徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

書評:ジャレド・ダイアモンド著、『銃・病原菌・鉄』

2022年01月28日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

本書は著者の友人であるニューギニア人のヤリの「あなたがた白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものと言えるものがほとんどない。それはなぜだろうか」という疑問に答えるために行った20年以上の調査研究の集大成です。
この問いかけは更新世以降の人類史と現代の人類社会の核心をついており、それに応えようとする試みは、過去において(もちろん現在でも往々にして)人種差別的な結論になりがちでした。

著者、ジャレド・ダイアモンドは、全て環境要因として説明します。
まず第一に、栽培化や家畜化の候補となり得る動植物種の分布状況が大陸によって異なっていたことが挙げられます。比較的簡単に栽培化が可能だった野生祖先種のほとんどが肥沃三日月地帯と呼ばれるチグリス・ユーフラテス川流域に集中しており、まさにそこで人類最初の農耕が行われたという事実は後々の大陸の歴史に大きな違いを生んでいる、と言います。
同時にこの地域およびユーラシア大陸に家畜化可能な大型動物のほとんどが分布していたため、やはり非常に早い時期に牧畜も始まり、それが東西に長いユーラシア大陸では拡散伝播が容易であったことも後の発展に重要な差を生む要因となっています。
農耕牧畜を始めた共同体は定住生活を送り、人口が増えます。人口が増えることでさらに食料生産が効率化されたり、集約化されたりするので、自己触媒的に人口増大⇒食料生産増大⇒人口増大といったサイクルを繰り返し、次第に部族社会から首長社会、さらにはもっと大きな国家が組織されるようになっていきます。
このような社会的発展の決定的な要素は、余剰食糧の存在とその配分です。
狩猟採集民の社会では「平等」と言えば聞こえはいいですが、要するに余剰食糧がないので、皆が食料確保に携わる必要があり、そうした営みに携わらない工芸職人や商人や兵士あるいはまた文字を操る官僚や宗教職などの専門職を養うことができません。
定住して食料生産を行う社会では専門職に余剰食糧を与えて養うことができるので、各分野の専門化が進み、技術革新の土壌を作ることが可能です。
こうして農耕牧畜民は人口と技術と組織力において狩猟採集民とどんどん差をつけ、最終的には狩猟採集民を僻地へ追いやってしまったり、征服してしまったり、虐殺してしまったりといった結果になります。
こうしたことは南北アメリカ大陸でもアフリカ大陸でも起こってはいたのですが、両大陸は南北に長いため、緯度の違いから気候的・地形的な障壁が大きく、拡散・伝播のスピードが東西に長いユーラシア大陸よりもずっと遅かったと言えます。
また、オーストラリア大陸や太平洋の島々では人類移植後の孤立化が長く、他地域のイノベーションが伝播してこなかったのと、環境的要因から人口増加には大きな制約があったことから、石器時代のまま技術的には進歩しなかったり、農耕牧畜民が移植した島で気候の違いから農耕を継続できなくなって狩猟採集生活に戻ってしまったりしています。

食料生産と大陸の広がり、特に文字の使用による社会の組織力という点以外に重要な要因はタイトルにもあるように「病原菌」です。
ヨーロッパ人が15世紀にアメリカ大陸を「発見」して上陸してから、アメリカ大陸の原住民の人口が約95%激減してしまったと言われていますが、このうち、実際に虐殺の犠牲になったのはほんの一部で、大部分の原住民たちはヨーロッパ人に遭遇することなく天然痘などの病原菌に免疫がなかったために死んでしまったと言われています。
こうした病原菌は牧畜と密接なかかわりがあります。というのは、ほとんどの病原菌が本来は家畜を病気にさせるものだったのが、人間にも感染力を発揮するように進化したものだからです。数千年もの間家畜と密接に暮らしてきたユーラシア大陸の人間はこうした病原菌に対して免疫を獲得できたのに対して、家畜化可能だった大型動物がほとんどいなかったアメリカ大陸の人々は免疫を全く持っていなかったので、ヨーロッパ人の持ち込んだ病原菌に滅ぼされてしまったわけです。

500ページ以上に及ぶ本書は、1万3000年の人類史を語るにはかなり凝縮・簡易化されているのですが、それをさらに凝縮してエッセンスだけ取り出すとおおよそ上のようにまとめられると思います。
本書の魅力はしかし、「まとめ」にあるのではなく、こうしたまとめを可能にする歴史的・考古学的・生物・生態学的・疫学的、そして言語学的証拠が詳細に列挙されているところにあります。
この本の原書 "Guns, Germs, and Steel: The fates of Human Societies"が発行されてから早25年、日本語版が刊行されてから22年の時が経っていますが、データの定量化などで詳論部分で補完する知見は新たに得られたとしても、大筋でひっくり返されることはない普遍的な知性の光を放っていると思います。

