横山秀夫作品は2年ちょっと前に読んだ『
影踏み』以来です。警察小説、犯罪小説のイメージが強い作家ですが、この『ノースライト』は建築士が主人公で、警察とはほぼ全く関係のないストーリーで、ミステリーではあるものの、文学作品と言ってもよいのではないかと思えるようなじんわりとした味わいがあります。
建築士・青瀬稔は、施主の吉野に「あなたが住みたいと思う家を建ててください」と言われ、信濃追分に主に北向きの窓から採光し、そのノースライトの柔らかな光を家全体に行き渡らせるこだわりの設計をして、その家を建てました。この家は「Y邸」として〈平成すまい200選〉に取り上げられ、そのおかげでこれと同じ家を建てて欲しいなどの依頼が来るようになります。
クライアントの1人が実際に信濃追分に行って、可能ならば内覧させてもらおうと思ったところ、住んでいないようだと青瀬に連絡します。青瀬は、Y邸引き渡し後吉野から数か月も連絡がなかったことが気になってはいたので、これを機に吉野に連絡を取ろうとしますが、Y邸に入居した形跡がないことが判明し、吉野を探し始めます。
Y邸には誰かが侵入した痕跡があり、青瀬も入って調べてみますが、中には電話と椅子が一脚あるのみでした。
結局、この椅子しか手掛かりがないので、その出自を追ううちに、日本を愛したドイツ人建築家ブルーノ・タウトの存在が浮かび上がってきます。
ダム建設の仕事をしていた父に付いて子供時代渡りの生活を送った青瀬の原風景、マイホームの理想について意見が食い違ってしまった元妻、月に一度会う思春期の娘との向き合い方、バブル崩壊後の苦渋、施主の顔色を窺いながら惰性で線を引いているだけのような建築士としての仕事に抱く疑問、大学の建築科で同期だった所長の岡嶋昭彦に対するバブル後に拾ってもらったという恩義と同じ建築士としてのライバル心など、過去と現在の複雑な絡み合い方が見事です。
また、岡嶋昭彦が少々無理をして引っ張ってきた女流画家のメモワール館建設のコンペ参加にあたり、画家の生き様や思いとその遺族の思いもじわじわとした伏線を織りなしてクライマックスに向かっていくのが感動的です。
「あなたが住みたいと思う家を建ててください」という尋常ではない依頼の謎、そしてY邸に残されていた一脚の椅子の謎はなんとも美しい謎です。
建築や絵画・芸術に全然興味のない方には途中ちょっと読むのが辛くなる部分もあるかと思いますが、最後まで読む価値は絶対にあります。