻村深月著、『鍵のない夢を見る』(文春文庫)~第147回(2012上半期)直木賞受賞作

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書評:辻村深月著、『ツナグ』(新潮文庫)~第32回吉川英治文学新人賞受賞作

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書評:孫崎享著、『日米開戦へのスパイ 東條英機とゾルゲ事件』(祥伝社)

2018年04月27日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

構想に40年かかったという本書『日米開戦へのスパイ 東條英機とゾルゲ事件』(祥伝社)は著者の『日米開戦の正体』の対となり、本来は一つの著作になるところを、あまりにも膨大な話になるので、ゾルゲ事件関連だけ分離独立させたそうです。

本書では【ゾルゲ事件】を検証し、本来死刑を正当化するような罪状などなく、一つにゾルゲの情報提供者であり、日米開戦反対派の近衛首相(当時)の「側近」とされる尾崎秀実(おざき ほつみ)を逮捕することで近衛首相を追い落とすためにでっち上げられ、もう一つに「伊藤律の自供が発覚の糸口となった」という説をばらまいて、共産主義者排斥(いわゆる「赤狩り」)に政治利用されたことを膨大な資料を元に証明します。

リヒャルト・ゾルゲがソ連のスパイであったことは紛れもない事実ですが、通常「スパイである」という事実だけで逮捕され死刑にされることなどありません。CIA等の情報機関の人間は世界中に何千人と展開しており、日本の内閣調査室の人たちもあまり情報収集能力はないらしいですが、やはりあちこちに展開しています。だからといってただそれだけで逮捕され、ましてや死刑になるなどあり得ません。諜報員の罪を問う場合、当該国がこの諜報員に「いかなる害を受けたか」というのがまず問題になります。しかし、「ゾルゲによっていかなる害を日本が受けたか」ということがまともに問われることはなく、本人は死刑に処されました。

東条英機は尾崎秀実のゾルゲ事件への関与をネタに近衛首相に辞任の決意をさせ、自ら首相になって日米開戦に突っ走った、というのが真相だったようです。

もちろん米側もイギリスの諜報機関と共に「日本側からの攻撃」を実現させ、米国の世論を参戦へ向けさせるために画策し、日本を石油の禁輸などで追い込むなどの挑発を行っていたことも確かですが、それにまんまとはまって実力を遥かに超えた戦線拡大に進んだ日本も随分とおバカです。日本の真珠湾攻撃の報を受けてチャーチル英首相は「これで我々は勝った!」と狂喜乱舞したといいますから、戦略家として「真珠湾攻撃→米国参戦」で連合国側の勝ちが見えたから喜んだ、というのは理解できないでもないですが、あまりにも膨大な破壊と数多い犠牲者のことを考えると、非常に苦々しいエピソードですね。

目次

はじめに

序章 仏アバス通信社支局長のゾルゲ回顧

第1章 近衛内閣瓦解とゾルゲ事件

第2章 冷戦とゾルゲ事件

第3章 つながる糸

第4章 ゾルゲ報告とソ連極東軍の西への移動

第5章 米国を参戦に向かわせるために動く英国安全保障調整局

第6章 ゾルゲ事件の評価

エピローグ

参考文献・引用文献一覧

人物索引

本書は内容的には非常に興味深いのですが、「読みやすさ」という点では若干難があります。重要なことを繰り返し記述するのは構わないのですが、少々話が前後したり脱線したりしすぎているようなきらいがあります。もうちょっとすっきりとまとめることができたのではないかと思わなくもないです。

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書評:孫崎享著、『戦後史の正体 「米国からの圧力」を軸に戦後70年を読み解く』(創元社)

書評:孫崎享著、『アメリカに潰された政治家たち』(小学館)

書評:孫崎享著、『日米開戦の正体 なぜ真珠湾攻撃という道を歩んだのか』(祥伝社)

書評:孫崎享著、『日本の国境問題ー尖閣・竹島・北方領土』(ちくま新書)

書評:孫崎享著、『日米同盟の正体~迷走する安全保障』(講談社現代新書)

 

書評:辻村深月著、『子どもたちは夜と遊ぶ』上・下(講談社文庫)

