徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

書評:海堂尊著、『ナニワ・モンスター』(新潮文庫)

2018年03月31日 | 書評ー小説:作者カ行

『ナニワ・モンスター』を買って読んだのは2015年のことだったのですが、この度海堂氏の最新刊の文庫でこの『ナニワ・モンスター』の続編である『スカラムーシュ・ムーン』を買って読み出したら、どうも話が見えない部分があって、前作の内容をすっかり忘れていることに気づいたので読み直した次第です。読み直してみて、『イノセントゲリラの祝祭』でお馴染の彦根新吾が登場するということ以外は本当に内容をすっかり忘れていたことが明確になりました(笑)うっすらと憶えていたのは検疫官のさえないおじさんの下で働くモヒカン頭のお兄ちゃんだけでした(笑)

第一部の「キャメル」では新型インフルエンザであるキャメルがアジアで蔓延しているという話に始まって、致死率が0.002%と低いにもかかわらずメディアで大騒ぎしていることに違和感を覚えた老医師・菊間徳衛が名誉院長を務める浪速診療所で初のキャメル感染者が出てしまいます。患者は小学生で渡航経験なしということで、感染を確定する検査は渡航者のみに限るという厚生省の発した事務通達の壁に真っ先にぶち当たってしまいます。渡航経験のない国内感染者が出た時点ですでに水際防疫作戦は無意味になっているにもかかわらず、それは大々的に続けられ、メディアではキャメルの専門家として浪速大公衆衛生学講座の講師(後に准教授)の本田苗子がやたらとキャメルの危険性を喧伝し、政府は浪速の経済封鎖を決定します。

第二部「カマイタチ」で話はキャメルが猛威(?)をふるう1年半前に飛び、特捜部のエース鎌形雅史ことカマイタチが浪速特捜部に異動になり、浪速特捜部の暗部にメスを入れ、また浪速府知事村雨の意向で厚生労働省老健局局長を拘束し、霞が関・中央合同庁舎第5号館にガサ入れをするという大胆な行動に出ます。その裏にはかのスカラムーシュ(大ぼら吹き)彦根が居ました。この時点ではまだ彦根の真意は明かされません。しかし本田苗子がどこの回し者なのかが明らかになります。

第三部「ドラゴン」で彦根は村雨を連れ回して、医療立国と地方分権・浪速共和国独立の道筋をつけるために解剖率100%という舎人町町長、道州制を推進しようとする東北の巨人・青葉県知事、財政再建団体に指定された北海道の極北市市長に引き合わせ、「日本三分の計」をぶち上げます。この対談の後に村雨は浪速経済封鎖に対する反撃に出て、事態は(ひっそりと)収束します。

終章「両雄並び立たず」では村雨の知事としての政治的葛藤と決断が描かれています。海堂サーガの中で重要な位置を占める「Aiセンター設置」に関する医療側と司法側の攻防がここでも事件の裏側で繰り広げられます。

こうして粗筋を書いてみて、なぜ本書の内容が記憶に残らなかったのか分かるような気がします。多分に理屈っぽくて、政治的過ぎ、ストーリとしてのまとまりや面白さが今一つなんだと思います。

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書評:海棠尊著、『新装版 ナイチンゲールの沈黙』(宝島社文庫)

書評:海棠尊著、『ランクA病院の愉悦』(新潮文庫)

書評:海棠尊著、『アクアマリンの神殿』(角川文庫)

書評:海棠尊著、『モルフェウスの領域』(角川文庫)

書評:海堂尊著、『スカラムーシュ・ムーン』(新潮文庫)


書評:池井戸潤著、『銀翼のイカロス』(文春文庫)

2018年03月30日 | 書評ー小説:作者ア行

半沢直樹シリーズ第4弾『銀翼のイカロス』が漸く文庫化され、先月遅ればせながら『花咲舞が黙ってない』と一緒に購入し、SAL便で一か月以上かかって昨日届き、イースター休みを利用して一気読みしました。非常に面白いいい作品です。

半沢直樹が破綻寸前の帝国航空を頭取の意向で担当することになり、それによって行内のパワーバランスが崩れてしまい、元々旧東京第一銀行系(旧T)の派閥から敵視されている彼は余計な反感を買ってしまうことになります。帝国航空の経営陣も「いざとなったら銀行が助けてくれるもの」と考えているのか余り危機感がなく、再建に必要な措置にあまり真剣に取り組まない。それでもなんとか銀行側の意向を取り入れた再建計画を練り上げて「有識者会議」とやらのお墨付きを得たところで政権交代が起こり、元TVアナウンサーだった進政党の若手リーダーと目されている、トレードマークの青いスーツに身を包む白井亜希子が国交大臣(誰がモデルなのかよく分かりますね)に就任し、一度決まった再建計画を白紙撤回し、私設のタスクフォースをぶち上げて、そのタスクフォースは一律7割の債権放棄を要求してきます。東京中央銀行の棒引き額は約500億円。とても飲めない無茶な話ですが、なぜか銀行上層部から債権放棄を呑むように圧力をかけられます。半沢は銀行内部の大きな闇に対峙する一方で、功を焦って現実をろくに把握していない空疎な政治家と、功名心で大臣の御威光を笠に着て威張り散らすタスクフォースまとめ役の再建弁護士を向こうに回すことになります。本当に「ご苦労様」という感じですが、読者にはたまらない面白さです。

