徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

書評:松岡圭祐著、『高校事変 VII』(角川文庫)

2020年05月30日 | 書評ー小説:作者ハ・マ行


高校事変の最新刊が出たました。
忙しくてもついついがーっと読んでしまうのが松岡作品です。
結衣は京都の緊急事案児童保護センターに収容され、13歳の時に初めて人を殺した悪夢を見るところから物語がスタートします。新型コロナウイルスが猛威をふるう春、センバツ高校野球の中止が決まった折、結衣が昨年の夏の甲子園である事件に関わったと疑う警察が事情を尋ねに来て、結衣を甲子園署に連行します。
そこからその1年前の事件についての結衣の長い回想に入ります。
その1年前の事件の概要が明らかになったところで、時間軸が現在に戻り、現在進行中の甲子園での緊急事態に焦点が当てられます。
その事件の背後にもベトナムからの帰化人田代槇人とその組織が関わっていて、今回もかなりの死傷者が出ます。
そろそろマンネリ化してるとも言える結衣の戦いですが、支持者も増えてきて、結衣の人間性がまたほんの少し丸くなって、「アオハル」を微かにけれどもどこか自嘲気味に受け入れる心情が、悪をせん滅するためとは言え殺すことに躊躇しなくなってますます苛烈になっていく慣れと非常に対照的で、これからどう転ぶのか気になる余韻を残していますね。

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書評:ピエール・ルメートル著、橘明美訳『わが母なるロージー』(文春文庫)

2020年05月24日 | 書評ー小説:作者ヤ・ラ・ワ行


『わが母なるロージー』は、ヴェルーヴェン警部シリーズ3部作『悲しみのイレーヌ』、『その女アレックス』 、『傷だらけのカミーユ』 の番外編で、時系列では『傷だらけのカミーユ』 の前に位置付けられる中編です。

この物語はなぜか、「父親が死んでしまう」恐怖に憑りつかれている少年の話から始まります。少年は父親が死なないように毎日なんらかの厄払いをしていて、その日は音楽教室に行く道で、「歩道の継ぎ目を踏まなければ、パパは死なない」というものでした。しかし、途中の工事現場に差し掛かった頃に歩道の向こうに父親の姿を認め、うっかり歩道の継ぎ目を踏んでしまった瞬間にそこに仕掛けられていた爆弾が爆発し、父親も少年も吹き飛ばされてしまいます。幸い死者は出ませんでしたが。
そして、その現場をこっそりと離れていく男が1人。ジョンことジャン・ガルニエというこの男がこの爆弾を仕掛けた張本人で、ふてぶてしく警察に自首して、説明する相手としてヴェルーヴェン警部を指名します。
せっかく恋人アンナのところへ行こうとしていたのに呼び出されたヴェルーヴェン警部は仕方なく駆けつけてジャンの取り調べをします。ジャンは、爆弾は全部で7発仕掛けてあり、毎日1発ずつ爆発するようにしてあると脅して、拘留中の彼の母ロージーの釈放と、オーストラリアへの渡航支援および現金400万ユーロを要求します。
こうして、国家権力と爆弾犯人ジャンとの攻防の火蓋が切って落とされるわけですが、テロ対策班がジャンを荒っぽく締め上げて残りの爆弾の場所を吐かせようと躍起になっている一方でヴェルーヴェン警部は、ジャンの本当の目的を知るために、彼の母親ロージーが起こした事件を洗い直していきます。
そこで明らかになって来る歪んだ親子関係。母の異常な息子への執着と息子の母への反発と慕情は一筋縄ではいかず、悲劇的な結末へ向けて収斂していきます。

この中編は他のヴェルーヴェン警部シリーズ作品に比べると、サスペンス的緊迫感は少ないような気がします。この作品では悲劇的な結末の予感は裏切られることはないのですが、その方向性には「そう来るか」と感心してしまうような意外性があります。

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【書籍紹介】野口真南著、見るだけで楽しく学べる「暮らし」と「文化」 ドイツのことば図鑑

2020年05月14日 | 書評ーその他
在日ドイツ大使館が運営するウェブサイト「YOUNG GERMANY」で連載されているコラム「今週のドイツ語」の記事が選り抜き、加筆修正されて書籍化されたものです。
連載ではテーマはバラバラに提示されますが、本書では6つのカテゴリーに分類整理されています。

目次
第1章 習慣と文化が分かることば
第2章 季節や暦をうまく捉えたことば
第3章 独特な言い回しで楽しむ慣用表現
第4章 暮らしに役立つことば
第5章 身近な「あんな人」「こんな人」をたとえることば
第6章 思いや感情をあらわすことば