2018年04月22日 | 書評ー小説:作者サ・タ・ナ行

『子どもたちは夜と遊ぶ』は、「生き別れの双子の兄と再会したいがために殺人を繰り返す秀才大学院生のお話」と言ってしまえば身も蓋もないのですが、最初のとっつきにくさを克服してしまえば、本格ミステリー的謎解きの楽しさがあり、また、主人公・木村浅葱の清算な過去、絶望と復讐心、双子の兄への憧憬などが切々と綴られているために、「猟奇殺人鬼」では片づけられない闇の深さがあります。

海外留学をかけた論文コンクールで最優秀賞を取った「i」とは誰なのか。優秀賞に甘んじざるを得なかった木村浅葱はその正体究明に乗り出し、いくつかのハンドルネームのうち、「θ」に「i」からコンタクトがあり、「θ」のデータがすべて盗まれてしまうのですが、その後「i」は双子の兄の「藍」だと告白します。そして、浅葱が兄「i(藍)」に会うための条件として、合計8人の殺人ゲームが持ち掛けられます。交替で各4人ずつ殺す計算で、一方が殺人を済ませたら、次に殺す対象のヒントを他方に与え、他方はそれに答えなければならないというゲームです。

最初に行方不明になった高3男子のところに残されたメッセージは「つれられていっちゃった」。次回へのヒントは「春「」秋冬。足りないのは?」。θはそれに答えて森本夏美という女性を殺し、「赤い靴」というメッセージを現場に残し、またiに次回へのヒントを送る、という具合に続いていきます。このゲーム感覚の連続殺人に身震いするとともに、どこに行きつくのか先が気になってしょうがない面白さがあります。

浅葱のライバルであり、友達でもある狐塚孝太を示唆する「次回のヒント」が「i」から来た時の浅葱の葛藤、無意識のうちに好きになっていたその妹の月子(孝太の妹であることは明かされていません)への渇望と失望など、「感情のある人間らしさ」が垣間見られる一方で、関係ない人は殺してしまえる分裂症的行動もなかなか読ませます。

難点を言えば、月子と孝太のエピソードの比重が大き過ぎ、本筋がなかなか見えてこないことですね。大人になり切れない20歳過ぎの大学(院)生たちの青春群像小説っぽいところがいいか悪いかは評価が分かれるのかも知れません。私はこの作品はミステリーに絞って、青春群像的な部分は登場人物のキャラクター設定が了解できる程度まで削ぎ落とした方がすっきりしていいのではないかと思いますが。

結末は、「i」の正体など、もろもろの謎は解決しますが、「その後」が気になってしまう終わり方で、『子どもたちは夜と遊ぶ・アフター』がそのうち書かれるのではと疑いたくなる感じです。

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書評:辻村深月著、『鍵のない夢を見る』(文春文庫)~第147回(2012上半期)直木賞受賞作

書評:辻村深月著、『かがみの孤城』(ポプラ社)~生きにくさを感じるすべての人に贈る辻村深月の最新刊

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書評:辻村深月著、『太陽の坐る場所』(文春文庫)

 



書評:辻村深月著、『太陽の坐る場所』(文春文庫)

2018年04月21日 | 書評ー小説:作者サ・タ・ナ行

辻村深月は直木賞受賞作の『鍵のない夢を見る』以来気に入っている作家で、彼女の作品を制覇しようとしているところです(笑)

あらすじは『太陽の坐る場所』(文春文庫)の商品説明が分かりやすかったので引用します。

高校卒業から10年。クラス会で再会した仲間たちの話題は、人気女優となったクラスメートの「キョウコ」のこと。彼女を次のクラス会に呼び出そうと目論む常連メンバーだが、彼女に近づこうと画策することで思春期の幼く残酷だった“教室の悪意”が、まるでかさぶたを剥がすようにじわじわと甦り、次第に一人また一人と計画の舞台を降りてゆく……。28歳、大人になった男女5人の切迫した心情をそれぞれの視点から描き、深い共感を呼び起こす。圧巻の長篇心理サスペンス。

この作品の面白さは「高校時代に一体何があったのか」がなかなかはっきりと分からないところにあるのではないでしょうか。女優の「キョウコ」がクラス会に一度も来てない理由と関係があると思われている過去の出来事。