作中ではいろんな「プライド」がぶつかり合いますが、たとえば「一介の行員の名前を記憶することなど自分のプライドが許さない」とか「プライドばかり高い銀行員」とかネガティブなものもあれば、自分の仕事を全うするプライド、正しいことをするプライドというポジティブな意味のものもあり、最終的には一介のバンカーとしてのプライドがものを言うところが爽快感があっていいですね。

また、半沢が行内で敵だらけとはいえ、同期の情報通である渡真利や広報部次長の近藤といったおなじみの味方ばかりではなく、半沢の姿勢に理解を示す直属の上司である内藤や半沢のかつての恩師のような検査部部長代理の富岡、そしてもちろん行内対立に苦悩し、行内融和に腐心する頭取の中野渡もそれぞれ味わい深い懐の深さや度量を持っていて魅力的です。「サッチャー」と呼ばれる帝国航空のメーンバンクである政府系金融機関の担当者である谷川幸代さんも帝国航空財務部長の山久登も保身第一ではなく、仕事に真摯に向き合う交換を持てる登場人物たちです。

実際のJAL救済の問題や「政治家主導」を掲げて政権奪取した民主党の瓦解が池井戸風に料理されており、それもこの作品の魅力といえます。

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書評:池井戸潤著、『七つの会議』(集英社文庫)

書評:池井戸潤著、『アキラとあきら』(徳間文庫)

書評:池井戸潤著、『架空通貨』(講談社文庫)~江戸川乱歩賞受賞作品

書評:池井戸潤著、『シャイロックの子供たち』(文春文庫)

書評:池井戸潤著、『かばん屋の相続』(文春文庫)

書評:池井戸潤著、『株価暴落 』(文春文庫)

書評:池井戸潤著、『BT’63 上・下』(講談社文庫)

書評:池井戸潤著、『民王』(文春文庫)

書評:池井戸潤著、『金融探偵 』(徳間文庫)

書評:池井戸潤著、『ルーズヴェルト・ゲーム』(講談社文庫)

書評:池井戸潤著、『銀行仕置人』(双葉文庫)

書評:池井戸潤著、『鉄の骨』(講談社文庫)~第31回吉川英治文学新人賞受賞作

書評:池井戸潤著、『果つる底なき』(講談社文庫)~第44回江戸川乱歩賞受賞作

書評:池井戸潤著、『ようこそ、わが家へ』(小学館文庫)

書評:池井戸潤著、『花咲舞が黙ってない 』(中公文庫)


書評:池井戸潤著、『花咲舞が黙ってない 』(中公文庫)

2018年03月30日 | 書評ー小説:作者ア行

昨年秋にいきなり文庫発行された『花咲舞が黙ってない 』(中公文庫)は、「読売新聞」朝刊に2016年1月17日~10月10日に連載されていたそうですが、私は作家「池井戸潤」の新刊というだけで購入した次第です。

連作短編集『不祥事』(2004年発行)の続編で、時代設定は当時のまま花咲舞と合併前夜の東京第一銀行の物語が綴られています。ライバル行である産業中央銀行と合併準備が進行中ということもあって、半沢直樹が同行の企画部調査役としてちょい役ではありますが登場します。いえ、登場回数は少ないものの決定的な役割を果たすので、かなり重要な役回りですね。

主人公の花咲舞は己の領分・臨店指導で「銀行を良くしたい」という正義感を発揮し、次々露になる東京第一銀行のスキャンダルと隠ぺい体質に果敢に立ち向かいます。その中で重要な役割を果たすのが企画部特命担当調査役の昇仙峡玲子です。産業中央銀行側の半沢直樹と対を成す役職という位置づけで、特に花咲舞の味方というわけでは全然ないクールな女性なのですが、舞の方は彼女に期待して、自分の発見したことや思いなどを彼女に訴えます。

舞は「女半沢」みたいなところもありますが、もっと感情的で暴走しがちです。紆余曲折を経ながらも出世していく半沢直樹とは政治力やバンカーとしての実力がかなり違いますね。

第1話から7話までありますが、短編連作というほどバラバラではなく、かといって一つの物語としてまとまっているのかというとそれほどでもない、全体的に緩やかな繋がりがあります。このため、ページを繰る手が止まらないということはなく、1話が終わったところで問題なく休憩できます(笑)

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書評:池井戸潤著、『七つの会議』(集英社文庫)

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書評:池井戸潤著、『ようこそ、わが家へ』(小学館文庫)


書評:半藤一利+保阪正康著、『賊軍の昭和史』(東洋経済)

2018年03月28日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

『賊軍の昭和史』は明治維新150周年とは全く関係なく、2015年の発行なのですが、官軍(薩長閥)・賊軍という幕末・明治期に出来上がった派閥を昭和の陸海軍がどのように引きずっているかをテーマにし、薩長史観の見直しを目的としているので、読んでみました。半藤一利と保阪正康両氏の対談を書籍化したものですので、かっちりとした全体の構成はないのですが、対談なので読みやすいというのはあるかも知れません。

