徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

ケルン・オペラ座、ドヴォルザーク作曲『ルサルカ』

2019年03月14日 | 日記

昨夜ケルンのオペラ座でドヴォルザーク(1841~1904)作曲のオペラ『ルサルカ』を見てきました。チェコ語のオペラはこれが初めてでしたが、歌詞が聞き取れないのはいつものことなので、響きが違うとかそういうことは感じませんでした。

『ルサルカ』は3幕の叙事詩的なメルヘンオペラで、ケルン・オペラ座での演出が変な社会学的な解釈とか妙な現代的新解釈などがなく、メルヘンに相応しい幻想的なもので、衣装とコレオグラフィーが素晴らしかったです。

ストーリーはアンデルセンの人魚姫と似ていて、水の精ルサルカが人間の王子様に恋をして、魔女に頼んで声を失うことを条件に人間にしてもらいます。そして二人は森の中で出会い、王子はルサルカを城に連れ帰って結婚しようとしますが、口をきかず、情熱的でもない、抱擁すると寒気すらするルサルカに不満を持ち、ちょうど訪問中の外国の王女に心変わりをしてしまいます。ルサルカの父であるウォーターゴブリンが現れ、心変わりした王子に呪いをかけます。王子はルサルカの死の抱擁を逃れることはできないと。城に居場所を亡くしたルサルカは姉妹たちのいる幸福な水の世界にも戻れずどちらでもない世界に囚われ、また魔女のイェジババに助けを求めます。魔女はルサルカが裏切り者の王子を殺せば、その血の熱でルサルカを癒すことができると助言し、ナイフを渡しますが、ルサルカはそんなことはできないとナイフを捨てます。呪いをかけられ、外国の王女にも見捨てられた王子が病気になり、ルサルカを探して森を彷徨い、ついに彼女を見つけて彼女に口づけを求めます。それが彼に死をもたらすものであっても。ルサルカは最初は拒否しますが、結局彼の頼みを聞いて彼を口づけと抱擁によって苦しみから解放し、その後一人で暗い水底へと去っていきます。

ルサルカの不幸は、愛した相手に裏切られたばかりでなく、彼に死をもたらしてしまったこと、そして自分一人で滅びることもできず、どこにも戻れない永遠の孤独を漂っていかなければならないことです。

正直、王子の身勝手さには腹が立ちましたね。なに1人で陶酔して「命がけで愛してる」みたいなたわけたことを言っているのかと。残されるルサルカのことなど1ミリも考えず、自分だけが苦しみから解放されることを求めるのですから。彼が外国の王女にうつつを抜かすことなどなければそもそもそんな苦しむこともなかったのに。身勝手な男のロマンチシズムにうんざり。

でも舞台演出と音楽・歌唱・演技は文句なしでした。

指揮はChristoph Gedshold、演出は2015年にゲッツ・フリートリヒ賞を受賞したNadja Loschkyという人。

登場人物

ルサルカ(ソプラノ) Olesya Golovneva

王子(テノール) Mirko Roschkowski

外国の王女(ソプラノ) Adriana Bastidas-Gamboa

ウォーターゴブリン(バス) Samuel Youn

魔女イェジババ(メゾソプラノ) Daila Schaechter

家畜世話人(猟師、テノール) Insik Choi

料理人(ソプラノ) Vero Miller

第1のエルフ(ソプラノ) Emily Hindrichs

第2のエルフ(ソプラノ) Regina Richter

第3のエルフ(アルト) Judith Thielsen

狩人(バリトン) Hoeup Choi

 

【ルサルカ】はスラブの水の精ですが、西ヨーロッパの魂を持たない水の元素から生じた水の精たち(ギリシャのシレーネ、フランスのメルシーヌ、ドイツのウンディーネ、ローレライなど)と違って、魂を亡くした人間の女性の成れの果て(不自然な死を迎えた女性の幽霊)で、人間の男性と結ばれることで魂を取り戻すことができるとされています。元々は誰かを愛して裏切られた、大抵は妊娠中の若い女性で、絶望から入水自殺して、そこでも溺死者として安息を得られずに彷徨うことになり、時に人に死をもたらす存在です。その意味で、人間界と自然界の境界、生と死のはざまで漂う矛盾に満ちた存在と言えます。


ヴェルディのオペラ「ファルスタッフ」ケルン公演

2018年06月29日 | 日記

ちょっと日にちが経ってしまいましたが、6月28日(木)にケルンのシュターテンハウスというオペラハウスでジュゼッペ・ベルディの最後のオペラ作品「ファルスタッフ(Falstaff)」を見てきました。このオペラの原作はシェイクスピアの「ウインザーの陽気な女房たち」という喜劇。今日でも上演される数少ない喜劇(コメディア・リリカ)です。粗筋はウイキペディアをご覧ください。

ここ最近はケルンのオペラ座の公演は演出が気に入らないことが多くて避けていたのですが、6月28日は「オペラデー」ということで全席破格の16.50ユーロ(15ユーロプラス前売り手数料1.50ユーロ)ということだったので、「それなら」と前売りを買った次第です。実際そのように考えた人が多かったらしく、会場はいつになく満杯でした。平日でオペラがそこまで盛況になることは今まで見たことなかったので、この特別割引のせいなのだろうと思います。