そして、何よりもすばらしいのは、様々な文化や民族に対する敬意です。
ここで展開されている理論は、一言で言えば「環境制約論」でしょう。人類はどの「人種」または民族であれ、同じ知性を持ち合わせており、生まれ育ったその環境で生き抜くために必要な知識を獲得し、その中で可能な改善や改革を行う創造力も持っているという前提で話を進めていきます。
結果的に大陸間・地域間で場合によって圧倒的な差が出てしまったのは、環境による制約によるものだったという結論です。
よく、人間は遺伝によって決まるのか環境によって決まるのかという議論がありますが、結論から言えばどっちの要素も重要な決定因子であり、その相互作用のあり方によってもかなり違う結果が出て来るものです。
人類の発展史も似たようなもので、ジャレド・ダイアモンド氏は決して「環境決定論」を展開しているわけではなく、なぜあるところでは食糧生産が始まり、あるところでは始まらなかったのか、なぜあるところでは文字が作られ、あるところでは文字を借りて使われるようになり、あるところでは全く文字が使われなかったのか、なぜあるところでは金属器が使われるようになり、あるところでは使われなかったのか、といった疑問の特に「なぜxxでなかったのか」という否定形の疑問に対する回答を試みているのです。
そして、決して「xx人の創造力が劣っていたから」とか「知能が低かったから」などという民族差別的な結論になり得ないことを証明しようとしている、その姿勢がすばらしいと思いました。

目次
上巻
プロローグ ニューギニア人ヤリの問いかけるもの
第1部 勝者と敗者をめぐる謎
第1章 1万3000年前のスタートライン
第2章 平和の民と戦う民の分かれ道
第3章 スペイン人とインカ帝国の激突
第2部 食料生産にまつわる謎
第4章 食料生産と征服戦争
第5章 持てる者と持たざる者の歴史
第6章 農耕を始めた人と始めなかった人
第7章 毒のないアーモンドのつくり方
第8章 リンゴのせいか、インディアンのせいか
第9章 なぜシマウマは家畜にならなかったのか
第10章 大地の広がる方向と住民の運命
第3部 銃・病原菌・鉄の謎
第11章 家畜がくれた死の贈り物

下巻
第12章 文字をつくった人と借りた人
第13章 発明は必要の母である
第14章 平等な社会から集権的な社会へ
第4部 世界に横たわる謎
第15章 オーストラリアとニューギニアのミステリー
第16章 中国はいかにして中国になったのか
第17章 太平洋に広がっていった人びと
第18章 旧世界と新世界の遭遇
第19章 アフリカはいかにして黒人の世界になったか
エピローグ 科学としての人類史




書評:海堂尊著、『氷獄』(角川文庫)

2022年01月16日 | 書評ー小説:作者カ行

立て続けに海堂尊作品を読みましたが、この『氷獄』でとりあえず一段落となりそうです。
『氷獄』は桜宮サーガの短編集で、「双生」「星宿」「黎明」の短編3編と「氷獄」の中編1編が収録されています。

「双生」の時間軸は1994年春、東城大学医学部付属病院に碧翠院桜宮病院院長の双子の娘・すみれと小百合が半年間研修に来ることになり、愚痴外来もとい不定愁訴外来の田口医師が二人の面倒を見るという面倒を押し付けられるという話です。『螺鈿迷宮』~『輝天炎上』に連なる桜宮サーガのエピソードの1つで、ミステリーの要素は全くありません。
その間に来診に来ている老夫婦(痴呆症初期の妻とパーキンソン病の夫)をめぐる治療法・対処法がテーマです。

「星宿」の時間軸は2007年冬、東城大学医学部付属病院の別棟、オレンジ新棟が舞台です。『ナイチンゲールの沈黙』に連なるエピソードで、髄膜腫で入院中の中学生の村本亮の「南十字星を見たい」という願いを叶えるために看護主任の如月翔子が便利屋・城崎に相談し、協力の輪が猫田師長、田口医師、高階病院長に広がり、厚生労働省技官の白鳥圭輔を巻き込んで実現するというストーリーです。
手術を嫌がる村本亮君を手術に前向きにさせようと尽力する如月翔子が中心となって物語が進行し、『ナイチンゲールの沈黙』の登場人物である城崎とその助手となったかつての網膜芽腫患児・牧村君のその後がさりげなく織り込まれています。
因縁は作品中で簡単に説明されていますが、やはり本編を読んでいないと今一つ味わえない部分があるのではないかと思います。

「黎明」の時間軸は2012年春、膵臓癌のステージ4の診断を受けた妻・千草のために何でもしたいと焦る夫・章雄の視点で描かれる東城大学医学部付属病院に新設されたホスピス病棟の状況です。『螺鈿迷宮』~『輝天炎上』に連なる桜宮サーガのエピソードの1つで、ホスピス病棟の外来担当医を兼任する田口医師が例によって高階病院長の密命を受けてホスピス病棟内に渦巻く問題に対処します。治る希望を捨て、死を受け入れるというホスピス病棟の方針を受け入れられない夫・章雄とその方針に反発する看護婦が結託して起こす行動はどのような結果に生きつくのか。
これも本編を読んでいないと背後関係が今一不明で釈然としない感じが残るように思います。

最後の「氷獄」は著者のデビュー作である『チームバチスタの栄光』で逮捕された麻酔医・氷室の裁判編です。中編なだけあって、医療対司法の攻防のストーリーラインが幾筋も絡まり、読み応えがあります。『極北クレーマー』で扱われる極北市民病院の妊産婦死亡で医師が逮捕された事件も絡み、検察の闇に鋭いメスが入れられます。
氷室の国選弁護人を引き受けることになった日高正義の回想という形を取り、バチスタ事件と青葉川芋煮会集団中毒事件の冤罪弁護団による死刑囚Pの再審請求の二つの弁護案件を軸に語られます。
愚痴外来の田口医師の出番は少ないのに対して、厚生労働省技官の白鳥圭輔はかなり中心的な役割を果たし、新米の日高弁護士をいいように振り回します。
その他にもお馴染みのキャラが数人登場して桜宮ワールドの健在ぶりがうかがわれます。
ただ、2・3謎も残ります。これは続編への伏線なのかなと思いますが。