目次

プロローグ 官軍・賊軍史観が教えてくれること 半藤一利

序章 官軍vs賊軍 ー 浮かび上がる「もう一つの昭和史」

第一章 鈴木貫太郎 ー 薩長の始めた戦争を終わらせた賊軍の首相

第二章 東条英機 ー 混乱する賊軍エリートたちの昭和陸軍

第三章 石原莞爾 ー 官軍の弊害を解消できなかった賊軍の天才

第四章 米内光政、山本五十六、井上成美 ー 無力というほかない賊軍の三羽烏

第五章 今村均 ー 贖罪の余生を送った稀有な軍人

エピローグ 官軍的体質と賊軍的体質 保阪正康

ここでの昭和の軍隊や政権における官軍・賊軍の区別は、出身地によるものばかりではなく、精神構造や手法の違いも指しています。すなわち、官軍的手法は、冷静に分析するより行動への渇望を土台にしており、自滅するまで突っ走って戦う傾向があるということです。それに対して賊軍的精神構造とは、現実を受け入れて再起を図るといったものを指しています。

だから、官軍が吉田松陰の構想のままアジアへ進出し、また大局的な戦略もなく、太平洋戦争の先端を開いて日本を滅亡に導き、どうしようもなくなったところで賊軍の首相・鈴木貫太郎が戦争を収束させるという構図が成り立つわけです。

「海軍は善玉」のようなイメージが単なるイメージにしかすぎないことも指摘されています。海軍は人数が陸軍に比べて少なかったせいもあり、官軍・賊軍の派閥がはっきりと残っており、賊軍出身の軍人たちはなにかと差別されていたそうです。そして太平洋戦争反対の姿勢を示した「賊軍」の軍人たちは人事的に中央から遠ざけられてしまい、海軍は陸軍と同様に戦争へまっしぐらに向かっていったというのが史実のようですね。

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書評:武田鏡村著、『薩長史観の正体 歴史の偽装を暴き、真実を取り戻す』(東洋経済)

書評:原田伊織著、『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト 改訂増補版』(毎日ワンズ)

書評:鈴木荘一著、『明治維新の正体 徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ』(毎日ワンズ)

書評:関良基著、『赤松小三郎ともう一つの明治維新 テロに葬られた立憲主義の夢』(作品社)


書評:関良基著、『赤松小三郎ともう一つの明治維新 テロに葬られた立憲主義の夢』(作品社)

2018年03月25日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

明治維新150年に際して出版ラッシュとなっているようで、面白そうなものを数冊まとめて買いました。この『赤松小三郎ともう一つの明治維新 テロに葬られた立憲主義の夢』(作品社)もその一冊です。

断言の根拠や参考文献・引用作法の不備が目立った鈴木荘一著の『明治維新の正体 徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ』を読んだ後では、本書の正しい引用作法や発言の根拠の示し方が感動的なほどです。著者は農学博士で拓殖大学准教授で、歴史は専門外とのことですが、同郷の赤松小三郎を研究するため、母校の県立上田高校の同窓生有志による「赤松小三郎研究会」を組織し、調査してきたそうです。

また、ご自身のブログ「代替案のための弁証法的空間」で「長州史観から日本を取り戻す」という連載記事を投稿され、そこでの議論や読者からの指摘などが本書にも反映されているとのことです。

目次

はじめに 消し去られた政治思想家

第1章 赤松小三郎の生涯と議会政治の夢

第2章 赤松小三郎の憲法構想

第3章 明治維新神話とプロクルステスの寝台

第4章 そして圧政に至った

第5章 長州レジームから日本を取り戻す

あとがき

付録 巻末資料

赤松小三郎略年譜

参考文献一覧


本書の目的は、明治維新→大日本帝国憲法制定を日本の立憲主義の原点とする見方を「長州史観」として断罪し、赤松小三郎という優れた兵法学者で政治思想家にスポットを当てることで、幕末期に既に現行の日本国憲法の理念と比べて遜色のない内容の憲法草案「御改正口上書」が存在したことを示し、明治政府(長州レジーム)による大日本帝国憲法が幕末期の憲法草案に比べて、いかに内容的に後退した、専制体制と軍の暴走を可能にするとんでもないものであったかを明らかにし、現在安倍政権が改憲の根拠としている押しつけ憲法論議が長州レジームを踏襲するもので、それがいかに危ういものであるかを批判することにあります。

また、その長州レジームの根幹を支える宗教施設が靖国神社であるとして、小島毅氏の『靖国史観(増補版)』あとがきや亀井静香氏の「靖国神社は長州神社」という発言などを紹介しています(p181~182)。国家神道とは長州生まれの新興宗教であり、靖国神社の前身である東京招魂社の「招魂」という儀式が古来の日本神道とはかかわりがなく、どうやら朝鮮儒教の影響を植えているらしいことも指摘されています(p177)。

赤松小三郎は門下生であった薩摩藩士の中村半次郎と田代五郎左衛門に暗殺されてしまいました。中村半次郎の日記によれば、「幕奸」(幕府のスパイ)だから斬ったとのことですが、赤松が薩摩の軍事機密を知りすぎていたこと、薩摩の武力討幕路線に反対の立場で、議会政治の導入により幕府と朝廷・薩摩の対立を融和させようと動いていたことが暗殺の原因になったようです。こうして赤松小三郎は物理的に抹殺されたばかりでなく、長州史観に都合の悪い思想家としてその功績も葬られてきたわけです。