今回は舞台も演出も変に現代風アレンジされることなく、割とオーソドックスに上演されたようで、不快になることなく楽しめました。

絵が描かれた仕切り幕が下りている時はファルスタッフが入りびたる酒場。

この幕を取ってテーブルが全部見えている時はフォードの庭園またはウインザー公園(第3幕のみ)。

喜劇ということで、美しいアリアとかはないので、あまりオペラを見ている感じがしなかったのですが、面白かったです。

演出で面白いなと思ったのは、コーラスが客席の後から出てきたり、ファルスタッフを追い回すウインザーの男たちが客席の通路を通って行ったりという客席を舞台の一部にしてしまっている所でしょうか。

ただ、会場の問題なのですが、きちんとした作りの客席ではなく階段などが組み立て式で、人が通るときしんでしまうため、雑音が多くなるのが残念です。シュターテンハウスは、オッフェンバッハプラッツにある本来のオペラ劇場の修理が完了するまでの仮のオペラ劇場として使用されているだけのイベント会場だから、オペラ上演のために最適化されてないのですね。ホールが3つあり、ホールを繋ぐ廊下に変なオブジェが飾ってあるあたり、オペラ劇場的情緒が一切ない感じです。

 

MUSIKALISCHE LEITUNG WILL HUMBURG / INSZENIERUNG DIETRICH W. HILSDORF / BÜHNE DIETER RICHTER / KOSTÜME RENATE SCHMITZER / LICHT ANDREAS GRÜTER / CHORLEITUNG ANDREW OLLIVANT / DRAMATURGIETANJA FASCHING


ボン・ベートーベンハウスで室内楽コンサート(カルテット)

2018年05月26日 | 日記

昨晩(2018/05/25)は女3人でボンのベートーベンハウスで室内楽コンサートに行って参りました。

演奏者は以下の通り:

Latica Honda-Rosenberg, Violine (バイオリン)
Peijun Xu, Viola (ビオラ)
Jens-Peter Maintz, Violoncello (チェロ)
Evgenia Rubinova, Klavier (ピアノ)

曲目:

Ludwig van Beethoven, Klavierquartett C-Dur WoO 36 Nr. 3 (ベートーベン、ピアノカルテット、ハ長調、作品番号なし36、第3番)
Gabriel Fauré, Klavierquartett g-Moll op. 45(フォーレ、ピアノカルテット、ト短調、op. 45)
Johannes Brahms, Klavierquartett g-Moll op. 25(ブラームス、ピアノカルテット、ト短調、op. 25)

ピアノカルテットを間近で聞いたのは初めてだったので新鮮でした。特にオーケストラの中ではほとんど目立つこともないビオラの音がまともに聞けて、その温かな柔らかさに感動しました。Peijun Xu(简历)さんは背が高くてスレンダーでかっこいい!と思いました。中国人だろうな、と辺りをつけていた通り、上海出身の方でした。

ピアニストのEvgenia Rubinovaさんは小柄でほっそりしているのにどこからそんなパワーが出て来るのかと不思議に思うほどパワフルな演奏で、しかも楽しそうに弾いている感じなのが好印象でした。現在ドイツを拠点に活動しているようですが、元はウズベキスタンのタシュケント出身で、主にロシアで音楽キャリアを積んだようです。「ユージニア・ルビノヴァ」という名はスラブ系でもロシア人ではなさそうな感じだったのでどこの人なのか不思議に思ってましたが、ウズベキスタンということでなんとなく納得しました。

このお二人の演奏が特に気に入ったのでCDを買っちゃいました。

バイオリニストのLatica Honda-Rosenbergさんはドイツ人で、実は予定されていたアレキサンダー何とかというバイオリニスト(上の写真の左下の男性)の代打で入ったようです。ベルリン芸術大学の教授とのことで、演奏技術は文句のつけようがありませんが、でも特に「お~!」と感動するようなこともありませんでした。

チェリストのJens-Peter Maintzさんもドイツ人で、ハンブルク出身。やはりベルリン芸術大学の教授です。この方が代打のバイオリニストを引っ張ってきたのかも知れませんね。安定した素晴らしい演奏でした。


バッハ、クリスマス オラトリオ。ボンの城内教会にて

2017年12月17日 | 日記

本日二つ目のコンサートは、クリスマスらしくバッハの「クリスマスオラトリオ(Oratorium in tempore nativitatis Christi, BWV 248)」で、場所は元はお城だったボン大学の中にある城内教会(Schlosskirche Bonn)です。コンサートホールとしてはかなり小さく、チケットはネットでは買えないというアナログさ。

中はパステルイエローを基調にしたバロック的装飾で、なかなか風情があります。

  

毎年クリスマスオラトリオを聞きに行きたいと思いつくのが遅すぎて、チケットを買えなかったのですが、今年はすでに11月半ばにそのことを考え、チケット販売開始2日目にダンナが唯一のチケット前売り所であるカウフホーフというデパートの中のチケット販売コーナーへ行って買ってきました。