電子書籍版の方には特典として「小説 野性時代」連載時扉イラスト、電子版共通あとがき、電子版あとがき『氷獄』付録1【海堂尊・全著作リスト】、付録2【作品相関図】、付録3【桜宮年表】、付録4【「桜宮サーガ」年代順リスト】、付録5【「桜宮サーガ」構造】、付録6【「海堂ラボ」登場人物リスト】、付録7【あとがき索引】が付いています。
これだけ多くの作品が1つの桜宮ワールドで展開されていると、様々な齟齬が出てきそうですが、著者がものすごく几帳面で年表・人物表等を細かく作り込んでいて矛盾がないのはすごいですよね。
私も網羅癖があるので桜宮サーガの作品は文庫化されているものは全て読んでますが、事件はともかく登場人物は全部覚えていられませんので「この人誰だっけ?」状態になることがしばしばあります。


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2022年01月14日 | 書評ー小説:作者カ行

玉村警部補の巡礼』を読んで、そういえば前作の『玉村警部補の災難』の内容をほとんど覚えておらず、ブログに書評も書いていなかったので読み直してみました。
以前これを読んだのはブログを始める前だったのでしょうね。

この作品は玉村警部補が警察庁のデジタル・ハウンドドッグという異名を持つ加納警視正の桜宮市での活躍報告書を念のため東条大学の不定愁訴外来の田口公平先生に確認してもらうという形式で4つの事件簿が提示されます。

目次
0 不定愁訴外来の来訪者
1 東京都二十三区内外殺人事件
2 青空迷宮
3 四兆七千億分の一の憂鬱
4 エナメルの証言

各章の間に「不定愁訴外来の世迷い言」と題された玉村警部補と田口医師の事件に関するやり取りが差し挿まれます。

1つ目の「東京都二十三区内外殺人事件」では田口医師が東京に出張した際に「火喰い鳥」の異名を持つ厚生労働省の技官・白鳥圭介と夕食をともにし、帰り道でベンチの上に横たわる死体を発見します。白鳥はあろうことかその死体を近くの大通りまで運んでから警察に通報し、死体を監察医務院に運ばせて検死させます。その結果、殺人事件であることが判明します。
翌日一人で白鳥に紹介された店に行った田口医師は、帰り道でまた同じところで死体を発見してしまい、そのまま警察に通報したら神奈川県警が出てきて、死体は違う病院に運ばれて「心不全」の診断で「不審死」扱いされず、それを疑問に思った田口医師が口を出してしまって面倒なことに巻き込まれるわけですが、死因究明の地域落差を浮き彫りにさせるストーリーです。

2つ目の「青空迷宮」ではサクラテレビで落ち目の芸人を集めて迷路破りを競い合う企画で、参加者の1人が迷宮内でボウガンの矢で打ち抜かれて死亡する事件を扱います。加納警視正の推理力・捜査力が光る一編です。
芸人世界の世知辛さが漂う作品で、海堂尊氏のライフワークであるAiが登場しない珍しいものです。

3つ目の「四兆七千億分の一の憂鬱」は桜宮科学捜査研究所によるDNA鑑定データベース・プロジェクト、通称DDPによって死体に残された血痕から犯人が同定された初のケースを扱います。
DNA鑑定によって本人と同定された被疑者が被害者と無関係で動機がなく、通り魔殺人の犯人としても腑に落ちない点が多いため、加納警視正が冤罪を疑い捜査を始めます。
1つの証拠だけで犯人と決めつけてはいけないことのいい例ですね。

最後の「エナメルの証言」は次作の『玉村警部補の巡礼』に繋がる話で、東京から桜宮市に移転してきた指定暴力団の竜宮組幹部が立て続けに焼身自殺を図る事件を扱います。
その偽装焼身自殺を可能にしている死体の歯形をいじる歯医者・ネクロデンティストの仕事の描写が詳細で興味深いです。
死体の身元確認の手法として歯形チャートに〇×が書き込まれたものだけが用いられる検死の前時代的な杜撰さの隙が突かれています。
この作品では新設された桜宮Aiセンターが事件の半分解決のカギを握ります。



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2022年01月13日 | 書評ー小説:作者カ行

『玉村警部補の災難』の続編である本作品は四国遍路事件ロードマップのような作品です。
前作で警察庁の「デジタル・ハウンドドッグ」の異名を持つ加納警視正が玉村警部補になにかと「遍路送りにするぞ」と脅していたので、それに対抗すべく玉村警部補が「知れば怖くない」と遍路を発心し、有給休暇を利用して四国へ旅立つことに始まります。
その遍路の旅に加納警視正がなぜか仕事にかこつけて毎回同行し、行く先々で大小の事件を解決していきます。
ちょうど遍路開創1200年の記念の年(2014)で、加納の遍路の目的がこの特別記念スタンプを集めるラリーに成り代わってしまうのはご愛敬です。

目次
阿波 発心のアリバイ
土佐 修行のハーフ・ムーン
伊予 菩提のドラキュラ
讃岐 涅槃のアクアリウム
高野 結願は遠く果てしなく

全編を通して加納警視正が追っている事件は前作「エナメルの証言」でとり逃してしまった「人生ロンダリング」の犯人。「人生ロンダリング」とは指名手配中の犯罪者が適当な死体を見繕い、ネクロ・デンティスト(死体歯科医)に歯型や治療痕を自分そっくりに作り変えてもらい、その死体を水死体として発見されるようにすることで自分が死んだと見せかけて新たな人生を歩めるようにすることです。
加納警視正は、この人生ロンダリング・システムがまた四国で始動したため、今度こそ全システムを一網打尽にするつもりで玉村警部補の遍路を隠れ蓑(?)にたびたび四国に出張するわけです。
阿波編から伊予編まではこの連続事件は伏線として言及されている程度で、讃岐編でようやく本筋となります。