関良基氏は、政治的な目的を遂げるためには手段を選ばず、人の命を犠牲にすることもなんとも思わないという思想の起源の一つとして吉田松陰と松下村塾を挙げており、玉砕しても良いと精神論で戦争したがるのが松蔭主義者の特質であると喝破しています(p179)。あとがきでも吉田松陰を尊敬する安倍晋三首相の危うさを再三指摘し、だからこそ今「明治維新」を見直し、長州レジームから脱却することが現在日本の喫緊の課題だと訴えておられます。

ここまでくっきりと歴史と現代が繋がっていることが記された歴史関係の本は珍しいのではないでしょうか。非常に興味深く、目から鱗が落ちる体験をしながら読ませていただきました。

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書評:武田鏡村著、『薩長史観の正体 歴史の偽装を暴き、真実を取り戻す』(東洋経済)

書評:原田伊織著、『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト 改訂増補版』(毎日ワンズ)

書評:鈴木荘一著、『明治維新の正体 徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ』(毎日ワンズ)


ドイツ、バートノイエンアールのアールテルメ(温泉スパ)

2018年03月25日 | 旅行

がん治療が終わって、段階的復職を始めましたが、療養を兼ねて温泉に行きたいと思っていて、その念願を昨日(3月24日)に果たすことができました。行き先はうち(ボン)からほど近いバートノイエンアール(Bad Neuenahr)という伝統ある保養地のアールテルメ(Ahr-Thermen)というところです。地下359メートルのところから湧き出る温泉水を利用したスパ施設で、アール・リゾートというホテルやカジノが隣接しています。

私たちはプール、サウナ、30分の背中マッサージ、サウナセレモニーとなぜかシャンペン1本がセットになったプログラムチケットを前売りで124€で買いました。バラバラに買った場合の総額は130€を超えるので、セットだと若干お得ですね。バスタオル、バスローブ、ビーチサンダルは持参しましたが、タオルとバスローブはレンタルも可能です。

プールエリアは広々としていて、いくつものプールがあり、時間さでウイールプール仕様になるので、噴流の出るところを追いかけるようにプールを移動するなんてこともしました(笑)中には足を延ばして座ると丁度頭が出る感じのプールもあります。水温は基本的に31℃ですが、小さめの37℃のプールというか丸い浴槽が4つあります。その温度の高い所には5分以上浸かるのはお勧めできないそうです。

一番大きいプールは外にもつながっています。昨日の気温はせいぜい10℃くらいでしたが、外に出ても水中にいる限りは寒いとは感じませんでした。

レストランでの飲食は入り口でもらうアームバンドに入っているチップに料金がチャージされ、施設を出る時に清算します。飲食のためにわざわざお財布を持ち歩いたり取りに行ったりしなくていいところが便利ですね。レストランは味はまあまあで、量はたっぷり、値段は普通という感じです。メインの料理が10~14€、コーヒーや紅茶が2€位。リゾート地にありがちな割高感はありませんでした。

さほど混んでいなかったのでビーチチェアも問題なく使うことができ、ごろごろしながら読書もしてました。

マッサージ用のキャビンは上の階にあります。色んなマッサージメニューがありますが、標準的な背中のマッサージは20分20€、30分30€です。

サウナエリアは地下と戸外(サウナ村)で、地下の施設はまあ普通な感じですが、戸外のサウナ村はなかなかおしゃれな感じでした。

「サウナセレモニー」は毎日14時と19時にあり、プログラムは日替わりで、電話での予約が必要です。水曜日と金曜日の夜はかなり混むそうです。私たちの選んだ土曜日夜の「リラックス(Entspannung)」プログラムは総勢6名でゆったりとプログラムを堪能できました。

「サウナセレモニー」は戸外のサウナ村の「イベントサウナ」というサウナ小屋で催されます。休憩も含めて大体2時間かかります。

「リラックス」のプログラムは3ラウンドあり、第1ラウンドではポルトガルオレンジのフレグランスがサウナストーンにかけられ、スタッフがアロマを行き渡らせるために濡れタオルで扇いでくれます。その後に海藻コラーゲンのパックを顔に塗ってもらいます。首やデコルテには自分で塗ります。その後またフレグランスを入れて、スタッフがタオルを扇いで二回りして、第1ラウンド終了です。休憩のために外に出て、お茶をいただきます。

第2ラウンドではメリッサのフレグランスが使われました。タオルで扇ぐのは第1ラウンドと同様です。スキンケアは、砂糖とオレンジオイルのピーリングで、スタッフが背中をケアしてくれます。後はご自分でどうぞ、と砂糖とオレンジオイルのピーリング剤を掌にたっぷりと載せてくれます。これで肘や膝や踵などを重点的にこすったりします。第2ラウンド終了後の休憩にはフルーツサラダが今日されます(冷たくて美味しかった!)