このただの紙切れに印刷しただけの手作り感、大学のスタンプを押してコピーでないことを示すアナログ感がたまりませんね。


この城内教会はケルン大司教の居城に属し、1777年に火事で焼失した後に建てられました。この教会で、かの若きベートーベンがクリスチャン・ゴットリープ・ネーフェからオルガンの授業を受け、ウイーンに移るまでここでオルガン奏者をしていた、というボンが誇る数少ない歴史文化財の一つです。だからと言っていつまでもデジタル化の波に逆らう必要はないと思うのですが(笑)

一応ホームページがあり、オーケストラやその他の演奏者の紹介、コンサートの日程などのお知らせなどが掲載されています。チケットは完売だったようで、教会はこれ以上ないくらいに満員でした。

教会なので、木のイスで、座り心地は最悪。オラトリオ全部ではなく、1部と4~6部だけとはいえ2時間近く座り続けるのは結構苦痛でした。大きなバロック式教会のように寒くなかったというのが唯一の救いみたいな…

さて、音楽の方はというと、オーケストラの演奏、ソリストの人たちはとても良かったと思います。でも合唱団全体としては今一つでした。音響が今一つというのもあるのかも知れませんが、もう少し歌詞がはっきりと認識できても良かったのではないかと思いました。

一番面白いと思ったのが、ソプラノとエコー ソプラノとオーボエがお互いにまねっこしながら順番を替えたりして戯れる曲でした。バッハもこんなユーモラスな曲を作曲できたんだ、とちょっと感心してみたり。。。

一応バッハの全作品を収録したCD集を持ってるんですが、とにかくたくさんあり過ぎて一つ一つ覚えられるわけもなく、類似するものもかなりあるので、どれがどれと区別がつかないことも多いので、こういうユーモラスなものが紛れ込んでいることに気づきませんでした。まあ、オルガン音楽の方を重点的に聞いてたせいもあるでしょうが。

何はともあれ、第3アトヴェントらしくクリスマスオラトリオを聞いた後は、そこから歩いて1分もかからないところにあるお寿司屋さん「Ichiban Sushibar」で晩ごはんを頂きました。

ダンナは「生(いき)ビール」とかいうゆず入りのビール(日本からの輸入品らしい)に挑戦。私はアルコールフリーのドイツ産小麦ビール。

手始めにほうれん草の胡麻和えと鮭南蛮およびお味噌汁。

私はちらし寿司を頂きました。

ダンナは「Tokyo」という寿司盛り合わせ。

デザートは抹茶アイス。

ま、日本人が舌鼓を打って味わえるほどの素晴らしいお味ではないのですが、この近郊にあるすしバーの中ではかなりましな部類です。近頃は普通のスーパーでもパック寿司が売られるようになっていて、他にも寿司を扱うお店が増えたこともあり、以前ほどこのお寿司屋さんは賑わっていないようです。

今日は本当に贅沢な一日でした。

コンサートが二つかぶってしまったのはちょっときつかったと言えばきつかったのですが、どちらも逃したくなかったのでこういうことになりました。


ベートーベンオーケストラのマチネ。コンサートシリーズ「Im Spiegel(鏡の中で)2」


ベートーベンオーケストラのマチネ。コンサートシリーズ「Im Spiegel(鏡の中で)2」

2017年12月17日 | 日記

今日はまたベートーベンオーケストラのマチネコンサートに行ってきました。先月の五嶋みどりさんが出演したコンサートと同じシリーズ「Im Spiegel(鏡の中で)」の第2弾となります。

このコンサートシリーズでは政治と音楽の関りを考察する対話が組み込まれており、演奏される曲を作曲当時の政治状況の文脈の中でより深く理解する試みです。

今回の曲目はベートーベンの交響曲第3番変ホ長調「エロイカ(英雄)」でした。細かいことを言えば、「エロイカ」を「英雄」と訳してしまうのは不正確で、シンフォニー(交響曲)にかかる形容詞として「Sinfonia eroica」というイタリア語の原題通り「英雄的な交響曲」とすべきなんですが。「エロイカ」は女性形なので、その訳として「英雄」という男性の象徴のような名詞があてられると、ものすごい意味的な不調和を感じずにはいられません。なので、私にとってベートーベンの第3はあくまでも「エロイカ」です。

 

バン...バン...

と出だしのオーケストラ全体が一つの打楽器のように2音を打った後、指揮者のディルク・カフタン(Dirk Kaftan)がくるっと聴衆の方に振り返って、「Guten Morgen(おはようございます)」と言ったので、一瞬「えっ?!」と思った後に、ホールの中で思わず笑いがさざ波のように広がりました。

交響曲ということで、ソリストがいないため、対話の相手は誰なんだろうと思っていたら、哲学者のペーター・スローターダイクでした。彼の言うことは抽象的で、前回のみどりさんのように聞きやすいものではありませんでした。しかも、指揮者兼司会のディルク・カフタンとの対話があまり成立しておらず、噛み合わない二つのモノローグを聞いているようでした。