作者自身も作中の玉村警部補のように途切れ途切れの遍路をしていたそうなので、実体験を作中に反映させているみたいですね。

出だしの弘法大師に関する蘊蓄が長すぎて先を読む気を失くしそうになったのがこの作品の難点でしょうか(笑)
南無大師遍照金剛



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書評:石田リンネ著、『女王オフィーリアよ、己の死の謎を解け』(富士見L文庫)

2022年01月12日 | 書評ー小説:作者ア行

昨年11月に発売された『女王オフィーリアよ、己の死の謎を解け』を見逃していたのですが、先週末に偶然発見して即購入して一気読みしました。
ライトノベルなので2時間ぐらいで読み終わってしまいましたが、これは面白いですね。
粗筋はタイトルからお分かりのように、オフィーリア女王が殺され、死の間際、薄れゆく意識の中で 「私は、私を殺した犯人を知りたい」 と強く願ったため、王冠の持ち主にだけ与えられる“古の約束”により、妖精王リアによって10日間だけ生き返り、その間に犯人探しをするというファンタジー推理小説です。
生前は夫の影に隠れて政治にはほとんど関与せず、控えめな態度に徹していたのですが、生き返った後は怒りに駆られているのと、「どうせ10日間の命」という開き直りで、打って変わった活発な女性に変身。この彼女のこれまで抑圧されてきた気持ちや欲求をどんどん解放していくところが実に面白おかしく描写されていて、謎そのもの(誰がいつどのようにバルコニーの窓の鍵を開けてのか)が古典的な推理小説の設定であっても十分面白いです。



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茉莉花官吏伝

書評:石田リンネ著、『茉莉花官吏伝 皇帝の恋心、花知らず』(ビーズログ文庫)

書評:石田リンネ著、『茉莉花官吏伝 2~ 百年、玉霞を俟つ 』(ビーズログ文庫)

書評:石田リンネ著、『茉莉花官吏伝 3 月下賢人、堂に垂せず』(ビーズログ文庫)

書評:石田リンネ著、『茉莉花官吏伝 4 良禽、茘枝を択んで棲む』(ビーズログ文庫)

書評:石田リンネ著、『茉莉花官吏伝 5 天花恢恢疎にして漏らさず』 (ビーズログ文庫)

書評:石田リンネ著、『茉莉花官吏伝 6 水は方円の器を満たす 』(ビーズログ文庫)

書評:石田リンネ著、『茉莉花官吏伝 7 恋と嫉妬は虎よりも猛し 』(ビーズログ文庫)

書評:石田リンネ著、『茉莉花官吏伝 8 三司の奴は詩をうたう 』(ビーズログ文庫)

書評:石田リンネ著、『茉莉花官吏伝 9 虎穴に入らずんば同盟を得ず』(ビーズログ文庫) 

書評:石田リンネ著、『茉莉花官吏伝 10 中原の鹿を逐わず』(ビーズログ文庫)

書評:石田リンネ著、『茉莉花官吏伝 十一 其の才、花と共に発くを争うことなかれ』(ビーズログ文庫)


十三歳の誕生日、皇后になりました。

書評:石田リンネ著、『十三歳の誕生日、皇后になりました。 』(ビーズログ文庫)

書評:石田リンネ著、『十三歳の誕生日、皇后になりました。 2』(ビーズログ文庫)

書評:石田リンネ著、『十三歳の誕生日、皇后になりました。3』(ビーズログ文庫)

書評:石田リンネ著、『十三歳の誕生日、皇后になりました。4』(ビーズログ文庫)

書評:石田リンネ著、『十三歳の誕生日、皇后になりました。5』(ビーズログ文庫)


おこぼれ姫と円卓の騎士

書評:石田リンネ著、『おこぼれ姫と円卓の騎士』全17巻(ビーズログ文庫)


書評:マルクス・ガブリエル著、(未邦訳)『Moralischer Fortschritt in dunklen Zeiten 暗い時代での道徳的進歩』

2022年01月06日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

前回マルクス・ガブリエルの著書(大野和基 訳)『世界史の針が巻き戻るとき 』をご紹介してから4カ月余りも経ってしまいました。それというのも次に手に取ったのが『Moralischer Fortschritt in dunklen Zeiten 暗い時代での道徳的進歩』(2020年8月)で、ドイツ語だったからです。途中で内容的な飽きもあってしばらく放置し、全然違う本を何冊も読んでいたのですが、新年になって心機一転とばかり再度取り組んでついに完読しました。