第3ラウンドでは白檀とシトラスのフレグランスで鎮静効果を高めます。タオルで扇ぐのは第1・2ラウンドと同様です。スキンケアは保湿ローションで、スタッフが背中に塗ってくれます。残りは自分で塗ります。第3ラウンド終了後は軽食とウエルネスドリンクが出てきます。

サウナの中でスキンケアというのが面白いですね。とっても気持ちよかったです。お肌も全身すべすべになりました

サウナセレモニーは一人11.50€で、とってもお得なお値段です。ただし、参加者が3人そろわないと開催されません。

サウナとは別にスキンケアやマニキュア、ペディキュア、脱毛などの美容プログラムも充実しているようです。機会があれば試してみたいですね。

サウナセレモニーの後はまたプール。軽くシャワーを浴びても、プールに入っても、石鹸を使わない限り保湿ローションの保護フィルムは有効のようです。昨日は午後2時頃にテルメに入って、出てきたのは閉館間際の10時50分でした。9時間近く滞在して、セットプログラム124€プラス飲食費約38€、駐車料金13€(後日調べたところ、テルメ利用客には特別料金があり、たったの2.50€で済むことが判明しました)、合計約175€の出費となりました。一人当たり87.50€は安くはありませんが、お値段に見合うだけの体験ができたと思います

写真は全てアールテルメのホームページからの借用です。

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書評:鈴木荘一著、『明治維新の正体 徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ』(毎日ワンズ)

2018年03月24日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

明治維新150年に際して出版ラッシュとなっているようで、面白そうなものを数冊まとめて買いました。この『明治維新の正体 徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ』(毎日ワンズ)もその一冊です。

先に読んだ『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト 改訂増補版』(毎日ワンズ)では長州と幕府・会津等東北列藩の対立軸を中心に幕末史が描写されていましたが、本書ではタイトルからも察せられるように徳川慶喜と西郷隆盛の対立軸に重点が置かれています。いわく、徳川慶喜はイギリス型議会制民主主義の導入の先鞭をつけたステーツマンであり、西郷隆盛はポピュリズムを煽る扇動テロリストである、という対比です。その枠内で水戸学を憲政史上の初めに位置付け、慶喜の大政奉還上表文の宣言にイギリス型議会制民主主義の発芽を見出しています。本書の目的は「勝者によって消された歴史を掘り起こすこと」としています。

目次

はじめに

第一章 維新の先駆者徳川慶喜

第二章 日米和親条約を容認した徳川斉昭

第三章 通商条約の違勅調印

第四章 吹き荒れる攘夷の嵐

第五章 慶喜が条約勅許を得る

第六章 イギリスが薩長を支援

第七章 徳川慶喜の登場

第八章 大政奉還の思想

終章 万民平等の実現

あとがき

 

本書では諸外国の動向が比較的詳細に書かれており、「世界の中の日本」という視点が多く取り入れられています。日本史の本としてはその意味で少々異色かもしれません。特に第六章のイギリスの明確な反幕府の姿勢などはあまり顧みられることのない側面なのではないでしょうか。

水戸学と徳川慶喜の評価については、原田伊織の『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト 改訂増補版』を読んだ後だと相当の違和感があります。原田氏は水戸学こそ諸悪の根源で、水戸藩第二代藩主光圀(俗にいう水戸黄門)が始めた『大日本史』を「観念論による虚妄の歴史書編纂」と一刀両断にしており(p154)、水戸の攘夷論の特徴は「誇大妄想、自己陶酔、論理性の欠如に尽きる。つまり、ロマンチシズムとリアリズムの区別さえできず、大言壮語しているうちに自己陶酔に陥っていく」(p158~159)とまで断言しています。対して鈴木荘一氏は水戸尊王論を「万民平等の思想」と位置づけ、日本の議会制民主主義の萌芽をそこに見出しているようです(終章、p295~314)。尊王論である以上、たとえ誰にも絶対的権力を持たせないものであるのだとしても「万民平等の思想」とは言えないはずです。なぜなら「万民」には天皇が含まれていないのですから。

西郷隆盛がテロリストであること、いわゆる「明治維新」という一連の出来事は水戸学の尊皇攘夷論に始まり、長州の尊皇倒幕に終わるという点、そしてその「尊皇」が単なるお題目に過ぎなかったことに関しては原田・鈴木両氏の一致するところですが、水戸学と徳川斉昭・慶喜の評価に関しては完全に対立しています。私にはどちらが正しいかなど判断できませんので、「意見が分かれている」ということを認識するにとどめておくだけですが、書籍としての信頼性という観点から見ると、鈴木氏の『明治維新の正体』の方が若干劣っているように見受けられます。出典・根拠不明の断言や参考・引用文献の不備(巻末の文献一覧と文中に引用されている文献が一致しない)が目立ちます。

またタイトルが『明治維新の正体』であるならば、まずは『明治維新』という言葉がいつから使われるようになり、具体的に何を指しているのかを定義する必要があると思いますが、そういうことは一切言及されていません(原田氏の著書にはそれがあります)。

また、ペリー来航時(1853)の日本の軍事力について「当時の日本では飛び道具としてはせいぜい弓矢か火縄銃だ」(p27)と根拠なしに断言されていますが、それが史実ではないことはちょっとググればすぐに分かります。例えば火縄銃よりはましなゲベール銃は1831年から日本に導入されていましたし、大砲も「大筒」と呼ばれるものが戦国時代からあり、ヨーロッパの青銅製鋳造砲は徳川家康が取り入れ、その後それらを基に和製大砲が開発されていた(ウイキペディア「和製大砲」より)そうなので、ペリー来航時には少なくとも火縄銃ばかりでなく、ゲベール銃と和製大砲が飛び道具として存在していたことになります。

更におかしな発言は「明治三十八年、この諸説のとおり日本は列強の一角ロシアを屈服させる」(p118)です。確かに日本は日露戦争に勝利しましたが、それはロシア革命で敵国が弱体化していたからに過ぎず「屈服させる」という状態からは程遠い事態でした。