19世紀初頭、フランス革命後の世界情勢の中、ベートーヴェンのナポレオン・ボナパルトへの共感から、ナポレオンを讃える曲として交響曲第3番作曲されました。しかし、完成後まもなくナポレオンが皇帝に即位し、その知らせに激怒したベートーヴェンが「奴も俗物に過ぎなかったか」とナポレオンへの献辞の書かれた表紙を破り捨てた、という逸話があります。実際にその表紙には大きな穴があるそうなんですが、 それならなぜ後に「一人の偉大な人間の思い出に」と総譜に書かれていたのか、またなぜベートーベンは「ボナパルトのために作曲」と書き加えたのか、という疑問が残ります。事実はもっと複雑なようです。

それはともかく、前回と同じようにモチーフの解説にその部分の生演奏が続いて、抽象的になりがちな言説をメロディーで感覚的に理解できるように構成されていました。エロイカにも当然様々な曲のモチーフが引用されています。第一楽章の二つの打音に続くのはモーツァルトのジングシュピール『バスティアンとバスティエンヌ』K.50からの引用で、打音なしでエロイカを演奏し出すともうほとんど引用元の曲と区別がつかなくなるくらい「パクって」いるのですが、二つの打音を先に持ってくることで、後に来るドラマチックな展開を予感させて、「ただの田園風景じゃないんだぜ」と主張しているようにも取れます。

最新の研究では、「エロイカの背後には人間の自由と、芸術および文化による救済という思想があり、ある種のプログラムがシンフォニーの下地になっている」と推測されてるそうですが、そういった「救済」的なものをどこらへんで特に感じられるのかといったことも話題にされました。具体的な個所はどこだったもう分りませんが、確かに村祭りのような世俗的な雰囲気からだんだんと何やら高尚な雰囲気に変換され、最終的に真っ青に突き抜けた青空に昇天するようなイメージが想起される部分でした。スローターダイクさんはそれを哲学者らしい「Transzendent(超越的な)」という言葉を使って形容してましたけど、それじゃあ全然イメージ湧きませんって( ̄∇ ̄;)

第二楽章の葬送曲なのになぜか途中でウインナワルツのような軽やかなものに変わるのも興味深いですね。そこだけ聞くとウインナワルツ以外の何ものでもないようにしか聞こえません。

エロイカは実はその前年に作曲されたバレエ音楽「プロメテウスの創造物」の物語を反映する構成だそうです。第一楽章はプロメテウスの創造と無駄な教育の試み、第二楽章は悲しみに打ちひしがれて冥界を歩むプロメテウス、第三楽章は彼の再度の目覚め、そして第四楽章・フィナーレで人間の様々な性情がオーストリア及びドイツの舞踊曲やアグレッシブなフガーティおよび賛歌などを交えてフルに提示される、というふうに当てはめることができるようです(知らんけど)。特に第四楽章は同時代の人たちには「封建制度からの解放への希望」と理解されていたらしいです。

そうした蘊蓄をメロディーをまじえて聞いた後に通しでエロイカを聞くと、イメージの広がり方が違いますね。でも、第四楽章はちょっとシーンチェンジが激し過ぎて忙しい感じがしました。お花畑にいたと思ったのに、急に暗雲が立ち込めて、雷がドカンと落ち、土砂降りになって、うへーとか思っていると晴れ上がって、穏やかに水平線に沈んでいく夕日が見えるような?と思っていると、兵隊さんの行進ですか?みたいな感じになって、そこから怒涛のようにファンファーレに持っていかれて、最後にバーンとカタルシスがある、みたいな?

せわしないと感じたのは速めの演奏テンポのせいだったかもしれません。1980年代まで活躍した20世紀の最も著名な指揮者と呼ばれるヘルベルト・フォン・カラヤンは、ベートーベンの曲をやたらとスピーディーに演奏することでも知られていましたが、今日のディルク・カフタンはそれよりもさらにアップテンポだそうで、ゲストのスローターダイクが「今まで聞いた中で最もスピーディーなエロイカ」と評していたくらいでした。

あと残念なのは、ボンのベートーベンオーケストラが超一流ではないということですね。常任指揮者は面白いのですが、オーケストラの方はいまいち洗練されてない、悪くはないけど、平均的なんですよね。実に惜しい。

今日は夕方もコンサート(バッハのクリスマス・オラトリオ)に行く予定なので、その前に取り急ぎマチネコンサートの印象を書き留めました。「取り急ぎ」と書きましたけど、別に後で推敲・清書するつもりはありませんのであしからず。


ベートーベンオーケストラ&五嶋みどり ボン公演・マチネ(2017年11月12日)

2017年11月12日 | 日記

今日は友達と一緒にベートーベンオーケストラと五嶋みどりのマチネ公演に行って来ました。 
会場はボンのオペラハウス。残念ながらちょっとちゃっちい建物です。まあ人口30万人余りの地方都市に豪華なオペラハウスを期待する方が間違ってるのでしょうけど。

プログラムはチャイコフスキーのバイオリンコンチェルト・ニ長調、op. 35とショスタコヴィッチのシンフォニー6番・ロ短調、op. 54。

Pjotr Iljitsch Tschaikowski (1840-1893)