プロローグでは、「響子」が天照大御神が天岩戸に籠ったように体育館倉庫の中に籠るシーンがあり、「太陽はどこにあっても明るいのよ」と言って倉庫の扉が閉まり、プロローグが終わります。この時の響子の対話の相手が誰なのかは最終章の「出席番号7番」で初めて明らかにされます。この対峙シーンに至るいきさつが男女5人の視点を通じてだんだん明らかになっていくのですが、最終章の当事者視点になって初めて全貌が白日の下にさらされるような感じです。

プロローグに登場する「響子」が後の女優「キョウコ」であるかのように最初勘違いしていましたが、「きょうこ」さんは二人います。その紛らわしいミスリードは意図的だと思いますので、「きょうこさんは二人いる」と書くのはネタバレのうちに入るでしょう。

でもまあ、この小さなネタバレを差し置いても、28歳の悩める男女の心情は読みがいがあると思います。高校時代になんだかんだと囚われている人たち—しかも10年も引きずっていたとなると、随分インパクトのある高校時代だったのだなとむしろ関心してしまいます。私は高校時代に知り合った人たちと今でも何人かSNSを通して交流がありますが、同級生は一人も居なかったりします。高校卒業後3年目で渡独してしまったので、同窓会のようなのが催されたのかどうかすら知ることができませんでした。28歳のころにはすでにクラスメートの大半のことを忘れていたと思います。だから余計に彼ら彼女らの語る高校時代を多かれ少なかれ引きずって今に至る心情というものが興味深く感じられました。

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書評:辻村深月著、『鍵のない夢を見る』(文春文庫)~第147回(2012上半期)直木賞受賞作

書評:辻村深月著、『かがみの孤城』(ポプラ社)~生きにくさを感じるすべての人に贈る辻村深月の最新刊

書評:辻村深月著、『ツナグ』(新潮文庫)~第32回吉川英治文学新人賞受賞作

書評:辻村深月著、『ハケンアニメ!』(マガジンハウス)

書評:辻村深月著、『盲目的な恋と友情』(新潮文庫)

書評:辻村深月著、『島はぼくらと』(講談社文庫)


 


書評:殊能将之著、『ハサミ男』(講談社文庫)~第13回メフィスト賞受賞作品

2018年04月20日 | 書評ー小説:作者サ・タ・ナ行

いつもお世話になっているオンライン書店のキャンペーンでお勧めされていて、面白そうだったので手に取ってみたら、本当に面白かったです。主人公が美少女を殺害し、研ぎあげたハサミを首に突き立てる猟奇殺人犯「ハサミ男」というだけでもなんだか変わった設定なのに、その殺人鬼が3番目の犠牲者として狙いを定め、調査していた女子高生が何者かに殺されてしまい、しかもその手口は「ハサミ男」のそれとそっくりだったので、誰に先を越されたのか気になって調べ始める、というストーリー。

視点は主人公に固定されておらず、調査する側の警察の様子も神の視点的な感じで描写されており、わざと読者を混乱させるような文章も仕込まれていたりするので、「騙された!」という奇妙な快感を味わえます。オチは、「それでいいのか?」と倫理的な意味で少々疑問に思わなくもないです。でもその皮肉さも本作品の味わいの一つなのかな、とも思います。

この作品が面白かったので、他の作品も読んでみたいと調べてみたら、なんと殊能将之氏は2013年にお亡くなりになっていたのですね。実に残念な才能の損失ですね。

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書評:Hannah Arendt著、『Wir Flüchtlinge(亡命者のわたしたち)』(Reclam)

2018年04月19日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

『Wir Flüchtlinge(亡命者のわたしたち)』はハンナ・アーレントが1943年に英語で書いたエッセイ『We Refugees』(The Menorah Journal, 36-I, p69-77)のドイツ語訳で、最初に翻訳されたのは1986年だそうです。

わたしが手に取ったのはReclam(レクラム)文庫の第6版(2016年発行)で、Thomas Meyer(トーマス・マイヤー)のエッセイ「Es bedeutet den Zusammenbruch unserer privaten Welt(それは私的世界の崩壊を意味する)」が収録されています。手のひらサイズのわずか64ページの小冊子です。

ハンナ・アーレントは自分の体験も踏まえて、ユダヤ人の「亡命者・難民(Refugees)」について考察していますが、トーマス・マイヤーは2015年9月に激化したヨーロッパ、とくにドイツの難民問題を念頭に置いて、ハンナ・アーレントの考察の現在における有効性について書いています。マイヤーのエッセイは、ハンナ・アーレントの短文をどのように解釈し、位置付けられるかについて有用な示唆を与えています。