イギリスやアメリカと日本との関係史に詳しい人が見ればこの他にももっと「アラ」が見つかるかもしれません。

諸外国の幕末期の事情と日本との関係における思惑などを考慮し、大政奉還上表文というあまり注目を浴びないものを再評価したことは「ナイストライ」と思えますが、だからと言って鳥羽伏見の戦い後「たとえ千騎戦没してただ一騎となるとも退くべからず」と言い放って戦意をあらわにし、その翌日夜には「自ら陣頭指揮して反撃に出る」と宣言した翌日に自分だけ江戸に逃げ帰るような軍の指揮官としてあり得ない行動を「錦旗を掲げた者は、たとえ何ものであっても、官軍」とかいう神保修理の訳の分からない尊王論に説得された(p300)という理由で正当化できるものではありませんし、「国家万民のため、渾身の力を尽くして」(p314)などと称賛できるものでしょうか。形式的な尊王論を守るためと言うなら官軍となった薩長軍に恭順の意を示し、兵たちを守るために自分の身を拘束されてでも幕府軍が平和裏に交代できるように交渉すべきだったのではないでしょうか。それをせずに自軍をほったらかしにして自分だけ江戸に帰ったことは「渾身の力を尽くした」という称賛に値することでしょうか?

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書評:武田鏡村著、『薩長史観の正体 歴史の偽装を暴き、真実を取り戻す』(東洋経済)

書評:原田伊織著、『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト 改訂増補版』(毎日ワンズ)


書評:原田伊織著、『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト 改訂増補版』(毎日ワンズ)

2018年03月22日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

明治維新150年に際して出版ラッシュとなっているようで、面白そうなものを数冊まとめて買いました。この『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト 改訂増補版』(毎日ワンズ)は、そのうちの一冊です。

先に読んだ『薩長史観の正体 歴史の偽装を暴き、真実を取り戻す』(東洋経済)が【薩長史観】と【真相】を対比させることに終始し、全体的に細切れな印象を受けるのに対して、本書はまとまりがあり、幕末史の全体像が生々しさを以て俯瞰できるのが特徴です。題名から察せられるように長州に対する並々ならぬ怒りが全編を貫いていると言ってよく、歴史を考察する本にしてはいささか感情的な気がしますが、だからこそ余計に「歴史とは人の営み」であることが浮き彫りになります。巻末の参考文献・資料も充実しています。その意味で武田鏡村氏の『薩長史観の正体』とは格が違うと言えますね。とは言え欧米の引用作法に慣れ親しんだ身には、出典の明記が不十分に感じざるを得ないのですが。

目次

はじめに ~竜馬と龍馬~

第一章 「明治維新」というウソ

第二章 天皇拉致まで企てた長州テロリスト

第三章 吉田松陰と司馬史観の罪

第四章 テロを正当化した「水戸学」の狂気

第五章 二本松・会津の慟哭

第六章 士道の終焉がもたらしたもの

あとがき

本書の目的の一つは、日本の近代史がいかに勝者(主に長州)によって書かれ、今日の学校教育にまで受け継がれているかを暴くことにあります。もう一つは長州テロリズムの断罪でしょうか。もちろん西郷隆盛指揮下の赤報隊(薩摩御用盗)が江戸で暴虐の限りを尽くして幕府を挑発するなどの薩摩のテロリズムも断罪しています。しかし著者にとっては薩摩の方がいくらが礼節を弁えており、長州は世良修蔵に代表されるように武家の礼節を一切無視した無法の衆ということのようです。

京都で「活躍」していたいわゆる【勤皇志士】を自称する長州人たちを著者は以下のように描写しています。

現代に例えていえば、地方公務員が勝手に東京へ公費で出張して来て、県庁の指示を無視して長期滞在し、県民の税金で歌舞伎町や六本木辺りで女を買いまくり、金が足りなくなると著名な企業に押しかけ、いろいろ難癖をつけて寄付を強要する、といった具合である。そして、飲んでは「地方主権を確立しよう!」などと体裁作りに喚いているといった様を想像すればいい。(211p)

これだけでも噴飯ものですが、やれ【天誅】だなんだと勝手な言い分で暗殺しまくり、挙句に「蛤御門の変」では御所に向かって大砲をぶっ放し(「尊皇」はどこに?)、朝敵となったにもかかわらず、そのわずか数年後には偽造した錦旗を掲げて【官軍】を自称し、残虐非道の限りを尽くした人たちが、さしたる国家理念もなく明治政府を樹立するに至り、【攘夷】から一転して西欧化に突き進んだその変わり身の速さには開いた口が塞がらないとしか言いようがありません。そういう人たちに「賊」扱いされ、和平工作は悉く突っぱねられて武力衝突に追い立てられ、その戊辰東北戦争において多大な犠牲を強いられ、その後も昭和に至るまで軽んじられた会津を始めとする東北人のやるせなさはいかばかりだったことでしょうか。

「会津に処女なし」と言われるほど、主に長州・騎兵隊による強盗・強姦・殺人などの残虐非道な行為が残した禍根は簡単に消えるものではなく、昭和61年に長州・萩市が「もう百二十年も経ったので」として議会決議によって会津若松市との友好都市関係の締結を申し入れ、会津は「まだ百二十年しか経っていない」としてこれを拒絶したそうです(本書262-263p)。