Konzert für Violine und Orchester D-Dur op. 35

Allegro moderato
Conzonetta. Andante
Finale. Allegro vivacissimo

Dmitrij Schostakowitsch (1906-1975)

Sinfonie Nr. 6 h-Moll op. 54

Largo
Allegro
Presto

指揮者はディルク・カフタン(Dirk Kaftan)。

五嶋みどりさんは世界的に有名なバイオリニストですが、今週末はボンの老人ホームや学校などを3件回って小規模コンサートをベートーベンオーケストラと共にこなし、最後の日曜日にこの11時のマチネコンサートで締めくくるというかなり地味な活動もこまめにこなしていらっしゃるらしいです。「音楽が人々を結びつける。」「経済的な理由などで音楽になじみのない人々に音楽を届ける」というのが彼女の哲学だそうです。国連平和大使を勤めてらっしゃったこともあり、音楽教育にも熱心で、素晴らしい生き方ですね。

私は彼女のライブは今回が初めてで、チャイコフスキーのソロパートが始まった途端になんだか涙が出てきました。どう感じてそうなったのかよく分からず、心と体が勝手に反応して、頭が置いてきぼりを食らったみたいな感じでした。非常に深みのあるブレない音で、素晴らしい演奏でした。高音のフラジョレットの繊細さ、重音の安定した深み、ピチカートの余韻を残す広がりなどどれも素晴らしい技術と表現力ですが、特に低音域の深みと厚みが感動的でした。
30年くらい前にボン近郊のローランズエックというところで彼女の演奏を聞いて感動したという友人も今日隣で同じように泣いちゃってたみたいです。

最前列の席だったため、みどりさんの演奏する時の表情やジェスチャーの細かいところまでよく見られて、つくづくこの方は全身で演奏する方なんだなと思いました。非常に小柄な方ですが、迫力があり、まるでバイオリンを弾きながらダンスでもしているようなパフォーマンスをします。そのジェスチャーの多い演奏法は非常に独特ですね。特にバイオリンの授業では、少なくとも演奏技術の基礎を習得するまでは、体を動かさないように指導されるので、その逆を行く彼女の演奏法には新鮮な驚きを感じました。

このマチネは面白い趣向で、チャイコフスキーとショスタコヴィッチの間に休憩が入らず、代わりに指揮者のディルク・カフタンと後藤みどりさんの対話があり、カフタン氏がみどりさんにインタビューして、お客さんに彼女のことを良く知ってもらうというものでした。みどりさんは話し出したら止まらないタイプのようで、非常に素晴らしく分かりやすい英語で彼女にとって音楽とは何かとか、なぜ地味な活動をするかなどについて延々と語っていて、カフタン氏が「それ全部、私がドイツ語に訳さなきゃいけないこと考えてください」とブレーキをかけなければならない程でした(笑)

この対話の後に、今度はカフタン氏が一人でショスタコヴィッチのシンフォニー6番について説明しました。曲の予告では「春」「喜び」「若さ」を表現するものということだったのに、実際の音楽は葬送曲のようで、そこに隠されたメッセージとは何かについて考察するという趣向です。ショスタコヴィッチのシンフォニーには様々な作曲家のモチーフが引用されているそうで、その引用元(チャイコフスキー、マーラー、バッハ、ロッシーニのウイリアムテル序曲、レーニンの行進曲?)のモチーフとショスタコヴィッチのモチーフを数小節演奏して、聞き比べをさせてくれました。詳しいことは分かりませんが、この曲にはどうやらスターリン政権をこっそり皮肉って批判する意図が隠されているようです。いつ逮捕されるか分からないので、常に旅行鞄を別途の下に置いてすぐに逃げられるようにしてたというショスタコヴィチ。ウイリアムテル序曲からの引用はスイスの自由への憧憬を表していたのかもしれないそうです。

こうした政治的背景や曲に込められているものを説明された後で演奏を聴くのはまた非常に興味深いですね。ショスタコヴィッチのシンフォニーのバイオリンソロを演奏したコンサートマスターはみどりさんとは全然違うタイプの演奏家のようで、実に明晰な透明感の高い音でした。プログラムには名前は載っていませんでしたが、ベートーベンオーケストラのサイトによると、Liviu Casleanu という方のようです。貫禄のある体格なのでバイオリンがおもちゃのように小さく見えるのがちょっと笑いを誘うのですが、演奏は素晴らしかったです。

帰りに中華レストランで飲茶を頂きました。マルクト広場にある広東料理レストラン「Dim Sum」というところで、初めて入りました。同じ場所にあった違う中華レストランには何度か入ったことありましたが、持ち主と店名が変わってからは行ったことありませんでした。というか、店名が変わったことは今日初めて知ったのですけど。飲茶を出す中華レストランは珍しいので、嬉しいです。
 

 

トリップアドバイザーの口コミを読むと、いくつか酷い評価があり、飲茶の種類は多くても冷凍ものを温めているだけじゃないかというコメントもありましたけど、どうなんでしょうね。私たちは結構おいしいと思いましたけど。ものによっては出来合いの冷凍食品という可能性は無くはないと思います。本来飲茶は手間のかかるものなので、ある程度の種類を揃えるにはそういうものを利用せざるを得ないのかも知れません。