彼女はまず「Flüchtling(Refugee)」の概念が彼女たちユダヤ人とともに変化したことを指摘します。以前はどちらかというと畏怖の念と共に「政治亡命者」の意味で使われた言葉でしたが、ナチス政権発足と共に大量のユダヤ人が財産を奪われ、国を追われ、あるいは捕まって殺されるなどしたために、その言葉は今日的な「難民」という意味で、いささかうさん臭い不幸なイメージと共に使用されるようになったと。

マイヤーはギリシャ悲劇作家アイスキュロスの『救いを求める女たち(Hikétides)』を持ち出して、「Flüchtling(Refugee)」が古代では自動的に「庇護を必要とするか弱さ」と連想されたことを指摘し、今日の難民問題の解決の糸口を古代の考察に求めることができないと結論付けます。難民の状況、すなわち、アーレント曰く「言葉を失い、それと共に表現力や身振りの自然さも失い、職業や財産、友人や親戚などの人間関係を失い、私的な世界の崩壊をきたし、何も持たない「丸裸の人間」に落とされる」状況は今も昔も大差はありませんが、そうした難民たちがどこかに辿り着いて新しい人生を始められるかどうかに関しては、昔と今では状況が全然違ってきているというわけです。ナショナリズムの台頭により、同じネーションに属さないよそ者である難民はどこに行っても受け入れてもらえない厳しい状況が1940年代では支配的でした。ドイツからフランスへ逃げたユダヤ人たちはフランスに同化しようとしましたが、「敵国人(ドイツ人)」であるという理由で投獄されてしまいました。そしてフランスがドイツに占領され、今度は「ユダヤ人」であるという理由で拘留されたままにされました。多くの協力者のおかげでアーレントを始めとするユダヤ人はアメリカに亡命できましたが、そこで亡命者として庇護されたわけではなく、無国籍者としてさまざまな不便を強いられました。しかし彼らは自分たちが「Flüchtling(Refugee)」であることを潔しとせず、立派なアメリカ市民であろうと努力しました。その努力が元からのアメリカ国民に認められることはなく、迫害されることもあり、このため自殺者が多かったそうです。ユダヤ教では自殺が神への冒涜であるにもかかわらず、です。表面的には新天地への希望を語りつつも、内心の絶望は深かったということですね。

「国家、国民、領土」の三原則では難民問題の解決の糸口はなく、国際的な枠組みですら決定的な解決を持たないのが現状です。国家という枠組みから外れてしまったから難民になるのにもかかわらず、彼らを庇護するための根拠となる守られるべき基本的人権が(法治)国家を前提とするという矛盾がこの短いエッセイで浮き彫りにされます。それゆえに新しい哲学的理論が必要だ、というのがここでのアーレントの主張です。

そして、今日の難民問題に哲学の立場から何か発言されることはないに等しいとマイヤーは指摘しています。

難民問題解決への哲学の貢献など、哲学とはあまり縁のない私にとってはほとんどどうでもいいことなんですが、改めて問題の複雑さが理解できました。戦争などのやむにやまれぬ事情で「難民」となってしまった人たちに対して、ただ感情的に拒否反応を起こし、ひたすら排斥に走るのはもってのほかですが、かわいそうという同情で人道的な難民支援をすることばかり考えるのも十分ではないということです。同情や人道的支援はその人たちの誇りを傷つける行為でもあることをきちんと理解した上で、(「一時避難」である場合を除いて)いかに彼らが自立した新しい人生を歩むことができるようにするかを、真剣に考えなければならないことです。

本当は戦争も格差もない社会を作ることが根本的な解決策なのでしょうが、それはあまりにもユートピア的なので、現実的に可能な範囲で公平・公正に対処していくしかないですね。

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書評:ハンナ・アーレント著、『Über das Böse - Eine Vorlesung zu Fragen der Ethik(悪について~倫理問題に関する講義)』(Piper)


書評:浜野 潔他著、『日本経済史1600−2015 歴史に読む現代』(慶應義塾大学出版会)