日本国内でも120年経っても消えない禍根。150年経った現在もそうなのかは分かりません。関ヶ原から幕末に至るまでおよそ270年間薩摩・島津家および長州・毛利家に対する警戒を解かなかった徳川家も執念深いと言えますが、それなのに、第二次世界大戦・太平洋戦争後「たったの」70年で日本軍が隣国で行なった残虐非道な行為を水に流そうとし、あまつさえ「なかったこと」にしようとする現在の日本政府や極右集団は長州の厚顔無恥さをそのまま引き継いでいるのではないかと思えるほどです。実際明治以降の陸軍は長州閥で構成されて昭和まで継承されていたので、中国大陸や朝鮮半島で行われた残虐非道な行為は幕末の長州テロリズムをそのまま引き継いでいたと見る歴史家も多いようです。

反省しない加害者(の子孫)を被害者(の子孫)は決して許すことはないのではないでしょうか。和解には先ず事実を認識するが前提となりますが、その事実すら「自虐史観」などと言って認めない向きが国の実権を握って居る限りは、何百年経とうが被害者側に禍根は残されたままでしょう。親から子へ脈々と語り継がれていくものを侮ってはいけない。

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書評:武田鏡村著、『薩長史観の正体 歴史の偽装を暴き、真実を取り戻す』(東洋経済)


書評:Hagen Schulze著、『Staat und Nation in der europäischen Geschihte』(C.H. Beck)

2018年03月21日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

Hagen Schulze(ハーゲン・シュルツェ)著の『Staat und Nation in der europäischen Geschihte(西洋史における国家とNation)』を読破したのはちょうど4年前の今日でした。FBのリマインダー機能で当時この本について書いた記事が出てきたので、こちらに転載します。

以下4年前のFB投稿:

色々な娯楽小説で何度も中断してましたが、漸く1月の初めから読み始めた本「西洋史における国家とNation」読破しました。読みながらタイトルを「国家と国民」と訳すのは間違いと気づきました。「国家と民族」でも間違い。問題はNation の概念の変遷にあります。
Nationとはローマ時代は主に文明的なローマと対照をなす未開の部族を指す言葉で、それ以上でも以下でもありませんでした。少し時代が下って、そうした部族の政治的代表を指すようになりました。その後「未開の」という言外のニュアンスが消え、漠然と民族・部族を代表するような政治的にアクティヴな地位ある人のグループを意味するようになり、モンテスキューの時代にはそれが「僧侶と貴族」と具体的に定義されています。現代の「民族」あるいは「国民」の定義からはかけ離れているのです。
Nationにある領土に住む一般大衆が含まれるようになるのはフランス革命の時代。この時、フランスの国土に住む全てのシトワイアン、シトワイエンヌ(市民)がフランスのNationを形成し、国家はNationの利益を保護することでその存在意義と正当性を得ると考えられました。ここでNationの概念は出自・血統は全く問題にしない、政治単位としての国家に属している「国民」という意味に変質し、フランス・ナショナリズムの基盤となります。ナポレオンというカリスマ的人物の登場も相まって、フランスで生まれたナショナリズムはヨーロッパ中に影響を及ぼすのですが、お隣のドイツに飛び火した時点でまたしてもNationの概念が変質します。なぜなら、当時「ドイツ」とは地理的な概念に過ぎず、政治的なくくりとしての国家が存在しなかった(300余りの領主国・公国・司教領に細分化されていた)ので、フランスのように統一国家の歴史が長い国のように単純に政治的な意味での「国民」ではナショナリズムの意味をなさなかったからです。そこで、Nationは共通の文化・言語・歴史を持つ集団と定義され、その集団は運命共同体として独自の国家を持つべきであるという思想につながり、ドイツ・ロマン主義と共にドイツ・ナショナリズムの火が付き、更にドイツ同様細分化されていたイタリアおよび東欧へ文化的な「民族」という意味でのNationの概念が広まっていったのです。特にロシア・オーストリア・プロイセンの列強に支配されていた東欧ではナショナリズムが民族独立の悲願という形で結晶し、その悲願は第一次世界大戦の結果として叶うわけですが、その第一次世界大戦後の民族自決権 ― 一民族一国家の原則はヨーロッパでは実は実現不可能で、どう国境線を引こうと、必ず少数民族を内包せざるを得なかったため、多くの内戦、および民族浄化の元凶となってしまいました。ナチス・ドイツの残念ながらかなり効率的に行われたユダヤ人殲滅政策がその動きの最悪の頂点と言えるでしょう。もちろん、ナチス・ドイツではナショナリズムに加えて人種主義、アーリア人至上主義、ファシズム、反ユダヤ・反ボルシェビキ主義の要素が絶妙にミックスされたので、ナショナリズムだけを600万人に上るユダヤ人虐殺の元凶扱いするのは不適切なのですが。いずれにせよ、20世紀初頭の「一民族一国家」の原則が世界中で、現在に至るまで紛争の種になっていることは間違いありません。