ダンナと私がよく行く比較的近所の中華レストランでは6・7品くらいしか天心の種類がなくて、出てくるまでに結構時間がかかり、手作り感が高いです。いや、でした、かな。ついこの前行った時は味が落ちていたので。。。

閑話休題。

 

久々に楽しい休日でした。天気はどんよりとして雨が降ったりやんだりで、日中最高気温が5℃程度という寒さでアレでしたが。。。

そういえば昨日(11月11日)からまた第五シーズン(カーニバル)が始まったのですね。土曜日だったのでいつもより人出が多かったようです。


Musica Saeculorum ケルン公演・チェンバロとホルン

2017年09月07日 | 日記

 

昨夜は久しぶりクラシックコンサートに行って参りました。月曜日にケルン・チケットのメルマガが来て、チケット2枚が1枚分の値段で買えるというので、体調も安定していることもあり、誘惑に抗うことなく速攻でチケット購入してしまいました。席は前から10列目の舞台中央の正面。それがたったの52€(二人分)なんて信じられない価格です。もちろん、有名どころでないからこその値段なわけですが、水曜日の夜ということもあって客席は半分も埋まってなかったと思います。

でもコンサート自体はとても良かったです。ウイーン・クラシックを堪能できました。

プログラムは以下の通りです。

Musica Saeculorum & Philipp von Steinaecker ムジカ・ゼクロールム&フィリップ・フォン・シュタインエッカー

Wolfgang Amadeus Mozart 1756 - 1791 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
Sinfonie C-Dur KV 338 (1780) シンフォニー、ハ長調(KV 338)
Allgro vivace アレグロ・ヴィヴァーチェ
Andante di molto più tosto Allegretto アンダンテ・ディ・モルト・ピウ・トスト・アレグレット
Allegro vivace アレグロ・ヴィヴァーチェ

Joseph Haydn 1732 - 1809 ヨゼフ・ハイドン
Konzert für Cembalo und Orchester D-Dur Hob. XVIII:11 (vor 1784) チェンバロとオーケストラのためのコンサート、ハ長調
Vivace ヴィヴァーチェ
Un poco Adagio ウン・ポコ・アダージョ
Rondo all'Ungarese. Allegro assai ロンド・アル・ウンガレーゼ。アレグロ・アッサイ

Cembalist: Mahan Esfahani チェンバロ奏者:マハン・エスファハニ

Pause 休憩

Wolfgang Amadeus Mozart ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
Konzert für Horn und Orchester Es-Dur KV 417 (1783) ホルンとオーケストラのためのコンサート
Allegro アレグロ
Andante アンダンテ
Rondo. Allegro ロンド。アレグロ

Hornist: Alec Frank-emmill ホルン奏者:アレク・フランク=ジェミル

Wolfgang Amadeus Mozart ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
Sinfonie D-Dur KV 504 (1786) "Prager Sinfonie" シンフォニー、ハ長調(KV 504)「プラハ・シンフォニー」
Adagio - Allegro アダージョ~アレグロ
Andante アンダンテ
Presto プレスト

ムジカ・ゼクロールムというオーケストラは2008年に創設され、以来ずっとフィリップ・フォン・シュタインエッカーの指揮下で活躍しているようです。ケルン公演は2013年3月が初めてで、今回は2度目の出演。

チェンバロ奏者・マハン・エスファハニはイラン出身。主にイギリスで音楽教育を受け、2008年から2010年まで BBC の「ニュージェネレーション・アーチスト」で、2009年にロンドンデビュー。よくは知りませんが、世界中で活躍しているようです。素晴らしく軽やかで味わい深いチェンバロを聞かせてもらいました。アンコールで、ジャン・フィリップ・ラモー(Jean-Philippe Rameau、1683-1764)のガヴォット・6つの変奏曲(バリエーション)を弾いてくれました。チェンバロの音はピアノに比べると小さくて通りが悪いのですが、温かみがあって、私は好きです。

ホルン奏者・アレク・フランク=ジェミルも主にイギリスで音楽教育を受け、2013年にデビューした若手で、2014年から2016年まで BBC の「ニュージェネレーション・アーチスト」でした。現在は Scottish Chamber Orchestra の第一ホルン奏者。
私はナチュラルホルンの演奏を間近で見るのは初めてで、つくづく不思議な楽器だなと思いました。押すところも引くところもなくて(もちろん、フレンチホルンのようにバルブ操作をするタイプもありますけど)、唇とストップ奏法と呼ばれるベルの中の右手の位置を変えるだけであれだけ色彩豊かな音を出しているのですから、私から見ると本当に奇跡みたいです。私は吹奏楽器が苦手で、トランペットもクラリネットも音一つ出せたためしがありません ( ´∀` )

ハイドンのチェンバロコンサートも素晴らしかったですが、モーツアルトのホルンコンサートは副題に「ロバ、雄牛、道化のために」とあることから分かるようにお祭りのように楽しい感じで、とても元気が出ました。