まずは目次を大きな章立て(4章)だけではなくその下の小題も含めてざっとご覧になってみてください。


目次

  • Einleitung はじめに
  • Erstes Kapitel  Was Werte sind und warum sie universal sind 第一章 価値とは何か、またなぜそれらは普遍的なのか
    • The Good, the Bad and the Neutral - Moralische Grundregeln 善・悪・中立―道徳的原則
    • Moralische Tatsachen 道徳的事実
    • Grenzen der Meinungsfreiheit - Wie tolerant ist die Demokratie? 言論の自由の限界―民主主義はどの程度寛容なのか?
    • Moral geht vor Mehrheit 道徳は多数(意見)に優る
    • Kulturrelativismus - Das Recht des Stärkeren 文化相対主義―強者の権利
    • Boghossian und die Taliban ボゴジアンとタリバン
    • Es gibt keine jüdisch-christlichen Werte - Und warum der Islam offensichtlich zu Deutschland gehört ユダヤ・キリスト教的価値などない―そしてなぜイスラムが明白にドイツの一部なのか
    • Nordkorea und die Nazi-Maschine 北朝鮮とナチスマシン
    • Wertepluralismus und Wertenihilismus 価値多元主義と価値虚無主義
    • Nietzsches scheußliche Verwirrung(en) ニーチェの醜悪な混濁
  • Zweites Kapitel  Warum es moralische Tatsachen, aber keine ethischen Dilemmata gibt 第二章 なぜ道徳的事実があっても倫理的なジレンマがないのか
    • Universalismus ist kein Eurozentrismus 普遍主義とは欧州中心主義ではない
    • Altersdiskriminierung gegen Kinder und andere moralische Defizite des Alltagslebens 子どもたちに対する年齢差別とその他の日常生活における道徳的欠陥
    • Moralische Spannung 道徳的緊張
    • Fehleranfälligkeit, ein fiktiver Messias und der Unsinn postmoderner Beliebigkeit 間違いやすい性質、架空のメシア(救世主)、ポストモダンの恣意性の無意味さ
    • Moralische Gefühle 道徳的感情
    • Ärzte, Patienten, indische Polizisten 医師、患者、インドの警察官
    • Der Kategorische Imperativ als sozialer Klebstoff 社会のかすがいとしての定言的命令(定言命法)
    • >>H?<< Widersprich dir nicht! 「は?」自己矛盾するな!
    • Moralische Selbstverständlichkeiten und das Beschreibungsproblem der Ethik 道徳的自明と倫理の説明問題
    • Warum die Bundeskanzlerin nicht der Führer ist ドイツ連邦首相はなぜ指導者(フューラー)ではないのか
    • Das Jüngste Gericht - Oder: Wie wir moralische Tatsachen erkennen können 最後の審判―あるいは、いかに私たちが道徳的事実を認識できるのか
    • Mit und ohne Gott im Reich der Zwecke 神を信じても信じなくても目的の世界中で
    • Kinder schlagen war noch nie gut, auch nicht 1880 子どもへの体罰が善だったことはない、1880年の時もそれは善ではなかった
  • Drittes Kapitel  Soziale Identität - Warum Rassismus, Xenophobie und Misogynie böse sind 第三章 社会的アイデンティティ―なぜレイシズム・外国(人)嫌い・女性蔑視が悪なのか
    • Habitus und Stereotype - Alle Ressourcen sind knapp 外見とステレオタイプ―全ての資源は限られている
    • Den Schleier der Dehumanisierung lüften - Von der Identität zur Differenzpolitik 脱人間化のベールを剥がす―アイデンティティから差異の政策へ
    • Corona - Die Wirklichkeit schlägt zurück 新型コロナ―現実がしっぺ返しする
    • Thüringen einmal anders - In Jena wird der Rassismus widerlegt チューリンゲンの別の顔―イェーナでレイシズムを論破
    • Der Wert der Wahrheit (ohne Spiegelkabinett) 真実の価値(鏡の間なし)
    • Stereotype, der Brexit und der deutsche Nationalismus ステレオタイプ、ブレグジット、ドイツのナショナリズム
    • Die Wirksamkeit geglaubter Gemeinschaften 共同体信仰の効用
    • Die Gesellschaft des Populismus ポピュリズムの社会
    • Die Widersprüche linker Identitätspolitik 左派のアイデンティティ政策の矛盾
    • Jeder ist der andere - Von der Identitäts- zur Differenzpolitik (und darüber hinaus) 誰もが他者―アイデンティティ(同一化)政策から差異政策へ(そしてさらにそれを超えて)
    • Indifferenzpolitik - Unterwegs zur Farbenblindheit 無差別の政策―無色の世界に至る道
  • Viertes Kapitel  Moralischer Fortschritt im 21. Jahrhundert
    • Sklaverei und Sarazin 奴隷制とザラチン
    • (Angeblich) Verschiedene Menschenbilder rechtfertigen gar nichts, schon gar nicht die Sklaverei (表向き)異なる人間像は何も正当化しない、奴隷制など論外
    • Moralischer Fortschritt und Rückschritt in Zeiten von Corona 新型コロナ時代における道徳的進歩と後退
    • Grenzen des Ökonomismus 経済至上主義の限界
    • Der biologische Universalismus und die virale Pandemie 生物学的普遍性とウイルス性パンデミック
    • Für eine metaphysische Pandemie 形而上学的パンデミックのために
    • Moral ≠ Altruismus 道徳 ≠ 利他主義
    • Der Mensch - Wer wir sind und wer wir sein wollen 人類―私たちは何者であり、また何者でありたいのか
    • Ethik für alle みんなのための倫理
  • Epilog 結び

目次をざっと見ただけでもおおよその内容が想像できるかと思いますが、それゆえに「何を当たり前のことをご大層に訴えているのか」とか「道徳警察か?」などという表層的な感情的反応をする人も中にはいるかと思います。事実、ドイツ・アマゾンの口コミの中にそのような批判が散見されます。