2018年04月17日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

『日本経済史1600−2015 歴史に読む現代』は大学生向けの教科書『日本経済史1600−2000』(2009年刊)の改題増補改訂版で、2017年4月発行。執筆者は浜野 潔、井奥 成彦、中村 宗悦、岸田 真、永江 雅和、牛島 利明の計6人。著者筆頭に挙げられている浜野氏は2013年にお亡くなりになったそうです。

本書は近世の経済学的遺産が近代的工業化に果たした役割を重視しながら近世から現代までの幅広い範囲をカバーしています。増補改訂版では各章末に「歴史に読む現代」と題した1節が加わり、第6章の章末には2000年以降に関する説が加えられています。

目次。

はじめに

1.近世の成立と全国市場の展開 (浜野 潔)

2.田沼時代から松方財政まで (井奥成彦)

3.松方デフレから第1次世界大戦まで (中村宗悦)

4.第1次世界大戦から昭和恐慌期まで (岸田 真)

5.戦時経済から民主化・復興へ (永江雅和)

6.高度成長から平成不況まで (牛島利明)

引用・参照文献

年表

索引

本書のアプローチはクラシックなマクロ経済史で、トマ・ピケティの『21世紀の資本』のような歴史的データの蓄積・シミュレーションによる格差問題に重要な特定観点(税率、私有資産、国家資産、資産占有率など)の考察と問題是正のための提言のような視点は含まれておらず、また、山口博の『日本人の給与明細 古典で読み解く物価事情』のような個人の給与や家計事情などのミクロ的視点も含まれていません。あくまでも産業構造や市場・流通のあり方および時の政権の経済政策などのマクロ的視点から見る日本の歴史です。その際5章で、戦前・戦後でフェーズを分断せず、戦時経済のどの要素が戦後に継承されたか、どの要素が戦後特有の新しいものだったかについての考察は、特に興味深いです。

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書評:山口博著、『日本人の給与明細 古典で読み解く物価事情』(角川ソフィア文庫)

2018年04月08日 | 書評―古典

『日本人の給与明細 古典で読み解く物価事情』は、古代から近世まで、米や土地などの値段を手がかりに、先人たちの給料を現代のお金に換算する試みで、山上憶良、菅原道真、紫式部などの収入を現在の貨幣価値で明らかにします。また、土地がどのくらいの価格で売買されたかとか、どの官位がどのくらいの価格で買えたとか、職を得るための賄賂がいくらだったとか、非常に興味深い話題が満載です。

平安後期は官位を買って、職を得るために賄賂を贈るのが当たり前になっており、そうまでして職を得ようとするのは、役得(つまり役職を利用した汚職)があることが前提になっているとのことで、よく考えてみると随分と汚職まみれのどうしようもない社会だったのですね。

室町になると、少なくとも専門職は世襲制ではなく能力のあるものにつかせるようになったようですが。。。

江戸時代は貨幣経済も浸透しているため、現代の貨幣価値に換算するのは慣れてしまえばどうということもないでしょうが、それ以前は現物支給が一般的なので、古典の記録を読んだところで全然ピンとこないというのが普通でしょう。本書はそうした理解の壁を取り除いてくれます。分かりやすい文体で、面白い古典のエピソードを紐解いており、読み物としても上等。

ふっと笑ってしまったのが兼好法師とその友人の頓阿(とんあ)の歌のやり取り。

もすずし ねざめのかりほ たまくらも まそでもあきに へだてなきか(兼好)ー>「よねたまへ、ぜにもほし(米給へ。銭も欲し)」

るもう たくわがせこ はてはこず なほざりにだに しばしとひま(頓阿)ー>「よねはなし、ぜにすこし(米はなし。銭少し)」

戯れ歌で、歌の中に言葉が隠されており、各句の頭字を上から下へ、尾字を下から上へ読むそうです。兼好法師は生活に困って友人に無心し、半分断られたということですね。それで評論家に転身したとか。「徒然草」を読むと、雲か霞を食って生きているような世捨て人っぽいですが、実際には生活にきゅうきゅうとしていた模様。

室町時代の御家人の苦労や戦国雑兵の生きるための戦略なども興味深く、遥か昔の人たちの暮らしが一気に身近に感じられるような気になってきます。

江戸時代の下級武士の家計簿も面白いです。

巻末に各時代の物価表が載っています。

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