最後を締めくくったシンフォニーはそれに比べて少々堅苦しい感じで、いかにもフォーマルなクラシック音楽という印象を受けました。悪くはないですが、私の今の気分にはあまり合わないということでしょうか。


ドイツ・ボンの桜並木を歩いてみた

2017年04月09日 | 日記

ボンに住んでもう25年以上になりますが、80年代に旧市街のリニューアルの一環として植林された日本産の桜約300本をまじまじと見に行ったのは今日が初めてです。

ボン市のウエブサイトによれば、市庁舎(Stadthaus)の裏手一帯には3月半ばから4月半ばにかけて様々な種類の桜が順々に咲いていくらしく、最後のハイライトを飾るのがHeerstraße(ヘアシュトラーセ)とBreite Straße(ブライテシュトラーセ)の八重桜の一種「関山(カンザン)」だそうです。今日見てきたのはその二つの桜並木通りです。

Heerstraßeの桜並木が始まるところには「Welcome Cherry Blossom Bonn 桜 ボン」と書かれた旗がはためいていました。

このHeerstraßeは2012年にFacebookの「Places to see before you die」というページに掲載され、世界の美しい並木通りのトップ10にランキング入りして以来、日本人を始めとするアジア系の観光客が満開期に80%以上も増えたとか。確かにかなりの人混みでした。

もう一つのBreite Straßeの方も、Heerstraße程ではありませんが、結構な人出でした。

 

残念ながら、日本的な本格的な「お花見」をする場所はありません。カフェやバーの外に出されているテーブルについて、コーヒーやビールを一杯やりながら桜を見るというのがせいぜいですね。何せ基本的にごく普通の住宅街ですから。

Breite StraßeからHeerstraßeの方へ戻ろうと脇道へ入ったら、マンガ屋さんを発見しました。アニメのフィギュアでしょうか、そうしたものが前面にあり、マンガは奥の方にあるみたいでした。日曜日なので、当然閉まってましたが。
写真では見づらいかもしれませんが「NIHON MANGA」の上に紫色の文字で「THE OTAKU SHOP」と書かれているのが笑えます。「オタク」は本当に国際語なんですね。 


近所の森ばかりではなく、たまには街中を散歩するのもいいですね。でも人混みはやはり疲れます。


ベルリン・バロックソリストケルン公演

2016年12月06日 | 日記

しばらく副業の翻訳が忙しくて、まとまったブログ記事を書いてる時間がなかったのですが(実は今も本当は時間ない)、昨晩コンサートに行ったので、その印象が薄れないうちにブログに書いておこうかと思います。

古典ですので、フルオーケストラとは全く違い、指揮者なしの室内楽的な舞台でした。会場はケルン・フィルハーモニー。演奏はベルリン・バロック・ソリストというグループで、1995年に17・18世紀の音楽を芸術的な最高水準で演奏することを目的に結成されたそうです。

リーダー及びヴァイオリン:Daniel Gaede ダニエル・ゲーデ
ヴァイオリン: Kotowa Machida, Zoltan Almasi, Rüdiger Lebermann, Raimar Orlovsky, Christoph Streuli Bastian Schäfer
ビオラ:Walter Küssner, Tanja Christ
チェロ:Kristin von der Goltz
ヴィオローネ:Ulrich Wolff
チェンバロ:Léon Berben
リュート:Björn  Colell 

このグループにプラスチェロソリスト、Alban Gerhardtが客演で、チェロのソロを演奏しました。

  

演奏家たちの写真は一瞬のスキを使って撮ったものなので、残念ながらピンボケ(´;ω;`)

プログラムは以下の通り。

Tomaso G. Albinoni: Concerto a cinque g-minor op. 2 no. 6 (1700)
Antonio Vivaldi: Concerto for violoncello, strings, bass c, a-minor, RV419
Arcangelo Corelli: Concerto grosso d-major op. 6 no. 7 (1714)
Antonio Vivaldi: Concerto for violoncello e-major, RV269, "La primavera"

pause

Francesco Geminiani: Concerto grosso no. 12 d-minor (1726)
Antonio Vivaldi: Concerto for two violins, two violoncelli, strings & bass c., g-major, RV575
Domenico Gallo: Sonate a quattro no. 12 g-minor "La Follia"
Antonio Vivaldi: Concerto for violoncello, strings, b.c., h-minor, RV424  

前半に演奏された、ヴィヴァルディの「春」は知り過ぎてる曲と言ってもいいはずなのに、フルオーケストラではなく、この古典的・室内楽的人数で演奏されると、また違って聞こえるから不思議です。季節には合いませんが、演奏家同士の対話が森の中の小鳥たちの春のさえずりのやり取りのようにも聴こえてくるような感じでした。

後半に演奏された、ジェミニアーニやガロ(ガッロかな?)は初めて聞きましたが、バロックですね~。パッと聴いた感じでは、ヴィヴァルディとの違いがあまり分からない感じでした。でもガロのソナタはとてもダイナミックでした。

チェロのデュオ(ヴィヴァルディ)もとても対話的で、ダイナミック。息もぴったりで、おお~~~!(言葉が浮かばない)