しかし、本書の最もおいしいところはディテールの中にこそあります。

本書の主旨は、「善悪中立の区分をする道徳的事実は人類に普遍で時代や文化に左右されない行動規範であるが、先入観や間違った世界観、イデオロギー等で一部目隠しされてしまっている。この覆いを取り除いて新たな知見を得ることでこの暗い時代にも道徳の光で道徳的進歩を可能にし、人類が直面している全地球的課題を解決する努力をしていける」というふうにまとめることができると思いますが、それでは希望の光明は感じられても、実際に世にはびこる様々な考え方の何がどう間違っていて、それらをどのように論理的に間違っていることを証明できるのか分かりません。しかし、ここがしっかりと理解できていないと、たちまち世に溢れる一見正しそうな誤謬に惑わされ、「was wir tun bzw. unterlassen sollen 私たちが何を為し、また、何を為すべきではないのか」という道徳的事実を見失いかねません。



Moralischer Fortschritt besteht darin, dass wir besser erkennen, was wir tun bzw. was wir unterlassen sollen. Er setzt Erkenntnis voraus und besteht im Allgemeinen darin, dass wir moralische Tatsachen, die teilweise verdeckt waren, aufdecken. 道徳的進歩の本質とは、私たちが何を為すべきかまたは何を為すべきではないのかについての認識を改善することにある。それは知見を前提としており、一般的に言って、私たちが一部隠されている道徳的事実を明らかにすることにその本質がある。(19ページ)

Moralische Tatsachen sind keine natürlichen Tatsachen. Sie sind auch nicht wider- oder unnatürlich, sondern sie sind diejenigen Tatsachen, die Handlungsoptionen nach Maßstäben des Guten, Neutralen und Bösen klassifizieren. Diese Klassifikation liegt nicht im Auge des Betrachters, sie ist keine Geschmacksfrage, sondern in jeder relevanten Hinsicht objektiv. 道徳的事実とは自然に存在する事実ではない。また反自然的でも不自然なものでもない。それは善・中立・悪の基準に基づいて行動の選択肢を区分する事実である。この区分は観察者の目によるのではなく、好みの問題でもない。それはいかなる関連する観点においても客観的なのである。(117ページ)



こうした客観的な道徳事実を明らかにするためには先入観のない思考が必要であり、その思考法を提言するのが哲学であるということですね。
このため、マルクス・ガブリエルは哲学が現在ドイツの学校において必須ではなく、宗教か哲学かの選択になっているなっているのは容認できないスキャンダルだと怒り心頭のようです。



Die Philosophie und damit auch die Ethik sind in ihrem Wesen global, sprich kosmopolitisch. Es kann prinzipiell keine Ethik geben, die sich exklusiv damit befasst, was Einwohner eines einzigen Nationalstaats tun bzw. unterlassen sollen. 哲学、従ってその一部である倫理学もその本質においてグローバル、すなわち世界主義的である。個別の民族国家の住民が何を為し、また何を為すべきではないのかという問題についてのみ取り組むような倫理学は原則的に存在しえない。(248ページ)


Die neue Aufklärung fordert: Ethik für alle, unabhängig von der Schulform, unabhängig von Religion, Herkunft, Vermögen, Geschlecht und politischer Meinung. 新しい啓蒙主義の要求は、学校形態によらず、宗教、出身、財産、性別、政治的見解によらない全ての人のための倫理学である。(249ページ)

このような哲学・倫理学を子どもたちに学校で教えるようにすれば、道徳的な価値判断をするための論理的な思考力が身に付き、ナショナリズムや差別主義または逆差別の誤謬にも陥らずに人類にとって何が急務なのか認識でき、それに基づいて行動できるようになると説いています。



科学至上主義や経済至上主義は既存の宗教や伝統の権威を失墜させ、「なんでもあり」の postmoderne Beliebigkeit ポストモダンな恣意性は多くの人を迷子にさせました。結果として人類は Selbstausrottung 自滅または Selbstzerstörung 自己破壊に向かっています。

その認識から慌てて行動を起こしたり、誰かをスケープゴートにしたりするのではなく、全人類が同じ地球という乗物から逃れられない運命共同体なのだと認識し、冷静に何をするのが正しいのかみんなで考えましょう、というのがガブリエルのメッセージです。

私自身、文化相対主義に陥り「不寛容さに対しても寛容であるべきなのか?」などといったことで悩む迷子の1人でしたが、何冊もマルクス・ガブリエルの本を読むことでだいぶもやもやとした迷いが取れてきたように思います。


皆さんも哲学してみませんか。

書評:江戸川乱歩編『世界推理短編傑作集 新版』2(創元推理文庫)

2022年01月02日 | 書評ー小説:作者ア行

江戸川乱歩編の世界推理短編傑作集の新版全5巻を買ったのは発売されてさほど経っていない2019年のことだったと思いますが、2020年1月~3月にかけて1巻を読んで以降、2~5巻は積読本化していたのですが、年末年始で仕事の隙間ができたので2巻をようやく手に取ってみました。

収録作品は次の9編:
  1. ロバート・バー『放心家組合』
  2. バルドゥイン・グロラー『奇妙な跡』
  3. G.K.チェスタトン『奇妙な足音』
  4. モーリス・ルブラン『赤い絹の肩かけ』
  5. オースチン・フリーマン『オスカー・ブロズキー事件』
  6. V.L.ホワイトチャーチ『ギルバート・マレル卿の絵』
  7. アーネスト・ブラマ『ブルックベンド荘の悲劇』
  8. M.D.ポースト『ズームドルフ事件』
  9. F.W.クロフツ『急行列車内の謎』