目次

Vorwort はじめに

Erstes Kapitel - Staaten 第1章 — 国家

1. Der moderne Staat tritt auf den Plan モダンな国家の台頭

2. Christentum und Staatsraison キリスト教徒とレーゾン・デタ(国家理性)

3. Leviathan レヴァイアサン

4. Rechts- und Verfassungsstaat 法治国家と憲法国家

Zweites Kapitel - Nationen 第2章 — ネーション

1. <<Nation>> ist nicht Nation 「ネーション」はネーションではない

2. Staatsnationen und Kulturnationen 国家民族と文化的民族

3. Achsenzeit 枢軸時代

4. Die Erfindung der Volksnationen 民族国家の発見

5. Die Wirklichkeit der Volksnationen 民族国家の現実

Drittes Kapitel - Nationalstaaten 第3章 — 民族国家

1. Der revolutionäre Nationalstaat (1815 - 1871) 革命的民族国家(1815~1871)

2. Der imperiale Nationalstaat (1871 - 1914) 帝国主義的民族国家(1871~1914)

3. Der totale Nationalstaat (1914 - 1945) 全体主義的民族国家(1914~1945)

Viertes Kapitel - Nationen, Staaten und Europa 第4章 — 民族、国家とヨーロッパ

本書は「Europa bauen(ヨーロッパの構築)」というシリーズの1冊です。

 

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書評:武田鏡村著、『薩長史観の正体 歴史の偽装を暴き、真実を取り戻す』(東洋経済)

2018年03月18日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

明治維新150年に際して出版ラッシュとなっているようで、面白そうなものを数冊まとめて買いました。この『薩長史観の正体 歴史の偽装を暴き、真実を取り戻す』(東洋経済)は、そのうちの一冊です。

目次は以下の通り。

まえがき 明治維新百五十年、嘘で固められた薩長史観
第一部 幕末動乱編 (薩長史観1~16とそれに対する“真相”を解説)
第二部 「慶応維新」編 (薩長史観17~23とそれに対する“真相”を解説)
第三部 戊辰戦争編 (薩長史観24~40とそれに対する“真相”を解説)
あとがき かくして「薩長史観」が日本を破滅に導いた

「薩長史観」と「真相」の対比から、幕末維新の真実を明らかにしようとするもので、主な内容は以下の通りです。

[薩長史観1]幕府は無力・無策のまま開国したために倒幕運動が起こった
[真相]幕府は薩長に比べて遥かに開明的で、開国による近代化を進めていた

[薩長史観2]吉田松陰は松下村塾で幕末志士を育成した大教育者である
[真相]松陰は、暴力革命を礼賛するテロの扇動であった

[薩長史観4]西郷隆盛は「無私の心」で明治維新を成しとげた最大の功労者である
[真相]西郷は僧侶を殺し、江戸を混乱させ、同調者を見殺しにした策謀家だ

[薩長史観17]孝明天皇の病死で、英明な明治天皇が即位して日本は夜明けに向かった
[真相]孝明天皇は、薩摩と岩倉具視の陰謀によって毒殺された可能性が高い

[薩長史観19]「討幕の密勅」は正式なもので、天皇から幕府討滅の宣旨が下された
[真相]討幕の密勅は偽造されたものであり、その真相は文章に示されている

[薩長史観20]大政奉還は、その場しのぎの愚かな決断である
[真相]大政奉還は「慶応維新」というべき歴史的偉業であり「明治維新」より優れていた

[薩長史観29]急いで日本を武力統一しなければ、外国の植民地にされていた
[真相]外国勢力は局外中立を指示されており、植民地化を意図していたわけではない

[薩長史観31]会津藩主は、「朝敵」の筆頭である
[真相]松平容保は、天皇を守り抜いて奮闘した正義の藩主である

[薩長史観33]長岡藩の河井継之助は「官軍」に刃向かった逆賊である
[真相]和平を説いた河井は、征討軍の理不尽な態度のため、やむを得ず挙兵に踏み切った

[薩長史観35]朝敵会津の討伐は、正々堂々と行なわれた軍事行動である
[真相]負傷者の殺害、人肉食、強奪、強姦など新政府軍は徹底的に会津を蹂躙した

[薩長史観36]会津藩以外の同盟軍は大した抵抗を見せることなく降伏した
[真相]長岡のほか庄内藩は「官軍」を寄せつけず、薩摩兵と互角に戦って勇猛さを見せた

[薩長史観40]靖国神社は、国家に殉じた忠誠者の御霊を平等に祀るものである
[真相]「賊軍」を排除する靖国神社のあり方は、薩長史観の本質を露骨に示すものである

本作に挙げられた薩長史観の中には馴染みのあるものもありましたが、知らないものもあれば、一読しただけで「そんなバカなことあるか!」と喝破できるものもありました。

それにしても、尊王を掲げながら御所の放火と孝明天皇の拉致を企てたり、討幕の密勅と錦の御旗を偽造したり、本物の天皇の意向を無視しても徹底的な〈賊軍殲滅〉を進めるなど、全然天皇を敬っておらず、自分たちの都合の良い駒くらいにしか思ってないとしか見えない態度は現代の極右にも通じるものがあり、ゾッとしました。

この本は読み物としては興味深いのですが、難を言えば、「真相」として提示されていることの出典が明示されていない部分がかなりあり、巻末にも参考文献一覧がないなど、学術的な観点からすれば弱点としか言いようがないところが玉に瑕です。これでは「ここの挙げられた【真相】こそがでっちがげだ」とのそしりを受けてもやむを得ないのではないかと思います。

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