他のコンチェルトも素晴らしかったです。でも最初のアルビノーニと後半部最初のジェミニアーニでは数秒くらいだと思いますが、寝落ちしました。退屈、ということではなく、それだけ心地よかったのだと思います。寝不足が続いてますので、隙あらば寝落ちする状態の私です。今日もそんな感じです。( ̄∇ ̄;)

 

コンサートが終わった後、駐車場の混雑を避けるため、なんか温かいものでも飲もうということになり、フィルハーモニーのお向かいのカフェ・ビアガーデンを見たら満杯。仕方ないので少し歩いたら、ケルンのクリスマスマーケットの一つに出くわしたので、思わず写真をパチパチ。でも、夜10時過ぎていたので、閉まってました。

ようやく開いてる暖かそうなところに入ってみたら、そこはビール醸造兼酒場(Brauhausという)だったので、「ビール飲まない」と言ってお店の人に顰蹙を買ってしまいました。まあ追い出されはしませんでしたが、サービスする気もなさそうでしたので、結局何も頼まずに退散することに。

そんなこんなで戻ったらもう駐車場ががら空きになってたんで、そのまま帰宅しました。


「ドイツ発 雨宮の迷走ニュース」との出会い ~ 許せない日本文化

2016年10月13日 | 日記

それはほんの偶然でした。

例によって例のごとく、FBの友達が一つのブログ記事「日本人の私が、どうしても受け入れられなかった日本文化5つがこれだ」という記事をシェアしたので、また日本さげすみブログかな~と思いつつ読んでみたら! 凄い! 「あるある」、「分かる分かる」の連続。

その5つとは:

1. 正しいことを言っても怒られる

2. 議論せずに「面倒くさい」扱いされる

3. 社交辞令も嫌い、空気読むのも無理

4. マイノリティになると妙に目立つ

5. こうするべきっていう規定路線

詳しくは元ブログの方を読んでいただきたいと思いますが、私自身も特に1-4の理由で日本に馴染めずに、留学に踏み切った経緯があります。もちろんそれだけではなく、チャレンジ精神とか、失恋とか、いろいろな要因が一つのタイミングで重なって、そうなったわけですけど。まあ、日本に絶対に戻りたくない理由もこのあたりにありますね。

この五つにどうしても付け足したいのは「男尊女卑」です。能力のある女性を嫌がる、能力の有無にかかわらず「女の子」扱いして、お茶くみなどのどうでもいい雑用を押し付けようとする。雑用を率先してやらないと「気が利かない」、「女子力がない」になってしまう。私自身はセクハラ経験ありませんけど(日本ではバイトしかしませんでしたし)、セクハラ・パワハラの横行も許せないですね。その根底にある男尊女卑や軍隊的「修練」意識が破壊されない限り、改善は望めないのだろうと思います。

そして!女同士の対立も!陰湿で、本当に嫌だわ~。

思い出すと色々腹も立ってくるので、この辺にしておきますが、5.についてちょっと。

実はこれ、ドイツにもあるのです。何か違うこと(例えば平日の昼に家に居る)をしていれば、色々と勘繰られます。そこそこ親しければ、理由を聞かれることもありますが、大抵は「人それぞれだから」という建前を守って詮索しないようにしています。あとはその人の性格によりけりですが、結構悪い方に推測を働かしていることが多いです。

だから、私はこれを普通の人間の好奇心と想像力、あるネタを元に勝手にストーリーを構築する創造力の発露だと思うことにしています。人にどう思われているからと言って、自分自身がそれによって変わるわけではありませんし、別に説明責任もありません。説明しなきゃいけないように感じるのは、自身に少しばかり「疚しさ」があるから。でも、相手は別に説明なんか聞きたいと思っているわけではなく、何か面白い真実が隠されているのなら知りたい、という野次馬根性を持っているにすぎません。だから逆に面白いネタを提供できるなら、嘘でもそういうネタで楽しませてもいいのではないかと思うくらいです。私は面倒くさいのでそんなことしませんけど。

このブログ筆者の雨宮さんは私がドイツに来た翌年にお生まれになったようですが、彼女の体験を自分のことのように追体験できるということは、それだけ日本文化が堅固に変わっていないということなのでしょうね。311以降は特に(外から見るだけとは言え)その同化圧力が強くなっているように感じます。はっきり言って怖いです。

圧力に負けて、口をつぐんでいる人たちが本当のところどう思っているのか知りたいところですが。。。 でもその人たちに、「勇気を出して声を上げろ」とは、私は言えません。圧力の怖さを知っているから。村八になっても困らない程度に生きて行けるならいい。だけど失職してしまったら?ねちねちと陰湿な嫌がらせ攻撃が続いたら?等々、圧力をかける側の想像力は私の想像を絶する豊かさのようで。戦うには相当強靭な神経が要求されることでしょう。だから、せめて、「頑張ってる人を陰ながら応援して」と言いたいです。そっと励ましの言葉を送ったり、カンパしたり、どんな形でもいいですけど。少なくとも頑張る人たちの足を引っ張って欲しくないなと思います。

この雨宮さんにも頑張ってほしいですね!