各表現は見開きページ2ページに、その意味と使い方、ドイツ語の知識がほとんどなくても理解可能な解説および関連するドイツ語の紹介が掲載されています。

たとえば「Torschlusspanik」には見出しに「時間がない!とあせっているときの感情」とあり、意味は「(閉まる扉の)パニック、焦り」、使い方として
Weil sie noch nicht verheiratet ist hat sie Torschlusspanik. 彼女はまだ結婚していなくて、少し焦っている。
Weil sie Torschlusspanik bekamen, wollten sie Kinder zeugen. 彼らは焦って、子どもを作りたがっていた。
の2文が紹介され、「扉」を意味する Tor(トーア)、「閉鎖」を意味する Schluss(シュルス)、「パニック」を意味する Panik(パーニック)という語の成り立ち、中世の城塞都市で城門の外で作業していた農夫らが夜に街を守る城門が閉まる前に急いで戻ってくるときの焦りが由来になっていることなどが解説されています。さらに関連表現として「もっとドイツ語!」という囲い込みの中でもう一つ中世の表現が紹介されています。

また、表紙は文字だけですが、各表現に合ったかわいいイラスト(加茂光和子)がついていて、より表現のイメージがつかみやすくなっています。

ドイツ語とドイツ文化をあまりよく知らないけれど興味があるという方にお勧めの一冊です。

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書評:楠木建著、『すべては「好き嫌い」から始まる 仕事を自由にする思考法』(文春e-book)

2020年05月10日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教


このところ、種々の事情によりなかなか読書時間が取れないのですが、なんとかこの『すべては「好き嫌い」から始まる 仕事を自由にする思考法』を読み終えました。

本書は、「良し悪し」よりも「好き嫌い」 という姿勢を貫き、現代の経済活動・生活の様々な側面をあくまでも「個人の好き嫌い」の問題として考察し、掘り下げていきます。
その一貫した価値観は清々しいほどに見事で、私は「好き」です。
私もタイプとしてはどちらかというと「好き嫌い」族ですが、時々「良し悪し」をこねくり回して偉そうにしてしまうこともあるので、身を引き締めて今後はゆるい「好き嫌い」族に徹しようと決意を新たにした次第です。

本書のはじめに、「好き嫌い族」宣言があり、以下のように良し悪し族と好き嫌い族が定義されています。
良し悪し族は世の中を縦に見る。見るもの聞くものを良し悪しの縦軸に当てはめて価値判断をする。「悪いこと」を指弾し、世の中からなくそうとする。「良いこと」を増やし、伸ばそうとする。
好き嫌い族は世の中を横に見る。ミクロな視点といってもよい。それぞれに好き嫌いが異なる個人の集積として世の中をとらえる。人それぞれだからノリやソリが合わないこともしばしばだが、「ま、それぞれの好き嫌いだからイイんじゃないの....」とやり過ごす。

もちろん普遍的な価値観が共有されていなければ世の中は成り立たないので、良し悪しの基準については社会全体で時間をかけて堅牢な合意を形成する必要がありますが、それはあくまでも氷山の一角。市場経済や自由主義という「普遍的な価値観」にしても水面下でそれを支えているのは独立した人格を持つ多数の人々の好き嫌いである、というのが著者のスタンスです。

私が深く納得したのは、モノを作って売るにせよ、サービスを売るにせよ、芸を売るにせよ、誰からも好かれようとするのではなく、「誰に嫌われるか」をはっきりさせ、そういう人からはきっちりと「嫌われにかかる」ことが仕事の理想と説かれていることです。「分かる人にだけ分かってもらい、好きになってもらう」というスタンスの裏返しではあるのですが、「分かる人にだけ~」にはまだちょっと「嫌われる」ことに対する躊躇というか、ちょっと残念に思う感じが残されているのに対して、「きっちりと嫌われにかかる」というのはそうした未練たらしさをスパッと割り切り、「こういう人に嫌われてこそ自分の作品」という奇妙な潔さを感じます。
「嫌い」という感情は、実際のところ「好き」の反対のようで反対ではありません。対象に関心があるから「嫌い」という感情がそもそも引き起こされるので、「関心を持つ」という点では「好き」と同じといえます。本当の意味での反対は「無関心」でしょう。
だから、「きっちりと嫌われにかかる」というのは、プロヴォケーション、わざわざターゲットを決めて刺激し、炎上させるような姿勢に通ずると思います。

また、著者はインターネット上に跋扈する未熟な良し悪し族を批判しています。どう考えても100%個人的な好き嫌いの問題を良し悪しとすり替えて(勘違いして)、自説を主張したり人を攻撃したりする良し悪し族は「バカな未熟者」とバッサリ切る一方、悪いと思われないように、過剰に人目を気にする人たちもいる現実は「良し悪し地獄」だと指摘します。
これには身の引き締まる思いがしました。それで、今後はもっとゆるい「好き嫌い族」でいこうと思った次第です。

私はこの本が「好き」になりましたが、あなたはいかがですか?