1.『放心家組合(The Absent-Minded Coterie)』(1905)
Robert Barrはスコットランド系カナダ人で1881年にロンドンに移住して作家活動を精力的に行ったため、「イギリスの大衆作家」とされることが多い。
推理小説はロンドン在住フランス人探偵のユウゼーヌ(またはユジェーヌ)・ヴァルモンを主人公とするシリーズで、『放心家組合』はそのうちの1作。
ロンドン在住のフランス人探偵というとアガサクリスティーのポワロを彷彿とさせますが、ポワロシリーズは1920年から始まっているので、1904年に始まったヴァルモンシリーズの方が先ですね。

『放心家組合』ではロンドンに濃霧が垂れ込める11月のある日に初めて聞いた「サマトリーズ事件」の回想という形で話が始まります。アメリカ有数の富豪であるブライアン氏が大統領選に落選したことと銀価格問題を新聞で読んでいるところにスコットランドヤードのスペンサー・ヘイルが訪ねてきて銀貨贋造団の話と怪しい人物であるラルフ・サマトリーズについての話をして、ヴァルモンに協力を要請します。
刑事と探偵のタッグはいかにも古典的推理小説という設定ですが、結末は「え、そういうオチ?」という意外なものでした。探偵小説自体のパロディーのような味わいがあります。

2. バルドゥイン・グロラー『奇妙な跡 (Die Seltsame Fährte)』(1909?)

Balduin Grollerは旧オーストリア=ハンガリー帝国の作家で、探偵ダゴベルトを主人公にした推理小説で知られています。「オーストリアのコナン・ドイル」と評されているらしいです。
『奇妙な跡』では産業クラブの会長アンドレアス・グルムバッハの森林管理人であるマティーアス・ディーヴァルトが森の外れで殺された事件を扱っています。ディーヴァルトは前日の金曜日に猟場番人や樵たちの週給を会計事務所で受け取ったあと酒場で一杯やった後に強盗殺人にあったようで、持っていたはずのお金が無くなっており、殺人現場には足跡ではなく奇妙な跡が残っていたことがテーマになっています。
ただ、どんな跡だったのか詳しく説明されないままダゴベルトが独自捜査をして犯人を捕まえてしまうので、読者が推理する余地は残されていません。
残されていた跡の説明をしてしまうと犯人がすぐにばれてしまうため、ぼかさざるを得なかったという印象を受けます。

3. G.K.チェスタトン『奇妙な足音 (The Queer Feet)』(1910)
『奇妙な足音』は「真正十二漁師クラブ」という謎のクラブに属する12人のイギリス貴族の会員が年一度のクラブの晩餐会を行うヴァーノン・ホテルで起こった事件をブラウン神父からの又聞きという形で語ります。
文体がややもったいぶってまだるっこしいのですが、一周回って面白いと言えるかもしれません。
ヴァーノン・ホテルの給仕の1人が急死したためにブラウン神父が呼ばれ、ホテルの事務所の横の私室を一時借りて書類の作成をしていると廊下を1人の人間が足早に歩いたり、ゆったりと歩いたりしているような足音を聞き、奇異に思ってその正体を突き止めようとしたという話です。
ストーリー自体よりも、イギリス貴族に対する皮肉な風刺の方が面白いですね。

4. モーリス・ルブラン『赤い絹の肩かけ (L'Écharpe de Soie Rouge)』(1911)
『赤い絹の肩掛け』はかの有名なアルセーニュ・リュパンと宿敵のガニマール警部のお話の1つです。
ある日リュパンが手の込んだやり方でガニマール警部をおびき出し、とある殺人事件の証拠品を預け、彼なりの殺人の経緯の推理を聞かせ、警部にその事件を解決するように依頼します。
その証拠品の1つである赤い絹の肩掛けの片割れだけはリュパンが手元に残し、それが必要になったら12月28日に警察の手に入るであろうもう一方の片割れを持って来るように言い残して消えてしまいます。
警部がむかむかしながら警察へ戻るとちょうどリュパンの言っていた殺人事件が警察の知るところとなり、警部が捜査を担当することになります。
リュパンの入れ知恵があったために早急に犯人逮捕に至り、ガニマール警部の名声も上がったのですが、公判の維持には決定的な証拠が欠けており、その証拠こそがリュパンが握っている肩掛けの片割れだったので、言われたとおりに12月28日に前回おびき寄せられた館へ向かいます。
リュパンが何のためにガニマール警部にそんなことをさせたのか?
もちろん警部はリュパンをあわよくば逮捕しようと準備していたのですが、案の定するりと逃げられてしまいます。

5. オースチン・フリーマン『オスカー・ブロズキー事件 (The Case of Oscar Brodski)』(1911)
この作品は科学者探偵であるソーンダイク博士が活躍するシリーズの1つで、フリーマンの提唱する倒叙推理小説という形式が最も成功していると言われています。
つまり、犯人視点の犯罪の過程がまず描写され、その後に探偵視点で残された手掛かりからその犯罪行為を推理し特定する過程が描写されるというものです。
サイラス・ヒックラーはその温厚な見かけによらず根っからの犯罪者で、計画的に犯罪を犯し、慎ましやかに暮らしていたのでそれまで捕まることがなかったのですが、ある日、ダイヤモンド商のオスカー・ブロズキーが偶然ヒックラー宅のそばを通りかかり、彼に駅までの道を訪ねます。ヒックラーは自分も次の列車でアムステルダムに出かける予定なので、それまでの間彼の家に上がって待ち、時間が来たら一緒に駅まで行きましょうとブロズキーを自宅に招き入れます。ヒックラーはダイヤモンド関係の商売にも携わったことがあるので、ブロズキーのことも知っていましたが、ブロズキーの方はヒックラーと多少の面識があることを思い出せないまま、何の警戒もせずに招きに応じて家に上がり、供されたウイスキーとオートミールのビスケットを夢中になって食べます。
そうしているうちにヒックラーがブロズキーが持っているだろうダイヤモンドの誘惑とそのための殺人の衝動に駆られ、ついに殺人に至ります。こうしてまんまとダイヤモンドを手に入れ、証拠隠滅を図り、列車に乗って出発するところで第一部が終了します。
第二部で携帯用実験室と呼べる様々な器具や薬品の入った緑のトランクを携えたソーンダイク博士が登場して、捜査が始まります。
探偵の推理する先のゴールが先に提示されているので、謎が次々に明かされていく楽しみがありません。必然的に推理の過程そのものに焦点が当たることになります。科学の力で微細な断片的物証からどんなことが類推可能になるのか、その一点にフォーカスされていると言っても過言ではないでしょう。
このような倒叙形式は、科学的捜査方法が最先端のものである場合に最も面白味があるのではないかと思います。ソーンダイク博士が使う検証のための道具は1911年時点では最先端だったのでしょうが、110年後の現在読んでも残念ながら真新しいものは何もありません。


6. V.L.ホワイトチャーチ『ギルバート・マレル卿の絵 (Sir Gilbert Murell's Picture)』(1912)
この作品は『ソープ・ヘイズルの事件簿』という短編集の中の1つ。
進行中の列車の中央部から貨車が一台抜き取られ、その貨車に積まれていた絵マレル卿の絵が贋作とすり替えられるという事件を扱います。
かなり大掛かりなトリックですが、本当に描写されている方法でそれが可能なのかどうか私には分かりかねます。
私は推理小説好きではあってもあまりトリッキーなものは好まないので、この短編はいまいちでした。

7. アーネスト・ブラマ『ブルックベンド荘の悲劇 (The Tragedy at Brookbend Cottage)』(1913)
この作品はマックス・カラドスという盲人探偵が活躍するシリーズの代表作です。「盲人探偵」と言うからには安楽椅子探偵の類だろうと思いきや、友人のルイス・カーライルの助けを借りてかなり外に出かけてます。
ある日ホリヤー大尉というクライアントがカラドスを訪ねてくるところから話が始まります。ホリヤーはブルックベンド荘に住む姉夫婦の様子がおかしく、夫のクリークにそのうち何かされるのではないかと心配でカーライルに相談し、カラドスに頼ることになります。
こうしてカラドスが捜査に乗り出し、クリークの企みを徐々に暴いていき、最終的には警察の協力の下、クリークの工作をギリギリまで実行させて殺人未遂の角で逮捕に至るのですが、オチがなんとも釈然としない、題名の通り「悲劇」で終わってしまいます。
全体的にさほど面白くないと感じました。どこら辺が「傑作」なのかよく分かりません。翻訳がところどころ分かりにくいのも玉に瑕ですね。

8. M.D.ポースト『ズームドルフ事件 (The Doomdorf Mystery)』 (1914)
この作品はアンクル・アプナー探偵シリーズの1つで、密室殺人事件を扱います。
傭兵上がりらしいズームドルフはヴァージニア州の岩山に居を構えて桃を植え、収穫した桃で酒を醸造して販売し、村人たちを堕落させ、逃走に明け暮れさせたと政府に目をつけられます。彼に酒の醸造販売を止めさせようとランドルフ治安官がアプナーを伴ってズームドルフを訪ねると、彼は外から閂のかかった寝室で猟銃に胸を撃たれて死んでいました。誰が彼を殺したのか?
すると、彼らよりも先に来ていたメソジスト派巡回僧のブロンソンが自分が彼を殺したと言い、また、ズームドルフの家政婦も「やっと殺してやった」などと口走ります。
しかし、話を聞いてみるとブロンソンは「天の火」の仕業だと言い、家政婦は呪いの蝋人形を使ったと言います。
では、誰が猟銃を撃ったのか?その謎はアプナーがあっさりと解き明かします。
アルコールが禁制だった開拓時代のアメリカの話ですから、酒醸造販売をしていたズームドルフは天罰が下って当然の悪人という扱いです。非常に宗教色も濃厚な作品で、推理小説というよりは風俗小説の一種のようです。


9. F.W.クロフツ『急行列車内の謎 (The Mystery of the Sleeping Car Express)』(1921)
この作品はタイトルからも察せられるように列車という大きな密室の殺人事件を扱います。事件自体は1909年の秋にノース・ウェスタン急行列車がプレストンとカーライルの中間に差し掛かった際に起き、英国全土を騒がせたものの、結局未解決のままお蔵入りとなったのですが、著者はつい最近とある偶然から事件の詳細を知るに至ったので、その仔細を書き留めることにした、という感じに物語が始まります。
そして列車の構造の描写やどこにどんな乗客がいて、車掌がどのように動き、事件が発見された経緯や発見後に車掌の取った行動や警察の調べなどが淡々と語れられ、様々な推論の検証などが行われますが、結局、犯人がどうやって列車から出たのかという謎が解けずにお蔵入りになるところで前半部が終了し、後半部は事故で死にかけている犯人が著者である医者にそのすべての経緯を告白します。探偵ではなく下手人本人の告白による謎解きというパターンの典型ですね。


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